国についても
バネッテ様の背中に乗せてもらい、国に帰るのにかかったのはほぼ一日。
無理をさせて申し訳ない気持ちでいたが、家族三人で空を翔るのが凄く楽しかったと逆にお礼を言われてしまった。
リーレン様やハイス様も終始ご機嫌だったので、同じ気持ちなのだろう。
むしろ、問題なのはお兄様とマイガーさんの方だ。
バネッテ様に頼んで殿下がエウルカ国に行ったせいで、バネッテ様を取られたと思っているマイガーさんの殺気と、仕事を放り出してお兄様に丸投げしたことによるお兄様の殺気で帰って直ぐに殿下は真っ青になっていた。
「ってわけで、殴っていいよね?」
マイガーさんに、にじり寄られジリジリと後ずさる殿下は何だか可愛い。
「緊急事態だったんだ」
「それでも嫌だって分かるよね?」
殿下は諦めたように構えた。
「何やってるんだい? お嬢さんを助けるために私が連れて行くって言ったんだよ! お門違いなことで怒るんじゃないよ」
マイガーさんは文句を言いたい様子だったが、バネッテ様が頭を撫でてあげたことで機嫌は直った。
バネッテ様には頭の上がらない思いだ、と殿下が呟いていたのは聞かなかったことにした。
打って変わって、お兄様の方は許す気はないようで、殿下が執務室に入ったのをいち早く感じ取り、促すように椅子に座らせると流れるような動きで殿下を椅子に縛りつけた。
職人技を見せられた気持ちだ。
お兄様は底冷えする美しい笑顔で、書類の山を次々に殿下の机に置いて行く。
「僕が確認してあるのでサインしていただければ済む書類がこちらの山で、殿下にも内容を確認していただきたい書類がこちらの山。一切手を付けていないのが僕の机の上の書類です」
殿下は書類の山を見つめてため息をついた。
「ため息をつく暇があるのなら一枚でも多く書類を片付けていただけますか? その間にも書類は増えて行くのですよ」
お兄様は殿下に視線を移すことなく、書類を処理して行く。
「私、お茶でも淹れましょうか?」
殿下が期待するように私を見たが、お兄様は笑顔で言った。
「お茶をする時間すらない。ユリアスが居ると殿下のやる気がなくなるから家に帰ってなさい」
触らぬ神に祟りなしだと思う。
私は急いで帰り支度を始める。
「やる気出すから少しだけユリアスと話をしてはダメだろうか?」
帰り、バネッテ様に乗せてもらったのだが、殿下はリーレン様が乗せると言い張り、二人での時間にはならなかった。
その分バネッテ様に何があったか話していて、殿下との会話らしい会話は無かった。
そのため話したいことがあるのかもしれない。
「ダメです。ユリアスと話したいのであれば、この部屋にある書類を全て片付けてからにしていただきます。その方がやる気が出るのでは?」
お兄様は私に早く部屋を出るよう視線をよこす。
仕方ないので執務室を出ることにした。
ドアを閉めた瞬間に殿下の悲痛な叫びが聞こえた気がしたが、きっと気のせいだ。
※
あの後、殿下から連絡が来たのは三日後で、手紙で城まで来てほしいと言う物だった。
ようやくゆっくり話ができるかと思って城に向かったのだが、執務室の殿下の机には堆く書類の束が積まれていた。
「お呼びですか? 殿下」
私が執務室に入れば殿下は変わらず椅子に縛り付けられていた。
「書類が終わっているようには見えませんが?」
「見ての通りだ。ただ、ローランドが諸事情で城から出ているからそのうちに君と会っておきたかったんだ」
「諸事情ですか?」
今朝、朝食を一緒に食べた時にお兄様に予定があるなんて聞いていなかったはずだが?
「ローランドにだって妹に言えない理由ぐらいあるだろ?」
「お兄様は基本私にスケジュールを教えてくださいますが?」
「仲良しめ」
何故か悔しそうな殿下が可愛い。
「で、お兄様に何をしたんですか?」
「別に大したことはしていない」
その内容を聞いているんだ。
私がジッと睨むと、殿下は観念したように言った。
「ローランドも彼女とデートしたいだろ」
「マニカ様を呼んだのですか?」
殿下はコクリと頷いた。
「ローランドには絶対に逃げないし、大人しくしているから今日はゆっくりマニカとの時間を楽しんでこいと言って送り出した」
お兄様にも安らげる時間ができてよかった。
しばらくはお兄様も帰ってこないと言うこと?
「では、書類整理をお手伝いすれば宜しいのでしょうか?」
「違うだろ」
「え?」
殿下は額に手を置くとハーっと息をはいた。
「この三日間一言も話せていないことは理解しているか?」
実は、通信機をエウルカ国に忘れてきてしまい、連絡が取れなくなったことをまだ殿下に伝えていない。
仕方なく口を開こうとした私をじっとりと睨みつけた殿下が先に切り出した。
「通信機無くしただろ」
バレている。
「あの〜実はですね」
「エウルカ国王陛下が持ってたぞ」
ああ、忘れ物は既に使われた後だったようだ。
「三日、エウルカ国王陛下に惚気話を聞かされて気が狂いそうだ」
毎日通信機を使っていることが分かる一言だ。
「仲良しですね」
そんな言葉しか出てこなかった。
「ちっとも悪いと思ってないな」
私はとりあえず頭を下げた。
「すみませんでした」
「悪いと思うならこっちに来て縄を解いてくれ」
私はしぶしぶ殿下の縄を解くために近づいた。
すると、近づいた私の腰を掴まれ、気づけば殿下の膝の上に乗せられていた。
「ちょっ、何するんですか?」
私が文句を言っているのに、殿下は私をギュッと抱きしめた。
「君が側に居る実感をさせてくれ……心配したんだぞ」
殿下が心配すると分かっていて、通信機を切った自覚はある。
ただ、まさか迎えに来てくれるとは思っていなかった。
私は殿下の背中に手を回して抱きしめ返した。
「心配かけてしまって、ごめんなさい」
悪いと思っている。
「素直だな」
何か疑うような殿下の声に少しムッとする。
「素直に謝ってはいけませんでしたか?」
「そうじゃない」
殿下は抱きしめていた手を緩めると私の顔色を伺うように私を見つめた。
「素直に謝られると直ぐ許したくなってしまうだろう」
「許したくないのですか?」
「直ぐ許したら、またやるだろ」
私は殿下の顔を両手で挟んだ。
「やらないとは言えませんね」
殿下はそのまま口を尖らせて不満そうにしている。
変顔にさせられているのに、抵抗しない殿下に思わず笑ってしまった。
さらに不満そうな顔をされたのは言うまでもない。
私はクスクス笑いながら、変顔の殿下に触れるだけのキスをした。
「殿下が迎えに来てくれて、凄く嬉しかったです」
私がそう呟くと、殿下は私の肩に顔を埋めた。
「それは卑怯だろ」
殿下の声が耳元で聞こえ、胸が跳ねる。
「許してくださいますか?」
殿下は悔しそうにしばらく唸った後、呟いた。
「今ので許した」
許しも出たし殿下の膝から降りようとしたのだが、殿下の手の力が再び強くなった。
「あの、降りれないのですが?」
「何故降りる?」
「重いからです」
「重くない」
殿下は私を離す気がないようだ。
「こんなことしていたら書類が終わりませんわ」
「こんなことと言うが、恋人同士には必要な時間だ!」
強い意志を感じる声音でビシッと言い切られたが、流石に膝の上に乗せられたままは恥ずかし過ぎる。
殿下の手の中からもがくが全然びくともしない。
私も少しは体を鍛えた方がいいのだろうか?
本気で筋トレを考え始めた私を他所に、殿下が私の頬にキスをした。
驚く私を上機嫌で見ていた殿下は、更に鼻先や瞼にまでキスをしてきた。
「まっ、待ってください。恥ずかしいから」
抵抗する私を嘲笑うかのように顔中にキスをされた。
「顔が真っ赤だぞユリアス」
「殿下のせいです」
急いで顔を手で隠したが、その手にまでキスをされ耳まで熱くなる。
「ユリアスが可愛すぎて、頭がおかしくなりそうだ」
恥ずかし過ぎて私の頭の方がおかしくなりそうなのに。
不満を口にしようとした瞬間、執務室の扉が勢いよく開かれ、私は心臓が飛び出すかと思った。
入って来たのは鬼の形相のお兄様だった。
「で〜ん〜か〜」
「帰ってくるのが早すぎじゃないか」
お兄様を見た殿下はあからさまにガックリとした。
ついでに手の力も緩んだのでピョイッと膝から飛び退いた。
ようやく逃げ出せたことに安堵する。
「マニカとデートはどうした?」
「マニカ様から殿下の企みを聞いて、急いで戻って来たのですよ」
「マニカめ、裏切ったな」
殿下が悪態をついたのを見て、お兄様の額に血管が浮く。
「マニカ様を卑怯な企みに利用するとは、死ぬ覚悟があるんだな」
お兄様の地を這うような低い声に恐ることなく、殿下は不貞腐れた顔をした。
「マニカを利用したんじゃない。マニカの気持ちが分からないのか?」
「マニカ様の気持ち?」
怪訝そうな顔のお兄様に、殿下は指を指して言った。
「マニカだってローランドとゆっくりする時間が欲しいんだ!」
殿下はドヤ顔だったが、お兄様の顔は殺意に溢れていた。
「マニカ様との時間を一番奪っている奴が、お前だろーが!」
完全に怒ったお兄様は私でも止めることは不可能である。
私は二人に気づかれないようにそっと執務室を後にした。
この後、怒ったお兄様がマニカ様と一週間ほどマニカ様の領地に旅行に行ってしまったせいで、殿下は執務室に監禁されることになった。
マニカ様と幸せなひと時を過ごしてお兄様は幸せそうに帰って来たが、お兄様が帰ってくるまでの間に殿下はだいぶ、やつれたように見えた。
エウルカ国に嫁いだランフア様も、凄く幸せになったことが分かり安心した。
新たな交易もできることになり、事業として飛躍することは間違いない。
新たな木製の工芸品もアクセサリーも店に並べる端から無くなる売れ行きである。
そして、ランフア様にプレゼントしたマタニティドレスの売れ行きも、鰻登りで有難い。
ランフア様からの大量のマタニティプレゼントのレポートも届いたので更に良いものが作れる予感がする。
次はベビー服のプレゼントも考えようと私は心に決めたのだった。




