精霊王役と精霊王
「精霊王、だなんて驚くわよね。私も最初は信じられなかったもの。エレスが精霊王だってことじゃなくて、精霊王が私の所に来てくれたって事をよ」
ブライアンは椅子から落ちたまま、床の上で姿勢を変えてひれ伏した。
ただただ声もなく震えている。
だがエレスはそんな様子にも大して興味がなさそうだった。
「ブライアン、エレスは精霊の王だけど優しいわよ。心も広いし、思いやりがあって私の事を助けてくれるわ」
「いや、でも」
「リリアの言に何か文句でも?」
そうエレスに冷たく言い放たれるとブライアンは背筋が凍った。
「そういうわけじゃ……」
固まった身体からなんとかそれだけの言葉を絞り出す。
(優しい?そんなわけがないだろう。こいつは精霊教会で何も習わなかったのか?)
いや、そういえば無加護は出入りを禁止されていたんだったか、とブライアンは思い出す。
精霊と言えば気紛れの代名詞のようなものだ。
精霊にも精霊なりの秩序やルールはあるが、それは人には関係のない事。
普通は目に見えないし、機嫌を損ねても損ねなくても災害になりえるので人は祈る事しかできない。
優れた職人や芸術家には力になる事もあると聞く。
他にも例外はたまにあるが、何にせよ一般人には遠い世界の話だ。
その精霊の長である精霊王が無加護に対して優しく、思いやりがある?
そもそも精霊王は創世の後、永い眠りについて地上にはいないはずだとかなんとか言ってなかったか?
なんでこんな所にいるんだよ。
冬眠中の虫のように丸まっているだけのブライアンに、リリアはため息をつく。
「私からじゃだめみたい。エレスから声をかけてあげてくれないかしら」
「私は困らないが? というかそろそろ追い出そうリリア」
「もう、意地悪はだめよ」
ブライアンがしばらく見ない内にリリアは恐れ知らずになっていた。
いや、無知の成せる業なのか。
精霊王は仕方なさそうにブライアンに声をかける。
「……リリアの言う事を聞け」
「いう事聞かないとぐるぐるしちゃうぞー!」
「は、はいっ!」
機嫌の悪さを隠しもしない、ヒヤリとする氷点下の声と、無邪気な脅し。
ブライアンの身体はバネのように飛びあがり、みっともなくばたばたと席に着く。
そしてまた黙りこくってしまったブライアンに、リリアは声をかける。
「それで、どうしてあんなことになっていたの? 何か困った事でもあったの?」
村でずっとあんな目に合わせていた主犯格だというのに、リリアは助けになりたいと思っているらしい。
いや実際助けてくれたのだ。
お人よし。
そして同時に、リリアは決して自分に支配されないとブライアンは理解した。
だったらリリアのお人よしの性分に付け込むしかない。
山賊に追いかけられていた時リリアを囮にするという悪魔のような考えを、ブライアンはさっぱり無かった事にした。
「実は、リリアがいなくなってから孤児院が大変な事になっててさ。ちらっと見ただけでもひどいありさまだったよ。マチルダさんも憔悴してる。誰も孤児院を運営出来てない」
これは本当だ。
チラ、と精霊王を横目で伺うが、ブライアンの話の内容には興味がなさそうだった。
「そんなはずないわよ。ちゃんと皆が困らないように出来るだけ書置きをしておいたし、マチルダさんは優秀な方だわ。それに皆だって優秀なんだから、私一人がいなくなったくらいで困らないでしょ」
ブライアンは今度こそ孤児院に同情した。
リリアは孤児院に戻らないし、助けも受け入れてくれないらしい。
孤児院は今までリリアを散々、無能のクズ扱いしてきたツケを払う時がきたのだ。
そして自分も。とブライアンは感じた。
(多分、今までのようなやり方じゃだめだ)
今までのようなやり方でもだめな事には、まだ気づいていないブライアンであった。
「だそうだ。用が済んだのなら私の気が穏やかな内に戻るがいい」
「ほ、本当の理由は別にある」
まだ帰るわけにはいかないブライアンはそう切り出した。
相手が精霊王だろうと、リリアを諦められないのだ。
ここで村に戻れば精霊たちによって二度とここへ近づくことは出来なくなるだろう。
精霊王から向けられる敵意がその証拠だ。もしかしたら、命もないかもしれない。
それに、今戻れば精霊王役であるブライアンは花精霊祭で花乙女を選ばなければならないのだ。
後がないブライアンは正直にぶつかってみることにした。
「実は、リリアを花精霊祭に誘いに来た。今年は俺が……その……精霊王役だから」
そこで大精霊たちは思わずといったようにぷっと吹き出した。
それはそうだ、とブライアンも分かっている。
精霊王と大精霊を目の前にして自分が精霊王などと、道化でもそんな事は言わない。
「いや失礼! 君が精霊王……ですか。ははは! いやなるほどなるほど」
「人材不足かもしれないけどもちっとマシなのはいなかったのかい?」
「さて花精霊祭、というのは一体?」
大精霊とは違い人間文化に疎いエレスは、会話に置いて行かれたのでリリアに問う。
「村のお祭りよ。この時期になると国中で行われるの。精霊王と花乙女の……結婚、と国の始まりをお祝いするの」
(そうだ、すっかり忘れてたわ)
精霊王と言えば花乙女と婚姻し、国を繁栄に導いたと言われている。
ほとんど寝ていたらしいが何度かは地上にきていたらしいし、そこで自分なんかより素晴らしい乙女と出会っていてもおかしくない。
というか、伝説にもなるくらいなのだからそうなのだろう。
「リリア?」
エレスに呼ばれて、無理やり気持ちを切り替えようとする。
私、なんでも胸がやもやするのかしら、とリリアは思う。
(建国の花乙女の事を忘れて浮かれて、滑稽だわ)
だが我に返ったところで胸の痛みはまだ続いている。
リリアはその痛みを無視して説明を続けた。
「毎年精霊王役の男性が、お祭りの当日に花乙女を選んで皆の前でダンスをする、らしいわ。私は近くで見た事がないから詳しくは分からないの」
「見た事ないの? なんで!? お祭り楽しいのに!」
「大精霊たちは花精霊を知っているの?」
「ええ、精霊は祭事が好きなんです。人には興味ないですが人が作り上げるものは素晴らしい。それに私たちは王と違ってこの世界にずっといましたからね。それなりには詳しいですよ」
「じゃあ私より詳しいかもしれないわね。あとブライアンも今年は主催側だから色々知ってるんじゃないかしら。というか主役が今ここにいていいの?」
「本当は今日中にリリアを連れて村へ戻るつもりだったんだ。色々あってそれは出来なくなったけどよ」
ブライアンは疲れたようにうなだれる。
「そうね。今日はもうここへ泊まっていって頂戴。夜の森は危険すぎるわ」
「ボクが飛ばそうか!?」
山賊が景気よく飛ばされていたのを思い出したのだろう。ブライアンがビクリと身体を震わせる。
「皆がびっくりしちゃうからだめ。せっかく村から離れたのに、原因追及にここに来る、なんてことは避けたいの」
そんな事になれば、今度はこの森の小屋から出て行けと言われるだろう。
孤児院を出たのは自分の意思だが、さすがに人を飛ばしたら脅威だと思われても仕方がない。
アエラスは納得したのか興味がなくなったのか、「ふーん」とだけ答えた。




