第84話 リラの薬瓶 2
アーヴィンとロードは睨み合うわけでもないが、お互いの顔を見つめたまま何も話さない。
そんな一人と一羽の様子を見かねたアリアが間に入った。
「せっかく話せるようになったんですから、これからはもっと仲良くしてくださいね」
「別に今までも悪かったわけでは……」
「アーヴィン、トリヅカイアライ」
「だそうです。魔獣だからって、あまり働かせすぎたら駄目ですよ。それから、頑張ったら、ちゃんと褒めてあげてください」
「……善処する」
まるで人見知りでもしているようなアーヴィンの態度に、アリアは小さくため息をついてから彼に尋ねた。
「ここにいらっしゃる前に、リラから話はお聞きになりましたか?」
「だいたいのことは」
「では、こちらへ」
薬瓶を乗せたテーブルへ来るようにと、アリアは手招きをした。
「これがリラに処方された薬か?」
「そうです。リラの話だと匂いや刺激はないそうですが、銀の器が変色しています。中身を瓶に入れ替える時に、少量で試したそうです」
「ヒ素が混入されたということか……」
「ヒ素を飲ませようとしたんだとは思いますが、銀を変色させるのは正確には硫黄や硫黄化合物です」
「硫黄なら腐卵臭がするだろ? 温泉や火山の近くと同じ匂いのような……。スズ殿の部屋の異臭は腐卵臭だった」
「……やっぱりそうだったんですね。それはおそらく硫黄ではなく、硫黄と水素が混ざった硫化水素の匂いです。硫黄そのものは無味無臭なんですよ。だから、ヒ素は味や匂いでは見抜けません」
アリアは説明しながら、人差し指の爪で瓶の蓋をコツコツと軽く叩いた。遮光瓶のため中身はよく見えず、リラの到着を待つしかない。
「一定濃度以上の硫化水素を吸い続けると嗅覚の麻痺や流涙、頭痛や吐き気、脱力などの症状が現れて、最悪の場合は死に至ります。スズさんのお部屋の腐卵臭が毒と認められなかったということは、濃度が低かったのかもしれませんね」
「それでも、毒は毒だろ?」
「硫化水素は、少しの量なら身近なところにもあるんですよ。下水などの汚水、腐った食べ物。殿下が先ほどおっしゃった温泉や火山。一番身近なものは歯垢ですね。口臭の原因になります」
「歯垢!?」
「はい。この世界に歯ブラシと歯磨き粉があって助かりました。口内の菌は心臓病にも繋がりますから」
「歯磨き粉は、俺が生まれる少し前くらいから広まったらしい」
「そうなんですか」
(時期的に、チエさんの要望だった可能性が高いかな……)
「それと、先ほどの話で気になったんですが――。匂いをご存知だということは、この世界にも温泉や火山があるということですよね?」
「あぁ、ここから南東にある地帯だ。人が住めるような環境じゃないが、貴重な鉱山もあるからブルームで管理してる。周辺の国と同じだけの土地面積はあるが、火山に鉱山、温泉があるから平らな土地は少ないな」
(南東……。五芒星の右下の三角形部分ってことか)
「そこで、硫砒鉄鉱という石は採掘されますか? 銀白色で表面がきらきらと輝く綺麗な石なんですけど」
「採れるけど。……え? まさか」
「硫砒鉄鉱は、古くは『毒砂』と呼ばれていたくらいですから。可能性はあるかと」
「でも、あれは農薬や殺鼠剤に」
「そうです。だから、人を害するには十分な物質です。でも、農薬や殺鼠剤に加工すると独特の匂いがしますよね。飲んだことはないので、味はわかりませんが」
「飲んでたら、今ここにいないだろ……。頼むから、本っ当に危険なことはしないでくれ」
「さすがに、毒の可能性が高いとわかっているものを飲んだりはしませんよ。――まぁ、とにかく、変な匂いがすれば飲ませたい相手に気づかれてしまいます。その場合、殿下ならどうなさいますか?」
「硫砒鉄鉱から取り出したばかりのヒ素を使う、かな……」
「ですよね。おそらく、この国の精製方法では、ヒ素を取り出すときに硫黄が混ざってしまうんだと思います。だから、今でも銀の食器が毒見の一部として使われてる。ただ、これも可能性のひとつですよ。他にも硫黄を含むものはありますから。殿下に魔法で毒見をお願いしたいのですが、中身がどんなものかわからないので、すぐに封をできるようにビニール袋などをリラに頼みました」
「あぁ、そういうことだったのか」
「はい。……でも、どうして狙われたのは私じゃなくてリラだったんでしょうか? そこが、わからないんです」
「寝込んでる相手になら薬を飲ませても不自然じゃないから、だと思うが?」
「それは……、そうかもしれませんね。でも、そうだとしても、今まで薬と毒の境をついてきていたのに、ずいぶんとあからさまなことをしてきましたね。全部、あの人の犯行だと思いますか? 宮廷医が目を離した隙に別の人物がカップに毒を入れたり……、とか」
「どうだろうな。その可能性も否定はできないが……。今、マーリン殿が調べていることがあって、その答えを待っているところだ。だけど、これが本当に毒入りなら、アリア殿が言う通り手段を選ばなくなってきてる。早く収めないと取り返しがつかないことになるな」
アーヴィンは薬瓶を睨みながら、眉を寄せた。
「陛下とメリッサ様は、いつお戻りに?」
「今週中には帰ってくると書簡が届いた。…………ずっと気になっていたんだが、アリア殿はなぜそんなに毒や薬に詳しいんだ?」
「ハーブやアロマセラピーが好きなんです。一応、資格も持ってますよ。民間資格ですから、医療行為が許可されるようなものではありませんが」
「十分に通用すると思うが……」
「私たちの国は厳しいんですよ、そのあたり」
「そうなのか。ブルームや巫女の国であれば、医師は難しくとも薬師にはなれると思う。鉱物や化学に関しても詳しいな?」
「鉱物に関しては考古学を学んでいるので、その延長で」
「学んでいる?」
「大学……、こちらでいうアカデミーのような機関で学んでいます」
「まだ、学生だったのか!?」
「そうですよ。お伝えしてませんでしたか?」
「初めて聞いた……。そういえば、アリア殿のプライベートな話をあまり聞いたことがなかったな。アカデミーで学び続けたいから、元の世界に帰りたいのか?」
「まぁ、それもありますけど。そもそも、考古学を学び始めた理由は……」
アリアが両親のことを打ち明けようとした時、カチッカチッと解錠する音が聞こえてきた。おそらく、リラが戻ってきたのだろう。
(この話は、また落ち着いてからでもいいか……)
話を途中で止めたことでアーヴィンが何とも言えない表情をしているが、一言二言で話せる内容でもないため、また機会があるときにしようとアリアは決めた。
お読みくださり、ありがとうございました。
「毒(ヒ素)が混入された場合、銀製の器が変色する」という、ミステリーではよく見かけるネタ。
この知識は間違っていないだろうかと、念のために調べたところ、「ヒ素で銀は変色しない」という事実を知り、ずいぶんと遠回りすることに(泣)
「銀のさら(皿)」「銀のスプーン」という単語は、大人の事情から使わないほうが良いかも?など、ぐるぐると考えてしまい筆が進みませんでした。
この後の流れは決まっているので、色々と調べながらぼちぼちと投稿していきます。
次話もどうぞよろしくお願いいたします。




