第二一話 螢と両太郎 -two of a kind-
わたしは花が好きだ。
花には希望も絶望も無い。
ただ懸命に咲いて、潔く散り、それを幾度と繰り返す。その姿は凍り付いたわたしの心にさえも感銘を与える。
現在は朝の七時半。朝練のある部活に所属している者を除けば、生徒たちが登校してくるにはまだ少し早い。
シスター・ポプレの動向を見張るためこの朝陽学園に潜入して四日目の朝。わたしは中等部校舎裏の花壇にいた。ごく稀にしか人が訪れず、それなのにきちんと手入れされているこの花壇を、わたしはすっかり気に入ってしまった。
もっともその「ごく稀に訪れる人」というのは、大概がわたしにとって面倒な相手なのだ。
そう、たった今わたしに向かって「よっ、螢」などと気安く挨拶してきた男のように。
「何の用かしら、花澤両太郎」
わたしが尋ねると、両太郎は返答のかわりに手にしたビニール袋をごそごそ漁って何かを取り出した。「ん」というぶっきらぼうな掛け声と共にアンダースローで放ってくる。
突然のことで慌てたがどうにかキャッチ。側面にカラフルな絵や文字が印刷された円筒状の金属容器で、中には液体が入っているらしい。知っている、これは缶コーヒーというものだ。
両太郎は同じものをもう一本取り出すと、パキッと音を立てて缶を開け、一口飲んでから花壇の縁に腰を下ろす。
つまり、こっちの缶はわたしへの贈り物というわけ?
「もしかして缶の飲料って飲んだこと無かったか?」
わたしが戸惑っていると、怪訝そうに両太郎が訊いてきた。
「……馬鹿にしないで。それくらい何度もあるわ」
実のところ嘘だったが、缶コーヒーなる物体が老若男女に幅広く普及している品であることは下調べで知っている。そんなに難しい開封法であるはずがない。両太郎がやったのと同じように、見様見真似でやってみればいい。
……と思ったのだけれど。
意外とこのプルトップという仕組みは厄介だった。ある程度は力を入れる必要がありそうだけど、力を入れすぎると壊れてしまいそう。くっ……。
「…………」
「ったく、ほら貸してみろ」
わたしが四苦八苦していると、両太郎は横から缶を奪い取ってあっさり開封し、突き返してきた。
一瞬毒か何かを仕込んでいるんじゃないかと疑ったが、その考えはすぐに頭から消し去った。この馬鹿正直で、そのくせ妙に鋭い男が、そんな単純な罠を弄するとは思えない。
黙って受け取り恐る恐る飲んでみると、少し苦くて酸っぱくて、そして相当に甘い風味が口の中に広がった。缶コーヒーというからにはコーヒーなのだろうと思っていたが、わたしが知っているコーヒーとはほとんど別物だ。……でも、悪くない。
「ここに来れば会えるかと思ったが、ビンゴで良かった。早く家を出た甲斐があったってもんだ」
ズズッとコーヒーをすすりながら両太郎が言った。
「話があったんだけど、日中だとどうしても人目につくからなー。螢が早起きで助かったよ」
その口振りからすると、両太郎は律儀にわたしがシスター・ダイアであることをフェアリズムたちに黙っているつもりのようだ。
仕方ない。缶コーヒーの礼に話くらい聞くとしよう。
わたしも両太郎の隣に腰を下ろす。
「絶望のエンブリオの情報、ありがとな。おかげで助かった」
「……別にあなたたちを助けるためじゃないわ」
「それでも助かったからいいんだよ。何の前情報も無しじゃヤバかった。……っていうかそれでも結局ポプレには翻弄されっぱなしだったけどな」
両太郎は思い出したくない、といった顔で苦笑いを浮かべた。
昨日の戦いは、わたしも少し離れた位置から観察していた。
確かにポプレは両太郎の策をことごとく突破していた。でも、いつも人を小馬鹿にしているポプレがあんなに狼狽した様子を見せたのは初めてだった。間違いなくポプレはあと一歩というところまで追い詰められていたのだ。
――しかしこの男はお礼なんか言うために、わたしにわざわざ会いにきたのだろうか。
「それで、質問なんだが」
まあ、そんなはずは無かった。お礼は単なる前フリだったらしい。
「ポプレの持っている残りの絶望のエンブリオの数は見当がつくか?」
真剣な、そして迷いの無い顔で訊いてくる。
おかしい。昨日の戦いの直後はもっと落ち込んだ顔をしていたはずなのに。戦いの後に何かがあったのだろうか?
「一つよ。わたしも含め、シスターは全員が三つずつ絶望のエンブリオを持っている」
「そうか……」
両太郎は眉間に皺を寄せて何かを思案し始めた。まあ多けりゃ五個くらいだと思ってたからマシっちゃマシか、などとブツブツ呟いている。この男はポプレと再戦し、次こそ勝つつもりなのか。
両太郎が考え事に没頭している隙に、わたしは缶コーヒーをもう一口。甘い。
「やっぱりお前、この世界の人間じゃないんだな」
不意に両太郎が言った。彼はいつの間にか思案を終え、わたしの顔を覗き込んでいる。
「缶コーヒー飲んでそんな美味そうにニヤニヤするヤツなんか初めて見た」
「なっ……に、ニヤけてなんていないわ!」
「別に照れなくていいって」
「照れてない!」
思わず大声を出してしまった。両太郎はまたも苦笑いしながら、人差し指を口の前で立てた。「お静かに」のジェスチャーはどこでも一緒らしい。
「……やっぱりってどういうこと? わたしたちの素性に心当たりでも?」
「ポプレが『こっちで絶望のエンブリオを使うのは初めてだ』って言ってたからな。つまり他の世界――恐らく精霊界フェアリエンでは人間に対して使ったことがあるってことだ」
両太郎はそこで一呼吸置き、わたしの反応を待った。仕方ないので頷いてやる。
昨日の夕方に話した時にも感じたが、この両太郎という男はとても鋭い。ポプレとの戦いでもそうだった。バラバラの情報と情報とを結びつけて、そこから新たな情報を類推する能力に長けている。
「ここからは俺の推測だが、お前たちシスターは、元々はフェアリエンに住んでいた人間だ」
「……どうしてそう思うの?」
「お前が名乗った『黒沢螢』って名前だ。あの時お前は、あらかじめ偽名を考えていたにしては妙に言い淀んだ。でもその一方で、咄嗟に考えたにしては引っかかりも無く自然に名乗った。まるで何度もその名を口にしたことがあるみたいにな」
そうだっただろうか。
いや、そうだったのだろうと思うしかない。両太郎の推察は事実を言い当てている。
「黒沢螢というのは偽名じゃなく、お前の本当の名前だ。――お前は昔フェアリエンに迷い込んだ人の子孫なんだろう?」
両太郎の目は、声は、確信に満ちていた。推察を組み立てている時の両太郎はまるで子供のように目が輝いていている。これが昨日ポプレに翻弄され、情けない顔をしていた男と同一人物だなんて信じられない。
この男はやはり、わたしたち《組織》にとって大きな障害になるだろう。
「……今度はこっちから訊くわ。両太郎、あなたは何者? どうして絶望のエンブリオが効かなかったの?」
わたしは両太郎の問いには敢えて肯定を返さず、かわりにこちらから問いをぶつけ返した。
すると両太郎は呆気にとられたように目を丸くした。
「え、それ俺がお前に訊こうと思ってたんだけど」
「どうしてわたしが、あなたが何者かなんて知っていなきゃならないのよ……」
「だって俺にも心当たりが全然無いぞ。――お前なら何か知ってるかと思ったんだが」
思わず溜息が出た。まったく、この男はわたしを百科事典か何かだとでも思っているのだろうか。わたしだってこの学校に通っていておかしくない年齢で、それ相応の知識しか持っていないのに。
そういうことこそ、お得意の推察で勝手に答えを見つけて欲しい。
「悪いけどわたしにも全くわからないわ。ただ一つ言えることは、あなたは《組織》にとって単なるフェアリズムの関係者という以上の要注意人物ってことよ」
悔し紛れに脅してやる。すると両太郎は何故か嬉しそうに笑った。
「わざわざ忠告してくれるなんて、螢は優しいな」
「なっ……!」
勝手に都合のいいほうに解釈しないで欲しい。
何か言い返そうかと思ったが、かえって揚げ足を取られそうな予感がして踏みとどまる。
それよりも、さっきからわたしはあることが気になっていた。
両太郎の胸の辺りから発せられるこの気配、間違えようが無い。
「ところで、どうしてあなたがエレメントストーンを持っているの」
「え?」
両太郎はポカンとした表情。とぼけているのかとも思ったが、どうやら違いそうだ。この男はわたしたちシスターがエレメントストーンの気配を感じられることを知らないのだ。
「……その胸ポケットの中身。フェアフィオーレが持っていた、五大の水のエレメントストーンでしょう」
「ん、ああ。フェアリズム候補っぽい子がいるから試しに触らせてみようと思ったんだけど……。っていうかもしかして、シスターってエレメントストーンを感知できるのか?」
「持ち主となるべき相手を見つけたエレメントストーンは特別な波動を放つのよ。わたしたちも、それからフアンダーも、それを辿ってエレメントストーンを探すの。フェアリズムでもないあなたなんかが持ち歩いていたら、《組織》にとって絶好のカモだわ」
暗に、わたしにとっても今の状況はエレメントストーンを奪うチャンスだと告げてやった。少しは怯えた顔でもするだろうと思ったのだ。
しかし両太郎は無防備なまま、ぽりぽりと頭を掻く。
「そりゃマズったな……リスク分散のために預かったんだが、逆にリスクが高まってるのか。でもそれってつまり、このエレメントストーンは既に持ち主を選んでるってことなんだな?」
「……そうなるわね」
「なら試してみる価値はあるな、よし。重ね重ねありがとな、螢!」
両太郎は無神経にも手を差し出して握手を求めてきた。当然わたしはその手を払いのける。
――まったく。この男は鋭いのか馬鹿なのか。わたしだって《組織》のシスターだというのに。
確かに制服を着ている時は敵対しないと、わたしはそう約束した。でもそんな約束を守る保証などどこにも無いではないか。
一体、両太郎はわたしのことを信頼しているのだろうか。それとも舐めてかかっているのだろうか。
それは対極でありながら、わたしたちが敵同士であることを考えると、イコールであるような気もする。
いずれにしてもこの男は、やはりわたしにとって面倒な相手なのだ。
わたしは一際大きく溜息を吐き出して、それから残りの缶コーヒーを一気に飲み干した。
サブタイトル変更、話数追加(14/04/07)




