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愛と元素のフェアリズム  作者: みなもとさとり
Element.1 運命の戦士フェアリズム
27/93

第二五話 水の戦士フェアマーレ1

「渚……いくよ、今助けるから。――チェーロ・エリアルソード!」


 フェアチェーロは緑色にうっすら光る風の剣を生み出し、渚に斬りかかった。

 しかし渚はそれを漆黒の剣で事も無げに受け止める。


『――フェアチェーロ、エレメントストーンをこちらに渡しなさい』


 冷徹な声で言い放つ渚。その声と同じように瞳もまた冷たく暗い。その印象は普段かけていた眼鏡が無いからというだけじゃない。絶望のエンブリオに心を閉ざされ、支配されているからだ。

 だがそんな冷たい瞳には、まだ知性の光が宿っている。


『私はあなたを傷つけたくはないわ』


 まるで自分が圧倒的優位に立っているとでも言いたげな、傲慢な物言い。だがそこからは親友であるゆうとの戦いを回避しようとする理性が感じられる。完全に衝動のままエレメントストーンを奪い取ろうとしていた篠原先生とは、雰囲気が異なっている。


「あらぁ、随分手ぬるいことを言う子ねぇ? あたしとしてはお友達に踏みにじられて泣き叫ぶフェアリズムの顔が見たいのにぃ」


 シスターポプレは切り結ぶチェーロと渚の姿を眺めながらニタニタと笑う。とことん歪んだヤツだ。

 そんな態度は、残る二人のフェアリズムの逆鱗に触れた。


「フィオーレ・ブルーミングシュート!」

「……ステラ・エディカレントスパーク!」


 フェアフィオーレの放った桃色に輝く光線と、フェアステラの放った渦を描く電撃がポプレを襲う。

 だが二人の攻撃は虚しく空を裂いた。

 着弾の寸前、ポプレの姿はフッと消えてしまったのだ。

 そして次の瞬間、ポプレの姿はステラの眼前に突如として出現した。


「――!」

「うふふ……ここ精神の地平線(マインド・ホライズン)なら、あたしだって本気を出せるのよぉ?」


 ポプレの振りかぶった右手が禍々しい黒い光に包まれる。そしてそれは虚を突かれて動けないステラ目掛けて、猛烈な速度で振り下ろされた。


――だが、ポプレの拳がステラに届くことはなかった。うっすらと輝く植物の蔓のようなものが、ポプレの腕をいましめてギリギリのところでその動きを止めたのだ。


「あらぁ?」

「――させないよ、シスター・ポプレ!」


 ポプレを戒めた蔦の出元は、突き出されたフィオーレの掌だった。フィオーレはポプレを縛り上げたまま、鋭い眼で睨みつけている。


「はああぁぁぁぁっ!」


 フィオーレは蔓をまるで腕のように操り、ポプレの身体を宙に持ち上げた。そしてそのまま猛烈なスピードで振り回し、俺たちから少し離れた位置にポプレを叩きつける。


「……チェーロ、渚ちゃんを、お願い」


 ステラはそれだけ言い残すと、まだ砂煙に包まれているポプレに向かって、文字通り電撃的な速度で駆け出した。渚のことはチェーロに任せ、自分はポプレを倒すつもりなのだろう。

 チェーロ対渚、ステラ対ポプレの構図が出来上がり、浮いてしまったのはフィオーレだ。フアンダーと化してしまった渚の戦闘力は未知数だが、ポプレは前回の戦闘から推察する限りステラ一人でも十分に戦える。普通に考えれば、ここはフィオーレとチェーロで力を合わせ、まず渚を救うことが最優先だ。


――だが。


「フィオーレ、お前もポプレを頼む。あいつはどうも得体が知れない。気をつけてくれ」

「はい!」


 俺の指示に力強く頷き、フィオーレもステラの後を追った。

 フィオーレをポプレに当てた理由は二つ。一つは『精神の地平線(マインド・ホライズン)なら本気が出せる』というポプレの言葉だ。ポプレの戦闘力は前回より遥かに増していると考えるべきだろう。

 そしてもう一つは渚のことだ。フィオーレとチェーロの二人で戦えば、有利に戦況を進められるかもしれない。しかしそれで渚を追い詰め浄化できたとしても、本当の意味で渚が救われるとは思えない。


『チェーロ、大人しくしていて。あなたでは私に勝てないわ。絶望に勝る希望なんて無いもの』

「ぼくの諦めの悪さは渚だって知ってるはずだよ!」


 渚の漆黒の剣がチェーロの風の剣を根元から叩き割る。だがチェーロは即座に飛び退いて間合いを取り、手元に残った剣の持ち手の部分を投げ捨てると、両手を胸の前で交叉させた。


「吹き抜けろ、科戸しなどの風ッ! チェーロ・ブリスクウィンド!」


 チェーロは交叉させた両碗をクロスチョップの要領で突き出し、振りぬいた。同時に猛烈な突風が巻き起こり、渚へと向かっていく。

 だが渚は顔色一つ変えず、左手を突き出した。


『ダークネス・フォール!』


 渚の叫び声に呼応するように、空中に黒いエネルギーの塊のようなものが生じた。それは薄べったく広がって、盾のように渚の前方を覆う。

 チェーロが放った突風はその盾に阻まれ、そのまま吸い込まれるように消えてしまった。


『わかったでしょう? 戦うことは無意味だわ。さあ、エレメントストーンを渡しなさい』


 二重のエコーがかかった不思議な声で、渚がチェーロに言った。これまでのフアンダーたちとはまるで違う落ち着き払った様子に、俺は逆に恐ろしさを感じてしまう。


 俺は初対面の時、渚に対して『ニュースキャスターのようだ』という感想を抱いた。だがそれは間違いだった。渚はニュースキャスターというより、まるで女優だ。


 俺が看破するまで、渚はフアンダーになってしまっていることを全く表に出さなかった。面識の薄い俺や桃はともかく、ゆうや麻美すら気がつかないほど、渚の様子は自然だった。「本来の自分ならばこういう言動をする」という自己認識に基づいて、自身の言動をコントロールしていたのだろう。

 そして完全にフアンダーとなった今も、衝動に任せて戦うのではなく、理性的な振る舞いをしている。

 絶望のエンブリオに心を支配されてなお、渚は渚自身であることを完全には投げ捨てていないのだ。


「渚を助けるための戦いが無意味なもんか! チェーロ・エリアルダガーッ!」

『私を救う? ――笑わせないで! 阻め、ダークネスフォール!』


 チェーロの放った無数の風の短剣が、またもや渚の作り出した漆黒の盾に吸い込まれて消える。

 近接攻撃は漆黒の剣に払われ、遠距離攻撃は漆黒の盾にかき消される。さっきからチェーロの攻撃は全く効いていない。


『選ばれたあなたが、選ばれなかった私の何を救うというの? フェアチェーロ、あなたにとって私を救うというのは何の力も持たない惨めな私に戻すことだというの?』


 渚の声の揺らぎが徐々に大きくなっていく。それに同調するかのように、黒いもやのようなエネルギーが渚の全身を覆っていく。


『――そんなの、私は絶対に嫌だ! ダークネスディストーション!』


 渚は叫ぶと同時に漆黒の剣を振るう。するとその切っ先から黒い光線が放たれた。光線はまるで周囲の空間を歪めるような、不思議な軌道を描いてチェーロに襲い掛かる。


「なっ……! チェーロ・エリアルシールドッ!」


 間一髪でチェーロのエリアルシールドがダークネスディストーションを防いだ。だが光線は消えることなく、エネルギーの塊となってシールドを突き破ろうとしている。

 そこに、


『ダークネススパイク!』


 渚は追撃を放つ。今度は漆黒の剣を振るった軌跡からいくつもの黒い短剣が現れ、チェーロ目掛けて飛んでいく。

 ダークネスディストーションをなんとか受け止め続けていたエリアルシールドに、無数のダークネススパイクが突き刺さる。エリアルシールドはガシャンと音をたてて砕け散り、破片は再び緑色の風となって大気に溶けてしまった。

 そして次の瞬間、阻むものがなくなったダークネスディストーションがチェーロに直撃した。


「っああああぁぁぁぁ!!」


 チェーロの身体はぼろきれのように何メートルも吹っ飛び、地面に叩きつけられて一度大きくバウンドした。普通の人間ならば死んでもおかしくない――いや、確実に死んでいるレベルの衝撃だ。


「――くっ」


 チェーロがよろよろと立ち上がる。この世の法則を超越した肉体能力を持つフェアリズムといえど、今の攻撃のダメージは相当に大きそうだ。

 だが渚はそんなチェーロに向かって漆黒の剣を構えると、『はぁっ』という掛け声とともに突進していく。


「チェーロ・エリアルソードっ……!」


 チェーロが絞り出すように叫び、風の剣を生成。おぼつかない足取りながらチェーロもまた渚に向かって駆け出し、エリアルソードを振るう。


 二人が、そして二人の剣が交叉した。

 ドンッという炸裂音。

 次の瞬間、その場に緑と黒、二色の光の柱が上がった。


「チェーロっ!」


 思わず叫ぶ。

 一体どうなった、チェーロは勝ったのか? 渚は無事なのか?


 だが次の瞬間目に入ってきた光景に、俺は愕然とした。


 立っていたのは渚だ。そして渚は体操服姿のゆうを抱きかかえていた。ゆうのフェアチェーロへの変身は解けてしまっていて、力無くだらりと手足を投げ出している。


ゆう――!」

『大丈夫、気を失っているだけです』


 渚はそっとゆうを脇に抱き下ろし、地面に横たわらせた。その丁寧な所作からはまるでゆうをいたわるような温かみを感じる。しかし表情は冷酷そのものだ。


『それよりあなたは自分の心配をしてください。あなたに手加減する理由はありませんから』


 そう言いながら渚は、ゆうの左手薬指から五大の風のエレメントストーンを外すと、自らの同じ指に装着した。

 こんなにもあっさりとフェアリズムが敗北し、エレメントストーンを奪われてしまうのは完全に想定外だ。もちろんフェアチェーロ――ゆうが弱いわけでもないし、親友相手だからと攻撃を緩めたようにも見えなかった。

 単純に渚の力が――つまりは絶望が、俺たちの想像を絶する力を持っていたのだ。


『――さあ、次はあなたの持っている五大の水のエレメントストーンをいただきます』


 漆黒の剣を携え、渚はゆっくりと俺に迫ってくる。その距離、十五メートル――十メートル――五メートル。もうそこは剣の間合いだ。


 横目でチラと見たフィオーレとステラの戦況も決して芳しくない。二人は次々と黒い光弾を放つポプレに対し、防戦を強いられていた。回避・防御に一杯一杯で、こちらの状況を気にする暇も無い様子だ。


 渚が近づいてくる間、俺は逃げ回っても無意味と判断し、思考に全力を注いでいた。

 しかし打開策は全く浮かばない。ただ一つ言えることは、黙って渚にエレメントストーンを渡すような真似はできないということだ。


『――なんですか、その構えは?』


 ファイティングポーズをとった俺に、渚が呆れ顔で言う。

 もちろん俺にボクシングの経験なんて無い、咄嗟に出てきたのがこの構えだっただけだ。


『まさか戦う気ですか? フェアリズムでもない、力の無いあなたが? あなたに何ができるんですか?』


 渚の口調には、僅かだが苛立ちが感じられる。自分の抱えてきた苦悩と、今の俺を重ねているのだろうか?


「俺じゃ相手にならないのはわかってるよ。でも黙ってエレメントストーンを渡すわけにはいかない」

『――そうですか』


 渚はつまらなそうに言って、俺に向かって左手を差し出した。

――その瞬間。


「っがあああああああぁっ!」


 渚の手から放たれた黒い光弾が俺を直撃した。

 内臓がひっくり返るような激しい衝撃と痛み。ぐるぐると縦横に回転する視界。自分の身体が宙を舞っているのだと気づいた瞬間には、今度は背中から地面に叩きつけられて全身に激痛が走る。


 だがそれでもチェーロが受けた攻撃よりはずっと威力が抑えられていた――と思う。

 上半身を起こし、さらに膝に手を付いてなんとか立ち上がる。たったそれだけのことに二十秒以上を要した。しかしそれも束の間、俺の体はすぐに崩れ落ち、片膝をついてしまう。

 膝が、指先が、全身がガクガクと震えていて言うことを聞かない。それが恐怖によるものなのか、負傷によるものなのか、自分でもよくわからない。


 立ち上がることすら満足にできない俺を、渚は冷たい目でジッと見ていた。


『私がこれだけ力をセーブしたのに、たった一撃であなたはもう立つのもやっとじゃないですか。フェアリズムでもないあなたが意地を張る意味なんてどこにあるんですか』


 渚の声から苛立ちのトーンと共に疑問形が消えた。聞き分けの無い子供に向かって諭すように、俺に諦めろと告げている。

 たしかに冷静に考えればそれが正しい。フェアリズムを圧倒するような相手に向かって、俺が何をしようが意味なんて無い。

 でも、俺はそれを渚の前で認めるわけにはいかない。


――だって、俺はそれがお前の本心じゃないって知ってるんだよ。俺に向かって「変身ができなくても、仲間と対等でいるために自分にできることをしたい」って言ったのは渚、お前なんだ。


()()なんか無くてもさ……」

『?』

「それでも、つい張っちまうから、()()なんだよな」


 ポケットから五大の水のエレメントストーンを取り出し、左手の薬指にはめる。指輪は硬さと軟らかさを備えた不思議な感触で、するりと俺の指にフィットする。

 もちろん、エレメントストーンに選ばれてもいない俺が装着したところで、フェアリズムに変身できるわけじゃない。これは俺の覚悟を――俺を倒して奪ってみろという覚悟を渚に伝えるためのものだ。


『――意味ではなく意地、ですか。ならば、その意地と共に消えてください』


 渚がそう口にした途端、身に纏う雰囲気が変わった。

 漆黒の剣を水平に構え、射抜くような冷たい目で俺を見ている。

 その瞳には、さっきまでの知性の光が感じられない。俺という存在を、まるで粘土細工か何か――ただの物体モノだと認識しているかのような視線。それは睨んでいるでも見つめているでもなく、文字通り『見ている』と形容するしかない。


 渚から俺に対しての、一切の容赦が消えたことがビリビリと伝わってくる。


『たあッ!』


 渚は大きく地面を蹴り、もの凄いスピードで俺に向かって突進して来た。

 俺を一突きに貫くつもりだろう。


 俺は目を閉じ、その瞬間を待った。


 別に諦めてしまったわけじゃない。

 たとえ渚の刃に倒れることになっても、俺の意識が途切れるまでの僅かな間に、五大の風のエレメントストーンを取り戻してゆうに渡す。それが俺の狙いだ。

 上手くいくかどうかはわからないけれど、それが俺の思いついた中では一番マシな作戦だ。


――しかし、いつまで待ってみても『その瞬間』は訪れなかった。



『――どうして、なの』


 驚きに震える渚の声。


 状況が飲み込めず目を開くと、そこには俺に身体を重ねるようにして立つ、ゆうの背中があった。

 渚にエレメントストーンを奪われたゆうは当然変身できず、体操着姿――つまり生身のままだ。それでもゆうは立ち上がり、俺を守るために渚の剣の前に割って入ってくれたのだ。


 渚の漆黒の剣はゆうの首もとにほんの小さな傷をつけたところで止まっていた。もしも渚がそのまま剣を突き出していたら、恐らくゆうの命は無かっただろう。当然そのすぐ後ろにいる俺もだ。


「渚、剣を下ろして」


 ゆうの声は気迫が漲り、驚くほどに鋭かった。


ゆう――どうしてあなたがその男を庇うの……?』

「リョウくんはぼくたちフェアリズムの大切な仲間だからだ」


 首筋に剣の切っ先を突きつけられながら、ゆうは一歩も引かない。

 逆に渚の方が僅かに後ずさりした。ゆうを傷つけてしまったことに動揺しているようにも見える。

 渚は五大の風のエレメントストーンを装着した左手を、ゆうに向かって見せびらかすようにひらひらと振った。


『違うでしょう、ゆう。あなたのエレメントストーンはここにある。今のあなたはフェアリズムなんかじゃない、ただの中学生よ。身を挺して誰かを守る義務なんて――』

「違うのは渚のほうだよ」

『え……?』

「フェアリズムだから誰かを守るんじゃない。誰かを守りたいからフェアリズムなんだ。エレメントストーンは、それに力を貸してくれるだけ」


 ゆうが一歩進む。渚が一歩下がる。

 まるで変身していない生身のゆうが、フアンダーと化した渚を圧倒しているかのようだ。


「そして渚も、ぼくにとって大切な守りたい人だ。力があるとか無いとか、そんなことは関係ない」

『……っ!』


 後ずさった拍子に、渚が思わず漆黒の剣を落とす。

 剣は地面にぶつかってカランという音を立てた後、黒いもやになって空気に溶けるように消えた。


「リョウくんの命を奪ってしまったら、きっと渚は引き返せなくなる。渚にそんなことをさせるわけにはいかない――絶対に、絶対に!」

ゆう……』


 渚の瞳に再び知性の光が戻った。全身から張り詰めていたものが抜け落ちていく。

 別に正気を取り戻したわけではない。渚の心は相変わらず絶望のエンブリオに支配されたままだろう。だがそれでも、渚の瞳の輝きは何かの兆しのように思えた。


「渚、考えろ!」俺は思わず叫んだ。「心で想うな、理性で考えろ!」

『な、何を――』

「俺も絶望のエンブリオに飲み込まれる寸前までいったからわかる。今のお前は、俺やフェアリズムたちのことが憎くてたまらない、そしてシスター・ポプレに対して強い慕情を感じている。そうだな?」

『それがどうしたというの。それがフアンダーになるということよ。そう、今の私は紛れもないフアンダー。あなたたちの敵よ!』


 感情的になる渚。やはり思った通りだ。渚の『心』は完全に絶望のエンブリオに支配されてしまっている。それは当然だ。不安がどこまでも膨れ上がり、信頼は猜疑心に、愛情は憎しみに変わっていくあの感覚。あんなものに人間の心が耐えられるはずがない。

 だが――


「でもお前は絶望のエンブリオに支配されながら、フアンダーになってしまいながら、それでも自分自身を完全に演じきっていた。そして今も、憎くてたまらないはずのゆうを傷つけることに躊躇している。それは何故だ!」

『っ! そ、そんなことは――』

「それはお前の理性が拒んでいるからだ。自分は――水樹渚はそんなことを願わないと、お前自身の理性がそう判断しているからだ」

『う、あぁ……』


 渚は両手で頭を押さえてへたり込む。渚の中で、絶望に染まってしまった心と、懸命に自己を支えようとする理性が衝突しているのだ。

 それは並大抵のことじゃない。俺だってあのエンブリオがもたらした絶望感の前に、理性なんてものは一瞬で吹っ飛んでしまった。自分が自分であることすら見失い、絶望の奥底から沸きあがってくる衝動に身を任せようとしてしまった。

 絶望の只中にありながら葛藤できることこそ、渚の理性の類稀たぐいまれ強靭きょうじんさを物語っている。


「――渚、渚!」


 ゆうが思わず渚に駆け寄ろうとする。だが俺は、ゆうの手を掴んでそれを制止した。

 酷かもしれないが、今必要なのは渚の心に寄り添うことじゃない。心を操られてもなお輝きを失わなかった、渚の強靭な理性を信じることだ。


「渚、心で感じるな! 頭で考えろ!」


 普通は『考えるな、感じろ』って言うところだよな。

 でも今の渚に必要なのはその真逆だ。


「理性を信じろ! 心を支配されても決して自分自身を見失わないその理性、それが絶望に立ち向かうお前の武器だ!」

『くっ……ああぁぁぁぁあああ!』


 渚が苦しそうに悶える。葛藤がその激しさを増したのだ。

 このままいけば渚を救える――いや、渚自身が絶望のエンブリオに打ち勝てるかもしれない。

 頼む渚、頑張ってくれ――!



 だが俺のそんな祈りは、


「ちょっとぉ、どうなっているのよぉ?」


 シスター・ポプレの声でかき消された。

 ハッとして声の方を向く。ポプレは悠然とこちらを眺めていた。

 そのポプレと戦っていたはずのフィオーレとステラが、ドサッと音を立てて俺たちの近くに降ってきた。二人とも息はしているものの、完全に気を失っている。

 まさかフェアリズム二人がかりでも圧倒されたってのか?


 二人も変身が解け、元の制服姿に戻ってしまう。

 どうやらフェアリズムは、意識を失うことで変身が解けてしまうようだった。

 桃と麻美は気を失い、ゆうはエレメントストーンを奪われている。もはやこちらには誰も戦える者はいない。


「さぁフアンダー、立ち上がりなさぁい。その調子で残りのエレメントストーンも奪っちゃうのよぉ」

『う、あ……あぁぁぁぁぁぁあああ!』


 ポプレの命令を受け、渚の苦悶の声が一層大きくなる。渚の理性が、湧き上がるポプレへの忠誠心とせめぎ合っているに違いない。


「シスター・ポプレ! お前……!」


 ゆうの全身から激しい怒りがほとばしる。

 だが生身の優に対して、ポプレは嘲りの笑みを向けた。お前がいくら怒ろうが怖くなどない、とでも言うかのように。


「しょうがないわねぇ。それじゃ、あたしが手伝ってあげるわぁ」


 ポプレが両手を掲げる。するとそこにバチバチと火花を散らす黒い光弾が生じた。周囲を暗く照らす不思議な輝きは、見ているだけで不安を掻き立てられるような感覚がある。


「ばいばぁい」


 ポプレが手を振り下ろした。

 光弾はゴォッと風切り音を立て、俺たちに向かってまっすぐ飛んでくる。


「優、避けろ!」

「……っ!」


 掴んでいた優の手を離す。まともに立ち上がることすらできない俺には回避は困難だが、優だけでも避けてくれれば希望は繋がる。


――しかし、半ば予想通りだったが、ゆうは避けなかった。俺や倒れている桃・麻美を庇うように立ちはだかり、迫り来る光弾を真っ直ぐ見据えている。


「っの、バカ野郎!」

「野郎は酷いよ、こんなかわいい女の子捕まえてさ」


 ゆうはいつもの呑気な口調で冗談を返してきた。だがそれが余計に、彼女の覚悟の強さを示している。

――くそ、誰かゆうを、そして桃を、麻美を助けてくれ!


 そう願った刹那、俺たちとゆうの前にさらに立ちはだかる影があった。


『阻め、ダークネスフォール!』


 フェアリズムに良く似た姿のその少女は、突き出した両手で漆黒の盾を展開し、ポプレの光弾を受け止めた。


「……渚!」

「渚!」


 俺もゆうも思わず呆気にとられて叫ぶ。

 驚いたのは俺たちだけじゃない。


「ど、どういうことぉ――?」


 ポプレもまた、渚が自身の攻撃を防いだことに明らかに動揺していた。


「何をしているの、フアンダー! そいつらを始末しなさぁい!」


 ポプレの怒号が飛ぶ。だが渚はもうそれに苦しむ様子すら無かった。


『私は水樹渚。フアンダーなどという名前ではありません!』


 その声はまだ二重のエコーがかかったような不思議な響きを持っていた。けれど迷いは感じられない。

 言い返されたポプレはわなわなと身体を震わせ、


「もういいわぁ。何が起きてるのかわからないけど、あなたも一緒に消えちゃいなさぁい!」


 先程よりもさらに一回り大きな光弾を放った。

 渚もまたそれに対抗し、分厚い盾を張る。


 渚の盾がポプレの光弾を再び受け止めた。だが今度は光弾は消えず、ミシミシと音を立てながら盾を押している。


『――くっ』

「あはははは! フアンダーがシスターに勝てるわけないじゃなぁい」


 ポプレが勝ち誇ったように笑う。

 渚はギリッと奥歯を噛み締めた。それはさっき渚自身が俺やゆうにぶつけた言葉と同じだったからかもしれない。


『そうですね。きっと私ではあなたに勝てません。それに私の心は今もあなたを敬愛し、フェアリズムを憎み、エレメントストーンを欲しています』

「あらぁ。なら、どうしてそんなお馬鹿さんをするのかしらぁ?」

『――ゆうや麻美と積み重ねてきた時間が、フェアリズムは敵ではないと教えてくれる。記憶が、理性が、私の敵はあなたなのだと言っているんです!』


 渚の盾がさらに厚みを増し、ポプレの光弾を僅かに押し戻した。

 だがそれでも、ポプレは余裕の態度を崩さなかった。


「……もういいわぁ。不良品はフェアリズムと一緒に消えちゃいなさぁい!」


 ポプレはさらに大きな光弾を作り出して放ってきた。まるで底なしだ。今のポプレは昨日とは別人のように強大な力を持っている。

 ただでさえ拮抗しているところに、さらに強力な一撃を打ち込まれて、渚の盾にビシッと乾いた音と共に亀裂が入る。もう長くはもちそうにない。


「渚、俺に構うな。フェアリズムの三人を連れて避けてくれ!」


 それが俺にできるベストの判断だった。

 今の渚なら、きっと優にエレメントストーンを返してくれるだろう。態勢を立て直し、フィオーレとステラも含めて四人がかりで戦えば勝機はあるかもしれない。そのためにはまず、何よりフェアリズムの三人を優先で助けなければならない。


 だが渚は盾に力を注ぎ続けながら、首を横に振った。


『私の願いは、ゆうや麻美と対等の仲間であり続けることでした。でも私には、その本当の意味がわかっていなかった』

「渚……」

『必要なのはエレメントストーンに選ばれて変身することではなく、誰かを守ろうとすること。それをゆうが教えてくれました。そしてその誰かには、両太郎さん、あなたも含まれるんです。だから私は――この水樹渚は、あなたのことも守ってみせる!』


 渚の声は力強い意志に溢れていた。未だ心を絶望に閉ざされながら、理性によってそれを乗り越え、本当の自分自身に立ち返ろうとしている。

 ポプレの攻撃を防げるかどうかなんて関係ない。ただ全てを賭して守ろうとするだけなのだと、その背中が語っていた。


 その時、俺の視界の左側が突然青い光に覆われた。


「うわっ!?」

「な、なんだこれ――まさか!」


 ゆうと一緒に驚いて、それからすぐにこの眩い光の正体に思い当たる。

 それは俺の左手――正確に言えば左手の薬指にはめた指輪から放たれていた。


「リョウくん、それ……それって、もしかして!」

「――ああ!」


 状況を理解したゆうが、半分泣き出しそうになりながら顔を輝かせる。

 そうだ。間違いない。


「渚、受け取れ!」


 閃光を放ち続ける指輪を急いで外し、渚に向かって投げる。

 状況が見えていない渚は眉を顰めてこちらを振り向き、そしてぽかんと驚きの表情になった。左手で盾を維持しながら、慌てて右手で指輪を掴み取る。


 その瞬間。


 閃光がまるで化学反応を起こしたように大きく広がった。

 ちょうど盾がポプレの光弾に破られてしまったところだったが、その破片も、光弾も、そして渚の姿さえも閃光の中に包まれて消失した。

 閃光は天を衝き、暗雲の立ちこめた空をぶち抜いて広がる。

 紫色に染まっていた空は、一瞬で一面の青空に変化した。当然だが陰鬱な雨も止んでいる。


「な、なぁに!? フアンダーが自分自身を浄化したのぉ……!?」


 今度ばかりはポプレも狼狽している。


 やがて閃光は収束していった。その中心から現れたのは、セルフレームの眼鏡に朝陽中等部の制服。元の姿の渚だった。渚は薄っすらと青い光を放ち続ける指輪――五大の水のエレメントストーンを手に、穏やかな微笑を浮かべている。


「渚!」


 ゆうが渚に抱きつく。渚はゆうの頭を軽く撫でる。それから、左薬指から五大の風のエレメントストーンを外すと、ゆうに手渡した。今度はそこに、青い閃光を放ち続ける五大の水のエレメントストーンが装着される。


「水樹、さん?」

「……渚ちゃん、よかった……」


 桃と麻美も目を覚まし、元の姿に戻った渚の指に輝く五大の水のエレメントストーンに気づいて顔を綻ばせる。

 渚はボロボロになった俺・桃・ゆう・麻美を順に一瞥した。


「みんな本当にごめんなさい。――そして、ありがとう。罪滅ぼしにもならないけれど、私も一緒に戦わせてくれる?」


 俺たち四人は顔を見合わせた。もちろん誰一人NOなんて言うはずが無い。だって俺たちは渚を取り戻すために戦っていたのだから。


『もちろん!』


 四人の声が重なる。いや、正確に言うと麻美はちょっとズレてたけど。とにかく気持ちは一つに重なっていた。

 渚はそれを聞いてぱあっと明るい表情になった。不意にその両の瞳から涙がこぼれ落ちる。

 桃はこの精神の地平線(マインド・ホライズン)に降り続けていた雨を渚の涙なのだと言った。だが、いま渚がこぼした涙は、それとはまるで意味が違うものだ。


「フェアリズム・カーテンライズ!」


 晴れ渡った空に渚の声が響き渡った。


 渚の体が宙に浮き上がり、左手のエレメントストーンが青色の閃光を放つ。

 まぶしい閃光の中でセルフレームの眼鏡や着ていた制服は形を失っていき、ほとんど裸同然のシルエットになった。かわりに閃光の束が織り合わさって、渚の体を包んでいく。やがてそれは白地に青い水滴のモチーフをあしらったトップスに、マリンブルーのフレアスカートに、アームカバーに、ブーツに姿を変えた。

 両耳の後ろで束ねて肩から垂らしていた髪は、一旦解かれて広がると大きくその長さを増した。色もスカートと同じマリンブルーに変化し、さざなみを思わせる緩やかなウェーブを描く。


 閃光が収束して着地した時、渚はさっきまでの紛い物とは全然違う、美しい青いフェアリズムの姿に変身していた。

 俺の隣で、ゆうが「おおー」と呑気な感嘆の声を漏らしている。


「……千変万化せんぺんばんか智慧ちえ水面みなも、フェアマーレ!」


 渚――いやフェアマーレは、ポーズと共に名乗り上げた。

 それから、ビシッという擬音でも聞こえてきそうな鋭い動きでポプレを指差す。


「シスター・ポプレ。私を弄んだこと、そして私に大切な仲間を傷つけさせたこと――後悔していただきます!」


 マーレの青色の眼差しには、たとえフアンダーになっても失われることの無かった知性の光が輝いていた。そしてそこに今はもう一つ、穏やかさと激しさを同時に秘めた、海を思わせる意志が宿っている。


「はあっ!」


 マーレは掛け声と共に力強く大地を蹴り、ポプレに向かって跳躍した。その白鳥の羽ばたきのような流麗な動きを、俺は思わず目で追ってしまっていた。

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