第92話 火竜の子守 1
アーヴィンの目をじっと見ながら、火竜の子どもがゆっくりと口を開いていく。
並びの良い小さな牙が見えたかと思うと、口の中が赤く光った。
「ちょっ! 待って!」
「けふっ」
「……え?」
目と鼻の先にいたアーヴィンは慌てて、水魔法を展開する準備をしたが、何とか難を逃れた。
その場にいた全員が、ほっと胸を撫で下ろす。
火炎を吹くだろうと覚悟したが、火竜の口から出てきたのは、赤子が授乳のあとにするゲップのようなものだった。
それでも、わずかだが熱風を間近で受けたことには変わらないため、アーヴィンは自らの氷魔法で軽く顔を冷やす。
その様子を見た火竜は、『ごめんなさい。こんなつもりじゃなかったの……』と、うっすら涙を浮かべて、しょげている。
アーヴィンたちには火竜の言葉は通じない。そのため、アリアが通訳する。
「『ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの』」って謝っています」
「うん。表情を見てたらわかるよ。お前も驚いたな」
怒られるどころか、アーヴィンに頭を撫でられたため、火竜はしゃくりあげながら本格的に泣き出してしまった。
「よしよし、良い子ね」
アリアがあやすと、ギュッとしがみついてくる。
(本当に赤ちゃんみたい)
こんな子が攫われたとなれば、母親が怒り狂うのも当然だろう。
そういえば、とアリアは温室で火竜の子どもが訴えていた内容を思い出した。
「のどが痛いって言ってたよね? 話そうとしただけなのに、勝手に火が出ちゃったのかな?」
その質問に、火竜がこくこくと頷いた。
「そっか……。お口、あーんってできる?」
『あー?』
アリアがの口の中を見るために覗き込もうとすると、アーヴィンが助手のようにカンテラを近づけた。
(……のども舌も火傷でただれてる)
アリアの悲痛な表情を見たアーヴィンも続いて覗いた。
「これはひどいな……。親元に返すにしても、まずは治療が必要だ」
「メリッサ様の温室と、奥にあるキッチンを使わせていただくことはできますか?」
「あぁ。アリア殿が使いたい時に使って良い。貴女は薬草の知識があるし、キッチンの使い方も母から聞いてるだろ?」
体調が回復し始めたメリッサは、温室の奥にあるキッチンでハーブを煮詰めたり、お菓子を作ったりしている。
アリアも、たまに手伝うことがあるため、調理器具の場所などはだいたい把握している。
「ありがとうございます。私の知識は民間療法ですし、火竜に効果があるかどうか分かりませんが、できるだけのことをしてみます。――あ、ママに『もう少しお城にいる』って伝えられる?」
『うん。ママ、全部聞いてるよ。アリア様になら任せられるって。どうぞよろしくお願いしますって言ってる』
「そう。安心してもらえたなら良かった。――殿下、この子のお母さんも落ち着いたそうです。しばらく預かることになるかと思いますが、よろしいですか?」
「火竜の親子がそれで良いのなら」
アーヴィンの答えに、アリアは軽く微笑んで頷いた。そして、マーリンに視線を向ける。
「マーリン様、温室に転移をお願いできますか?」
「転移先は温室の入り口手前か、魔導師の塔の地下通路になりますが、よろしいですか? 私の魔法でも、入室の権限がある方が中にいらっしゃらないと温室内には届かないので」
「それで構いません。より安全なほうでお願いします」
そう伝えながら、火竜を落とさないように、しっかりと抱えなおした。
抱くのを代わろうか? とのアーヴィンの申し出にアリアは首を振る。今は自分が抱いていたほうが良いと彼女は判断した。
「そうか。他に何か手伝えることはあるか?」
では……、と温室のキッチンにないものを挙げていく。
「大根とすりおろし器、はちみつをください。あとは……、煮沸消毒した瓶と柚子を丸ごと。氷砂糖も多めにお願いします」
以前、大葉を添えたおろしハンバーグをスズが食べていたため、大根もおろし器も城の厨房にあるはずだ。
「よし、分かった。俺はアリア殿と温室に行くから、リラとアレクは厨房に行ってくれ。ここの片付けは、マーリン殿とスズ殿、ニールとニーナで頼めるか? 魔法と薬学の知識の両方が必要になるだろうから。マーリン殿とスズ殿が信頼できる人物なら、増員しても構わない」
「承知しました。では、皆さんを目的地に送ります。舌噛まないでくださいね」
「あ! アリアちゃん、ちょっと待って!」
壁や天井を観察していたスズが、アリアを呼び止めた。そして、アリアの頬を両手でふわりと包む。すると、スズの手からレモン色の柔らかな光が現れた。
(温かい……)
「これって……、生き物相手への加護、ですか?」
「今の私では、まだ気休め程度だけどね。殿下もいるし、大丈夫だと思うけど、くれぐれも気をつけてね」
「ありがとうございます!」
スズの優しさと成長に、心底嬉しそうにアリアが笑う。
それを見たアーヴィンが、スズをジト目で睨んだ。
自分には加護をくれないのか? という意味ではなく、アリアには俺が付けた加護があるのに、とでも言いたげな目だ。
そんな王太子を微笑ましいと思いつつも、先が思いやられる、とスズは呆れながら苦笑した。
そして彼女は、アーヴィンの視線を気にすることなくリラを呼ぶ。
「リラもおいでー。厨房に行くんでしょ? 念の為にね」
「はい!」
リラまでもが嬉しそうに近づいていく様子を見たところ、スズは聖女というだけではなく、頼れる姉ポジションを確実に築いているようだ。
そして本人も、それはまんざらでもないらしい。
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もう少しで(私のもう少しは、あてにならないのですが……)第一章完結です。
ラストまで、お付き合いいただけましたら幸いです。




