第二〇話 前兆4 -precursor 4-
私が校門をくぐった時には、辺りはもうすっかり暗くなっていた。
六月末の空気は生暖かさと多量の湿気を纏っていて、なんとなくぬめぬめした不快感がある。私は心中の苛立ちを消すことができないまま、家路を急いでいた。
もっともこの苛立ちの原因は蒸し暑さだけではない。
そう、私――水樹渚は怒っているのだ。
半分は知り合ったばかりの、花澤両太郎という人に対しての怒り。
そしてもう半分は、その両太郎さんを怒りに任せて一方的に責めたててしまった、自分自身に対してだ。
水樹家は曽祖父の代から国会議員を輩出してきた。祖父は現役の代議士、その後継者になるであろう父は現在は都議会議員。
そんな家に生まれた私は、小さい頃から厳格に育てられた。物心つく頃まで存命だった曽祖父は、私に「世の中のため、人のためになることをしなさい」と、口癖のように言っていた。
そんな私にとって、両太郎さんの実父である識名博士はまるでヒーローだった。
識名博士は新エネルギー開発の研究者だった。博士は海底のメタンハイドレートから効率的にメタンガスを生産する方法を発見し、その実用化に取り組んでいた。
エネルギー問題の解決、日本が資源大国になるチャンス、博士の取り組みはそういったフレーズとセットで、連日のようにニュースや対談番組で取り上げられた。
私はそんな番組をお父様の膝の上で見ていた。当時まだ七歳だった私には難しくて半分も理解できなかったけれど、凄いことなのだというのは伝わってきた。『世界中をもっと豊かにしたい』と語る識名博士の笑顔は、大人の人だというのにまるで同級生の男子と同じに見えた。
ある日、識名博士は実用化実験に国際チームを迎えると発表した。そして実験成功の暁には特許を取得せず、全世界に無償で詳細データを提供するとも。
小さい私は「なんて凄い人なんだろう!」と感激した。当時の私から見て、識名博士は「世のため人のため」という曽祖父の教えを体現してみせようとするヒーローだった。この人のようになればいいんだ、漠然とそう思った。
ところが大人たちの反応は違った。
識名博士は国の技術を海外に流出させようとしている。
日本の国益を何も考えていない。
税金から援助を受けておいて日本を裏切った。
――識名博士に対する世間のバッシングは苛烈を極めた。
博士はずっと口にしてきた『世界中をもっと豊かにしたい』という言葉を、そのまま実践しようとしただけだ。なのにその言葉を散々称賛してきたメディアやコメンテーターは、まるっきり逆方向に意見を変えてしまった。素晴らしい技術を日本だけで独占しろ、世界に渡すな、そう言っているようだった。
納得がいかなかった私はお父様やお爺様はどう思っているのか、どうして「世のため人のため」に努力している人が責められなければならないのか尋ねた。
二人は困ったような顔をして、それから私に言い聞かせた。
多くの人にとって世の中というのは自分を取り巻く限定された範囲のこと、人というのは自分の同胞のことなのだと。
全世界、全人類という大きな枠組みは、地理・歴史・外見・価値観といった様々なもので、細かく細かく切り分けられているのだと。
そして丸ごと全体を幸せにしようとすることは、その切り分けられた範囲の幸せと衝突してしまうことがあるのだと。
今では二人の言葉の意味をきちんと理解できている。でも当時の私はまだ納得はいかなかった。ただお父様やお爺様の表情から、理解しなければいけないことなのだということだけは悟った。
そんなモヤモヤを抱えながら過ごしていたある日、あの事故が起きた。
識名博士の実験室が大爆発を起こし、博士と助手だった奥様を含む何十人もの研究者や職員が亡くなった。
研究を阻もうとする勢力による謀殺説が挙がったのは一瞬のこと。世間はバッシングの流れをそのまま引きずって、「天罰だ」などと揶揄した。
そのバッシングを当事者の息子という立場で味わったのだ。両太郎さんはどんなに辛かっただろうか。
私は識名博士の死をきっかけに、博士と同じ新エネルギー研究者を志すようになった。後を引き継いでやろうなんて大それたことを考えているわけではない。ただ幼い私のヒーローだった人が、どこを見据え何を考えていたのか知りたかったのだ。
けれど両太郎さんは私とは逆だった。恐らく彼は折れてしまったのだ。
世界を豊かにしようと研究に明け暮れた博士を襲った、社会からの壮絶な掌返し。それを間近で見たのだろうから、無理も無いことかもしれない。
だというのに、私は彼に酷いことを言ってしまった。
『識名博士の息子さんが貴方のような意気地無しでがっかりです!』
あれは決して言ってはいけない類の言葉だった。こうして冷静になってみればわかる。
何故あんなことを口にしてしまったのか。
それは、彼に嫉妬したからだ。
変身できる優と麻美が戦い、事情を知る私は秘密が漏れないようにバックアップ。それが私たち三人のこれまでの役割分担だった。
ところがそこに、もう二人のフェアリズムが加わった。
もちろん仲間が増えること自体は嬉しい。ただ、四人の輪の中心には両太郎さんがいた。優も彼のことを信頼しているようだった。
優はとても賢い子だ。
学校の成績や知識量では私が勝っている。でも、何か咄嗟の判断が必要になった状況で、誰よりも先に答えを導き出すのはいつも優だった。
私は別にそれで良かった。
私たちは補い合う存在。私の知識と優の機転が組み合わされば、どんな難題だって解決できる。そう信じていた。
けれど私には見えてしまった。
フェアチェーロに変身した優の隣に、彼――両太郎さんが立っている光景が。
そこに私の役割は無かった。
変身できない私はやがて居場所を失っていくのだと、そう思った。
そう、私はフェアリズムになりたくて、エレメントストーンを求めている。
でもそれは誰かを守りたいからじゃない。優と麻美との関係を――対等でいられる自分を守りたいからだ。
きっと私がそんなことを考えている限り、エレメントストーンが私を選ぶことは無いのだろう。
「だったらぁ、あなたが選んじゃえばいいじゃなぁい?」
突然背後から声がした。
慌てて振り向くと、そこには真っ黒いローブに身を包んだ女がいた。
足音なんてしなかったし、誰とも擦れ違っていない。女はまるで瞬間移動でもしてきたかのように、突如としてそこに立っていた。年齢は二十歳前後、妖艶な顔立ちに厭らしいニタニタ笑いを浮かべている。
黒いローブの女――シスター!
私は瞬時に携帯電話を取り出した。もちろん優たちに連絡をするためだ。
だがシスターは一瞬で間合いを詰めると、私の腕を捻り上げて携帯電話を取り上げた。
「くっ……あなたシスターね。離しなさい!」
「うふふ、あはははは!」
私に睨みつけられたのがおかしくて堪らないとでもいうかのように、シスターが厭らしく笑う。
「そう、私はポプレ。シスター・ポプレよぉ。でもあなたぁ、フェアリズムを呼んで助けてもらってぇ……その先はどうする気ぃ?」
「どういう意味?」
「守られるだけの足手まといになることがあなたの願いなのかしらぁ?」
「……っ!」
ポプレと名乗ったシスターはニタニタと笑いながら、私の心中にある急所を的確に突いてくる。
ポプレといえばさっきまで優たちが戦っていたばかりの相手だ。激しい戦いの末に逃げ去ったと聞いたのに、まさかこんな学校の近くに戻って来ているなんて。
「あなた、エレメントストーンが欲しいんでしょぉ? あたしが協力してあげるわぁ」
「……ふざけないで! 私をフアンダーにするつもりでしょう!」
精一杯の虚勢を張る。私ではシスターをどうこうするなんて無理だ。それでもこんな誘いは拒否しなければならない。優たちと戦って傷つけるなんて、絶対に絶対に嫌だ!
「……そう」
ポプレは艶のあるルージュをさした唇に指をあてて頷いた。それからその手をローブの裾に滑らせ、何かを取り出す。それは毒々しい紫色をしたクルミそっくりの木の実だった。
木の実を私の胸に押し当てながら、ポプレは満面の笑みで言った。
「まぁ、あなたの気持ちは関係ないんだけどねぇ」
話数追加(14/04/07)




