第一一話 黒沢螢 -Sys-Ter DIAbetes mellitus-
「あれー、両太郎くんどうしたの? 桃ちゃんに用事?」
校舎裏を歩いていると、不意にそんな間の抜けた声で呼び止められた。
振り向けば、ダボダボの白衣を羽織った小柄な女性――担任教師である香月絵美がキョトンとした顔でこっちを見ている。
「エミちゃんこそなんでこんなところに?」
疑問はお互い様だ。
今俺たちがいる場所は朝陽学園の校舎横。それだけなら俺たちが出くわすのに何も不自然は無い。ただ、「中等部の」という前提条件が加わると話が変わってくる。高等部の生徒である俺にとっても、同じく高等部の教師であるエミちゃんにとっても、近いようで縁遠い場所であるはずだった。
「うん、ちょっと中等部の科学準備室に用事あってねー。両太郎くんは?」
「ん、えっと……人探し? かな」
「ふぅん……」
自分でも微妙な返答をしてしまったと思うが、エミちゃんは納得したようなしていないような奇妙な顔で頷いた。それからすぐに口許をニヤリと歪めて、
「女子中学生追い回すのもほどほどにねー。浮気ばっかりしてると桃ちゃん泣いちゃうからね」
「あんたもかよ!」
果てしない脱力感。もはや怒りを通り越して呆れるしかない。どうして俺の周りはこんなに歪んだ発想の人間ばかりなんだ……。
そもそもエミちゃん自身が女子中学生と間違われても仕方が無いくらいのちんちくりんのくせに。
「探してんのは男子だ男子。……多分」
「え、両太郎くん男子もオッケーな人?」
「そろそろ怒るぞ」
「大丈夫大丈夫、桃ちゃんには内緒にしてあげるから。あはは、それじゃーねー」
どこまで本気かわからない危なっかしい発言を残し、エミちゃんはひらひら手を振りながら通用口から中等部校舎に入っていく。まったくとんでもない教師だ。あれで他の教員やPTAからはしっかり信頼されているのだから、世の中とは一体どうなっているのか。
ともあれ、俺は気を取り直して中等部来訪の当初の目的――イオアンとの戦いを救援してくれた風魔導師のユウに会うこと――を果たすことにした。
あの後梶のサイクロプス・アローを起点に三人で全力攻撃を叩き込んだが、結局イオアンを倒すには到らなかった。あとほんの少しというところまで追い詰めたものの、そこでイオアンの行動パターンが変化し《憤怒》状態から超威力の範囲攻撃を放ってきた。俺・梶・ユウの三人とも初めて見る攻撃を避けることができず、一撃であっけなく全滅してしまったというわけだ。
その後俺たちはホームタウンに戻って三人で軽くチャットをした。聞けば、ユウもまた鉄板構成のパーティ狩りには魅力を感じず、もっぱらソロプレイ専門だという。俺たちは少人数で難関ステージを攻略するという共通のスタイルから意気投合し、後日トリオでイオアンにリベンジするという約束に到った。
時間があればその場でリベンジしたいところだったが、残念なことに梶が塾に行く時間だとかで脱落。梶はあんなふざけた奴だというのに、実は学校の期待厚い成績優秀者だったりするから理不尽なものだ。俺の周囲の人間は優秀になる代償に変態化する契約を悪魔と結んでるんじゃないか。
ともあれ、せっかく物理的に近い距離にいるのだからということで、とりあえず俺とユウで顔合わせをし、リベンジの日取りを相談することになった。
しかしいざ会う段になって、ユウから中等部の生徒だと言われた時には驚いた。朝陽はそこそこの進学校で、特に中等部はやや固い雰囲気がある。学生自治が認められた部室棟を持つ高等部ならともかく、中等部で校内にゲーム機を持ち込んでやりこみプレイをするような生徒は珍しい印象だ。
もっともそれ以上に、初めて組む相手の意図を瞬時に察して最適行動を取れるユウというプレイヤーに、俺はある種の畏敬の念を抱いてしまった。そのユウが自分より年下の中学生だということに、少し嫉妬しているのも自覚している。
一体ユウとはどんなヤツなのか。
待ち合わせ場所に指定されたのは校舎裏にある花壇の前。俺が中等部に在籍していた頃は誰にも手入れしてもらえず、荒れ放題で人の寄り付かないスポットだった。なんとなく男二人でゲームの話をするのに花壇の前というのもミスマッチに感じるが、人目を避けるという意味では最適な場所なのかもしれない。
そんなことを思いながら歩き続け、生徒玄関を過ぎ第二通用口を過ぎ、校舎の端に辿り着いて右折。すると俺の想像とは真逆の光景が目に飛び込んできた。
花、花、花。俺の記憶の中では雑草が生い茂っていた花壇が、今は花で埋め尽くされている。一見するとありきたりな緑色の植物だが、一番上の葉だけが真っ白だったり真っ赤だったり、他の葉と異なる色をしている。そしてその葉のさらに先には、黄色や白の星型の花弁が寄り集まって咲いている。まるでハンカチを広げて地上に降る星を受け止めようとしているような、なんとも奇妙で可愛らしい花だ。
花の名前はさっぱりわからないが、少なくとも雑草には見えない。きっと俺たちの学年が高等部に上がった後、誰かが花壇の世話をするようになったのだろう。
その花壇のそばに、一人の女子生徒の姿があった。中等部女子の制服を着たその少女は、しゃがみ込んで花を眺めているせいで、艶やかな長い黒髪の先で地面を擦りそうになっている。こちらからは横顔しか見えないが、色白のほっそりした顔立ち、眼鏡越しに草花を慈しむような瞳、スッと整った鼻筋、桜色の薄い唇、まるで正統派美少女とはこういうものだといわんばかりの佇まいだ。
まさか、この子がユウ……なのか?
予想外の状況に困惑してしまう。確かにユウのアバターは女性アバターだったし、女子がゲームをやるのがおかしいとも思わない。しかしビーハンはどちらかといえば荒事が好きな男子ゲーマーに受けているタイトルだ。目の前の物静かな文系少女といった雰囲気の、どこか浮世離れした女の子とはあまりにイメージが噛み合わない。
それより……あれ……?
一瞬、頭のどこかで引っかかるような感覚があった。
初めて見たはずの少女の顔――表情に、どうも何故か既視感がある。いつどこだったかは思い出せないが、俺は確かにこの子を見たような気がする。
「あの……」
「――っ!」
「え?」
とりあえず尋ね人なのかどうかを確認するため声をかけてみたところ、彼女はゆっくりとこちらに振り向いて、そして俺と目が合うや否や急激に顔色を変えて立ち上がり、まるで襲撃者に相対するかのように身構えた。少し青ざめたその表情には、思わず息を呑んでしまうほどの敵意が宿っている。
「っと、いきなり声かけてごめん! 驚かしたなら謝る!」
慌てて謝罪する。人気の無い校舎裏で女の子にこんなに身構えられてしまうと、まるで俺が不埒な行為に及ぼうとしているように見えてしまうじゃないか。誰かに見られたら厄介だ。
「……?」
謝罪を理解してくれたのか、少女から敵意が霧散した。そのかわりに今度は何故か戸惑いの色が強く出る。その困惑した表情にもやはり既視感がある。
「えっと……ユウ、じゃない……よな?」
「ユウ……?」
「うん、ごめん人違いだ」
やはり彼女はユウとは無関係で、たまたまここにいただけだったようだ。ってそりゃそうだ、こんな子がビーハンプレイヤーなわけが無いって少し考えればわかるじゃないか。それにしても俺、なんかこの子に謝ってばかりじゃないか?
「…………」
「…………」
無言のまま、しばし少女とお互いに顔を見合わせてしまう。というより一方的に探るような目でジッと睨まれていて、俺は目を逸らすこともできずにいるだけだ。
うわー睫毛長いなーなんて呑気なことを考えていたら、
「……そう、わたしを追って来たわけではないのね」
少女が静かな、それでいてよく通る声で言った。その声色には表情と同じように、安堵のような呆れのような複雑な心情が見え隠れする。顔だけじゃない、その声にもどこかで聞き覚えがあった。
「あの……どこかで会ったっけ?」
独り言なのかとも思ったが、さっきからの既視感の正体を知るタイミングは今しかないと判断。思い切って訊いてみる。我ながらナンパしてるみたいなセリフになってしまったが、そこは気にしないことにした。
すると少女は「はぁ」と深く溜息をこぼす。
「呑気なものね……。自分を殺しかけた相手の顔くらい憶えておくことを勧めるわ」
「え……?」
大人しそうな少女から、ぎょっとするほど物騒な発言が飛び出した。
自分を殺しかけた相手――? 俺がこの子に殺されかけた――?
って、ええ!? それじゃあ、まさか……!
「ダイア……シスター・ダイア!」
「大声を出さないで! ……今日はあなたたちと戦うつもりは無いわ」
少女、いやエレメントストーンを狙う《組織》のシスターの一人であるダイアは、いかにも面倒くさいといった顔で言った。その眉を歪めた表情を見てようやく俺も、先日死闘を繰り広げた相手と目の前の正統派美少女とが同一人物なのだと理解する。
正直言われなければわからなかった。っていうか変わりすぎだろ!
確かによくよく考えてみれば顔も声も同じではあるのだが、印象が違いすぎる。戦った時はもっと「オーッホッホ!」とか高笑いしそうなキャラだったくせに、実はこんなもの静かな美少女なんて一面があるとは。女って怖い。
「戦うつもりは無いって、だってお前」
「……そうね。わたしはあなたを殺しかけた。あなたには復讐の権利も正当性もあるわ。そんな相手に戦うつもりが無いと言われても納得いかないわね」
そんな寂しげな言葉を口にしながら、ダイアの表情は逆に安堵の色が見えた。まるで疑われたい、拒絶されたいと願っているかのような態度だ。
だが、悪いがそんな願いは聞いてやれない。
「いや、過去の話はいいよ。ひとまずそれは気にしないことにした」
「え?」
ダイアは心底驚いたという表情を見せる。うん、まあ驚くよな。そりゃ当然俺だって、冗談抜きで殺されかけた相手に対して色々思うところはある。でもそれは二の次だ。今の俺が考えなきゃならないことは過ぎたことじゃなく先のこと、フェアリズムと《組織》との戦いにおいてどういう立場で何をすればいいのかということだ。
こうして敵側のシスター・ダイアと言葉を交わすチャンスを得たことは、答えを見つけるためのヒントになるかもしれない。敵として糾弾するのも、恨みをぶつけるのも、そのあとで十分だ。
「というか、気にしたとしても変身できない俺じゃお前をどうこうするのは無理だ。だからお前に戦う気がないならその方が俺は助かる」
「……それを馬鹿正直に敵のわたしに言うのは賢明ではないと思うのだけど」
「だって戦う気が無いんだろ?」
「嘘だとは思わないの?」
「思わないな。お前が俺にそんな嘘をつくメリットを感じない」
「そうかしら? 例えば今、わたしはエレメントストーンを見つけて持ち去ろうとしている最中かもしれないでしょう? 無駄な戦闘を避けた方が好都合だわ」
ダイアの主張は理屈的には正しい。しかし支離滅裂だ。「自分のことを疑え」と俺に言っているようなものだ。戦う気が無いという自分の発言を、果たして信じさせたいのかさせたくないのか。
いや、違うな。こいつは自分が疑われて当然だと思っている。俺が自分の話を信じたということを、自分自身が信じられずにいるんだ。なんて面倒くさいヤツ。
でも、ひょっとしてこいつ――。
「無駄な交戦を避ける、ね。もしこの場にフェアリズムもいたならその通りかもな。でも戦闘力の無い俺一人が相手ならさっさと一撃食らわせて黙らせた方が早い。なのにお前はそうしていない。それは何故だ?
そもそも急いで撤退しようとしてる奴は、呑気に花を眺めたりしないし、わざわざ正体をバラしたりしない」
「っ!」
呑気に花を眺めたり、のとこでダイアが僅かに肩を震わせた。よく見ると、少し頬が紅潮している。もしかしてこいつ、草花が好きだと思われるのが恥ずかしいのか? 意外と可愛いところが――ってそんな場合じゃないな。
「恐らくだが、お前はここから去ろうとしているんじゃない。ここに居ようとしているんだ。わざわざ中等部の制服まで用意していることから考えるに、恐らく今この瞬間だけじゃなくこれから数日単位でな。だから今は余計な騒ぎを起こしたくない。違うか?」
俺が断言すると、ダイアは少しの間俺の目をジッと見返してきた。そしてフッと口許を綻ばせた。
「驚いた……その通りよ。大した洞察力だわ。あなた相手じゃ押し問答をしても無駄みたいね」
そう言ったダイアからは、張り詰めるようだった緊張感がスッと消えた。口許には微笑すら浮かべている。そしてその微笑は穏やかなもので、シスターとして対峙した際に見せた酷薄な笑みとは随分イメージが違う。どちらがこの子の本当の顔なのだろうか?
「それで、俺に何の話があるんだ?」
「……え?」
俺が話を切り出すと、ダイアはキョトンとした表情を見せる。こいつ、しらばっくれやがって。
「黙っていればバレなかったのにわざわざ正体を明かしたんだ。俺に何か話があるんだろ?」
「……そこまで察しがいいと、ちょっと気持ち悪いわね」
眉を顰め、眼鏡ごしに呆れた目を向けてくるダイア。歳下(?)の美少女に冷ややかな蔑みの視線を向けられると、流石に内心ちょっとショックだ。そういうのを喜ぶ特殊な変態が世の中にいるのは知っているが、生憎と俺は極めてノーマルな人間だ。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、ダイアは真剣な表情に戻って、
「……忠告よ。他のシスターがフェアリズムを狙ってる」
「他のシスター?」
「シスター・ポプレ。人間の絶望する姿を見るのが大好き、というイカレ女よ。そいつは絶望のエンブリオという種子を使って、この学校の生徒をフアンダーにして戦うつもり」
「生徒を……」
ダイアの言うことが事実だとしたら――いや十中八九事実だろう。ちょっとマズいな。桃も光も、たとえフアンダー化しているとしても人間相手に戦うのは躊躇してしまいそうな気がする。ましてやそれが顔見知りの生徒だったりしたなら動揺は避けられない。
少なくとも心の準備はさせておかなければならないだろう。
「どうしてそれを教えてくれる? 他のシスターといっても、同じ《組織》の仲間じゃないのか?」
「仲間だとは思いたくないし、思われたくもないわね。わたしとポプレは行動理念が真逆だもの。……まあ、あなたたちから見れば一緒かもしれないけれど」
「行動理念? お前やそのポプレって奴は、何か目的があって《組織》に所属しているのか?」
偶然にも話の流れが俺の訊きたかったことに辿り付いた。
俺が負傷したのを見て狼狽してみたり、救われない絶望の只中にいたフアンダーに憐憫の目を向けたり。ケヤキのフアンダーとの戦いの最中にダイアが見せたいくつもの表情は、その言動とは裏腹にどこか甘さや優しさが見え隠れしていた。
物事を単純な善悪で分けてしまって良いかどうかはわからないが、俺の視点で見た時、フェアリズムは善や正義の側に立っているように思えた。それに対する《組織》やシスターはどうなのかといえば、少なくともダイアに限って言えば、《悪役》に徹しきれないヤツなんじゃないか。それが俺の受けた印象だ。
「人間を絶望させて破滅に導く。ポプレにとってそれそのものが目的で、エレメントストーンも何もかもオマケに過ぎない」
「それじゃあ、お前は?」
「わたしは……」
ダイアの瞳から光が消え、表情からは喜怒哀楽の一切が失せた。そのかわりに、強い意志をたぎらせるかのように頬が強張り、眉根が引き締まる。
「わたしは、絶望によってこの世界の人間を救いたい」
「絶望で、救う?」
ダイアの口から飛び出したのは、矛盾しているとしか思えない発言。すぐにその言葉に込められた意味を理解することは難しい。ただダイアの真剣な表情から、決して俺をからかったりいい加減なことを言っているわけではないということはわかる。
「領土戦争や権力闘争……人と人の傷つけ合いを生み出す欲望は、『自分たちはより強く豊かになれる』という希望と表裏一体よ。希望は人を駆り立て、希望は人を裏切る。希望のせいで人は争い、希望のせいで人は嘆く。この世界に希望がある限り人間は傷つき続けるわ」
一言一言を噛み締めるような物言い。そこから暗に、ダイア自身がかつて希望によって傷つけられたのだということが伝わってくる。
「でもね、絶望してしまえば世界はとても優しい。全てを受け入れ、全てを許した絶望の先に、誰もが穏やかに暮らせる世界があるの」
「絶望してしまえば、世界は優しい……?」
「……この平和な国で生きているあなたにはわからないでしょうけれどね」
そう言ってダイアは自嘲気味に笑った。でもその直前に探るような、あるいはまるで縋るような目を向けてきたのを俺は見逃さなかった。いや見逃せなかった。だってそれは昔の俺自身の目だったから。
「わかるよ」
「え……?」
「俺にもわかる。全部じゃないかもしれないけど」
「……いい加減なこと言わないで!」
ダイアの華奢な身体から烈火のごとき怒気が放たれた。その言葉の先に続く「どうせあなたは本当の絶望なんて知らないでしょう」という疑念をダイアの全身が語っている。きっと今のダイアは安易に理解・肯定されるより、「わからない」という無理解・否定を望んでいる。
いや今だけじゃない。話し始めからずっとそうだ。彼女は悪意を向けられ、疑われ、否定されることを望んでいるかのような発言ばかりを繰り返している。それは裏を返せば、彼女が善意・信頼・肯定といったものを訝しみ、憎んでいるということに他ならない。
「……話を元に戻そう」
このまま正面から会話を続けても彼女を余計に頑なにさせるだけだ。そう判断した俺は、少し攻略法を変えることにした。
「そのポプレとかいうシスターが事を起こすタイミングは?」
ダイアは急な話題の変化に眉を顰めたが、彼女自身もそれを望んでいたのか軽く溜息をついて態度を和らげた。
「残念ながらわからないわ。だからわたしもわざわざこんな服を着てポプレを監視しているの。あなたのいる学校なのは想定外だったけれど、手間が省けたわ」
そう言ってダイアは視線を落とし、自分の着ている中等部の夏服を一瞥した。俺も釣られてダイアの視線の先を追う。
ブラウスのボタンを一番上まで留め、襟元のリボンは左右対称にまっすぐ結んでいる。スカートに至ってはあの桃ですら少し短く履いているくらいなのに、ダイアはきっちり校則通りの膝丈だ。その今時珍しいくらい几帳面な着こなし具合が、千鳥格子模様のベストやスカートに漂うややレトロな雰囲気と相まって、全体的に清楚な印象をもたらしている。当人は変装のつもりなのだろうが、眼鏡をかけているのもその物静かで理知的な印象に一役買っていそうだ。
率直に言って凄く似合ってるよな。あの胡散臭い黒ローブなんかよりよっぽど。
そんなことを考えていたら、
「ちょっと、何をジロジロ見てるの!」
眉を吊り上げたダイアに怒られた。怒りのあまりか頬が紅潮している。
確かに女の子の服装を凝視してしまったのは失礼だったかもしれない。
「いや、似合ってるなと思ってさ」
「なっ――!?」
ダイアの頬がますます赤くなる。もしかしてこれ、怒ってるんじゃなく照れてるのか?
「……本当に呑気な男。ポプレの情報を伝えたのはあなたやフェアリズムのためじゃなく、わたし自身がポプレを気に入らないからよ。別にあなたと馴れ合いをするつもりはないわ」
なんだかツンデレみたいなことを言って睨んでくるダイアの頬は、まだ少し赤い。
だがこいつ、まだ肝心なことに気づいていないようだな。
「つまり俺たちは敵同士、って言いたいんだな」
「その通りよ」
「一応言っとくと、フィオーレとルーチェもこの学校の生徒だからな? 敵視するのも馴れ合わないのも仕方ないが、あまり不自然な行動してるとバレるぞ。あの二人は結構本気でお前のこと怒ってるし」
ぐっ、とダイアが小さく呻いた。それからすぐに何かに気づいたように、
「その口ぶりだと、まるであなたはフェアリズムにわたしのことを黙っているつもりのように聞こえるけれど?」
「ああ、お前がその制服を着てる間は敵じゃない――少なくとも敵対行動はしないって約束してくれるなら、二人には黙っとくよ」
「……本気で言ってるの? そんな約束なんて何の拘束力も無いわ。わたしが反故にしたら、あなたの妹が不意打ちを受けるかもしれないのよ」
「お前はそんなことをしないさ」
「知ったような口を……」
ギリ、と奥歯を噛み締める音が聞こえた。ダイアは怒ったような困ったような顔で俺を睨んでいる。でも、俺の言葉を否定はしなかった。
「そんなことをしてあなたに何のメリットがあるの?」
「メリット? メリットか……何だろな」
「ふざけないで!」
「別にふざけてないさ。何ていうか、カンみたいなもんだよ。なんとなくそうするべきだと思ったからそうする、それだけだ。あとは……そうだな、強いて言うなら証明したいってとこか」
「証明?」
「さっき言ったろ、お前の『絶望は優しい』って考えが少しわかるってさ。それが嘘じゃないって証明したい。だからお前がその制服を着てる時だけは、敵であることをやめて一人の人間として話がしたい。だからフェアリズムには話さない」
「………………」
ダイアは眼鏡の奥で目を細め、少しの間俺の顔を観察するように睨んできた。やがてふうっと大きく息を吐いて、
「わかったわ。馴れ合いはお断りだけど、敵対はしないと約束する。ただし――」
「ただし?」
「あくまでこの制服を着ている時だけよ。ローブを纏っている時の、シスターとしてのわたしはあなたたちの敵。これだけは忘れないことね」
「肝に銘じるよ。それで、中学生としてのお前のことは何て呼べばいい?」
「え……?」
「ダイア、じゃマズいだろ。何か他に名前は無いのか」
俺の問いにダイアは少し逡巡し、
「……螢、黒沢螢。そう呼べばいいわ」
と名乗る。
黒沢螢。そのどこか儚げで神秘的な響きのある名は、たった今考えたにしては随分彼女の雰囲気とマッチしているように思えた。もちろんシスター・ダイアとしての彼女ではなく、あくまで今の姿が前提なのだが。
「わかった。俺は花澤両太郎、高等部二年だ。よろしくな螢」
「馴れ合いはお断りと言ったでしょう」
俺が差し出した手を、ダイア――いや螢は無下に振り払った。
「ただ人間を苦しめたいだけのポプレのやり口は許せない。けれどあなたたちも、わたしにとって邪魔者であることには変わりない。敵対しないとはいえ、わたしにとって最上のシナリオはポプレとあなたたちが共倒れすることよ。そうならないよう精々頑張ることね」
そう言い残すと螢は踵を返し、ゆっくりとした歩調で去って行く。
その後姿は落ち着き払っているというのにどこか儚く危うい印象があって、俺はしばらく目で追うことを止められなかった。
話数追加(14/04/07)




