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一般向けのエッセイ

ガッキーと星野源の結婚


 ガッキー(新垣結衣)と星野源と結婚したそうです。それでネットが盛り上がったようです。

 

 私は二人には興味がないですが、東洋経済オンラインに「星野源、新垣結衣の結婚に一切批判が出ない理由」というコラムが載っていました。

 

 こういうコラムも読んでも仕方ないものですが、個人的に思う所があるので、「一切批判が出ない理由」を私なりに書いてみようと思います。

 

 結論から言えば、「大衆は二人の結婚をカップルユーチューバーの結婚のように見たから」という事になります。「カップルユーチューバー」というのはわかりやすく言っています。

 

 もう少し本質的に言えば、大衆は二人の存在を「消費」しているという事です。今「スペクタクルの社会」という本を読んでいますが、二人の存在はスペクタクルなのです。大衆が生み出したイメージという事です。

 

 後で知ったのですが、二人は人気ドラマでメインの男女だったそうです。こうしたものの延長として、大衆の望むイメージが実現されたから「批判が起きなかった」というのは比較的わかりやすい所でしょう。

 

 最も、大衆の「望み」それ自体が、社会によって規定されているとも言えます。本質に入るのが不可能な大衆は世界を外面的に見ます。そうなると、外面的に世界を構成するエリートが、イメージとしての社会を構築していく。

 

 タレントはその中間において、光を浴びて存在しています。しかし光が消えると、カメラが消えると、その存在も消えてしまいます。ガッキーや星野源は二人共小綺麗で、個性を感じさせない温和そうな人物です。だからこそ、つまり個性がないからこそ二人は「スター」であり「批判を浴びない」のです。内容のあるものだと、大衆は消化不良を起こしてしまいます。

 

 ※

 

 もう少し角度を変えてみましょう。二人の存在が祝福されたとしても、二人は本気で祝福されているわけではないのです。というより「本気」という事の意味が今は通じないのです。

 

 二人はイメージとして存在しています。だからこの先、星野源が不倫するとか、DVするとか、ガッキーが不倫するとか、そういう事があると大きな批判が巻き起こるでしょう。それは自分達が作り上げたイメージとしての生から、彼らが反したという事に対する大衆の怒りなのです。二人の存在は大衆が作り上げたものと言ってもいい。

 

 不倫やDV、犯罪などはわかりやすいが、もう少し違う事も言えます。二人が老いて、醜くなったとします。事故で顔を損傷したとかでもいいです。そうなると、それもまた、不倫やDVとそれほど違わない印象を大衆に与えるでしょう。というのは、二人の生のイメージに、老いや醜さは反するものだからです。

 

 仮にそういう事になると、大衆は同情を示しつつも、ガッキーと星野源の二人を見捨てるでしょう。二人はイメージとしてしか存在していないので、たとえ不幸な事故が原因でも、その存在が毀損されたならば、二人にはもう価値はないのです。

 

 ガッキーと星野源の結婚が祝福こそされ、批判を浴びなかった裏にはそういう事があると思います。要するに、生の不在です。イメージとしての生、外面的な生の称揚は逆に言えば、そうした生のみが価値ある生として是認されるという事です。

 

 褒めるという事は、自分にとって都合のいいものだという事を意味します。人々は、イメージとしての世界を作り上げましたが、同時にその世界から自分達を規定される。他者の視線、特に量となって集中された視線に見られていない生には何の価値もないように感じられるのです。

 

 人々が、舞台の上の生を褒めれば褒めるほど、舞台のこちらがわの生も、スポットライトを浴びていないものとして意識される。それを克服するには、舞台の上に出るしかないと言われるのですが、舞台に出た時、人々の視線によって自分の生が消失するのが感じられるでしょう。

 

 ガッキーとか星野源とかいう人がもっと才能のある、個性のある人物ならばこの絶賛にも違和感を感じたでしょうが、実際にはそうではない。つまりは彼らは生の不在、産出されたイメージとしての生を歩む事に意識的な抵抗を持たない人達という事です。

 

 それでそういう人達を作り上げている「我々」はイメージを作り上げつつ、自分の生を持たない空虚な存在です。現在において生は存在しないものとしてしか示されない。それは視線が世界を支配したからです。その後の事はまだ、誰にもわからないのだと思います。

 



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