第27話:貴方の事が知りたい《中編》
【SIDE:速水悠】
貴也が食事をしながら俺達に話しかけてくれたおかげで、俺と舞姫さんの間にあった険悪な雰囲気は収まりつつある。
とはいえ、すぐに仲直りできるかと言えばそういうものでもない。
貴也が帰り、お互いに何となく気まずい空気を感じながら閉店まで仕事をする。
「……悠さん、そろそろ閉店準備をしてくれる?」
「分かった。それじゃここは任せるよ」
時計は夜の9時、店も最後の客が帰り、閉店を迎えた。
俺はテーブル周りを舞姫さんに任せて戸締り等の作業に入る。
キッチンフロアに行くとパティシエの櫻井さんに山ほど溜まった皿洗いを頼まれて、仕方なく雑用をこなす。
ウェイターをしてもこの雑用からは逃げられないようだ、シクシク……。
泣いていても皿洗いは終わらないのでさっさと片付けてしまおう。
すっかり慣れた雑用係、慣れと言うのは便利なものだ。
閉店後、皆が帰ってしまった最後に俺は電気を消す。
裏口から店長から預かっている鍵を閉めて全て終了だ。
「あれ……?」
ふと、その裏口に座る人影に気づく。
そこにいたのは、舞姫さんだった。
彼女は俺に気づくと立ち上がってから話しかけて来る。
「悠さん、これから食事でもしない?」
「え?あ、うん。いいよ」
まさか向こうからお食事の誘いなんて好都合だ。
俺は貴也に言われていた彼女の好きなファミレスを思い出す。
そこへ誘うと彼女も頷いて一緒に繁華街を歩く。
「……ちゃんと話をしておきたいことがあるから」
「俺も、舞姫さんには言っておきたい事がある。さっきは言えなかったし」
貴也の登場は俺の告白をさえぎってしまったからな。
まぁ、場所を考えればあの場でしなくてよかったと思う。
ナイス、貴也。
と、心の中で貴也に感謝しつつ俺達は駅前のファミレスに到着する。
店内でそれぞれ好きなメニューを頼み、他愛のない話で盛り上がる。
昨日、今日の出来事を忘れるかのように普段通りの会話ができた。
「そういや、悲愴感店長が最近、様子がおかしいのは気のせいかな?」
「深井店長?えっと、それは……」
どうやら彼女は店長の挙動不審な理由を知っているようだ。
俺はジュースを飲みつつ、彼女から店長の話を聞きだす。
「まだ秘密にしておいてね?今日、店長が早退した理由って、マリーヌさんの妊娠が分かったからだって言っていたわ」
「……ナンデスト!?あの店長にふたりめの子供か?」
衝撃の事実、悲愴感店長のくせに美人フランス妻との2人目の子供が……羨ましい。
それで、何やら焦ったりしていたのだな。
うむ、そういうことならば明日にでも一言くらい「おめでとう」と言ってあげよう。
「今日はマリーヌさんが病院に行ってるから、娘さんのために早退したみたい。店長が嬉しそうに話してくれたもの」
「……俺にはものすごく失礼な事を言っただけだけどな」
俺がミスした時に「おい、こら。責任者だせや」のための責任者を頼まれた櫻井さんも迷惑そうだったぞ、悲愴感店長。
彼女は注文したカルボナーラを食べながらマリーヌさんの事を語る。
「マリーヌさんって気が強いでしょう?でも、本当は誰よりも店長の事が好きよ。あの二人の出会いって聞いたことある?」
「いや、その辺の事情は聞いてないな。確かマリーヌさんって日本生まれなんだっけ?」
フランス人だが生まれは東京なので、彼女はものすごく日本語がうまいのだ。
「そう、彼女のお父さんが日本で仕事をしていたからね。でも、中学生の時にはフランスに戻って暮らしていたらしいの。出会いは彼女が大学生の時、パリのセーヌ河のほとりで財布を落として悲愴感を漂わせていた日本人の店長と出会ったそうよ」
「異国の地で財布をなくすとは哀れだ。店長は元パティシエって聞いてるから、その修業のために留学していたんだろ?」
ああみえて、深井店長はパティシエとして名を馳せていた時期もあるらしい。
俺も親父に聞くまで知らなかったのだが、何気にやりおるぞ、悲愴感店長。
「えぇ。そこで日本語を喋れるマリーヌさんが店長を助けてあげたの。その後、マリーヌさんはなぜか彼に惹かれてしまったみたい。どうしようもない人だけど、守ってあげたい気持ちになったって、前に言っていたわ」
「ダメ男に惹かれる女性の心理って奴だな。店長にしてみれば自慢の妻だろうが」
俺としてはあそこまで尻にしかれる人生は送りたくないけどな。
店長とマリーヌさんの出会い。
異国の地で結ばれあう、人と人ってどこで縁があるか分からないものだな。
食事をしながら俺はいつ切り出そうか悩んでいた。
昨日の事、いや、これまでの事も……。
結局、最後まで店の中では言えずに俺達は会計を終えて外へ出ることにした。
初夏の夜は蒸し暑いが、今日は涼しい風を吹いている。
心地のよい夜を感じながら俺は駅まで彼女を送ることになった。
「もうすぐ、夏休みよね。悠さんは夏休みの予定は何か立てているの?」
「特に考えていないな。去年の今頃なら夏はサッカーの練習漬けだったろうけど」
「……サッカーをする気にはなれないの?」
「気持ちはあるけど、環境が悪い。この間、負傷退場した部長と折り合いが悪くてね。素直に戻る気にはまだなれない」
負傷した部長の代わりに出た俺が大活躍して、奴も相当悔しいだろう。
怪我も大した事なかったようだし、今度会ったら嫌みでも言ってやろうかな、あははっ。
「サッカーをすればいいと私は思うよ。悠さんにはサッカーが合ってると思う。それに貴也にもライバルが必要だもの」
「……貴也はいい選手だよ、プロ選手にだってなれるくらいに強いからな」
彼とはもう何度も対戦しているが、その度に成長しているのを感じる。
どこまで強くなるのか楽しみな逸材、きっとプロでも通用する選手になるはずだ。
舞姫さんは駅に行く前に寄り道したいと言いだして俺はその後をついていく。
彼女が俺を連れて来たのは俺の通っていた中学だった。
真っ暗なグラウンドに月明かりだけが差す。
「懐かしいな。この中学のグラウンドも……」
よくサッカーの練習で駆けまわっていた馴染みのグラウンドを眺める。
卒業以来、ここには来ることもなかったので久しぶりだ。
舞姫さんは誰かが片付け忘れたサッカーボールを見つけて軽く蹴る。
貴也と子供の頃によくボール遊びをしたらしく、結構うまい。
「昔もよくここで練習したよ。夕方遅くまでボールを追いかけてさ。あの頃は楽しかったよ」
彼女が蹴ったボールがこちらに転がってくるので足で受け止める。
俺はそれをリフティングしてみせると、彼女は「上手ね」と笑う。
「私は隣街の中学に通っていたの。弟のサッカーの試合を応援することも多かったわ。3年前、私はこの場所でひとりの男の子を見たの。彼は貴也相手に諦めずにくいついていた。すごい子がいる、そう気付いた時から始まっていたのよ。初めから私は彼を特別な目で見ていた」
気がつけば、彼女は真剣な顔をして俺を見ている。
「きっと、その人は私の事を気付いていなかったと思う。遠くから見つめているだけで、よかったの」
「……舞姫さん?」
俺はボールを蹴るのをやめて彼女を見る。
うす暗くともこの距離なら月明かりではっきりとその表情が見て取れる。
俺を見つめる優しげな微笑み、舞姫さんは俺に言った。
「――私が初めて“悠さん”を見たこの場所で、私は貴方に一目惚れしたんだ」




