第七話 生天目優の場合
ぼくは生天目優。中学二年生。
三人の兄にべったりで育ったせいか、よく男っぽいってからかわれる。これでも立派な女の子のつもりなんだけどね。
ただ今日はちょっと、自信が無くなってきちゃったかな。
女心って、よくわかんないよ……。
-†-
幼馴染の水樹渚は、数々の武勇伝を持っている。
彼女には人並み外れた行動力と聡明さ、そして人を惹きつけ従わせる魅力がある。渚は小さな頃からずっと大きな流れの先頭、そして多くの人の中心にいた。その渚を隣でサポートするのが、ぼくやもう一人の幼馴染・金元麻美の役割だ。
ぼくが知っている渚の最初の武勇伝は、まだ出会って間もない頃。渚はある日突然ぼくに、自分が通う予定の名門私立小学校に一緒に通えと言い出した。
別に嫌ではなかったし、渚と一緒に過ごす時間が増えるのは素敵だと思った。けど同時にぼくは、そんなことは実現しないとも思っていた。渚が通う予定だった――つまり結果的にぼくも通うことになった――小学校は学費が非常に高い。三人の兄が手も金もかかる年頃だった我が家には、そんなお金を払う余裕は無かった。
だからぼくは「家族の了承がとれれば」という返答をした。それはぼくにとって「ノー」という意味に等しかった。
ところが渚はそれを聞いて嬉しそうに笑った。後々その笑顔の理由を尋ねたら、「一番大事な本人の意思確認さえとれれば、あとはどうにでもできると思ったから」という返答が返ってきた。ぼくにとっての消極的なノーは、渚にとって積極的なイエスと同義だったのだ。
案の定、両家とも最初は子供の思いつきだろうと、渚の話を取り合わなかった。うちの家は頑固揃いだし、渚の家はとても厳格。単にワガママを言ったり駄々をこねたりするだけでは、絶対に了承なんて引き出せない。ぼくは、きっと渚は諦めてしまうだろうと思った。
ところがまだ六歳になったばかりの渚は、決して駄々などこねずに冷静に冷静に交渉した。
「学費? いいえ、その前にまず優本人の気持ちでしょう」
「はい。その優は了承さえとれれば一緒に通ってくれると言ってくれました」
「ええ、次は学費の問題ですね。これは水樹家から全額をお出しすれば問題ありませんか?」
「いいえ、おば様。施しなどではありません。優にはこのまま武術を続けてもらい、私のボディガードも兼ねていただきます。その対価と考えてください」
「良かった、おじ様。ご理解いただけて嬉しいです」
「では、後は水樹家のお金の問題だけですね?」
「あら、信頼できる友達を見つけて側に置けとおっしゃったのはお父様です。優は信頼できます。ですから側にいて欲しいのです」
「わかりました。ではお父様、その額を私に貸し付けてください。成人後に返済しますので」
「本当ですか? 嬉しい……ありがとうお父様、お母様!」
そんな具合で渚は大人たちの反対する根拠を次々と切り崩し、とうとう全員がイエスとしか言えない状況を作り上げてしまった。無邪気にはしゃぐ渚を前に、舌戦に敗れた大人たちが見せた複雑な表情は忘れられない。
それからも色んなことがあったけれど、渚はどんな壁だって冷静に対処し、そして堂々とした態度で乗り越えてきた。
きっとこれからも渚はそうやって生きていくのだろう。まるで女王のように、冷静に堂々と。
――なんて思っていたけれど、今日の渚はなんだか様子がおかしい。
朝からずっと怒ったような顔で、リョウくんに対して異常なまでに攻撃的だった。渚は決して無闇に敵を作ったりする子じゃない。誰かに対してあんな風に刺々しく接するなんて、ただ事じゃない。
と思いきや急に態度が変わって、今度は見ていて気の毒になるくらい下手に出始めた。「両太郎さん、飲み物は大丈夫ですか?」「両太郎さん、おなかは空いていませんか?」なんてひっきりなしに聞くもんだから、リョウくんも困惑してた。
そう。今日の渚はちっとも冷静じゃないし、ちっとも堂々としてなかった。
何より、それは誰に対してもってわけじゃなかった。
――というより、リョウくんに対してだけ……だったよね?
リョウくんこと花澤両太郎は、ぼくたちフェアリズムのリーダーだ。渚とは最初色々すれ違いや衝突があったけれど、それを引きずっているようには思えない。
渚の方だって、昨日会った時には「両太郎さんとは色々あったから、明日は親睦を深めてわだかまりを無くすわ」なんて宣言してたくらいだ。
それが一体どうしてこうなったんだろう……。
もしかして渚、リョウくんのことを好きになったのかな?
――だとしても、好きな人にとる態度としては変だったよね。
でも、渚が誰か男の人を好きになるってこと自体、今まで一度も無かった――と思うし。
うう、渚のことがわかんないよ……。
-†-
十五時過ぎ、麻美たちが退店したのを見届けてから少し間をおいて、ぼくたちもカラオケ店を出た。
今日の目的の一つだった、裂空の巨鳥イオアンのトリオ攻略は無事に達成。それから四人で、二つ目の目的を遂行すべく初ヶ谷の大型スーパーマーケットを訪れていた。
「じゃあぼくと梶さんはお菓子類見てくるから、渚とリョウくんは飲み物をよろしく」
なんて、無理やり二人を飲み物売り場に送り出す。
困惑しながらショッピングカートを押していく、二人の背中を見送りながら、ぼくと梶さんは顔を見合わせて頷いた。
「――梶さん、ちょっとお願いがあるんだけど」
「わかってるよ優ちゃん。あの二人の観察したいんだよね」
「さっすが! それで、えっと――」
「うん、お菓子選びは任せて。そのかわりに――」
「もちろん。報告は抜かりなく、事細かに……だよね?」
ぼくの返事にニヤッと笑う梶さん。流石はリョウくんの親友、話が早い。
梶さんのサムズアップに見送られながら隠密行動開始だ。
まずはポジショニングだ。渚たちに見つからないよう、慎重に慎重に距離を詰めていく。
標的は飲料コーナーに向かって、五メートル前方を進行中。まだこちらには気づいていない。
おっと、標的の足が止まった! 振り向かれたら見つかっちゃう!
慌てて菓子パンの並ぶ棚に身を隠す。危ない危ない。――なんか、こんなゲームあったなあ。
いくらなんでも、後ろにぴったり張り付いたらバレてしまう。ぼくはこれ以上の接近は諦めることにした。
とは言っても、今ぼくがいる菓子パンコーナーの隣が飲料コーナー。棚になるべく近づいて耳を澄ませば、話し声くらいなら聞こえてきそうだ。姿を見るのは断念、ここは声だけでも拾っておこう。
ぼくは棚にギリギリまで近づいて、耳をそばだてた。通りすがりの人に見られたら、クリームパンの声を聞こうとしてる痛い子って思われるかもしれない。でも、羞恥心より好奇心の方が強いんだから仕方ない。
どれどれ……。
「あ、両太郎さん。お茶は緑茶より烏龍茶がいいかもしれませんよ。麻美と光さんで点心を作ると言っていましたから」
「ん、そうか。じゃあそうしよう。でも点心なんて珍しいな」
「後は蒸すだけの状態にしておけばいいから、都合がいいと言っていましたよ」
「なるほどなあ」
「それに点心には桃まんじゅうがありますから」
「あー、それはいいな。アイツ桃の形したものとか大好きだから……」
「ええ。光さんから聞いたんです。絶対喜ぶって」
「うん、喜ぶとこが目に浮かぶな……。流石は光、ツボを押さえてる。にしても麻美ってそんなものまで作れるのか?」
「麻美は何でも作りますよ。フランス料理でも、もんじゃ焼きでも」
「うわ……もんじゃって麻美にはイメージ合わないな」
「でしょう! ――まあ、そういう意味では去年、優のリクエストでとんこつラーメンを作った時が一番凄かったですね。頭にタオル巻いてTシャツ・前掛け姿の麻美なんて、後にも先にもあれっきりです」
「ぶはっ、なんで形から入るんだよ! ……でも、それはちょっと見てみたいな」
「あら、頼んでみればいいじゃないですか。両太郎さんが頼んだら、きっと作ってくれますよ?」
「いや……衣装目当てってバレたら殴られそうな気がする」
「あはは、そうかもしれませんね」
むむう。
なんていうか、面白くない。普通にいい雰囲気なんだけどさ……普通すぎて面白くないよ。
それに他のみんなのことは話題にしてるのに、ぼくのことはラーメンをリクエストしたって話だけじゃん。うん、面白くない。
――ん? でも少し様子が変わったかな?
「それにしても渚、今日はどうしたんだ?」
「えっ……」
「朝は俺が何か怒らせたのかって思ってたけど――違うんだよな?」
そうそう。その話題だよ! ナイスだリョウくん、ぼくもそれが知りたかったんだ。
「それは、えっと……」
「いや、言いにくいことなら別にいいんだけどさ」
「いえ。……笑わないでいただけますか?」
「ああ、笑わないよ」
「じゃあ……。ええと、両太郎さんは今、お付き合いしている女性はいらっしゃるんですか?」
「――へ?」
うわ、渚が直球を投げたっ!
そっか、やっぱり渚はリョウくんのこと……。
「いや――いないけど。それが?」
「その、実は私……」
うわああ、渚ってばこのままの勢いで告白しちゃうの!?
ぼくは慌てて耳を塞いだ。
続きはとても、とっても気になる。でもそれをこっそり聞いちゃうのは、渚にもリョウくんにも申し訳ない。
梶さんごめんね……。事細かに報告できそうにないかも。羞恥心より好奇心、でも好奇心よりも友情なんだ。
それから実時間にして一分――ぼくにとってはとても長い時間に感じられたけど――くらいして、ぼくは恐る恐る耳から手を離した。
果たして二人の雰囲気はどうなっているだろうか。気まずい空気? それとも――
「ったく、早く言ってくれればよかったのに」
「だって――言い出しにくいじゃないですか。朝はあんな態度とってしまいましたし……」
「ほんとだよ。怖かったんだぞ、朝の渚」
「すみません……」
「ま、でも渚にもそういう一面があるって知れて良かったよ。渚とは仲良くしたいって思ってたし」
「あまり言わないで下さい、本当に恥ずかしかったんですから。それに、皆には――」
「ああ、言わないよ。特に優にはな」
「はい……優には絶対に絶対に絶対に! ――秘密でお願いします」
――え。
二人の会話に、ぼくはズキッという胸の痛みを感じた。
えっと……今の会話の流れって?
ひょっとして渚の告白をリョウくんがOKして、二人は皆に内緒で付き合うってこと――?
とんでもないことを聞いてしまった。
二人に秘密にされてしまった寂しさと、その秘密を盗み聞きしてしまった罪悪感。その二つが合わさって、胸をチクチクと刺してくる。
こんなことなら、もう少し耳を塞いだままにしておけばよかった。
そんな今更手遅れなことを思いながら、ぼくはお菓子売り場の方に歩き出した。
表現調整・誤字修正(14/05/08)
表現調整・誤字修正(14/05/22)




