第二二話 金元麻美 -Bella figlia dell'amore-
「……なるほどねえ。そんなことになってたのか」
梶が珍しく真面目顔で頷いた。
授業が終わって今は放課後。俺は教室の隅で、梶にこれまでの出来事を打ち明けていた。フェアリズムたちには伏せている螢――シスター・ダイアのことも梶にだけは説明した。
まだ教室にはクラスメイトがまばらに残っている。本来こんな時こそ屋上を使うべきなのだが、今日は昼過ぎからあいにくの雨だった。
もっともその雨音のおかげで、窓際にいる俺たちの内緒話を他のクラスメイトに聞かれる可能性は低い。
正直なところ、フェアリズムやフアンダーの話なんて絶対信じてもらえないだろうと思っていた。しかし俺の予想に反して、梶は熱心に話を聞いてくれている。
そのことに礼を言うと、
「そりゃ冗談みたいな話だって思ったけどねー。でもリョウが気の利いた冗談を言うなんて、そっちの方がもっと冗談としか思えないから」
だから信じるよー、なんて返ってきた。なんだよそのマイナスの信頼。俺だって小粋な冗談の一つや二つ言えるんだからな。
「ま、それにしても難しい状況だねー。色々しっかり考えないといけないよ、リョウ」
「ああ、わかってる」
「本当にわかってる?」
梶は妙に念押ししてきた。なんだ、そんなに俺が考え無し野郎に見えてるのか? まあ、そりゃ確かに昨日は失敗続きの上に、渚を傷つけてしまった。でも――
「わかってるつもりだ。俺はもう迷わない。リーダーとかそういう肩書きはさておき、俺に出来る精一杯のことをする」
すると、梶は呆れたような顔で溜息をついた。
「わかってない。リョウはわかってないよ」
「そ、そうなのか?」
「そうだよ。いいかいリョウ、まず考えなきゃいけないことは――」
梶の口調は真剣そのものだ。俺も思わず生唾を飲み込み、身構えてしまう。
「――リョウは誰を選ぶのか、だ」
「……………………へ?」
「へ、じゃない! いいかいリョウ、美少女中学生六人に囲まれておいて、誰も選ばず全員と仲良くなんてそんな羨ましいハーレム状態は社会的に許されない。許されていいはずがない!」
梶の話を真面目に聞こうとした俺がバカだった。
っていうかなんで美少女って決めつけてるんだこの変態野郎は。容姿の話なんか一度もしてないだろ。……まあ、実際みんなタイプは違えど、美少女にカテゴライズされるとは思うけどさ。
そもそも六人って、フェアリズム四人に渚までならまだしも、螢まで含めてるのかよ。一応敵だぞアイツは。
もうどこから突っ込んだらいいかわからず、ただただ脱力してしまう。
「というわけでリョウ、僕は親友が反社会的行為に手を染めるのを黙って見てるわけにはいかない。さあ、一人選ぶんだ。残りの五人は僕が幸せにする」
「……ぶん殴っていいか?」
「お断りだ、僕は男に殴られる趣味は無い!」
そんな感じにどうしようもなく脱線しつつも、現状俺が把握できていることは全て梶と共有した。
梶に秘密にしておくのが心苦しいというのも勿論あるが、俺一人じゃ気が付けない見落としを指摘してもらうという意図が大きい。
俺たちはビーハンの攻略作戦を立てる際にもそうやって作戦の穴を潰している。
-†-
一通りの説明が終わって会話が途切れた時、不意に教室の中がザワつき始めた。
怪訝に思って周囲を見渡すと、クラスメイトたちの視線は教室の後ろ側に注がれている。
彼らの視線を追っていくと――。
「……うう」
教室の入り口に、顔を引きつらせている小さな女の子――金元麻美の姿があった。
麻美は水滴の残る黄色い傘を手に持ち、教室内からの視線を浴びて縮こまっている。
見た目は小学生でも通用しそうっていうか、はっきり言って小学生にしか見えない。でも中等部の制服が彼女の身分を証明している。
「なんだ、中等部生か?」
「随分可愛い子だな」
そんなざわめきと共に、男子たちから好奇の視線が注がれ、麻美はさらに顔を強張らせた。持ち前の無表情さも加わって、借りてきた猫……というよりは人形みたいだ。
その人形はぎこちなく視線を上下左右あちこちに送る。どうやら俺を探しているらしいが、こっちが教室の隅にいるせいで見つけられずにいる。
っていうかどこ探してんだ、俺が天井に張り付いてるわけないだろ。
「どうしたの?」
「あなた中等部生よね?」
「誰かに用事? 呼ぼうかー?」
見かねた女子数名が麻美に近づいて行く。まあ庇護欲を駆り立てられる見た目だしな。
しかし麻美にとっては不運なことに、その女子たちが生垣となって、麻美から俺の姿を隠してしまった。もちろん俺の方からも小さい麻美の姿は見えなくなった。
「リョウ、あれってひょっとして」
「ああ、あの子が麻美。フェアステラだ」
梶に耳打ちを返して席を立つ。
ホントに美少女じゃんかふざけんな、という梶の悔しそうな呟きを背中に浴びつつ、入り口前の人だかりへ。
「麻美」
人の壁越しに麻美に呼びかけると、壁を構成していた女子の一人が俺に気づいてどいてくれた。
「麻美、どうしたんだ?」
もう一度呼びかける。少し涙目になってる麻美と目が合った。
「……えっと」
麻美は口を開いて、しかしすぐに言い淀んだ。パクパクと口を動かすものの、声が出てこない。
そういえば俺、まだ麻美から名前呼ばれたことが無かったな。もしかして俺をなんて呼べばいいかわからず困ってるのか? 可愛いやつだ。
とか思ってたら、
「もしかして花澤くんの彼女とか?」
「おいおい花澤のヤツ、マジかよ」
「中等部ならまあギリギリOKじゃないか?」
「いやいや見た目がアウトだろ。犯罪だぞ」
なんて、クラスメイトたちがちっとも内緒になってないヒソヒソ話を始めた。お前らそれ全部聞こえてるからな、覚えてろ。
麻美にもそんなざわめきがしっかり聞こえてしまっていたらしく、うんともすんとも言わないままどんどん顔が真っ赤になっていく。無表情・無口が基本の麻美が思いっきり狼狽してる様子は、はっきり言って可愛らしい。しかしこれは間違いなく後で俺が鉄拳制裁を受ける流れなので、それを考えると全然笑えない。
「あれー、麻美ちゃんじゃん。どうしたの、お兄ちゃんの迎え?」
不意に俺の背後からそんな声が飛んだ。もちろん声の主は変態野郎こと梶だ。なんだよお兄ちゃんって、俺のことか。
だがそれは麻美にとっては良い助け舟になったようだ。
「花澤くんの妹さんなの?」
「なんだ妹か」
「へー、こんな可愛い妹さんいたんだ」
クラスメイトたちは梶の言い放ったデタラメを真に受けてくれたらしく、好奇心の波がすーっと引けていく。
麻美は自分の名を呼んできた見知らぬ男を少しの間ポカンと眺めていたが、すぐにその助け舟に乗る決意をしたらしい。
「……うん。……に、にーさまが遅いから、呼びに来た」
遅いと言われても、そこまで教室に長居したわけじゃないんだけどな。そもそも中等部と高等部じゃ授業の終わる時間が違うのだ。
ただ、そんな反論をしても仕方ないので、俺も麻美の芝居に合わせてやる。
「ああ悪い悪い、すぐ行く。鞄とって来るから待っててくれ」
すると俺がそう言い切るかどうかのタイミングで、後ろから「はい、これ」と俺の鞄が差し出された。もちろんそんな気の利いたことをしやがるお節介野郎は梶しかいない。俺の親友は、なんとも大変気配りのできる変態なのだ。
-†-
そんなこんなで麻美と連れ立って高等部の昇降口まで来た俺だったのだが。
さて、困った。
六月の末とはいえ、このところカラッとした晴れの日が続いていたためすっかり油断していた。
つまるところ、傘が無い。
普段持ち歩いているはずの折り畳み傘が鞄に入っていない。そういえば一週間くらい前の大雨の日に使った後、玄関先で陰干しにしっぱなしだ。
恥を忍んで麻美の傘に入れてもらうという手も考えたが、麻美と俺とでは身長に差がありすぎて、二人で入るには傘を俺が持つしかない。だが不運にも少し風が吹いていて、雨の落下方向は僅かに角度がついている。もし傘を俺の高さに合わせたら、麻美は斜めからの雨をもろに受けてしまうだろう。
――まあこうなったら仕方ないか。
「それじゃあ麻美、俺走って先に行くから」
靴を履きながら覚悟を告げる。流石に女の子をずぶ濡れにしてしまうわけにはいかないからな。
すると麻美は、怪訝そうに俺の腕を掴む。
「……でも、傘」
俺は首を横に振って、麻美の小さな手をそっと振り払った。
「それは麻美が使ってくれ」
「……え、でも」
「いいからいいから。先に生徒会室で待ってるからな」
「……そうじゃなくて」
「それじゃ、また後でぶわッ!?」
颯爽と走り去ろうとした俺の足は、後ろから急に差し出された黄色い傘の、半円状になった持ち手のところに思い切り引っかかってしまった。当然そのままバランスを崩し、少し泥っぽい玄関の床にもろに転び込んでしまう。
「な、麻美、何を!?」
なんてことをしやがるんだ。それは傘を持ってふざけてる時に一番やっちゃいけないことだって小学校で教わらなかったのか。
なんて抗議をしようとしたのだが、それより先に麻美が俺を冷たい表情で睨んでいるのが目に入ってきた。
「……話、聞いて」
麻美は有無を言わさぬ気迫を漂わせながらそう言って、俺に紺色の円筒状の物体を手渡してきた。リレーのバトンくらいの大きさのその物体は、間違いなく家の玄関にあったはずの俺の折り畳み傘だ。麻美が黄色い傘の他にも何か手に持ってるとは思ってたけど、そうか俺の傘だったのか。
でも、どうして麻美がこれを?
「……桃ちゃんから、預かってきた」
あ、なるほど。そういうことだったのか。桃は天気予報をやたら気にするヤツだから、先に家を出た俺が傘を持ってないことに気づき、気を利かせてくれたのだろう。
「そっか、サンキュな」
「……にーさま、人の話はちゃんと聞いて」
「面目ございません、姫」
おどけながら謝罪をしてみると、溜息と一緒に麻美の眉間がふっと緩んだような気がした。麻美は無表情な子だけど、よくよく見ると感情が豊かだよな。あんまり表に出さないだけで。
それにしても「にーさま」は継続なのか。
――まあいいけど。いいけど。
こうして傘を手に入れた俺は、麻美とならんで中等部校舎へ向かった。
麻美の黄色い傘は、勝手に小学生が使ってるスクール傘みたいなものをイメージしていたのだが、開いてみるとそれよりずっと大きかった。シンプルながら華やかな模様が描かれており、端にはフリルがついている。なかなか高級そうな傘だ。
これってブランド物とかなんじゃあ。麻美ってもしかしてお金持ちの家の子なのかな。
っていうかそんな高そうな傘を人の足に引っ掛けるなんて、乱暴な使い方するなよ。
「でも、どうして麻美が迎えに来てくれたんだ?」
俺が尋ねると、
「……優ちゃんは、花壇当番」
と、少しズレた返答が返ってきた。
「……やっぱり迎え、優ちゃんの方が、良かった?」
「いや、そんなことはないよ。こうして麻美と話ができたし」
「…………」
麻美はまた黙り込んでしまった。しょうがないので俺の方からいろいろ話しかけて経緯を聞いてみた。俺が気になったのはそもそも麻美か優かという話ではなく、どうして桃が直接傘を持って来なかったのかという点だ。いくら人見知りが激しくて普段は高等部校舎に近寄らないとはいえ、あの桃が優や麻美に使い走りを頼むところは想像できない。
しかしその謎は麻美の説明ですぐに解けた。昨日と違ってまだ時間が早いので、高等部生が中等部校舎を歩いているとどうしても目立つ。そこで優のアイディアで、生徒会役員の誰かが俺を迎えに行き、生徒会室まで付き添おうということになったそうだ。確かにそれならすれ違う中等部生たちは生徒会絡みの用事だと思うだろうから、悪目立ちせずに済みそうだ。流石は優、素晴らしい機転だな。
なんて感心してたら、「……にーさま、ちょっと、怪しいから」と麻美が付け加えた。失礼な。
それにしても雨音で声が聞き取りにくいせいか、いつもより少し大きな声で話してくれている。やっぱり麻美も基本はいい子なんだよな。
話を聞いてみると、花壇というのは優と待ち合わせた――そして螢と出会ったあの花壇のことらしい。荒れ果てていた花壇を、昨年から優と麻美で世話をして復活させたそうだ。
「今は花壇の手入れも生徒会の仕事なのか?」
「……あれは、趣味」
「へえ、女の子らしい麻美はともかく、優がガーデニングってちょっと意外だな」
女の子らしい、のところで麻美がピクリと足を止めた。マズい、地雷を踏んだか!? と慌てたのも束の間。すぐに麻美はまた歩き出した。別に怒らせたわけじゃなかったらしい。よかった……。
「……優ちゃんの興味は、ガーデニングじゃなくて、あの花」
そう言われて、花壇の花を思い出してみる。スッと伸びた茎の先端の方に一枚だけ大きな白い花びらがあって、その先に小さな星型の黄色い花が咲いている、なんだかとても不思議な形状の花だった。確か、色が白と黄色だけじゃなく、赤と白のもあった。
「あれはなんて花なんだ?」
「……コンロンカ。赤いのは、ヒゴロモコンロンカ」
コンロンカ。漢字で書くと崑崙花、だろうか。ヒゴロモコンロンカはきっと緋衣崑崙花だな。可愛らしい見た目に反して、名前はやたらカッコいい。確かに優が好きそうなネーミングだ。
それから麻美はぽつりぽつりと、コンロンカについて解説をしてくれた。説明をしている最中の麻美は、なんだか少しだけ嬉しそうだ。
原産地、世話の仕方など、麻美の解説はとても詳しい。少し驚いたのは、俺が大きな花びらだと思っていたのはがくが一枚だけ大きく変化したものらしい。不思議な花もあるものだ。
そうして麻美先生のコンロンカ教室を受講している間に、気がつけば俺たちは中等部の校舎前にたどり着いていた。生徒会室は三階にある。
校舎内を歩きながら、俺はもう一つ気になっていたことを尋ねてみた。それはどうして二年生が今の時期に生徒会の主要な役職に就いているのかということだ。
朝陽中等部の生徒会役員は前後期の二期制で、九月と三月に選挙がある。三月に決まる次年度の前期役員は、大半が二年生……つまり新年度の三年生で占められる。少なくとも俺が中等部生だった頃はそうだった。
しかし会長の渚をはじめ、優も麻美もみんな二年生だ。つまり彼女たちは三月の選挙で、一年生ながら全校生の支持を集めたということになる。
麻美の説明によれば、当時一年生ながら校内の有名人だった渚や優が早々に出馬を決めた時点で、対抗馬が現れなくなってしまったそうだ。仕方なく二人と腐れ縁の麻美が会計に立候補した以外は、他のポジションも結局埋まらず。現役員は会長の渚・副会長の優・会計の麻美の三人だけらしい。副会長一枠、書記二枠、会計一枠が空席というわけだ。
「でも確か……役員に欠員がある時は会長に指名権が与えられてたよな。光や桃を指名しちゃえば、生徒会室で集まるのもやりやすくなるんじゃないか?」
「……やっぱりにーさま、優ちゃんと、気が合う」
なるほど。既に優が同じ提案をしていたようだ。
しかし優と親友の麻美が俺をそう評するってことは、麻美自身も俺のことを初対面の時ほど嫌がってはいないということだろうか。そうだといいんだけどな。
なにしろ麻美も大切なフェアリズムの仲間なんだし。
そういえばいつの間にか麻美が俺に敬語を使わなくなっていたことに気がついて、ついつい含み笑いしてしまう。
そんな俺を見て、麻美は「……にーさま、ちょっとどころじゃなく、怪しい」と脇腹を小突いてきた。
段落区切り記号追加してみた(14/03/22)
話数追加(14/04/07)




