第一四話 絶望のエンブリオ1 -Heaven and earth, Must I remember? 1-
「行くよ、ステラ!」
「……わかった」
ポプレに向かって一直線に進んでいた二人は、チェーロの合図で二手に分かれた。
ステラは左、チェーロは右。弧を描くように左右から回り込む。
「たぁっ!」
「あらぁ?」
ポプレに肉薄したところでチェーロが動きを急転。垂直に飛び上がる。
チェーロの動きに釣られてポプレは宙を見上げた。その直後に、
「……隙あり」
「きゃあっ!」
ステラがポプレの背中に強烈な拳打を見舞う。その瞬間、まるで空間そのものが弾けたかと思うほどの爆発的な衝撃が生まれて、ポプレの身体を弾き飛ばす。
ただのパンチであんな吹っ飛び方をするはずがない。あれがステラの力なのか?
「ナイス、ステラ!」
宙に飛び上がっていたチェーロは相棒に称賛を送ると、空中で姿勢を変えて何も無い空間を蹴った。するとその一瞬だけそこに薄緑の光を伴った空気の対流が生まれ、チェーロの身体を押し返す。
風の壁を思い切り蹴ったチェーロの身体は大きく方向転換。向かう先はステラの一撃でまだ宙を舞っているポプレだ。
それはさながら、ビーハンで俺が使っている剣聖の二段跳躍を思わせた。思わず握り締めた拳に力が入ってしまう。
「行くよ、五大の風のエレメントストーン! チェーロ・エリアルソード!」
チェーロは猛烈なスピードでポプレに迫りながら叫ぶ。すると再び薄緑に光る風が生じてチェーロの右手に絡みついた。次の瞬間には、折り重なった風が一振りの緑色の剣となって、チェーロの右手に握られていた。柄から垂直に伸びた幅広の刀身は見た目五、六十センチ程度とやや短い。その形状は一般に――いや一般かどうかはわからないが、ビーハンではカッツバルゲルと呼ばれる、ショートソードの一種だ。
「天空剣キュリオシティ……破邪崩滅斬っ!」
空中で体勢を整えられずにいるポプレに、チェーロが振り下ろしたカッツバルゲル――いや天空剣キュリオシティが交叉する。
……恥ずかしいなこの名前。
だがキュリオシティはポプレの身体を両断するには到らなかった。ポプレの身体に触れた瞬間、刀身は砕け散るように消滅してしまったのだ。
しかしチェーロに動揺は無い。
ポプレより一足先にフェンス際に着地したチェーロは、自信に満ちた軽い笑みすら浮かべている。
そしてポプレの身体は――まだ宙にあった。
「きゃああぁぁぁぁっ!」
ポプレの悲鳴が上がる。
爆散したと思われたキュリオシティは無数の風の刃へと変化し、まるで一つ一つが意志を持っているかの如くポプレに襲い掛かる。無数の刃はポプレを覆い尽くすと旋回しながらその身を刻みつけ、最後にさながら竜巻のように渦を形作って消えた。
ドサッと鈍い音をたて、ポプレの身体がバルコニーの地面に叩きつけられた。
ポプレは糸の切れた人形のように倒れたまま、起き上がる様子が無い。ただ、あれだけの攻撃を受けていながら、ローブには破れた穴の一つも無いのが不気味といえば不気味だった。
思ったより呆気なかったな。絶望のエンブリオを持ち出される前に決着がついて良かった。
内心でそんな安堵をした俺だったが、すぐに考えを改めた。チェーロとステラ、二人のフェアリズムは緊張感のある面持ちで、未だに戦いの構えを解いていなかった。
「悪いけど、油断させようってつもりなら無駄だよ」
「……騙されない」
二人は地に伏したポプレに口々に言葉をぶつける。
するとそれに反応するかのように、ピクリとポプレの指先が動いた。
「ふ、ふふ、うふふ……」
ゆらりとポプレが起き上がる。
その時俺は初めてポプレの姿をはっきり近くで見た。外見年齢は二十歳前後だろうか。一見すれば妖艶な美女に見える。だがその瞳には爛々とした狂気が宿っていた。
その原動力は憎悪、あるいは愉悦。いや、それを一言で的確に表すことは難しい。ただ何がしかの狂える情動がこの女を動かしているということだけは伝わってくる。『人が破滅するところを見たいだけのイカレた女』――螢がそう言っていたのが、改めて理解できた。
「乱暴ねぇ……痛いじゃないのぉ」
息は上がっているし、足元もおぼつかない様子。着実にダメージは与えられている。だというのに、ポプレからは苦しさや恐怖といったものは伝わってこない。まるで痛覚などというものは存在しないのだと言わんばかりに、ルージュを差した唇でニタリと笑ってこちらを見ている。
「それじゃあ今度はこっちからいくわぁ。おいでぇ、フアンダー!」
ポプレはフアンダーを呼びつけた。背筋に嫌な悪寒が走る。
まさか、既に生徒がフアンダーにされてたってのか!?
だがその予想は、頭上からのけたたましい振動音にかき消された。
空気を猛スピードで打ち付けるバルルルッという音は、雷雲の轟きを思わせる。俺は最初その音をヘリコプターだと推察した。だがその音の主が上空からゆっくりと降りてきた時、それは誤りだったと思い知らされた。
同時に本能的な恐怖が全身を支配し、全身の毛穴という毛穴から汗が吹き出す。
フェアリズムとポプレとの間に降り立ったそいつは、体長二メートルはあろうかという巨大なスズメバチだった。
ビーハンにも《グールワスプ》や《デビルホーネット》という巨大蜂型のビーストがいる。しかしそいつらは仰々しい名前をしているものの比較的雑魚の部類で、序盤のレベル上げや素材集めのターゲットでしかない。怖いと感じたことなんて無かった。
だが画面越しじゃなく目の前で対峙した巨大蜂は、怖いなんてレベルを遥かに超えている。意識や感情が怖がる前に、全身が萎縮してしまっている。
まるで鋼板のように硬質な輝きを放つ体表は黄色と黒で構成され、無条件に恐怖と警戒心を掻き立ててくる。それに攻撃的なフォルムの大顎。毒針なんか使うまでもなく、その顎だけで人間なんか一瞬で噛み砕いてしまいそうだ。全身が殺戮と捕食のために研ぎ澄まされている。もはや完全にモンスターの部類だ。
俺がヘリコプターの駆動音と勘違いしたのは、猛スピードで振動する巨大な翅が空気を叩く音だった。ビリビリと空気の振動が全身に伝わってきているような感覚が、恐怖感をさらに強める。
「フアンダァァァァ!」
スズメバチ――いやフアンダーは、腰を曲げて下腹部を突き出し、顎をぐわっと開いて野太い声で叫んだ。同時に尾の先端から鋭い針が伸びる。
どこを見ているかわからない巨大な黒い複眼が、ぼうっと赤い光を宿す。その光景は俺の脳に原始的な恐怖を叩き込んでくる。爪先から頭のてっぺんまで、体が自分のものじゃなくなってしまったみたいにピクリとも動かせない。
「……チェーロ、これ任せていい?」
ステラが静かに呟いた。そのあまりに淡々とした声に、俺も多少の落ち着きを取り戻す。
歳下の女の子が冷静に対処しようとしているのに、俺がビビッてる場合じゃ――って、
「……虫は、ダメ」
ステラは表情こそポーカーフェイスを崩していなかったが、顔色は蒼白。おまけに頬を汗が伝っている。俺とはまた違った意味で恐怖に囚われているのは明らかだ。
一方で、
「うわ、見てよリョウくん! このフアンダーかっこいい、ハチだよハチ。デビルホーネットみたい!」
チェーロは無邪気にはしゃいでいた。お前は小学生男子か。
だがこの状況では、そのチェーロの無邪気さが救いだ。どうやら昆虫嫌いと思われるステラには、十全の動きを期待するのは酷というものだ。
「さぁ、やっちゃいなさぁい」
「フアンダァァ!」
ポプレの号令に応じるかのように、羽音の音程が微かに変わった。
その次の瞬間、フアンダーは顎をぐわっと広げて猛烈なスピードでこちらに突進してきた。
だが、
「させないよ、チェーロ・エリアルシールドッ!」
チェーロがそれを阻む。突き出した両手の前に緑色の光を伴った空気の壁が生まれ、空気の盾の名に相応しくフアンダーの顎を受け止めていた。
フアンダーは顎や毒針で突破を試みるが、厚い空気の壁がその全てを弾き返す。
チェーロの攻撃能力の高さはさっき見せてもらったが、防御能力もまた相当なものだ。というより、フェアリズムの能力を使いこなしているように見える。まるで、数々のスキルを自在に操る卓越したビーハンプレイヤーである風魔導師のユウが、そのままゲームから抜け出してきたような錯覚すら覚える。
「フアンダァァ……」
フアンダーは恨めしそうな声を上げ、チェーロから一旦距離を置いた。バルルッという羽音をけたたましく鳴らしながら、高度を上げていく。
その姿を目で追いながら、チェーロは不敵に笑った。
「ふふん、空を飛べばぼくの攻撃が当たらないとでも思った?」
右腕をフアンダーに向かってかざす。するとその周りに緑色の風が集まっていく。
「たあっ!」
チェーロが右腕を振りぬくと、纏わり着いていた風は何本もの短剣の形に姿を変え、フアンダーを襲う。
「フ、フアッ……!?」
驚きの悲鳴を上げて急旋回するフアンダー。チェーロの攻撃はギリギリのところで避けられてしまったが、牽制としては十分な効果があった。フアンダーはチェーロを警戒するように、さらに高度を上げる。
流石に距離があるとチェーロの攻撃も当たりにくくなるだろう。しかし飛び道具を持つチェーロと、顎と毒針を武器とするフアンダー。どちらに分があるかは明白だ。向こうも飛び道具を持ち出してこない限り、チェーロの優位は揺るがない。
いや、待てよ。スズメバチには飛び道具が無い……本当にそうだったか?
スズメバチって、確か――!
「チェーロ、気をつけろ! スズメバチには毒液噴射がある!」
「え……ッ!?」
チェーロが咄嗟に飛び退く。
ほぼ同時に、フアンダーの毒針の先端から放たれた紫と緑が混じった毒々しい色の液体が、一瞬前までチェーロがいた地点に浴びせられた。
毒液がかかった床はシュウシュウと音を立てて腐食する。普通のスズメバチの毒にそんな腐食性があるという話は聞いたことがない。フアンダー化したことで毒液の性質が変化しているのかもしれない。
「あぶなかった……。助かったよ、リョウくん」
「ああ、少しでも役立ててよかった。変身できない俺は基本足手まといだからな」
「何言うのさ、リーダー」
「リ、リーダー……俺が?」
「うん、リーダーでも司令でも隊長でも何でもいいよ。さっき言ったよね、リョウくんが指示を出してくれたら、きっとぼくも思いっきり戦いに専念できるって」
「いや、ちょっと――」
「ぼくの五大の風のエレメントストーンの力は風、ステラの五大の地のエレメントストーンの力は電磁気力。さあ、リョウくんがぼくたちの力を使いこなしてフアンダーとポプレを撃退するんだ」
チェーロは俺の意見も聞かず、勝手にどんどん話を進めていく。でもその口調は冗談やおふざけには聞こえない。
本気で言ってるのか、こいつ。
俺が……リーダー?
「イオアン討伐の打ち合わせをしてる時にね、ぼくはワクワクしたんだ。きっとリョウくんならぼくの力をもっと引き出してくれるって。だからリョウくんはビーハンのボス攻略のつもりで指示を出して。ぼくは――この風の戦士フェアチェーロは、それに応えて見せるから!」
こいつ真面目も真面目、大真面目だ。
俺は半ば助けを求める気分でステラに視線を送る。
しかしステラは俺と目が合うや首を横に振って、
「……チェーロがこうなったら、説得は無駄です。不本意ですが、ステラもあなたの指示を仰ぎます」
溜息混じりに呟き、「……いやらしい指示を出したら殴りますけど」と付け加えた。
その態度から、チェーロとステラ――いや優と麻美には、単にフェアリズムの仲間だという以上の信頼関係があるのだと伝わってくる。親友同士であるフィオーレとルーチェ――桃と光の間に強い絆があるように、この子たちもまた強い友情で結ばれているのかもしれない。
正直言って俺が下手に口を出すより、二人の連携に任せた方が戦いやすいと思う。でもそんなこと、チェーロだってわかっているはず。承知の上で俺に指示を委ねようとしているんだ。
待てよ、俺たちはちょっと一緒にゲームしただけの間柄だぞ?
そりゃビーハンは散々やりこんでるからそこらのプレイヤーより上手い自信はある。知識や咄嗟の判断だって攻略本なんかに頼る必要のないレベルだって自負してる。でもそれはビーハンの中での積み重ねがあるからだ。現実の、初めて見るフアンダーとの戦いとはまるで違うじゃないか。
それにビーハンなら負けても再挑戦すればいいだけだ。しかしこの戦いはいろんなものが懸かっている。ここでポプレを撃退できなかったら朝陽の生徒がフアンダーにされてしまう。いや、そもそもフェアリズムが負けてしまったら《組織》にエレメントストーンを奪われてしまう。
そんな負けてはいけない戦いを、ちょっとゲームが上手い程度の理由で俺が指揮するってのか?
――いや、待て。そもそも、その『負けてはいけない戦い』をこの子達はしてきたんだ。そしてこれからもしていかなきゃいけない。
桃、光、優、麻美……変身する力を持ってるって言ったって、みんな心はごく普通の中学生の女の子だ。
そうだ、桃が初めて俺の前で変身した時、俺が真っ先に感じたのは憤りだった。
普通の女の子がどうして戦わなきゃならないんだ、どうして重い運命を背負わなきゃならないんだって。
ああもう、くそったれ。
ゴチャゴチャ考えるのはやめだ!
「わかった、俺たちであのフアンダーを……それからシスター・ポプレを撃退するぞ!」
俺の宣言に、チェーロは満足げに微笑んだ。
ステラは相変わらずの無表情で何を考えているかはわからなかったが、そのかわりに頷いてくれた。
やってやるさ。
リーダーだ指揮だなんて気負う必要は無い。
フェアリズムたちが背負った戦いの運命、その重圧を俺が軽減してやる。
表現調整(14/03/04)
話数追加(14/04/07)
表現調整(14/04/28)




