第一七話 絶望のエンブリオ4 -Heaven and earth, Must I remember? 4-
「……お兄ちゃん」
フィオーレは俺の目の前に立ち、泣きそうな顔をしていた。よく見れば隣にルーチェもいて、戸惑いと心配の表情を俺に向けている。
二人とも移動中に送っておいたメールを見て、急いで変身して駆けつけてくれたのだろう。
だが絶望のエンブリオのことまでは伝えていなかったから、俺の身に何が起きていたのか知らないのだ。二人から見れば、俺が何か攻撃を受けて苦しんでいたように見えたかもしれない。
……まあ間違ってはいないが。
一方で、何が起きていたか知っている組の二人は対照的だった。
ステラは相変わらずの無表情ながら、どこか安堵の色を浮かべている。チェーロは眉をひそめてやや複雑な面持ちだが、口許は微笑んでいる。
そのチェーロの表情で俺は状況を理解した。チェーロも覚悟を決めたようなことを言っていたとはいえ、やはりフアンダー化した人間と戦うことに抵抗があったのだろう。
そう、俺はフアンダーにならなかったのだ。
「そんな、どうして……?」
震えた声で呟いたのはシスター・ポプレだった。
「絶望のエンブリオでフアンダーにならない人間なんて、存在するはずが……!」
ヒステリックな声。狼狽した仕草。はじめに見せていた、人を小馬鹿にするような余裕はもう剥がれ落ちている。
一瞬とはいえ、自分がこの女をまるで女神か何かのように感じたのが信じられなかった。あれもまた絶望のエンブリオの効力だったのだろうか。
絶望のエンブリオは間違いなく俺をフアンダーにしようとした。俺の意識はあと一歩というところまで飲み込まれていた。
なのに最後の最後、紙一重のところで俺は何かに守られた。
光輝く種。そんなイメージを持つ何かが俺をギリギリのところで踏み止まらせた。
結果として良かったのかどうかは難しいところだ。当初の作戦から言えば、成功したのは絶望のエンブリオの残弾を減らすという点だけだ。もう半分は失敗と言える。
俺に絶望のエンブリオが効かないとなれば、ポプレは俺をフアンダー化することを諦めるはずだ。それは、フアンダー化した人間との戦いを経験して今後に備えるという目論見が成立しないということを意味する。
いっそ、ポプレをわざと見逃して犠牲者を待つか?
そんな考えが一瞬頭を過ぎる。
チェーロに視線を送る。彼女は俺のそんな考えをすぐに察したらしく、苦笑いを浮かべながら首を横に振った。
わかってるさ、もちろん。
絶望のエンブリオの餌食になる。それがどれだけ苦しく辛いことなのか、俺は身をもって味わった。たとえどんなに合理的な攻略法だとしても、無関係な人間を故意にあんな苦痛に晒すことは、許されることではない。
ふぅぅ、と深く深く息を吐き出す。絞り出すように、肺が空っぽになるまで。
それから体の力を抜くと、限界まで萎んだ肺が一気に膨らみ、新鮮な空気を目一杯取り込んだ。
よし、切り替えだ。
フィオーレ、ルーチェ、チェーロ、ステラ。ここには四人のフェアリズムがいる。俺がするべきことは変な策を弄することじゃなく、この子たちの力を信じることだ。
「シスター・ポプレを倒そう」
四人のフェアリズムたちに告げたのは、作戦でもなんでもないシンプルな結論。だがそれが一番良いことのように思える。
ここでポプレを倒せば、少なくともポプレの持つ残弾は使わせずに済む。
恐らく別のシスターがまた絶望のエンブリオを持ち出して来るのだろうが、フェアリズムたちにはそれまでにどうにかして人間と戦う覚悟を持って貰えばいい。
ポプレの様子を伺う。そこにはもう余裕の笑みは無い。下唇を噛み締め、怒りと焦燥感に満ちた目で俺たちを睨んでいる。
四人のフェアリズムに囲まれ、俺には絶望のエンブリオが効かない。ポプレにはこの状況を打開する手立てが無いのだろう。
だがこっちは容赦してやるつもりは無い。まずはフェアリズム四人の分担決めだ。
「チェーロは中衛、引き続き屋上の封鎖を最優先にしつつ全員のサポートを頼む。立ち位置はなるべく俺の近くだ」
「うん、任せて」
「ステラは前衛、思い切りかましてやれ」
「……了解」
二人ともすぐに頷いてくれる。
一方フィオーレとルーチェはその光景をポカンと見ていた。会ったばかりの二人が俺の指示で戦おうとしていることに驚いているのだろう。
「ああ、リョウくんにはぼくがリーダーをお願いしたんだ」
すかさずチェーロが助け舟を出してくれる。二人もそれで合点がいったようだ。チェーロは本当に気が利くヤツだ。
「ぼくは《五大の風》のフェアチェーロ。二人とも、よろしくね」
「あたしは《五行の火》のフェアルーチェ。……その、仲間、なんだよね?」
少し戸惑い気味にルーチェが尋ねた。ルーチェ――光って、勝気で男勝りでいかにも押しが強そうなのに、意外と初対面とか久々の相手に対して慎重なところがあるよな。
あ、でも変身してるからわからないだけで顔見知りだったりするのかな。全員中等部二年だし、優は生徒会副会長だからな。
「もちろん! よろしくルーチェ。それから――」
「わ、わたしは《五行の木》のフェアフィオーレです。よろしくお願いします」
フィオーレはまるでお得意先に挨拶するサラリーマンみたいに、畏まって深々と頭を下げた。
その様子にチェーロは吹き出しそうになりながら、
「リョウくんと逆だね」
と、悪戯っぽく笑った。さっき俺が自分を『フェアフィオーレの兄』と紹介したのを憶えていたのだろう。
まあそりゃあ、俺と違って桃は礼儀正しいからな。
「……《五大の地》、フェアステラ」
ステラもボソボソと自己紹介をした。フィオーレとルーチェはそんなステラの態度に少し困惑しながらも、笑顔で頷く。
俺は二人の反応に内心ホッとした。ステラは感情表現が希薄だから初対面では誤解されやすそうだけど、決して悪い子じゃないと思う。……なんて、まだ会って一時間も経ってない俺が言うのもなんだけどさ。
「それじゃ自己紹介も済んだようだし、担当割の続きだ。ルーチェはステラと一緒に前衛を頼む、言わば切り込み隊長だ。思いっきりぶん殴ってやれ」
「オッケー、特訓の成果を見せてあげる!」
ルーチェはバキバキと指を鳴らし、肉食獣めいた好戦的な視線をポプレに向けた。最近部活に精を出していたおかげか、ケヤキのフアンダー戦の時より自信に溢れている。
他の三人は変身すると少し派手になって、可愛らしさも増した印象を受ける。でもこうして見るとルーチェはその逆だな。変身前は一番イマドキの女子っぽい雰囲気なのに、変身後は質実剛健の女武人のオーラを纏ってる。燃えるような緋色の髪も、ビーハンに出てくる獣人族の拳闘士みたいでカッコいい。
「……どうしたの両兄?」
ルーチェが不思議そうに俺の顔を覗き込んできて、俺は我に返った。
いかんいかん、いつの間にかルーチェの立ち姿にマジマジと見入ってしまっていたようだ。
慌てて視線を逸らそうとしたが、時既に遅し。ルーチェはまるで子供の悪戯でも見つけたかのように、ニヤリと口角を上げる。
「なになに、もしかして両兄ってばあたしに見とれてたの? そんなにあたしって魅力的?」
ぐぬ。
ルーチェは冗談っぽく茶化しているが、図星だっただけに返答に困る。もちろん女の子としての魅力もあると思うけど、それ以上に戦士として――いやでもこれ言ったら怒らせそうだな。
とはいえしかし、高二の俺が中二の女の子に見惚れてたなんて言って、変な誤解されたらマズいぞ。そうだ、俺は高二だ。三歳も年上なんだ。よし、ここは変に誤魔化すんじゃなく、年上らしい余裕の態度で正面突破だ。
「そうだな、ルーチェは魅力的だと思うよ。だからもっと格好いいところを見せてくれよ」
――決まった。完璧だ。
素直に褒めつつ、自然と激励に繋げる。見事な会話術だ。
なんて手前味噌を並べていたのも一瞬のこと。
「へ……?」
「ふぇ……」
「むっ」
「…………」
四人の表情がそれぞれに変わった。ルーチェは目を見開いて頬を髪と同じ真っ赤に染めてるし、フィオーレは少し青ざめたショック顔。チェーロは憮然としてる。ステラは眉を顰め、まるで汚らわしいものでも見るかのように俺を睨んでる。
……しくじった。あくまで客観的な意見のつもりだったんだが、下心があるとか誤解されたのだろうか。
ううむ、この年頃の女の子は難しい。変に異性として警戒されたらマズいな。もちろんリーダーの立場に拘りは無いんだけどさ。任命された当日にクビってのは流石にちょっとな。もう少し事務的にやろう。
「フィオーレは後方支援だ。負傷者が出たら回復を頼む」
「…………」
俺の指示に、フィオーレは何の反応も返さなかった。聞こえてて無視しているというよりは、上の空でそもそも耳に入っていない様子だ。
「フィオーレ?」
「あっ、え、うん……ごめん、聞いてなかった」
そう言って頭を掻くジェスチャーをしたフィオーレは、どこかよそよそしい苦笑を浮かべている。
マズい、まさかフィオーレ――桃にまで変な警戒されてるのか。まあ光は桃にとって大事な親友だもんな……。
だがこれで謝ったりすると、かえって誤解を悪化させそうな気がする。とりあえず今はポプレ戦に専念。誤解は後で解こう。
「フィオーレはチェーロと一緒に俺の近くに立って攻撃よりも防御を優先だ。チェーロと俺が攻撃を受けないようガードを頼む。それからもし誰かがダメージを負った場合にヒーリングブルームで直ちに回復だ」
「……うん、わかった」
今度はきちんと返事をしてくれた。みぞおちの高さでグッと両拳を握り、気合を入れる。
よし、ヒヤヒヤしたけど大丈夫そうだ。さあポプレ、覚悟してもらうぞ。
「よし、作戦開始だ」
俺は高らかに宣言した。
だが俺はこの時、決して失念してはいけないことを失念してしまっていたのだ。
話数追加(14/04/07)




