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愛と元素のフェアリズム  作者: みなもとさとり
Element.2 世界を繋ぐもの
40/93

プロローグ

「はあぁぁぁぁぁっ!」

「たあっ!」


 夜の公園に、少女たちの勇ましい声が響き渡った。


「このぉっ!」

「そこっ!」


 鋭い声が轟く度、その主である桃・赤・青・緑・黄……五つの輝きが夜闇を切り裂いて舞う。


 五色の光が向かう先は、群青色の身体を持つ異形の怪物。

 ギョロリと見開かれた目は鋭い眼光を放つ。大きく裂けた口は固く閉じられているが、その端では捲れ上がった口唇こうしんから剥き出しの牙が覗き、月明かりを浴びて青白く輝く。顔の周りには立ち込める群雲のように巻いた銀色のたてがみ、そして登頂には一本の角。

 神社などによく置かれている狛犬のような姿をした――いや、実際にどこかの神社の狛犬そのものであったであろうその怪物は、何かを不安に思う心が顕現した存在。その名をフアンダー。


 そしてフアンダーやそれを操る《組織》に立ち向かう、輝きを身に纏った五人の少女たちの名はフェアリズム。世界の安定と均衡を司るエレメントストーンに選ばれた運命の戦士。


 だが、その素顔はごく普通の女子中学生だ。


 桃色の光は木の戦士フェアフィオーレ――花澤桃。

 赤色の光は火の戦士フェアルーチェ――赤﨑光(あかさきひかる)

 青色の光は水の戦士フェアマーレ――水樹渚。

 緑色の光は風の戦士フェアチェーロ――生天目優なばためゆう

 黄色の光は地の戦士フェアステラ――金元麻美。


 俺と五人のフェアリズムたちは、六月の終わりに起きた《組織》との死闘を経て仲間になった。

 戦いはそこから激化の一途を辿ると思われた。だが予想に反して、それから半月以上ずっと《組織》は大した行動を起こさなかった。情勢は不自然極まりない沈黙が続いていたのだった。


 そして今夜、その不気味な沈黙はついに破られた。都心に程近いこの八々木(ややぎ)公園に、《組織》の幹部であるシスター・キャンサーが、フアンダーを引き連れて姿を現したのだ。


 今、俺たちとフアンダーは広い遊歩道を両脇から挟むようにして対峙している。狛犬フアンダーはグルルッと低いうなり声をあげながら、前足で地面を掻き毟る。


「フィオーレ・ヴァイン!」


 桃色のポニーテールを揺らしながら、フェアフィオーレがフアンダーに向けて手をかざす。すると仄かに燐光を纏った掌から、深緑色の植物の蔓が勢いよく飛び出した。何本にも枝分かれして、まるで意思を持つかのように伸びた蔓は、フアンダーの四肢に蛇のように巻きつきいていましめる。


「ルーチェ、今のうちにおねがい!」

「おっけーフィオーレ! いくよ、ルーチェ・フレイム!」


 身動きの取れないフアンダーをその勝気な緋色の瞳で見据え、フェアルーチェが炎の玉を投げつけた。

 最初はバレーボール程度の大きさしかなかった火球は、轟音を立てて突き進みながら膨れ上がっていく。その直径は数メートルに達し、まるで小型の太陽の様相を呈してフアンダーを飲み込む。


――かに見えたのだが。


「グオォォォォォッ!」


 フアンダーが野太い咆哮を轟かせた。その瞬間、フアンダーを縛めるフィオーレの蔓も、猛然と迫るルーチェの火球も、あっけなく吹き飛ばされてしまう。

 いや、吹き飛ばされたという表現には誤謬がある。まるで大気の中に溶けて一体化するかのように、あるいはそれまで見えていたものが幻だったとでもいうかのように、その色も形も崩れて消え失せてしまったのだ。


「そんな!」

「あたしの炎がかき消されたっ!?」


 フィオーレとルーチェの顔色が変わる。

 いや、その二人だけではない。


「……やっぱり、さっきと同じ」


 無表情な中にも困惑の色を浮かべ、フェアステラが呟いた。

 ステラもまた、ついさっき全力の電撃をフアンダーに無効化されたばかりだ。普段ふわふわとゆるやかなウェーブを描いている金色の髪は、今は主の緊迫が伝わったかのように毛羽立ち、パリパリと火花を散らしている。


 開戦から既に二十分近くが経過しているが、フェアリズムたちはフアンダーに対して決定打を与えられていない。通常の格闘戦ではきちんと戦えているものの、エレメントストーンの力を借りた技の数々は全て先程のように打ち消されてしまうのだ。


「両太郎さん、今度は私とチェーロがやってみます。率直に言って通用する保証はありませんが、試したいことが。――いいですか?」


 よく通る落ち着いた声でそう言ったのはフェアマーレ。聡明な才女といった印象に違わず、広範な知識と冷静さを備えた、フェアリズムたちの頼もしきまとめ役だ。

 俺はリーダーという肩書きを務めさせてもらっているものの、戦闘能力は皆無に等しい。リーダーというよりは、後方に立つ指令役と言ったほうがニュアンスとしては近いかもしれない。

 ゆえに俺とは別に、実戦の最中に最前線で細かな判断を下せる「現場のリーダー」がどうしても必要になる。その役割を担ってくれるのがマーレだ。


 さしものマーレも、今回の敵に対しては明確な勝算は見出せていないようだった。海を思わせる深蒼の瞳には、僅かに焦燥の色が見える。

 だがそれでも彼女は冷静さを失わない。懸命に打開策を見つけようと、何かを試そうとしているらしい。もしかするとその「試したいこと」というのは、俺が思いついたものと同じだろうか。


「もしかしてマーレ、物理現象を起こして間接的に足止めしようとしてる?」

「はい、私とチェーロの力なら可能かと。――でも、よくわかりましたね。流石は両太郎さんです」


 マーレはにっこり笑って、敬意の篭った眼差しを俺に向けてきた。もっとも、「流石」と言いたいのは俺の方だ。

 狛犬フアンダーには、エレメントストーンの力は打ち消されてしまうものの、今のところ肉弾戦は通用している。つまり恐らく、物理現象を打ち消すことはできないと見ていいだろう。ならばエレメントストーンの力を直接ぶつけるのではなく、まずエレメントストーンの力で物理現象を起こし、それをぶつけて戦えばいい。マーレの提案は、とりあえず思いつく範囲では百点の答えだ。


「私が大気中の水蒸気を昇華させて小さな氷の結晶を作ります。それを――」

「ぼくの風の力でフアンダーにぶつければいいんだね」


 相槌を打ったのはフェアチェーロだ。彼女もまたフェアリズムにとって重要なブレインの役割を持つ。マーレの担当を論理と知識とするならば、チェーロは発想と機転。左脳のマーレに右脳のチェーロ、なんて表現がしっくりくる。

 変身前より長さを増した髪を無造作にかきあげて、翡翠を思わせる緑の瞳を輝かせながら、チェーロは悪戯っぽく笑った。

 生粋のゲーマーでもあるチェーロは、力を()()()()する()能力持ちというこの難敵の攻略を面白がっているようだ。困難な場面すら楽しみに変えてしまうチェーロは、どこまでも勝気なルーチェと並んで、俺たちにとって欠かせないムードメーカーだ。


「しっかりね、チェーロ!」

「任せてよ、マーレ!」


 幼馴染同士でもある二人は、互いに激励するかのように頷き合い、キッと狛犬フアンダーを睨む。


『はああぁぁっ!』


 二人の掛け声がぴったり重なった。

 同時に辺り一帯の気温が急激に下がる。マーレの周囲にキラキラとした結晶が生じた。大気中の水蒸気が液体を経ずに一気に固体化し、極小の氷結晶となる――ダイアモンドダストと呼ばれる現象だ。

 そしてそれがチェーロの巻き起こした風に乗って、狛犬フアンダーへと襲い掛かっていく。


「グオオォォォォッ!」


 再び狛犬フアンダーが咆哮を上げた。

 だが、無数の氷の結晶は消滅することなく狛犬フアンダーの身体に達し、覆い尽くしていく。

 寄り集まった氷の結晶は周囲の気温の中で溶けながらくっつき合って体積を増していき、狛犬フアンダーを巻き込んで数メートル大の氷の塊と化した。氷漬けの冷凍マンモスならぬ、冷凍狛犬の出来上がりだ。


――狙い通りだ。

 気温を下げたり、水蒸気を固体化させたところまではエレメントストーンの力。しかし下がった気温そのものや、生じた氷の結晶は物理的な存在。やはり狛犬フアンダーは物理法則を覆すような力を持っているわけではなく、あくまでもエレメントストーンの力を無効化できるだけらしい。

 そして今となっては全身を完全に氷塊に覆われ咆哮を上げることもできないため、その無効化能力も発揮できないはずだ。


 それにしてもマーレとチェーロの二人でこの作戦を咄嗟に思いつけるなら、はっきり言って俺が指揮官としてこの場にいる意味は薄いよな。優秀な子たちで頼もしい反面、ちょっと自分の役割を見つめなおしたくなりもする。まあ別に仕事を取られて拗ねてるってわけじゃないけどさ。

 このままじゃ今回の俺って、


「よしみんな、今だ!」


 って叫ぶだけの役回りなんじゃないか。


 ……そんな俺の複雑な心中はさておき、今は目の前の戦局に集中だ。

 フェアリズムの五人は俺の合図に首肯を返した。それから円陣のようにぐるりと輪を描いて立ち、中央に各々の左手を差し出して重ねる。


「届け、草花のいたわり!」

「響け、炎の息吹!」

「包め、海原うなばらの旋律!」

「さざめけ、風の歌声!」

「……きらめけ、星々の鼓動!」


 五人の掛け声に呼応し、重なり合った五つの手のエレメントストーンが一際眩しい光を放った。

 どこまでも広がっていくかに見えた五色の閃光は、しかし緩やかな弧を描きながら折り合わさり、再び五人の重ね合わされた左掌に集まっていく。これは複数のエレメントストーン、複数人のフェアリズムの力を重ね合わせた、現状最高の浄化技。凍結によって無効化の咆哮を封じ、最大の浄化技で一気に浄化してしまう。理に適った戦法だ。


『フェアリズム・エレメンタルサーキュレイション!』


 五人は重ねた手を一斉に突き出した。そこに集まって凝縮されていた力は再び大きく膨らむ。

 ドン、という大きな衝撃とともに放たれた五色の光の塊は、五つの円環となって氷漬けの狛犬フアンダーへ一直線に飛んでいく。

 五重の円環が狛犬フアンダーの周囲を取り囲む。そのまま環は凄まじい勢いで回転し始め、そして――


「……えっ?」

「そんな……」


――まるで空気中に溶け込むように消滅した。


「フアンダーは動けないのに、どうして……」


 信じられない、といった顔で呟いたマーレの視線の先では、狛犬フアンダーが未だ氷漬けのままになっている。

 だとすれば考えられる答えはたった一つしかない。俺たちにフアンダーをけしかけるや否や姿をくらました、フアンダーを操る存在。フェアリズムにとっての真の敵。そいつが無効化能力の本当の使い手だ。


「出て来いシスター・キャンサー!」


 俺はその名を叫ぶ。

 だが返事は無い。街頭に照らされた薄暗い公園内には、嫌な熱気を纏った夜の空気が漂い、数多の昆虫の鳴き声だけが響き渡っている。


「くそっ、どこに――え?」

「お兄ちゃん!」


 キャンサーの姿を探そうと辺りを見回していると、不意に背後に気配を感じた。

 次の瞬間には、俺を突き飛ばすようにして、俺とその気配の間にフィオーレが割り込んでいた。


 キャンサーはまるで何も無い空間から突然現れたかのように、()()()()()()()()()()()。そして俺めがけて、刃の曲がった小さなナイフのようなものを振り下ろしていた。

 それを間一髪でフィオーレが受け止めてくれたのだった。


「っ――! すまない、助かった!」

「お兄ちゃん、下がってて!」


 フィオーレは俺を一瞥してそう言うと、俺を押しやるようにじりじりと下がり、キャンサーと距離をとる。同時に、残る四人のフェアリズムたちもキャンサーの周囲を取り囲んだ。直径十メートル程度の円を描くように、キャンサーを包囲している状態だ。


 だが黒いローブを纏った長躯のシスターは、五人のフェアリズムに取り囲まれてなお落ち着き払っていた。仮面で素顔を隠しているという点を差し引いたとしても、その態度には僅かな焦りも見られない。俺に突き立てようとしたナイフを手に、底の知れない不気味さを放っている。


「リョウくんを狙うなんて姑息な真似をしてくれるね!」

「チェーロ、姑息の用法が間違っていますよ。姑息というのはその場しのぎという意味です」

「えっ? マ、マーレは細かいなあ。じゃあ、こういう時はなんて言えばいいの?」

「そうですね。それはもちろん――」

「ぶっ飛ばす!」


 マーレの言葉を遮って、真っ先に特大の戦意を迸らせたのはルーチェだ。両拳を真っ赤な炎に包み、今にもキャンサーに殴りかからんと身構える。


「――ふふ、ではそれが正解ということで」


 ルーチェの回答に吹き出しそうになりながら、マーレが流麗なモーションと共に両手を躍らせる。同時に両手に青白い凍気が周囲を漂い始めた。


「それで正解なんだ……。ま、いっか。それじゃあぼくもいくよ、天空剣キュリオシティッ!」

「……覚悟、してね」

「お兄ちゃんはわたしたちが守る!」


 二人に続いて、チェーロ・ステラ・フィオーレも力を解き放つ。

 五つのエレメントストーンから放たれた五つの力が少女たちを包み、キャンサーを押しつぶしそうなほどにその輝きを増す。


 しかし、それでもキャンサーは動じなかった。


「――我思う。フェアリズム撃破は我が任務に非ず。しかしフェアリズムは任務遂行における障害である」


 キャンサーはしわがれた声で呟き、右手を顔の高さに掲げてルーチェに向けた。


「な、何……?」

「気をつけろルーチェ! たぶん無効化能力の持ち主はキャンサー自身だ!」

「っ……!」


 ルーチェの顔色が変わる。が、フェアリズムの切り込み隊長はそれで怯むようなタマでもない。先手必勝とばかりに、炎の燃え盛る両手をキャンサーに向けて振るう。


 だが、残念ながら――そして半ば予想通り――その拳はキャンサーに届くことはなかった。


「我命ず。()()()()()()()()()()()()()()よ、その虚空の力を示せ」

「なっ……!?」


 キャンサーの掲げた手の先を中心として、空間が爆ぜた。まばゆい閃光と衝撃波が同時に巻き起こり、キャンサーに飛び掛る寸前だったルーチェはおろか、五人のフェアリズム全員が弾き飛ばされる。


「きゃああっ!」

「くっ! 大丈夫かフィオーレ!」

「あ、ありがとうお兄ちゃん……」


 俺の方に吹っ飛んできたフィオーレをどうにか受け止める。残りの四人も咄嗟に空中で体勢を整え、難なく着地。反撃すべく、地面を蹴ってキャンサーに向かって突進していく。


――だが。


「えっ?」

「うそ、なんで?」

「変身が……!」

「……解けた?」


 キャンサーが軽く腕を振るったその瞬間、ルーチェが、チェーロが、マーレが、ステラが、突然に失速する。四人を包んでいたフェアリズムの衣服は空気に溶けるように掻き消え、それぞれがもともと着ていた服装へ変貌――いや戻ってしまう。

 だがフェアリズムの脚力で生み出された突進の勢いは、失速したといえど生身の肉体では上手く殺しきれない。四人は立ち止まることすらできず、つんのめるように転んでしまう。


「そんな……」


 俺に抱きとめられていたフィオーレもまた、四人同様に変身が解けていた。凛々しさと優しさを備えた木の戦士フェアフィオーレは、内気な少女・花澤桃の姿に戻ってしまっている。


「我思う。今のお前たちでは我には勝てぬ。だがヴィジュニャーナを差し出せば見逃そう」


 キャンサーはフェアリズムたちに見せびらかすように、逆十字に貫かれた指輪のペンダント――五大の空のエレメントストーンを懐から取り出した。

 最悪だ。シスター・アセロスの五大の火のエレメントストーンに、シスター・アンの五行の金のエレメントストーン。その二つだけでも厄介だというのに、まさか五大の空のエレメントストーンまで《組織》の手に渡っていたなんて。


 だがそれにしても、キャンサーの力は圧倒的過ぎる。

 アセロスもアンも強大な敵ではあるものの、フェアリズム二人がかりで相手をすればなんとか戦えるレベルだった。それに加えて、相性を上手く突くことさえできれば優位に立つことだってできそうな手ごたえがあった。

 しかしこのキャンサーはフェアリズムの力を無効化して、さらに変身すらも強制解除してのけた。

 これではあまりに一方的だ。五大の空のエレメントストーンだけが飛びぬけて強力な力を持っているとでもいうのだろうか。


 いや、恐らくそれはない。パックやアリエルはエレメントストーンが世界の均衡を司るものだと言った。ならばその力は対等。均衡を司るなどと言うならば、いずれかのストーンがこうして悪用されてしまった時、他のいずれかを以って食い止めることができるはずだ。

 つまり本来は対抗手段がある。俺たちがそれに気づけていないだけなのだ。


 くそ、考えろ。考えろ……!


「ヴィジュニャーナ……それは一体何だ。エレメントストーンのことなのか?」


 半ば時間稼ぎのつもりで、キャンサーに問いを返す。

 するとキャンサーは無言のまま俺たちの方に顔を向けた。

 仮面の下でどんな表情を作っているのかはわからないが、その視線が俺の腕の中の桃ではなく、俺を捉えているということはなんとなく伝わってくる。


「ヴィジュニャーナとは汝、花澤両太郎なり。汝が大人しく我に従えば、此度だけはフェアリズムたちを見逃す」

「……へ?」


 思わず間抜けな声を出してしまった。

 俺がヴィジュニャーナ? っていうかそもそもヴィジュニャーナって何だ?


「どういうことだ。お前たちの目的はエレメントストーンを集めることじゃなかったのか?」


 別に『俺よりフェアリズムのほうが美味しいんであっちを食べてください』なんて言いたいわけじゃない。しかし相手の狙いもわからないまま話に乗ることはできない。もちろん乗る気なんかさらさら無いのだが。


「目的? 否。エレメントストーンは手段。そして汝、ヴィジュニャーナも手段である」

「……だったらお前たちの目的は何なんだ?」

「知る必要は無い。選べ。フェアリズムたちの命と、汝の身柄、どちらを捧ぐかを」

「ふざけないで!」


 激昂とともに言い返したのはフィオーレ――いや桃だ。


「お兄ちゃんは傷つけさせない、わたしたちも負けない!」


 俺の手を振り払い、二歩、三歩、キャンサーに向かって詰め寄る桃。気弱な少女だなんて一瞬でも思ったのは大きな誤りだった。その後ろ姿は変身なんてしてなくても、勇ましく気高い運命の戦士フェアリズムそのものだ。

 そして桃のその叫びに呼応するように、他の四人も次々と立ち上がる。


「そうだよ、あたしたちはあんたなんかに負けない!」

「何度技を止められても、変身を解除されても、ぼくたちは――」

「私たちは、諦めません!」

「……絶対に、ね」


 五人は再び変身するため、エレメントストーンの指輪をはめた左手を顔の高さに掲げた。

 一方のキャンサーは仮面の下でため息を零し、面倒だとでも言いたげなぞんざいな所作で、手にした短刀の切っ先を桃に向ける。そしてその手が微かに震え、指先に力が込められた。


 その時だった。


「やめておきなさい」


 女の声が、場に張り詰めた緊張感を引き裂いた。

 フェアリズムの五人でも、キャンサーの声でもない。透明感と鋭さを備えた、精緻なガラス細工を思わせる声。


「……ダイア。今日は我の番だと思ったが?」


 キャンサーは桃に短刀を向けたまま姿勢を動かさず、顔だけを声の方に向ける。その視線の先、二十メートルばかり離れた位置に声の主はいた。黒いローブを身に纏った、長い黒髪と琥珀の瞳を持つ美しい少女――シスター・ダイア。


「そうね、フェアリズムと戦うのはあなたの番だわ。だから今まで黙って見ていてあげた。でもね――」


 ダイアは挑発するかのように不敵な笑みを浮かべている。それは俺たちに向けられているのか、それともキャンサーに向けられているのか。その本心は読めない。


()()をいただくのは、わたしの番よ」


 ダイアはキャンサーの足元に向かって右手を突き出した。


「…………!」


 キャンサーは無言のまま飛びのいた。すると間髪入れず、数瞬前までキャンサーがいた場所に異変が起きる。轟音を立て、まるで柔らかなジェラートをかき混ぜたみたいに地面が捩じれて土が盛り上がった。さらにその隆起した土の先端が球状に膨れ上がり、淡い紫の光を放つ。


 俺は一瞬ダイアがキャンサーを攻撃したのかと思った。だが土塊が放った紫の光を見てその認識を改める。


「まさか――っ!」


 フェアリズムたちから口々に驚愕の声が上がる。そうだ、間違いない……あの光は!


「……持ち帰って汝に渡す所存だったのだがな」

「あら、いいじゃない。今までこの子たち(フェアリズム)には散々辛酸を舐めさせられたんだもの。目の前で大切な物を奪ってやる程度の、ささやかな憂さ晴らしは大目に見て欲しいわね」


 呆れたように言ったキャンサーに、ダイアは妖艶な笑みを返した。

 そして懐から逆十字のペンダントを取り出すと、紫の光を放つ土塊の中心にそれを押し付ける。


「さあ、()()()()()()()()()()()()()()よ、わたしに従いなさい!」


 すると紫の光はダイアの言葉に抵抗するかのように一際強さを増す。しかしその光は逆十字から滲み出た、どす黒い霧状の何かに徐々に徐々に侵食されていく。


「さ、させないっ」

「邪魔よ!」

「きゃあぁっ!」

「くぅっ!」


 桃を皮切りに、五人のフェアリズムがダイアの凶行を阻止しようと次々と踊りかかった。しかしダイアがペンダントを持っていない左手を軽く振るうと、それによって生じた衝撃波に全員があっさりと弾き飛ばされてしまう。くそ、やはり生身のままではどうにもならない。

 やがて抵抗空しく、紫の光――陰陽の闇のエレメントストーンは、逆十字の放った黒い靄に完全に飲み込まれてしまう。靄が晴れた時、逆十字の中央には無残に貫かれたエレメントストーンの指輪があった。他のシスターの持つ逆十字と同じ、無理やり従わされ力を引き出されてしまう状態だ。


「陰陽の闇のエレメントストーン、確かにいただいたわ。――さあ、帰りましょうキャンサー」


 倒れ伏すフェアリズムたちをつまらなそうに見下ろしてダイアが言う。それを受けてキャンサーは首を傾げた。


「我思う。残りのエレメントストーンを奪うにせよ、ヴィジュニャーナを捕らえるにせよ、今が好機ではないのか」


 ダイアはキャンサーの言葉に眉を顰めた。


「ヴィジュニャーナ――花澤両太郎のことだったわね。イルネス様はそれが何を意味するのか教えてくれなかった。――あなたは何か知っているのかしら?」

「汝が知る必要はない」

「……そう言うと思ったわ」


 ダイアは呆れ顔でため息をつく。


「キャンサー、あなたがエレメントストーンの使いすぎでもうじきガス欠なのは分かってるわ。このままフェアリズムと戦っても負けることは無いでしょうけれど……恐らく相打ちってところね。ま、わたしにあなたの分も含めて六つもエレメントストーンをプレゼントしてくれるというなら願ったりだけれど」


 挑発するようなダイアの物言いに、キャンサーはしばしの無言を返す。それからしわがれた声で「撤退の提案に応じる」とだけ答えた。同時に、氷漬けのまま放置されていた狛犬フアンダーがフッと掻き消える。どうやら本気で撤退するつもりのようだ。


「ま、待ちなさいよ!」


 踵を返して立ち去ろうとした二人のシスターに、ひかるが食い下がる。


「エレメントストーンを返して!」


 続いて桃も。そしてゆう・渚・麻美も立ち上がった。もちろん俺だってこのまま黙って見送るわけにはいかない。

 だがそんな俺たちを、ダイアは少し怒ったような顔で振り返った。そしておもむろに陰陽の闇のエレメントストーンを握り締め、


「サイレント・ダークスリープ!」


 叫びと共に、エレメントストーンから迸る紫の光を俺たちに浴びせた。


 その瞬間、俺の視界は急激に真っ暗になっていく。眠気なんて少しも無いのに、強制的に身体が睡眠状態に陥ってしまったかのように弛緩していく。かつて絶望のエンブリオを植えつけられた時にも似た、意識が自分の身体の奥底に沈みこんでいくような感覚。


 (せば)まっていく視界の端で、フェアリズムたちが為す術無く膝から崩れ落ちていくのが見えた。全員この紫の光を浴び、身体の自由を失ったようだ。

 そして俺自身もまた、平衡感覚を失って身体が倒れ込んでいくのを感じる。だが踏みとどまることすらできない。足が動かない、というよりも自分の身体に足なんてものがあるのかどうかすらわからない。何もかもが輪郭の無い闇に閉ざされていく。

 最早、自分が立っているのか倒れているのかすらわからない。


「――ボロボロのあなたたちをいたぶったところで、これまでのわたしの恥辱は雪げない。次会う時に本気の戦いをしましょう、フェアリズム」


 ほとんど途切れそうな意識に、ダイアの声が流れ込んできた。

 しかし俺たちは誰一人として、その言葉に返事をすることすらできなかった――。

シスター・ダイアの技名修正(14/11/07)

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