第一九話 水樹渚 -Parmi veder le lagrime-
中等部生徒会室では、最初に改めて各自が自己紹介をした。
まずは桃・光・優・麻美の順に四人の中等部生が、次々と名前やクラス、加護を受けているエレメントストーン、それから変身後の名を名乗っていく。
といっても実際のところ彼女たちの間で自己紹介の必要性は薄かった。話を聞いてみれば、桃・光・麻美はクラスが一緒だったし、麻美を訪ねて度々教室を訪れているため優も面識があったそうだ。また何より、生徒会役員である優と麻美は中等部ではそれなりに有名人だった。
結局ほとんど、彼女たちの関係図を俺が把握するための自己紹介という位置づけだ。
それから自己紹介の順番は俺――の前にもう一人。
その子はスッと立ち上がり、四人の学友、俺、そして妖精アリエルを順に一瞥してニコリと微笑んだ。
「中等部二年、水樹渚です。クラスは優と同じ四組です」
よく澄んだ心地好い声でそう名乗ると、渚はもう一度微笑んで着席した。
うーん、挨拶慣れしているというかなんというか、やたら堂に入っている。
藍色がかった艶のある髪を両耳の後ろで束ねて肩から垂らした、大人し目の髪型。理知的で少し強気そうな眼と、その印象を和らげているセルフレームの眼鏡。それからキリッと着こなされた中等部の制服に、生徒会長であることを示す青の腕章。他の四人よりやや落ち着いた雰囲気で、いかにも優等生といった印象の子だ。
渚はフェアリズムでは無いが、優・麻美から色々打ち明けられていて、事情を把握しているとのことだった。つまり、有り体に言えば俺と同じようなポジションだ。
その渚は自己紹介を終えるや否や、なにやらジィッと俺の方を見ている。最初は俺に自己紹介を促しているのかと思ったが、しかしその視線にはどこか困惑が混じっているように見える。
うーん、俺何かしたっけ?
「えーと、高等部二年の花澤両太郎です。そこの花澤桃――フェアフィオーレの兄です」
ともあれ順番ということで、俺も簡単に自己紹介した。妖精であるアリエルはどうかわからないが、それ以外のメンバーはいずれも歳下。しかしなんとなく流れで敬語になってしまった。そんな俺をフェアリズムの面々は少しニヤニヤしながら――例外的に無表情な麻美も若干一名いたが――眺めていた。
だが、渚は違った。目を見開いて、口は半開き。明らかに俺の自己紹介のどこかに強く反応していた。
「あの、花澤先輩」
「先輩はやめてくれ、なんかちょっと恥ずかしい」
渚に対してそう返すと、何故か優がニヤニヤ笑い、光は嬉しそうにぱぁっと明るい顔になった。ほぼ同じやり取りを交わした優はともかく、光のその反応は一体なんだろう。あ、そういや光も久しぶりに再開した時は『両太郎先輩』なんて呼んできたっけ。いつの間にか両兄になってたけど。
一方、先輩付けを禁じられた渚は一層困惑の色を強め、
「では――両太郎さん。その、違っていたらごめんなさい。ひょっとして故・識名両信博士の息子さんではありませんか?」
恐る恐る、といった様子で尋ねてきた。
驚いたのは俺と桃だ。特に桃はハッと息を呑んで、露骨に動揺していた。
「……どうしてそれを?」
否定はしないでおいた。
俺の周囲の人間でそのことを知っているのは僅かだが、別に躍起になって隠そうとしているわけでもない。何よりこの場にいるのは俺とアリエル以外は全員が中学二年生。六年前の事故のことをあれこれ気にしているとは思えない。
実際、光・優・麻美の三人は何の話かもわからないといった顔で俺と渚を交互に見ている。
だが、渚は違った。
「やっぱり、そうなんですね……」
そう言った渚の声は少し上ずっていた。手はわなわなと震えている。
――ああ、この子は六年前に世間の連中がそうしたように、父さんを罵るのか。俺はまた両親の悪口を聞かなきゃいけないのか。
そんな風に思い、俺は心中で衝撃に備えた。桃もこれから起こることを想像したのか、顔を引きつらせている。
だが、渚はそれとも違った。
「私、識名博士を尊敬しているんです。――もちろん今でもです」
「え?」
「以前読んだ古い科学雑誌の識名博士の特集で、ご家族と一緒の写真が載っていました。その写真に写っていた息子さんと両太郎さんが名前が一緒で、面影もあったものですから」
確かにその雑誌のことは俺も覚えている。父さんたちが死んだ事故の少し前に出たものだ。まだ当時は、父さんの研究を世間は称賛し持てはやしていた。かなり好意的な記事だったので、それを読んだ俺は誇らしさで一杯になったものだ。
――その気持ちはそれから数ヵ月後に踏みにじられることになったのだが。
しかし渚は「尊敬していた」ではなく、わざわざ「今でも」なんて補足を加えて「尊敬している」と言った。その物言いから、暗に掌を返した世間を批難しているようにも聞こえる。
あの事故の前後に父さんがどんな扱いを受けたか、この子は知っているのだ。
ただそれにしても、たった一枚の写真で見た程度の――それも六年以上前の写真で――相手の顔を判別できるというのは、何気に凄い能力ではないだろうか。
「――事故のことは、本当に残念でした」
「……ありがとう、父も喜ぶよ」
眉をハの字に下げて沈痛な顔を作った渚に対し、自然とそんな言葉が口を衝いて出る。
渚は瞳にまだ少し愁いを残しながらも、ニコリと微笑して頷いた。
「私も新エネルギー開発の研究者を目指しているんです」
どこか親しみを込めた口調だった。その意味はすぐに理解した。
それは父さんの職業だった。そしてさっき話に出た科学雑誌のインタビューで、当時の俺もまたその道に進んで父さんの手伝いをするのが夢だと答えていた。
渚は俺のことを、同じ夢を持つ同志だと思ったのだ。
チクリと胸に棘が刺さったような感覚。
俺はきっと彼女を失望させてしまうだろう。
「……ごめん」
「え?」
「俺はもう、その夢を捨てたんだ」
俺は下を向いて告げた。
「そう、ですか……」
渚の声は震えていた。その声だけでも胸の棘は大きさを増した。
俯いていてよかった。きっと渚の表情まで見てたら余計に苦しくなったことだろう。それくらい渚の声には、はっきりと落胆の色が含まれていた。
少しの沈黙。それから、
「――すみません、変な話をしてしまって」
パッと声のトーンを明るく変え、渚が言った。
「本題に戻りましょう。情報共有と作戦会議でしたね」
そのハキハキとした口調からは、数瞬前の落胆や動揺の色は全く感じ取れなかった。まるでニュースキャスターのようだ。
陰惨な事故のニュースを悲痛な面持ちで読み上げた後、ほんの一呼吸挟んだと思いきや次は硬い表情で政治経済を取り扱う。そんな抑揚のコントロールを、この子は習得しているというのだろうか。
優とはまた違った方向に、とても賢い子だと思った。
それから俺たちは、これまでの知り得ている情報を交換し合った。
中には俺がフェアリズムのことを知るよりも前の出来事も沢山あった。
パックやアリエルが住んでいた世界――精霊界フェアリエン。そこには大勢の妖精や、人間界から迷い込んでそのまま住み着いた人々が暮らしていた。
妖精たちは女王タイタニアと三人の神官による統治の下で、あらゆる病・老い・怪我とといった不幸と無縁の穏やかな生活を営んでいた。
ところが突如として現れた《組織》がフアンダーを引き連れてフェアリエン各地を攻め、三人の神官を幽閉してしまった。不幸を封じていた三神官がいなくなり、病・老い・怪我の恐怖に苛まされたフェアリエンの住人たちは次々とフアンダーに変貌していった。
やがて《組織》は女王タイタニアの住む王宮に攻め込んだが、もはやフェアリエン側に抵抗する力はなかった。
王宮陥落の寸前、《組織》の次の狙いが人間界であることを察知した女王タイタニアは、フェアリエンの至宝であるエレメントストーンを人間界に隠した。そして王宮で匿っていた歳若い妖精たちにフェアリズムを見つけ出すことを命じた。妖精たちの導きでエレメントストーンが運命の戦士フェアリズムと出会い、やがて人間界を――そしてフェアリエンを救う。そう信じて。
そのエレメントストーンの隠し場所が、この街だったというわけだ。
「――で、あたしはユウに出会ってピンと来たのよ。この子はフェアリズムに違いないって。あたしのカンってもうホントに凄いんだから! それでユウに事情を話して、一緒にエレメントストーンを探してたらものすっっっごく大きいカニに襲われたの。あ、もちろんフアンダーよ! そこであたしの必殺……」
「たまたま運良く五大の風のエレメントストーンがその場に現れてね。ぼくはフェアチェーロに変身したんだ」
アリエルの半ば武勇伝じみた長ったらしい説明を途中で遮って優が言った。アリエルは喋り足りなかったらしく、頬を膨らまして抗議するような目で優を睨んだが、当の優はどこ吹く風だ。よし、ナイスだぞ優。アリエル先生の次回作にご期待ください――いや当分遠慮したいけど。
しかしアリエルの話を聞いて色々理解できた。
パックとアリエルは元々フェアリエンの王宮で友人同士だったが、フアンダーから逃れる際に散り散りになってしまった。お互いがこの街にいることを知らず別個に動いていたのだ。それでパックと出会った桃たちに、アリエルと出会った優たちと、二組のフェアリズムチームが誕生していたというわけだ。
パックもこの場に連れてくればよかったな、と俺と桃が話していたら、渚と優がパックも毎日学校に連れてきて生徒会室に居てもらってはどうかと提案してくれた。アリエルは実際にそうやって平日を過ごしているらしい。アリエルはそれを聞いて少し顔を赤らめて目を逸らした。おや、その反応は何か怪しいな。
次に桃がパックと出会ってフェアフィオーレに変身した経緯を説明したが、優のそれとほとんど同じだった。ただ桃と優で違ったのは、優が積極的に仲間を見つけようとした点だ。
半ば強引に渚と麻美を仲間に引っ張り込み、麻美は実際にすぐに五大の地のエレメントストーンに選ばれた。残念ながら渚を選ぶエレメントストーンはまだ現れていないようだが、優は渚も絶対にフェアリズムになれると信じているらしい。
「ぼく、小さい頃から渚と麻美とずっと一緒だったからね。中学でも一緒に生徒会役員やってるし。二人も一緒にフェアリズムになってくれたらいいなって思ったんだ」
優は呑気な口調でそう言って、カラカラと笑った。
か、軽い。
そんな軽いノリで、壮絶な戦いに幼馴染を巻き込んで良いものだろうか。
なんて俺はたじろいだのだが、当の渚と麻美は、
「優は一度言い出したら聞きませんからね」
「……優ちゃん、一人で放っとくと、危ないし」
なんて平然としていた。どうやらこの三人の結束は俺が思っていた以上に強固なものなのだ。
「いやいや、頑固さだったらぼくより渚の方がずっと上だよ」
「そんなこと無いでしょう!?」
「……どっちもどっち」
そんなやりとりを交わしながら、三人はじゃれ合うように笑った。これまでひたすら無表情に見えた麻美も、ほんの少し口の端を歪めて微笑んでいる。
桃と光も釣られて笑った。微笑ましい光景だ。
この子たちならばきっと、どんな不安も絶望も吹き飛ばしていけるだろう。そう思って、俺は彼女たちに向かってさっきから考えていたことを口に出した。
結論から言うと、それは失態の上塗りだったのだが。
「……識名博士の息子さんが貴方のような意気地無しでがっかりです!」
平手で思いっきり頬を引っぱたかれた。
俺を叩いた本人――渚は、肩で息をしながら目に涙を浮かべ、俺を睨んでいる。
戦えない俺は足を引っ張るだけだし、作戦も裏目に出るばかりだった。俺にリーダーは務まらない。
俺がフェアリズムたちにそう告げた結果が渚からの平手打ちだった。
「私は――私だって、変身もできないし戦いでは役に立てません。それでも何か私にできることを見つけたい。それは優や麻美と、大切な友達と、対等な仲間でいたいからです! なのに貴方は、役割を求められているのに、それを――!」
渚は本気で激昂していた。
俺の言葉は渚自身をも否定し、傷つけてしまったのだと悟った。
渚と自分が似たポジションだなんて思っていたのは大間違いだった。
渚は変身できない自分に何ができるかを一生懸命考えていたらしい。一方の俺は、同じことを考えているつもりで、いつの間にか自分に何ができないかばかり気にしていた。
そんなつもりは決して無かったのだが、俺は「上手くできないからやめます」と言ってしまったに等しい。
――クソ、カッコ悪い。
「……すみません、今日は帰って頭を冷やします」
渚はそう言って荷物をまとめると、生徒会室を出て行った。優か麻美が後を追うのではないかと思ったが、二人とも黙って渚の背を見送った。それもまた彼女たちの信頼の形なのだろう。
かわりにアリエルが慌てて飛んでいった。お前は見つかるとマズいからやめておけ、なんて言う余裕も無かった。生徒会室は再び沈黙に包まれた。
「リョウくん」
最初に口を開いたのは優だ。
「今日の戦いはぼくもリョウくんも失敗した。でも失敗しただけだよ。間違ったわけじゃない」
「…………」
「イオアンのリベンジの相談をした時、ぼくは本当に楽しかったんだ。この人とならぼくはもっと強くなれるって思った。同じようにポプレとの戦いも、ぼくはリョウくんとリベンジしたい」
一方的にそう言って、優も部屋を出て行った。
続いて桃と光が顔を見合わせて立ち上がる。
「前にも言ったけど、わたし考えるのあんまり得意じゃないから……。お兄ちゃんが一緒に色々考えてくれると、とっても心強いんだ。だからチェーロ――生天目さんがお兄ちゃんがフェアリズムのリーダーだって言った時、凄く嬉しかった。新しい仲間がいて、その仲間もお兄ちゃんを認めてくれてるんだって」
「大丈夫、両兄はあたしが守るからさ。後ろでドーンと構えてればいいの」
「ひ、光ちゃん、やっぱり……」
「んー? なあに桃?」
「う、ううん、何でも……」
「ぬふふふ……桃が言いたいことはわかってるぞー! 『あたし』じゃなくて『あたしたち』で両兄を守るんでしょ? わかってる、わかってるよ」
「もう! ……それじゃお兄ちゃん、先に帰ってるね」
きゃいきゃいとはしゃぎながら二人が出て行く。
そして生徒会室には俺と麻美だけが残った。
「…………」
「…………」
沈黙。
なんとなく流れ的に麻美も何かを言って出て行くのかと思ったら、一向にその気配がない。相変わらずの無表情で、俺の方をジッと見てる。
なんだろう、麻美に見つめられるとなんとなく頭を撫でたくなる。もちろんそんなことをすればどのような報復が来るのかは想像がつくのでやらない。
「…………」
「…………」
「……あの」
黙ったまま見つめあうこと数分。ようやく麻美が口を開いた。
「……施錠、したいんですけど」
あ、そりゃそうだった。渚も優も帰った今、この部屋を施錠できるのは麻美だけ。つまり俺が居座っていたら麻美もいつまでも帰れないってことだ。
「悪い悪い、つい考え事に夢中になってた。今出るわ」
鞄を持って立ち上がった。
麻美はそんな俺の挙動をまだしばらく目で追って、それから軽く溜息をついた。
「……考え事って、どんな?」
やけに食い込んでくる。まあ、言いたいことはわかるけどさ。
この期に及んでウジウジ下らないこと考えてたら殴ります、だろ。
「失敗しないシスターポプレの倒し方、なんてどうだ」
俺が答えると、麻美はほんの少しだけ目を丸くして、それからすぐに元の無表情に戻った。
「……なら、許します」
「ははは。それはそれは御慈悲を賜り至極恐悦です」
「……渚ちゃんを泣かせた上に、優ちゃんまでガッカリさせたら、蹴ろうと思ってました」
おっかねえ。
「……許したから、殴るだけ」
そう言って麻美は俺の脇腹に容赦なく拳を突き込んだ。麻美の小さい拳はアバラとアバラの隙間にクリティカルヒットして滅茶苦茶痛い。
でも、それが麻美なりの激励であることくらい俺にもわかった。
年下の女の子に泣かれて怒られて、それから四人がかりで思いっきり励まされて、これでまだウジウジしてられるほど俺は無神経じゃない。やってやるさ。
今日の俺はポプレにしてやられた。完全に翻弄された。でも学園全体が巻き込まれるような事態は避けられたし、フェアリズムはフアンダーに勝利した。百点には程遠いが、七十点くらいの結果とは見ていいだろう。
渚が教えてくれた。俺がすべきことは、取れなかった三十点をいつまでも気にすることじゃない、取れた七十点を次に繋げることだ。次にポプレが姿を現したら必ずぶちのめしてやる。
……まあ直接ぶちのめすのは俺じゃなくてフェアリズムなんだけどさ。
とりあえずその前に、渚には明日謝らないとな。
それから、シスター・ダイア――螢にももう一度話を聞いておきたい。
そんなことを考えながら、俺は家路についた。
妖精界⇒精霊界に表記統一、話数追加(14/04/07)




