新品のドレス
リリアは日の出前に目が覚める。
これはもう沁みついた習慣だった。
精霊達は微睡んだりどこかへ行ったりと好きなようにしているが、朝食が出来る頃には小屋に集まっている。
それが大体日の出すぐくらいの事だから、それまでに朝食の準備をしたり簡単な掃除を行うのだ。
しかし今日は違う。
村へは人が少ない内に向かうことになった。小屋の前で簡単な予定を共有する。
「ドレスは店にあるんです。あの……それで、精霊様方にはリリアが店に入る手伝いをしてほしく、存じます」
早めに村に入ってしまえば、後は誤魔化せるとブライアンは考えていた。
お祭りの日はどうだか知らないが、リリアも村の人が多くなるのは市場が開く時間だと知っているのでそれに異論はない。
ブライアンは精霊の視線にひるむが、なんとか口に出す。
精霊達がどの程度人間社会に詳しいのかは分からないが、下手に突っ込まれない内に言葉を重ねる。
「リリアは一度村から出た身です。俺たちの村は外に出た人間に厳しくて……。人気のない内に村に入る予定ですが、リリアは目立つんです。なので店の中でちょっとした小火を起こして人目を引きつけて頂きたくて……。リリアが森に来た理由は加護を得られなかったからなんです。なので協力、していただけませんか」
(それにしても、よくこんなにすらすら出てくるわね)
ブライアンの言葉全てが嘘というわけではないが、だからこそ真実味がある。
実際リリアは無加護だからと元々疎外され虐げられていたのだが、上手く理由がすり替わっている。
そもそも村の中でも特にリリアに暴力を振るっていたのはこのブライアンに他ならない。
自分にもこの世渡りの上手さがあればもう少し生きやすかったのかもしれない、とリリアは心の中でこっそり思った。
しかしブライアンの申し出に対して精霊の反応は冷たい。
「断る」
精霊王はもはや気だるげに、相手をするのも面倒といった風情だ。
視線も動かさず、まるで年齢を重ねた巨木のように泰然とリリアの側に在るだけだ。
ブライアンは完全にひるみ、自慢の口も回らないらしい。
「なぜお前如きの頼みを聞かねばならん。一介の人間が精霊を動かせるなどと思い上がるな」
「で、ですが」
「くどいねえ。あんたの頼みなんか誰も聞きゃしないさ。事情があろうがなかろうが、あたしらはリリアのいう事しか聞かないよ」
フォティアが牽制するように口を出す。
これ以上精霊王を刺激しないようにという、人間の近くにいた精霊なりの配慮なのだが、ブライアンの表情を見るにあまり通じていないようだ。
フォティアは内心少し呆れてしまうが、これだけの精霊を前に口を開けるだけ肝が据わっているのかもしれないとも思う。
「お願いよエレス。皆と花精霊祭を楽しむに力を貸してほしいの」
リリアがそういうとエレスは相好を崩す。
「もちろん。乙女の願いであれば断る理由もない」
精霊にとっては申し出の内容より誰が頼んだかの方が重要らしい。
精霊が気難しく、また気に入られたのがリリアで良かったとブライアンは改めて思ったのだった。
日が昇らない内に山を下り、リリアはエレスの力を借りてブライアンの家の屋根に待機する。
花精霊祭は全国の仕立て屋が一年で一番忙しいと言っても過言ではない時期だ。
当日の朝も、店中煌々と明かりが焚かれていた。
ずっと作業をしているのだろう。
屋根の上から村を見ると、道にこそ人通りはないが所々同じように明かりが灯されている家が見える。
ブライアン曰く、同じように祭で売る細工物を作っていたり準備をしているのだそうだ。
「じゃあ、ちょっとした騒ぎを起こしてくるよ」
フォティアが姿を消した数瞬後、やにわにブライアンの店の様子が騒がしくなった。
「今ね」
エレスに抱えられ、窓を使って店の中の仕切りが多い場所に潜り込む。
ブライアンが言うにはここは店の中で服を着替える場所、更衣室らしい。
誰かが来ても見つからないようにすぐさまカーテンをしっかりと閉じる。
フォティアは店の入り口の反対側の方で事を起こしてくれたようで、周囲には誰もいなかった。
「乙女、呼吸を忘れているぞ。落ち着いて息を吐いて、そうだ、いい子だ」
「すーっはーっ……。忍び込むなんてドキドキする事始めてだからついうっかり……ってなんでエレスまで入ってきてるのよ!」
「何故と言われても、乙女の側に在るのは当然の事だ」
「今から着替えるんですからね!? とにかく出て行……くのはだめね。姿を消してからカーテンの外側で待っていてくれないかしら」
「……まあ、すぐ横であれば構わないが」
不服と不思議がない交ぜになったような顔だが一応は了承し、エレスの姿が消えてふわりとカーテンが揺れた。
入れ替わりのように、ブライアンの声がする。
「リリア、今大丈夫か? ドレス持ってきた」
「ええ。ここよ」
カーテンから顔を出すと目の前にブライアンがいた。
その手にはたっぷりとレースが使われた布が見える。確かに、いつもの麻や木綿ではなく村の女の子が晴れの日に着ているような布地だ。
「もしかして、それが? すっごく高そうだわ。大丈夫なの?」
リリアが普段着ているものは着古し終わって後は雑巾にするか、という具合のぺらぺらのワンピースだ。
目の前のドレスの値段は全く見当もつかないが、村でもドレスはお下がりを繕いなおしたりする事が主で新しく仕立てる事は稀に思う。
「いいから先に着替えろ。早く出るぞ」
ぐいぐいと押し付けるようにリリアにドレスを渡し、外からカーテンを閉める。
「一人で着られるかしら。こんなちゃんとしたドレスは着た事がないわよ」
「コルセットは前編みタイプだ。後は全部リボンで留めるタイプだし平気だろ」
以前マチルダの着替えを手伝っていた時はあちこち留めたり締め上げたりと大変だった。
こんなものを一人で着られるのかリリアは不安だったが彼はそこも配慮しておいてくれたようだ。
「まあ……。すごいわね。これ」
薄い桃色のモスリンのドレスは控え目にデコルテを出し、スラッシュの入ったパフスリーブからは柔らかな布が覗いている。
やや高めのウエストからはふわりと広がるように布が展開され、その上からレースの布地がひらひらと揺れていた。
正直かなり気合の入ったドレスだ。
自分なんかにいいのだろうか、とリリアはつい尻込みしてしまう。
そんなリリアの気持ちを読んだのかブライアンはフォローするように口を開く。
「別に新品ってわけじゃねえよ。こんな田舎ですら型落ちしたドレスを、練習がてら王都風に仕立て直しただけだ。人気が出れば近くの村や町注文も入るだろうしな」
「すごいわね! あなたの仕立て技術は素晴らしいわ。きっと皆気に入るわよ」
リリアも孤児院では皆の服を繕っていた。
だから多少は分かるつもりだ。
少し破れた場所を縫うのでさえ、綺麗にしようと思えば大変な作業である事が。
さらにこんなに綺麗なドレスにする事はどんなに大変だっただろうか。
「技術は、ね」
リリアは裁縫技術は認めてくれたが、それ以外は全く心を開いてはいなかった。
だがそれも自業自得だと今のブライアンには分かる。
ドレスくらいでは償いにもならないだろうが、贖罪を積み重ねていくしかない。
そう考えた時にリリアの入っていた更衣室のカーテンが開かれた。
「あの、ブライアン。着たわよ。おかしなところはないかしら」




