第四話 花澤両太郎の場合
――どうしよう、渚が怖い……。
俺は今、梶・優・渚と四人で初ヶ谷駅前のカラオケボックスにいる。
といっても唄いに来たわけではなく、目的はビーハン。かねてから約束していた《裂空の巨鳥イオアン》へのリベンジだ。
元々は俺・梶・優の三人で来る予定だったのだが、『シスターの襲撃に備えてフェアリズムは二人以上で行動する』という取り決めをいきなり破るわけにもいかない。それで渚が同行を申し出てくれたのだ。
最初は三人がビーハンをプレイしている間に、渚に退屈な思いをさせてしまうのではないかと懸念した。しかし当の渚本人が本や参考書を持ち込んで勝手に勉強してるから気にしないでいいと言ってくれた。なんて真面目で気の利く子だろう。
渚とは仲良くなっておきたかったし、今日のもう一つの予定を遂行する上でも、何かとテキパキしてる渚がいてくれると心強い。そんなわけで渚の同行は大歓迎だった。
――だった、はずなのだが。
「両太郎さん、今日はあなたのことをきっちり見極めさせていただきます」
優と一緒に待ち合わせ場所に現れた渚は、キッと鋭い目つきで開口一番そんなことを言ってきた。
それから渚は宣言通り、ずっと俺の方を睨んでいる。
このカラオケボックスまで移動してる最中も、
「両太郎さん、何か言うことはないんですか?」
「え? えっと……ごめん?」
「どうして謝るんですか」
「いや、だって……」
「そうじゃなく、女の子の私服を見て何も言わないんですか」
「あ、ああ! そ、そうだな――その服、渚に凄く似合ってると思うよ」
「そうじゃありません!」
「――??? な、なんかごめん……なさい」
「両太郎さん、女性に車道側を歩かせるのは紳士の振る舞いではありませんよ」
「あ、ごめん。場所換わろう」
「いえ、私は結構です」
「え、だって今……」
「私は結構です! いいですか両太郎さん、優は女の子ですよ!」
「え? 流石にそれは知ってるけど……」
「知ってるだけではダメです!」
「……はい」
なんて具合で、俺は渚から徹底的にダメ出しを受け続けた。
優はそんなやりとりを苦笑いしつつも面白がっていたし、変態野郎こと梶は渚の揺るぎ無い攻めっぷりに目を輝かせていた。こいつら、誰も俺を助けてくれない……。
部屋に入ると渚からの攻撃はひとまず落ち着いた。
だが今も渚は、本を読むフリをしながら俺の方をジッと見ている。さっきから渚の持ってる本のページが一度もめくれていないのを俺は知っている。アレは閻魔の目だ。俺の一挙手一投足を逃さず監視してやろうという意志を感じる。
俺は何かやらかしてしまったのだろうか。確かに渚とは色々あったけど、和解できたつもりでいた。実際金曜日までは普通に接してたのに……。
何かの八つ当たりかという考えも一瞬頭を過ぎったが、フアンダーと化しても理性を失わなかったあの渚が、幼稚な八つ当たりなんてするとも思えなかった。なにより矛先が優や梶に向かず、完全に俺に絞られている。やはり俺に原因があると考えるしかない。
しかし困ったことに、渚を怒らせてしまうような心当たりが全く無い。
渚と俺の間がギクシャクしたままでは、きっとフェアリズムのチームワークに悪影響が出てしまう。原因を知ることより、まずは関係修復を優先すべきだろうか。
いや待てよ、渚の性格を考慮すると下手に上辺で取り繕うよりきちんと原因を確かめて、そこを改めたほうがいいか?
ううむ……。
「――ねえ、リョウくん聞いてる?」
「え?」
肩を叩かれて我に返る。優は少し膨れっ面をしていた。そういえばセト砂漠のオアシスで、細かい討伐手順の確認をしている最中だった。
「ごめん、ちょっと考え事してた」
「もう、大事な話をしてるんだから集中してくれないと困るよリーダー」
「ああ、悪い悪い。で、えっと――なんだっけ?」
「オペレーション・スピットファイア、でいいよね?」
「……は? 何が?」
「作戦名だよ作戦名!」
もの凄くどうでもいい話だった……。っていうか、確か為虎添翼作戦じゃなかったっけ?
そもそもスピットファイアって響きはカッコいいけど、短気なヤツって意味だからなぁ。作戦名としてどうなんだろう。
「まあ作戦名は優に任せるよ……」
「えー、投げやりだなあ。ぼくはリョウくんに真剣に考えて欲しいんだけどな」
優がつまらなそうに言う。優って基本とても賢い子なんだけど、時々とてつもなくアホだな……。
ところがそんな優のアホ発言にあらぬ方向から
「そうです、優の言う通りです! 両太郎さんはもっと真剣に、誠意を持って、ちゃんと考えてあげてください!」
と追い風が吹いた。
追い風の主である渚は今にも俺に殴りかかって来そうなくらいの剣幕で、味方された側の優までポカンと呆気にとられている。
一体なんだってんだ。今のやりとりのどこに渚の気に障る要素があったんだろう。
しかし渚とこれ以上険悪になるのはまずい。ここは言われた通り真剣に作戦名を――くそ、そんなのいきなり言われても困るって。
「じゃ、じゃあ……リョウ・スミス・ユウの頭文字をとってRSY作戦とか」
「やだ。かっこ悪い」
精一杯の思い付きは優に即座に却下されてしまった。梶まで「うわー、リョウってネーミングセンス無いんだね」と気の毒そうな顔で言う。
しょうがないだろ、作戦名なんて考えるガラじゃないんだよ。
と、その時。
優が呆れ顔で髪をかき上げた拍子に、それまで髪に隠れていた耳飾りが見えた。それは緑青の核をガラスが覆っている、牙の形のピアスだ。
「あれ、優。そのピアスって……」
「あ、やっと気づいてくれた?」
優は少し頬を赤らめて、照れくさそうにはにかむ。
「リョウくんに見せようと思ってつけて来たんだ」
「優……」
「リョウくん……」
「優、お前ってヤツは……」
周囲の雑音が全部消え失せた。
そんな中、自分の心臓が脈打つ音だけが聞こえてくる。
俺は作戦名の話の途中だったことも忘れ、思わず優の細い顎に手を伸ばした。
手首を捻り、くいっと優の顔の向きを変える。優は抵抗することなくそれに従って、ただ目線だけはスッと逸らした。
そうか、優。お前、そんなに――。
――そんなに、ビーハンのコアプレイヤーだったんだな。
「うわー、それ青銅竜イグナティオスのピアスじゃん!」
梶も驚きの声を上げる。
「優ちゃん、あの大会出たんだ?」
「しかも上位入賞者ってことだよな。凄いじゃないか優」
「へへへー、いいでしょ」
興奮する梶に俺。そして照れながらも自慢げな優。
ところが、
「……え?」
狐につままれた顔をしている子が一人。
「えっと……皆さん。そのピアスは?」
渚は誰にともなく、恐る恐る尋ねてくる。
「うん? 渚にはさっき見せたじゃん。ビーハンの公式大会で上位入賞者だけがもらえるピアスだよ。自慢みたいでちょっと恥ずかしいけど、でもリョウくんたちならきっと驚いてくれると思ってさ」
優はそう言って、また照れくさそうに笑った。その仕草には厭味さなんてちっとも感じない。勲章を見せびらかす男の子みたいでとても微笑ましい。
何より一握りのトッププレイヤーにしか入手できない品だから、見せびらかしたい気持ちはよくわかる。見せびらかすっていうと聞こえは悪いけど、それは嬉しいことや楽しいことを俺たちと共有しようとしてくれてるってことだ。俺だって実物が見れてちょっと興奮してるし。
ところがそれを聞いた渚は、さーっと顔色を青ざめさせた。口許もなんだか引きつっている。
「そ、そういう意味だったの……」
一体何にショックを受けているのかさっぱりわからない。
だがさっきまで全身に滾らせていた怒りのようなものはすっかり萎んでいる。俺は助かった――のか?
「えっと――両太郎さん。今日の私って、変でした? ……よね」
「え、いや……別に変だとは思わなかったけど」
それは事実だ。変だとは思ってない。ただただ怖かっただけだ。
「いえ、いいんです。その――できれば忘れてください!」
「え?」
「本当に忘れてください! ごめんなさい!」
「ちょ、ちょっと渚さんや?」
放っておいたら土下座くらいしそうな勢いで謝罪し始めた渚を、俺は何が起きているのかわからないままなだめ続ける羽目になった。
――水樹渚。どうにもこうにも、一筋縄ではいかない子である。
表現調整(14/04/28)
表現調整(14/05/08)




