エピローグ パーティの夜
「えっ?」
リビングに足を踏み入れた桃は、パーティの準備が整っていることに驚いたのか、それとも渚と優の姿に驚いたのか、そんな声を上げた。
「えっと、お兄ちゃん、これって……?」
「もちろん桃のバースデーパーティだ」
「ええっ」
驚き顔に、少し照れと喜びの色が混じる。
「――が、その前に。どうして螢が桃たちと一緒に?」
パーティの準備が整った花澤家のリビングには、俺・桃・光・渚・優・麻美・パック・アリエル……そして螢の九人が集まっている。螢がいる分、想定より一人多かったが、幸いにも椅子の数は足りていた。もちろんパックとアリエルには人間サイズの椅子は使えないので、テーブルの上に折りたたんだハンカチを敷いて座るスペースを作ってやった。
とりあえず全員で席に着き、乾杯の前にまず、何があったのかの報告を受けることにした。
カラオケ店から出た桃たちは、のんびり散歩でもしようということになり、八々木公園に向かった。
公園についてすぐ、三人は茂みから飛び出してきた小さな男の子に「お姉ちゃんを助けて!」と泣き付かれた。そして同時に聞こえてきたフアンダーの雄叫び。桃たちは瞬時に状況を察し、男の子にその場を動かないよう言い付け、声のほうに向かった。
そこに居たのはフアンダーと対峙する螢。その場にシスターの姿はなく、三人の力を合わせることでフアンダーはあっさり浄化できた。
男の子から事情を聞いたところ、螢が男の子をフアンダーから守ってくれたのだという。
それで三人は螢に口止めではなく、逆に事情をすべて話すことを選んだ。――ひょっとするとこの子が六人目のフェアリズムに選ばれるのではないか。そんな期待と共に。
ところが話を聞いてみれば、螢は俺と顔見知りだという。
そこで、一度俺も交えて話をしようという結論になり、嫌がる螢を半ば強引に家まで連れてきた。道すがらフェアリズムや《組織》との戦いのことを話しながら――。
――とまあ、三人からの報告を要約するとそんな感じだった。
まさか宿敵であるシスター・ダイアをフェアリズムの候補として連れてくるとは……。だが螢が身を挺して男の子を庇ったというのは正直言って意外だった。螢がシスター・ダイアであることを知らなかったのなら、俺だってフェアリズムに相応しい子だと思ったかもしれない。
「なるほど。螢、お手柄だったな」
俺が感心しながら頷くと、螢は頬を真っ赤に染めてぷいっと顔を背けた。
まったく、相変わらず人の善意や好意を嫌がるヤツだ。
「で、両兄と黒沢さんはどういう関係なワケ?」
光がもう我慢できないと言った様子で尋ねてきた。螢がハッとした顔になり、不安げな視線を俺に送ってくる。
大丈夫だ、問題ない。その質問が来ることはシミュレート済みだ。
「昔住んでた家の近所の子なんだよ。この間、中等部校舎に行ったときに偶然再会してな」
「あら、朝陽の生徒だったんですか? でも、失礼ですが見覚えが……」
ペラペラと口から出た嘘に、渚からあっさりと鋭い指摘が入った。
ぐぬっ……。もしかして渚、全校生徒の顔と名前を覚えているんだろうか。だとしたら俺は渚を甘く見過ぎていたかもしれない。
だがそんな窮地は、
「……麻美は、見たことある。花壇のとこ」
と、麻美の助け舟によって脱する。おお、流石は麻美様仏様!
でも、麻美に見られてたのか。今度から花壇で螢と話す時はちょっと気をつけないとな。
「ああ、俺が最初に会ったのもそこだ。螢はあの花をすっかり気に入ったみたいでさ」
「なっ! だ、誰が――」
「あーっと! な、なんだっけあの花の名前。麻美に一回教えてもらったけど、忘れちゃったな、ははは――」
俺の発言に顔を赤らめながら反論しようとする螢。慌ててそこに被せ、麻美に更なる話題を振る。
まったく、照れるのはいいが話をややこしくするんじゃない。
「……コンロンカ、だよ」
呆れ顔の麻美は、ため息混じりに再び教えてくれた。
-†-
それ以上のボロが出る前に乾杯をして、パーティを開始した。
麻美と光が作ってくれた点心はとても美味しかった。
最初は輪に加わろうとせずに戸惑ったような顔を浮かべるだけだった螢も、桃と麻美から点心で波状攻撃を受けるうちにあえなく陥落した。決め手になったのは桃まんじゅうだ。どうやら螢は甘いものに弱いらしい。
螢は今、コーラを大事そうにチビチビ飲みながら、小さい頃に俺とどんな風に遊んだかという光からの質問攻めに答えている。
小さい頃は俺のことを兄さんと呼んでいたこと。螢は兄さんの後をくっついて回る子だったこと。兄さんは勉強でも運動でもなんでもできる憧れの存在だったこと。
そんな螢の話に、俺の小さい頃を知っている桃はうんうんと相槌を打っている。そういうのは照れるから俺の居ないところでやって欲しい……。
だが、俺と螢が近所同士だったというのは俺がついた嘘だ。だから螢の話に登場する「兄さん」は、本当はもちろん俺ではない。
ただ、螢のゆっくり思い出すような口ぶりからして、それらが丸っきりの嘘というわけでは無さそうだった。ひょっとするとそれはフェアリエンで暮らしていた頃の――シスター・ダイアとなる前の《黒沢螢》の記憶なのかもしれない。
優は相変わらず様子がおかしい。お酌でもしてやろうとウーロン茶のボトルを持って隣に座ったら、急にチラチラと渚に視線を送り始めた。
もしかしてこれ、渚に助けを求めてる? 俺、いつの間にか優に思いっきり嫌われた?
優とは年齢も性別も超えた友情を育めていると思っていただけにショックが大きい。
落ち込んでいたら、リビングの端のソファで麻美がこっちに手招きしているのが目に入ってきた。
グラスを持ってソファに移り、麻美の隣に座る。
「……にーさま、優ちゃんに何したの」
麻美は呆れ顔だった。でも怒っているわけではなさそうだ。というか怒ってたら言葉より先に鉄拳制裁を受けている気がする。
何をしたの、は俺の方が聞きたいくらいだ。仕方ないので麻美には今日一日の流れを掻い摘んで説明した。最初は渚の様子がおかしかったこと、渚が正常になったら今度は優の様子がおかしくなったこと。俺には何も心当たりがないこと。
すると麻美は、
「……二人とも、か……」
腑に落ちたと言う顔でため息をつく。
俺は思わず麻美の肩を掴んで、問い詰めるように揺さぶる。
「な、何かわかったのか?」
「……まあ、なんとなく」
「教えてくれ!」
しかし麻美は、俺の手をたやすく振り払って立ち上がる。
「……にーさまの、えっち」
そう言った麻美の口許は、微かにだけど、笑っていた。
一体俺が何をしたというのだ。
-†-
外は心地よく乾いた風が吹いていた。梅雨明け宣言はまだ出ていないが、この分だとそう遠い話ではなさそうだ。
都心から近いとは言っても閑静な住宅街。ギラギラしたネオンサインとは無縁だ。辺りは闇に包まれ、街灯がどこか寂しげに光の帯を地面に落としている。
空気は澄んでいて、頭上にはいくつか星も見える。青黒い空は都心部に近づくにつれてもやがかかったような薄ピンク色に変化していく。それが環境汚染によるものだという点に目を瞑れば、幻想的な光景と言っても差し支えない。
あれから暫く歓談した後、各自が桃にプレゼントを渡し、それから皆でバースデーケーキを食べ、時計が二十一時を回った頃にパーティは一旦お開きになった。パックとアリエルを除く全員で外に出て、宿泊組の四人は桃と一緒に近所の銭湯へ、そして俺は帰宅する螢を送って行くことになった。
といっても螢の家がどこにあるのかは知らない。螢の家、それはすなわち《組織》のアジトだ。いくらなんでもそこまで送るつもりは無いし、送らせてもくれないだろう。
「…………」
螢はさっきから一言も発さず、不機嫌な顔で黙々と歩き続けている。
最初は急いで帰ろうとしているのかと思ったが、どうやらそうではない。曲がり角に差し掛かる度に直進するか曲がるかをほんの少し悩んで、それからまた歩き出す。
当ても無く彷徨っている。そんな言葉がピッタリだった。
並んで歩く螢の、彫刻のように整った横顔には、苛立ちと疲労感が見える。
ただ、その苛立ちがどこに向けられたものなのか、俺にはわからなかった。
パーティだって、途中で帰ろうと思えば帰れたはずだ。一体螢は何を思って最後までパーティの場に残ったのだろうか。
だが螢は、自分からは何も語ってくれない。
「なあ、螢」
「――何かしら」
話しかけてみると返答はちゃんとある。別に俺を無視しようとしているわけではないようだ。むしろ俺の方が言葉に詰まってしまった。
どうして男の子を助けたんだ?
お前の「兄さん」は今どうしているんだ?
フェアリズムは本当にお前にとって敵でしかないのか?
――今日は、楽しかったか?
螢に訊きたいことは沢山ある。ただ、そのいくつかの質問を、筋道立てて整理するのは難しかった。何より俺の訊きたいことの核心は、螢の苛立ちの根源にあるものと等しいのではないかという気がしている。
「お前って、甘いものが好きなのか?」
結局、こんなどうでもいいことを言ってしまった。
螢は暫くぽかんと俺の顔を見て、それからふっと頬を緩める。
「もう少し、答えにくいことを訊いてくるかと思ったわ」
そう言って微笑んだ螢は、どこにでもいる――美人という意味では滅多にいないレベルなのだが――普通の少女に見えた。
案外、この質問がベストだったのかもしれない。
「砂糖は、不安の声を聞こえなくしてくれるのよ」
「不安の声?」
「……言ってなかったかしらね」
それから螢は、シスターが周囲の物や生き物――特に人間の不安の声を聞き取れてしまうことを教えてくれた。いくら耳を塞いでも、不安と一緒に憎しみや害意と言ったものまで否応なしに流れ込んでくるのだと。
だがそれこそ、螢――いやシスター・ダイアやその所属する《組織》が作ろうとしている、絶望に支配された世界ではないのだろうか。俺がそんな疑問を返すと、
「少なくともわたしは違うわ。わたしが求めているのは優しい絶望。誰もが等しく全てを諦めた世界。誰も他人を傷つけず、穏やかに、静かに暮らせる世界……」
そう言って螢は周囲の街並みを見渡した。
「わたしは夜が好き。夜の眠りは不安も憎悪も包み溶かしてくれる。希望の光に焦がされた身を癒し、誰もが傷つけあうことを忘れて眠る。そんな夜の安らぎこそがわたしの願い」
螢の声も目も、一切の迷いの色が無かった。その願いは真っ直ぐに真っ直ぐに、しかしどこかで歪んで捩れてしまっている。
眠りが穏やかなものだとは限らない。嘆きと苦痛を何倍にも増幅する悪夢だって存在する。いや、絶望の底で見る夢なんて絶対に悪夢しかない。現に俺はあの事故のあと、ずっと――。
喉元まで出かかったそんな言葉を、俺はぐっと飲み込んだ。
俺が家族を失って絶望の底に沈んでいた時、梶もエミちゃんも――そして花澤家の人々も、誰も俺に「そのままじゃダメだ、立ち上がれ」なんてことは言わなかった。ただずっと傍にいて、俺が立ち上がろうとするまで見守り続けてくれた。
そして俺が立ち上がろうとして初めて、そっと手を差し伸べてくれた。
螢の過去に何があったのかはわからない。けれど今の螢はあの頃の俺と一緒だ。そんな螢に向かって「お前の考えは間違っている」なんてことを言っても仕方がない。
俺が螢にすべきことは、あの時俺がみんなにしてもらったことだ。
だから願わくば、今はフェアリズムとシスター・ダイアが命を賭して戦うような日は来ないで欲しい。
-†-
螢と別れて帰宅し、風呂に入ったりリビングの片づけをしたりするうちに、桃たちが帰ってきた。
時計は二十三時。女の子だけで出歩くのは感心できない時間帯だ。
とはいえ桃以外の四人は全員それなりに格闘技経験者だし、何より銭湯は家からたった五分の距離にある。あまりとやかく言っても仕方ない。
しかし移動に要する時間は往復でも十分程度。五人は残り一時間半以上を入浴に費やしたことになる。
そんなに入ってのぼせたりふやけたりしないのか、と言ってみたら、
「リョウくん、女の子にはいろいろあるんだよ」
「そうそう。まったく両兄はそういうトコ鈍感なんだからさ!」
と、優と光に諭されてしまった。
スーパー銭湯とかスパとか小洒落た施設ならともかく、ひなびた街の銭湯で一体どんな『いろいろ』があるのかさっぱり見当がつかない。それより、いつの間にか優の様子が元に戻っていたことに俺は安堵した。
ホッと胸を撫で下ろしてると「……貸しに、しとくね」と麻美に脇腹を軽く小突かれた。なんだかわからないが、麻美が何かしてくれたのだろうか。
実際今日は何かと麻美に助けられたし、そのうちお礼でもしなくちゃな。
それからしばらく他愛も無い話をして、日付が変わる頃に解散した。俺は自室のベッドで、女子チームは客間に布団を敷いて五人で雑魚寝。
最初は光に「両兄もこっちで一緒に寝る?」なんてからかわれたが、流石にシャレにならないので頑なに断った。もっとも、その俺の態度を面白がって、光がエスカレートしたのだが。そこは渚が冷静に止めてくれた。
客間は灯りが消えてからもしばらく楽しそうなはしゃぎ声が漏れていたが、一時を回る頃には静かになった。
トイレに行って部屋に戻る途中、俺は廊下の窓から夜空を見上げた。コバルト色の中に墨を垂らしたような夜空に、煌々と半月が浮かんでいる。静かな静かな夜。
今頃あいつも、一人でこの夜空を見上げているのだろうか?
俺は数時間前に別れた螢の言葉を思い出していた。
――夜の安らぎこそが願い。螢はそう言っていた。
そのために、世界を絶望で満たすのだと。
でもな螢。絶望のどん底で迎える夜は、決して安らぎをくれない。
穏やかな眠りにつけるのは明日を楽しみに思える者だけ。――希望を持つ者だけなんだよ。
Extra Element 1.5は一旦これで完結です。
女子チームの銭湯と寝室でのお話はまた折を見て。
六月上旬から新章Element 2開始予定、更新まで少し間が空きます。
もしよかったら感想いただけると嬉しいです。




