16話 二章 二人の話×からの「んな馬鹿な…」(それは恋ではありませんっ)
項垂れた彼の肩は、小さく震えていた。その姿は隅で震えていた小さなミシェルを思い出させて、ノエルは気付いた途端に、考えず自然と手を伸ばして彼の頭を撫でていた。
「師団長さんは何も悪くないですよ。僕が、勝手に死んだだけなんです」
僅かにフィリウスが身体を強張らせた。でも、ノエルの手を振り払おうとはしなかった。
彼のこのような姿を見せつけられて、ノエルは今更になって小さな後悔を覚えていた。それが自分の行いのせいなのだとしたら、悪いことをしたなという想いが込み上げて。
「ごめんなさい」
ただただ、心からそう謝った。
すると彼が、まるで存在を確かめるかのように恐る恐る抱き締めてきた。自分よりも高い体温に包まれて驚いてしまったものの、ノエルは大人しく抱き締められることにして身体から力を抜いた。
身体から抵抗が失われたと察した途端、フィリウスが遠慮なく力を込めて強く抱き締めてきた。肩に埋まった彼の髪先が頬と首筋にこすれて、少しくすぐったさを感じた。
「悪夢は、もう終わりです。僕もあなたも今を生きているんだから」
「……お前は、いつも勝手だ」
「はいはい、僕のせいですよね。本当すみませんでした」
今日見た限りでは熟睡もしていたし、きっと大丈夫だろう。
彼の身体の震えも止まって、声にも力が戻りつつある。そう考えて安堵したノエルは、抱き締めてくる腕の力が更に強くなるのを感じて、苦しくなってこう言った。
「あのですね、師団長さん。僕は幽霊ではないし夢でもないんで、ちょっと腕の力を緩めてくれませんかね。息苦しくて、なんだか苛々してきました」
「お前らしい言い分だな」
フッ、と耳元で苦笑の吐息がこぼれるのが聞こえた。それから彼が、ポツリと声色を落としてこう続けてきた。
「…………直前まで、女だと気付けないで済まなかった」
「へ?」
「女とは知らず、俺は失礼な物言いも沢山した」
「あ、いえ、別にいいんですよ。勘違いされるのがほとんどだったから、僕も開き直って『バリー』と名乗っていたくらいですから」
まさか誠実に謝られるとは思わなくて、ノエルは戸惑いつつそう言った。
とはいえ、旅をする中で気付けなかったのは、魔術師野郎だけである。その真実を教えたら重々しい空気に逆戻りされる恐れがあったので、そこについては黙っておくことにした。
「まぁ、前世では色々とありましたが、お互い様ということで、その、出来れば報復や復讐は勘弁して欲しいのですが……」
「一体なんの話だ?」
一番気になっている部分をごにょごにょと言ったら、フィリウスがようやく腕を解いて近くから、訝しげに見下ろしてきた。
「いや、なんの話って……前世では嫌われていたし、仲が悪かったじゃないですか。その仕返しをされない保証が欲しいなって」
「お前、ここまでの下りまできて分からないのか?」
「えぇと、つまり怨んではいないってことでしょうか、ね……?」
自信がなくて恐る恐る尋ね返すと、フィリウスが苦い顔をして額を押さえた。自身の説明不足を確認するように「そうか、俺は口にしていなかったか」と口の中で呟く。
かと思ったら、彼が改めるようにして真面目な表情を向けてきた。
美しい紫の目でまっすぐ見据えられたノエルは、なんだか本能的にギクンとして少し身を引いた。彼の目は炎でも宿っているかのようにギラギラとしていて、嫌な予感を覚えた。
「あの頃の俺は、お前が男だと思っていたから病気なんじゃないかとも苦悩していた」
「え、あの、ちょ、師団長さん?」
言いながら手を取られて、ノエルはますます動揺してしまう。
「だが、お前を目の前で失って、ロックフォレスはあの日、後悔と共にようやく気付いた」
こちらから視線を離さないまま、フィリウスが右手を両手で包みこんできた。やたら優しい手付きで、導くように手の指を絡め合わせて握り込み、距離を詰めてくる。
フィリウスの顔が近いような気がする。いや、確実に距離が縮められているのだ。
そう察したノエルは、逃げるように後ろへ背中を傾けた。しかし、追いかけるようにして彼が顔を寄せてきて、ハッキリと言い聞かせるようにこう告げた。
「ロックフォレスは、バリー――いや、リーシャを一人の女として好いていた」
「えっ。いや、まさか、そんなはずは」
戸惑い過ぎて、上手く言葉が出てこない。
「奴は忌々しいほどお前のことばかり考えて、悔やみ続けて死んだ」
「んな馬鹿な。だって――」
「好きなんだ。ずっとお前のことだけが、好きだった」
トドメを刺すように熱っぽく見つめられ、ノエルはピキリと硬直した。
展開についていけない。一度目の世界、そして二度目となるこの世界での初対面の際の、険悪なムードは一体どこへ行ったのだろう。
というか、どこにそんな要素があった?
ぐるぐると急ぎ悩まされた結果、ノエルはこれは愛や恋などではないと思った。きっとフィリウスは、大きな勘違いを起こしてしまっているに違いない。
あの魔術師野郎が、リーシャをライバルと認めていたとしたのなら、持っていた好意の種類は違うはずだろう。別れ方がよくなかったせいで、勘違いを起こさせているのかもしれない。
そう混乱の中で必死に考え続ける間、彼から「パニックになって固まっている顔も可愛い」「珍しい」と言わんばかりの熱い眼差しで見つめられていて、ノエルの焦りは急速に高まっていた。
不意に、指先を握り込むようにして両手を彼に取られた。親指で手の凹凸をゆっくりと辿るように触れられる感覚に、ノエルは「うぎゃッ」と飛び上がった。
「し、師団長さんっ、ちょっと落ち着いてください。お忘れのようですが、今の僕達は一応昨日初めて話したばかりの相手同士です」
フィリウスが身を寄せてくるのも目に留まり、ノエルは身の危険を感じて言葉早くそう言った。
「ですので、恋や愛などというのは絶対に勘違いだと思いますし、そもそも師団長さんのは恋愛方面の『好き』じゃないと思うんですよ。つまり、なんというか、前世の記憶に引きずられているんです。新しい人生を歩んでいる僕達には、話し合う時間が必要だと感じます!」
死んでしまった永遠のライバルに会えた懐かしさで、彼は少しどうかしてしまっているのかもしれない。思えばあの魔術師野郎は、勘違いも誤解も多くまき散らすような男でもあった。
するとフィリウスが、熱っぽく見つめながら不思議そうに言う。
「誤解だというのか? お前を見て、こんなにも胸がかき乱されるのに?」
「あんた、優秀な軍人に生まれ変わってるのに、そういう不器用なとこだけ魔術野郎のまんまでどうすんですか! ひぇっ、ちょ、言いながら手を撫でるの禁止っ」
なんでこっちを見つめながら手を撫でてくるの!?
ノエルは、頭の中が絶賛混乱中だった。でも前世にいた魔術師野郎が、どこか猪突猛進なところがあって、自分のことに関してはとことん鈍い野郎だったとは覚えている。
つまり、その胸のなんとやらは動揺に違いない。いや、きっとそうに違いない。そういうことにしたいと、ノエルは必死になって手を取り返そうとしながらそう思った。
「いいですか師団長さん! 普通の人は、突然の出来事や慣れない環境でも胸がかき乱されるものですッ。そう、今のあなたは通常運転が冷静沈着、冷酷で冷徹でおっかない人だから、それを理解出来ていないだけなのです!」
「相変わらず失礼な奴だな」
「口が過ぎましたごめんなさい。ですが言わせてもらいます、絶対に『好き』の種類違いです」
すうっと途端に睨まれて、ノエルは「なんでここにきて最強軍人モードに戻るの」とガタガタしながら即謝った。もう色々と限界を超えて、そのままプチリと切れてしまう。
「というか、あんた貴族なんだから周りに美人がごろごろしているのに、なんでよりによって僕なんですか!? 前世も今も、僕は少年姿なんですけど!?」
「どの女も、そういう対象に見えたことがない」
「え、何それ怖い。美人と可愛い子だったら、女の僕でもトキメくのに? それって病気じゃないの。まさか前世の後遺症でホモに――」
「なら試してみるか? 好きな相手であれば、キスだけで長時間過ぎるというし確認になる」
「んなアダルトな確認方法があってたまるか!」
どこか危うい輝きを目に灯したフィリウスが、逃がしてたまるかというように握った手を引き寄せて「キスさせろ」と迫ってきた。正直、ノエルはゾッとした。
「ええい、とにかくッ」
ノエルは言いながら、根性で手を取り返して近くに迫った彼の顔を押し返した。
「ひとまず冷静に考えるべきです。僕にも一部責任があると反省して協力しますから、キスとかは無しで勘違いであるかどうか確認しましょう! 確かめられればあなたも納得すると思いますし、キスとかは本当に好きな人とするべきであって、というか僕こんなとこでこんな理由でファーストキスを奪われたくないんですよマジで!」
必死になっていたノエルは、もう自分が何を言っているのか分からなくなってきた。とにかく、彼の提案方法での確認は断固拒否だ。彼女にだって心の片隅に、少しくらいの乙女心だって残っているのである。
すると、フィリウスがピタリと動きを止めた。「ファーストキス、か」と思案げに呟いたかと思うと、少し考えるような顔をする。
「つまりお前は、俺が感情的に鈍く、衝動的な男であると分析している、と」
確認させるように言いながら、冷静な表情でノエルを見下ろしてきた。
「好意を誤解しているのかどうか、俺に実感出来るよう『お前が出来る限り協力して確認を一緒にしてくれる』と取っても?」
「へ? あ、はい、そうです」
ようやく落ち着いてくれたようだと知って、ノエルは咄嗟にそう答えた。
数秒ほど思案していたフィリウスが、フッと笑うような吐息をもらして「いいだろう」と言った。
「じゃあ、残りの『反省期間』内で頑張ってもらおうか」
あっさりと手を離し、どこかニヤリとする美麗な笑みを返してくる。
どうしてか、ゾワッと背筋に悪寒が走った。なんだか『逃がさねーよ』と言われているように感じるのは気のせいだろうか。
今後のことを考えると、ますます憂鬱な気分になってきて、ノエルは迷惑極まりない巻き込み方をしてきたフィリウスを思って、深く項垂れた。




