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愛と元素のフェアリズム  作者: みなもとさとり
Element.1 運命の戦士フェアリズム
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第二話 花澤両太郎 -an unknown quantity-

 俺たちはどこまでも続く湿原を走っていた。


 周囲には遮蔽物らしきものは何も無い。にも関わらず、視界は決して良好とは言えない。

 辺りには深い霧が立ち込めている。背の低い草や苔に覆われたモスグリーンの大地は、距離を置くにつれて実体感が薄れ、数十メートル先ではとうとう霧と一体化するように、あやふやな境界線に溶け込んでいる。


 俺は相棒のスミスと共に一直線に目的地を目指し、ぬかるんで踏ん張りの効かない足場を滑るように駆け抜けていた。

 走りながらも俺の両手はそれぞれに少し短い直剣を握り、いつでも二刀流の技を放てるように構えている。この湿地に潜む獰猛な合成獣、熊トカゲに瞬時に応戦するためだ。


「リョウ、このまま真っ直ぐ二十メートル先に三匹だ、任せる!」


 併走する相棒が叫んだ。

 相棒スミスのクラスは狩猟歩兵(レンジャー)で、高い索敵能力を持ち、射撃武器と近接武器の両方を扱う狩猟のスペシャリストだ。このアポルオン湿地に生息する熊トカゲは灰色の体表を持つ《グリズリザード》で、決して強敵ではない。スミスの剣の腕ならば三匹どころか両手の指ほどの数でも瞬時に斬り伏せるだろう。

 しかしスミスは今、ある理由によって弓を構えっ放しで、おまけに矢もつがえている。両手が塞がっているスミスの分もグリズリザードを蹴散らす。それが俺の役割だ。


「はいよ」


 返答と同時に、二刀流から両手剣に装備変更。前方に高く跳躍する。

 俺のクラスは剣聖(ソードマスター)で、両手大剣・片手直剣・片手剣二刀流・曲刀といった様々な刀剣の戦闘スタイルを使い分けることができる。そしてもう一つの特筆すべきクラス特徴は、近接剣術クラスで唯一の跳躍剣技を持つ点だ。

 跳躍と同時に折り曲げた脚を、最高到達点でもう一度勢いよく伸ばす。俺の爪先は存在しない足場を蹴り、体はさらなる高みへと昇る。ソードマスターの固有スキルの一つ、二段跳躍だ。

 そこから剣を地上に向けて続けざまに放つスキルは《ダウンバースト》。下降気流を意味する風属性の両手跳躍剣技は、スミスの指定した通りの場所に着弾して地面を抉る。


「グイィィィィッ!」


 地中で待ち伏せ(アンブッシュ)していたグリズリザードは、上空からの攻撃に対して哀れなほどに無力だった。体長一メートル程度の熊トカゲは、獣にも鳥にも似た独特の悲鳴を上げ、湿った土と一緒に宙を舞う。

 俺はそこにすかさず追撃を入れる。一瞬の後には、三匹のグリズリザードは死体になって足元に転がっていた。


「リョウ!」


 後方からスミスが走ってくる。無事に片付いたぞと相棒に答えようとして、その声色の変化に気づく。少しの焦りと、少しの昂揚が混じった声。答えは一つだ。


「ヤツがいるのか?」

「足元だ、後ろにジャンプ!」


 スミスが言い終わる前に俺は思い切り飛び退いた。それとほぼ同時に、俺が立っていた辺りの土が奇妙に盛り上がる。次の瞬間ドゴッという鈍い音を立て、まるで噴火のように泥土を噴き上げながら、巨大な灰色の獣のあぎとが現れた。

 顎の大きさから想定される体長は、通常のグリズリザードの十倍はくだらない。グリズリザードの群れを率いる《王》であり、この湿地唯一のネームド・モンスターでもある《灰王アバドン》だ。

 その姿は単純にグリズリザードを巨大化したというようなものではない。牙は通常のグリズリザードのそれと比べて圧倒的に長く、太く、厚く、そして禍々しいまでにいびつだった。牙の表面は体表と同じ灰色だが、生物とは思えない金属質の光沢を持っている。まるで悪趣味な何者かが、面白がって猛獣に金属製の刃物を装着させたかのようにも見える。


 このアバドンこそ、スミスが弓を構え続けていた理由であり、そして俺たちがこの湿地にやってきた目的だった。


「リョウ、避けろよ! このままぶっ放す!」

「わかってる」


 空中で返答し、着地と同時にすぐに続けて横跳びをした。スミスの弾道線から身を逸らすためだ。

 湿地探索を開始して七分、スミスがひたすら矢をつがえ続けてチャージしてきたのは、単位時間効率を無視すればレンジャーの最大火力スキルとなる《単眼巨人の炎鏑矢(サイクロプス・アロー)》だ。チャージすればするほど威力を増していくという特性がある反面で、チャージ中に一撃でもダメージを受ければそれまでのチャージがキャンセルされてしまうという、ピーキー極まりない使い勝手。しかし最大五分のチャージを成功させてしまえば、その代償として絶大な物理ダメージと火炎ダメージを対象に与える大技になる。

 ビュウッと低い笛のような音が鳴る。スミスのつがえた矢に炎が点り、巻き起こす風がかぶらを鳴らし始めたのだ。


「グイィィィィッ!」


 アバドンが地鳴りのような声を上げ、ついに腕を地上に突き出した。地中から這い上がって俺たちに襲い掛かるのは時間の問題だ。だが俺たちは、そうさせないために入念な打ち合わせと準備を重ねてきたのだ。

 最大チャージのサイクロプス・アローの一撃を見舞えば、いかに巨大なアバドンといえど大ダメージとともに燃焼・火傷のバッドステータスを受ける。火傷のバッドステータスに陥るとひっくり返って転げまわるのは、グリズリザードに限らず熊トカゲ類の共通パターンだ。そこに二人がかりで、ありったけのスキルを連続で叩き込む。それが俺たちのアバドン攻略作戦だった。

 そして、その文字通り嚆矢こうしとなるサイクロプス・アローがスミスの手から放たれた。

 スキル効果によって巨大化した矢は、アバドンの雄叫びにも劣らない轟音を立てて進み――


 残念ながら、俺たちの冒険はこれで終わってしまった。




「あー、いいところだったのに……酷いよエミちゃん」


 スミス――もとい(かじ)は、アバドン以上に強大な敵に向かって非難めいた目を向ける。敵は俺たちから取り上げた二台のゲーム機を高らかに掲げ、睨み顔で見下ろしていた。


 ここは私立朝陽(ちょうよう)学園の高等部校舎。オマケを言えば立ち入り禁止の屋上。俺と梶は放課後こっそりと屋上に出て携帯ゲーム機で遊んでいた。そこに運悪く担任教師が襲来したというわけだ。

 取り上げられたゲーム機の画面で、(リョウ)(スミス)が無抵抗のままアバドンにやられていくのが見えた。アバドン討伐は短時間の限定クエストで、次回配信日時は未定。ドロップ素材で装備を一新する俺と梶の目論見は沫と消えたわけだ。


「俺のソルブレードが……」


 俺はため息をつきながら立ち上がった。健康な十七歳男子と小柄な女性教師では、当然見上げる側と見下ろす側が逆転だ。


 担任教師エミちゃんこと香月絵美(かづきえみ)はなおも俺たちを睨みつけているが、正直迫力が無い。何しろエミちゃんは御歳二十八歳にして外見はどう見ても中学生、下手すると多少発育のいい小学生と言っても通じるほどの童顔なのだ。睨まれても微笑ましい気分になりこそすれ、怖くはない。『ぷんぷん』という擬音でもつけたらよく似合いそうだ。


 エミちゃんはいつも通り、飾り気のないショートカットにこれまた飾り気のないメガネ、小柄な体に少しだぼついた白衣といういでたち。元が美人なだけに勿体無いが、本人はこの化学ヲタクを地で行くスタイルが気に入っているらしい。


「ここは立ち入り禁止。それにゲーム機は学校に持ち込み禁止。こっそりスマホで遊ぶくらいにしておきなさい」


 そんな厳しいのかユルいのかわからない説教を垂れながら、エミちゃんは屋上を囲う金属フェンスに向かって歩いていく。その足取りはなんだか軽い。どうやら教師といえど滅多に立ち入れない屋上の風景に興味津々といった様子だ。

 ったく、叱りに来ておいて何をエンジョイしているんだ。


「でもなんで俺たちがここにいるのがわかったんだ? たまたま?」


 俺はふとした疑問を口にした。

 フェンス越しに風景を眺めてはしゃいでいたエミちゃんは『ん?』と少し考えたあと、


「あーっと、忘れるところだったゴメンゴメン!」


 何故か俺の方じゃなく、見下ろした校門の方に向かって謝る。


 好奇心旺盛でやや奇行気味なエミちゃんは、『地獄の小テスト』という恐怖の技を持ちながらも生徒人気が高い。

 俺と梶とは六年前に俺たちの小学校にエミちゃんが教育実習生としてやってきたという間柄で、高校入学前から面識があった。最初は香月先生と呼んでいたクラスメイトたちも、次第に俺たちに倣ってエミちゃんと呼び始め、今では全校生徒に定着してしまった。本人はそれを嫌がる風でもなく、『他の先生の前ではせめてエミ先生って呼びなよー』で済ませている。とにかく軽い人なのだ。


 その軽い人は、取り上げたゲーム機を無造作に放り投げてきた。俺と梶が慌ててキャッチしたのを見てから、ニタッと企むような笑みを浮かべる。


ももちゃんが校門のとこにいてさ」

「桃が?」


 桃は俺の三歳下の妹だ。ちょっとした事情でエミちゃんとも面識がある。朝陽ちょうようの中等部に通っているので、当然校門で遭遇することだってあるだろう。それが何故含み笑いを誘うというのか。


「両太郎くんのこと待ってたんだってさー。ひょっとして一緒に帰る約束でもした? それで『お兄ちゃん高いところが好きだからきっと屋上です』っていうから、桃ちゃんに代わってあたしが両太郎くん呼びにきたわけ」

「なんだよ『高いところが好き』って、桃のヤツ、俺をバカか煙かどっちかだとでも思ってるのか」

「どっちでもいいじゃない、実際ドンピシャだったんだから。いやー通じ合ってるねぇ、モテモテラブラブだねぇ、お兄ちゃん?」


 エミちゃんはつくりのいい顔を平気で崩して、教師にあるまじき下世話なしたり顔だ。こういうところが無ければ男子からはストレートな好意を集めただろうに、残念ながら彼女の生徒人気は『面白い友達』『マスコット』『珍獣』という方向性だ。


 俺はニヤニヤしている珍獣を無視し、拾い上げた鞄にゲーム機をしまう。

 桃が俺を待つ理由は思い浮かばなかった。同じ家に住んでいるのだから、帰宅すれば嫌でも顔を合わせる。それでも一緒に帰りたがるのは、何か事情があるに違いない。

 中等部生が高等部校舎に入っていけないというルールは決して無いのだが、人見知りする桃のことだから校門で待つことにしたのだろう。


「じゃあ梶、俺帰るわ」

「はいよー、また明日」

「うふふ、桃ちゃんと仲良くねー。あ、そうだ」


 まだニタニタと笑っていたエミちゃんは、急に何かを思い出したように真面目顔になった。


「昨日今日と、この近くで不審者の目撃情報があるの」

「不審者?」

「目撃者によると『巨大な熊のぬいぐるみ』らしいんだけど……」

「なんだそりゃ」

「きっと着ぐるみを着てるんじゃないかな。人が襲われたとかってのはまだ無いみたいだけど、気をつけて帰ってね」


 そう言ったエミちゃんの口調にはさっきまでのおふざけは感じられない。生徒の身を案じる、立派な教師のそれだった。普段のユルい雰囲気のせいで、時折見せる真面目モードの効果が倍増している節もある。エミちゃんのそういうところは、ちょっとズルいと思う。


 それにしても巨大な熊のぬいぐるみ、ねぇ……。

改行調整(14/03/03)

改行調整・表現調整(14/03/17)

話数追加(14/04/07)

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