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愛と元素のフェアリズム  作者: みなもとさとり
Extra Element.1.5 それぞれの七月四日
33/93

第三話 黒沢螢の場合

 こんなところ、来なければよかった。

 思わず溜息が漏れる。


 わたしはシスター・ダイア。《組織》に仕える五人のシスター――ディズィ・ディズィースの一人。

 ただし今日は《組織》の活動は非番だ。同僚であるシスター・キャンサーに促されるままローブを脱いで、彼女が揃えてくれた服に着替え、当てもなく街を歩いている。


 ここは初ヶ谷の駅前。わたしが潜入している朝陽ちょうよう学園からは少し離れた位置にある。わたしは利用したことが無いが、様々な商業施設や娯楽施設が揃っているらしい。

 休日ということもあり、通りは大勢の人間が行き交っている。


 シスターとなった者は、他者の心の中に巣食う不安を、声のように聴くことができる。いや、たとえ聴きたくなくても勝手に聴こえてきてしまう。それはシスターの証であるローブを脱いでも変わらない。肉体そのものがそういう――不安を糧として生きる存在へと変貌してしまうのだ。


 通り過ぎる人々の中には、不安を抱えている者も沢山いた。

 対人関係。育児。仕事。勉学。スポーツ。様々な不安がわたしの頭に流れ込んでくる。この世界の人間は、なんて不安の多い人生を歩んでいるのだろう。

 わたしは『不安の声』の中でも、特に人間の放つものは好きではない。なぜなら、気に入らない上司をやりこめたい、子供を放り投げて自分の時間を作りたい、ライバルを蹴落として優位に立ちたい……不安と一緒に、そういった願望もワンセットで聴こえてきてしまうからだ。


 不安を抱えながら希望に縋り、その希望を叶えるために他者を傷つける。それがまた次の誰かの不安の原因となり、次の誰かが次の次の誰かを傷つける。

 それは無限連鎖のように続くことだろう。


 わたしはその連鎖を断ち切りたい。

 世界から不安が無くならないのならば、全ての人々を等しく絶望の底に沈めてしまえばいい。

 そうすれば、誰もお互いに傷つけ合うことなく、皆が穏やかに穏やかに生きていけるはずだ。


 それがわたし――シスター・ダイアの願い。



             -†-



「あれ、螢?」


 大通りと大通りがぶつかる交差点で信号待ちをしていたら、不意に背後から声をかけられた。聞き覚えのある声だったけれど、そもそも記憶をたどる必要なんて無い。私を螢と呼ぶ人間は限られている。


――面倒な相手に遭遇してしまった。


「やっぱり螢だ。久しぶりだな」


 振り向いた私に向かって、花澤両太郎は屈託の無い笑顔で手を振った。

 両太郎はわたしたち《組織》と敵対する少女たち――フェアリズムの指令役だ。変身して戦う事もできないくせに首を突っ込んで来て、おまけに敵である私に対して随分馴れ馴れしい。

 なんとも腹立たしい男だ。


 螢――黒沢螢。それはシスター・ダイアとなる前の、かつての私の名前だ。

 捨てたつもりの名だったのに、両太郎に呼び名を尋ねられた時、つい口を滑らせてしまった。それからというもの、両太郎はわたしがシスター・ダイアだと知っていながらも、わたしがローブを纏っていない時にはこうして螢と呼んでくる。


 ただ、そんな慣れ合いはつい先日に消滅した。

 わたしは少なくともそう思っていたのだけれど。


「この間は退いてくれて助かったよ。シスター・アセロスとシスター・アンだっけ? あいつらだけでいっぱいいっぱいで、お前までいたら厳しかった」


 両太郎は相変わらずの呑気な態度で、ヘラヘラと礼なんか言ってきた。ああもう、本当に腹立たしい。


「――あなたたちのために退いたんじゃないわ。ポプレの敵討ちなんてする気が起きなかっただけ」

「それでもこっちは助かったからいいんだよ……って、この間も言ったなこれは」

「勝手に感謝でもなんでもしていなさい。言っておくけれどわたしとあなたは――」

「わかってるよ。敵同士、だろ」


 わかっているならその態度は何なのだ。まったく。

 本日二度目の溜息をついてしまう。

 その溜息を、


「うわー、今の凄くツンデレっぽいー!」


 間の抜けた声が遮った。

 その時わたしはようやく、両太郎の隣にもう一人連れがいることに気付いた。両太郎と同じくらいの歳恰好の、背が高い眼鏡の男。声の主はその男だ。


――いけない。他の人間の前で、ポプレだの敵だのと口にしてしまった。


 だが焦るわたしに向かって、


「ああ、こいつにだけはお前のことも含めて全部話してあるから」


 両太郎は平静な顔で言った。


「なっ――! 黙っていてくれる約束じゃなかったの!?」

「フェアリズムの五人には何も言ってないから安心しろ」

「そういう問題じゃないでしょう!」

「大丈夫大丈夫、僕は口が堅いからー。あ、僕はリョウの友達の梶藤也。よろしくね螢ちゃん」


 梶と名乗った男はへらへらと笑いながら手を差し出してきた。

 ダメだ、この男も両太郎と同じ人種だ……。


 わたしは差し出された手をぴしゃりと平手で打って振り払う。

 すると梶はにたりと気味の悪い薄笑いを浮かべた。


「螢気をつけろ、コイツは口は堅いかわりに脳は沸いてる。あんまり強く叩くと喜ぶぞ」

「うへへ……」


 梶はうっとりとした目を私に向けて来た。背筋に悪寒が走る。両太郎と同じ人種どころか、余計に性質が悪い。

 思い切り殴りたい衝動に駆られるが、同時に「殴ったらもっと喜ばせてしまうのでは」という恐怖も湧き上がってきた。


「いやー、でもリョウから聞いてた通りだね」

「……何が?」

「螢ちゃんは凄い美人だって」

「なっ――!」


 思わず睨みつけると、両太郎はバツが悪そうな顔で視線を逸らした。

 この二人は一体何の話をしていたのだ。


「まったく……あなたたちと話していると調子が狂うわ」

「調子を崩してくれた方がこっちはありがたいんだがな。残念ながら今日は人と約束があって待ち合わせ場所に行く途中だ。あまり話す時間が取れない」

「なによりの朗報ね」

「まあそう言うなよ。勝手に梶に話したお詫びだ。そこの自販機で飲み物でも奢るよ」

「む……」


 飲み物と聞いて、数日前に両太郎から貰った缶コーヒーの味が脳裏に蘇る。あれは悪くなかった。いや、素直に言ってしまえば美味しかった。

 甘い飲み物なんて、一体いつぶりだっただろうか。

 わたしの名が黒沢螢からシスター・ダイアに変わった時、この身体もまた人間のそれでは無くなった。シスターの肉体は食事を摂取する必要が無い。だからもう長いこと、わたしは味覚なんてものを忘れていたのだ。


 甘い、美味しい。それは『黒沢螢』が持っていた感覚。

 けれど、この『シスター・ダイア』には不要な感覚だ。

 そんなものに心を揺さぶられてはいけない。


「……飲み物一本でわたしを懐柔できるなどと思わないことね」

「じゃあ二本」

「ひょっとしてわたしを馬鹿にしているの?」

「わかったよ、三本な三本」

「……はぁ。もういいわ、受け取ってあげるからさっさと行きなさい」


 諦めて了承すると、両太郎は自動販売機に駆けて行く。

 その後ろ姿を目で追って、本日三度目の溜息。


「まったく、呑気な男」

「――螢ちゃんにはそう見える?」


 わたしの独白に、梶がポツリと問いを返して来た。

 さっきまでの軽薄な態度とは違って、その声色はどこか真剣味を帯びている。


「ええ、見えるわ。敵のわたしと馴れ合おうだなんて、呑気以外の何物でもないでしょう?」


 私が言い返すと、梶は少しの間黙り込んだ。それは頭の中で考えを整理しているようにも見える。

 それからふうっと息を吐いて、わたしの顔をじっと見てきた。


「きっと、リョウは螢ちゃんを敵だと思いきれてないんじゃないかなー」

「それは――どういう意味?」

「アイツ、六年前に事故で家族を全員亡くしてるんだ」

「え? でも、フェアフィオーレの兄って――」

「引き取られたんだよ。……事故から暫くの間、アイツは本当に酷い状態だった。笑うどころか言葉を発することすらほとんど無かった」


 そういうことか。

 以前両太郎は、絶望によって人々を救いたいというわたしの言葉に対して理解を示した。あれはその場の取り繕いではなく、本心だったのかもしれない。


「リョウが螢ちゃんを構いたがるのは、君に当時の自分を重ねているからだと思うよー」

「……いい迷惑だわ」

「うん。僕も昔、リョウに同じことを言われたよー」


 梶はそう言って笑う。

 その優しく諭すような笑顔が、わたしにとってはまるで責められているように感じられる。


 まったく、本当に迷惑な話だ。

 ふと視線を送ると、その迷惑な男は三本の缶コーヒーを両手で抱えてこちらに戻って来るところだった。

 両太郎が到着する前に、わたしは一つだけ梶に質問をすることにした。


「あなたはどうしてわたしにそのことを教えたの?」


 すると梶は、人差し指を顎に当てて少し思案した後、


「そりゃー、ツンを見たらデレも見たくなるのが人情ってもんだからねー」


 意味のわからない答えを返してきた。

 梶藤也。私の苦手な人間がまた一人増えてしまった。

誤字修正(14/04/28)

表現調整(14/11/07)

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