98話 4と13
もう手遅れというか別の色々なものまで手遅れにしようとしていた上村専務の右腕は、キャロルの一閃によって無事(?)斬り落とされた。切断された腕は高級スーツとネクタイで止血がなされて、彼は岩壁に寄りかかってグッタリピクピクしている。
俺はそんな上村専務の前にしゃがみ込み、できる限り目線を合わせた。
「よし。それじゃあ、全部話してもらおうか」
「……なにから、話せばいい」
「一つは、なぜ小和証券がこの件に関わっているのか、ということ。二つは、あの横領事件についてだ」
「わかった、話そう……」
そう吐いた上村は、迷い悩む様子で頭をグラつかせる。
「これは……そうだな。横領の方から、話した方が良い。生田目夫妻の三億円は、たしかに俺が横領した。間違いない」
「なぜそんなことをした?」
「これは……複雑な話なんだ」
上村は満身創痍の頭を悩ませながら吐露する。
「4年前……ダンジョンがこの世界に出現した。その以前まで、小和証券は莫大な帳簿外債務を抱えていた。数千億円という規模のな」
「……帳簿外債務?」
それはつまり……簡単に言えば、見えない債務のこと。一概に悪であるわけではないが、いわゆる『飛ばし』によって粉飾決算と同等になる場合もある。
「粉飾決算で、営業赤字を隠していたのか」
「そうだ。バブル期の金融引き締め策で……小和証券は巨額の損失を出したことがある。営業特金だよ、知ってるよな」
「……ああ」
営業特金とは、バブル期に横行した問題だらけな証券取引のこと。一時期の証券会社は、夢のような利回りと損失補填を約束して……つまりは「必ず儲かる」という詐欺まがいな手法で企業や金融機関から資金を引っ張り、売買手数料を荒稼ぎしていた。
それも当時の大蔵省の通達によって違法化し、証券会社の大スキャンダルに。バブルは崩壊し、数千億円規模の損失補填が顕在化。これを粉飾決算にて凌ごうとした大手証券会社が、突如倒産することもあった。
「それが膨らみ続け、小和証券は破綻寸前まで追い込まれていたのだが……そこで、あのダンジョンが現れたんだ。そこからの経済の動きはわかるな」
「もちろん……ダンジョンバブルだ」
ダンジョンの出現と共に訪れた、世界的不安による株価下落からの嘘のような好景気。ダンジョンがもたらした未到領域と新たな研究対象、そして新産業の誕生に、世界経済は沸き立ったのだ。
「その異常な好景気で、処理不可能と思われた債務の大部分が大幅に精算された。現実的に補填可能な額まで縮小してくれたんだ。さらにアジア圏のダンジョン産業を狙った米系外資が経営に介入したこともあって、帳簿外債務は……まさに奇跡みたいに無くなった」
「なぜあんたが、そんなことを知っている?」
「……俺は前社長の婿養子だったから、その辺を知っていた。だが……帳簿外債務は最後に、ほんのわずかに残ってしまった。会計上の処理が難しい厄介な形で、数億円ほど残った。俺はその整理に関わったんだ」
「生田目夫妻の3億円を、そこに突っ込んだのか?」
「ああ、そうだ。だから、私利私欲のためにやったわけじゃない。会社のためにやったんだ!」
「……話がおかしいぞ」
俺はふと呟いた。
「数億円残ったって……なにも横領して補填する必要はないだろ」
そこまで隠し通すなら、いくらでもやりようはある。
重ねて犯罪を犯さなくたって、数億くらい……裏からいくらでも、補填すればいいのだ。
「上村……」
俺は眉を顰め、彼に対して凄んで見せる。
「この期に及んで、何か隠しているな?」
「い、今の社長に、そうしろと言われたんだ。『横領』という形にしろって、そういう命令だったんだ……」
「『横領』、という形にしろ?」
……ケシー。こいつ、何か隠してないか?『うーん。全然そういう風には見えないですね。本当に、これ以上は何も知らない雰囲気です』……そうか、わかった。
全然納得できないが、ケシーのお墨付きが貰えてしまった以上、これ以上この洞穴で議論しても無駄だ。そもそもこの上村が知っているのは……真相の上辺だけで、その裏にある本当の真実については、何も知らないのではないか。つまりこいつが知らされているのは、いわゆる偽情報なのでは?
「まあわかった。わかってないが、とりあえずいい。それでこの話が、今回の件にどう繋がる?」
「債務整理に、米系の外資が入ったと言ったろう」
いまだ怯えている上村は、俺の機嫌を伺うような声色で言った。
「その外資を通じて、アメリカの……たぶんCIAとかから、こっちに話が来たんだ。あの部隊をうちの社員として偽装して、至急回収に向かうようにと。その際の監督役として……私が選ばれた。私はずっと、汚れ仕事を請け負ってきたから。今回の件も成功させれば、次期社長は間違いないって……」
「そうか、わかった」
こいつはこれ以上、何も知らないだろう。
立ち上がると、俺はキャロルの方を向いた。
「それじゃあ、この上村をどうする?」
「とりあえず同伴して帰投し……病院に行かせよう。本国側の人員がこちらに到着するから、そちらに任せる」
「よし、わかった。それじゃあ行くぞ、上村」
◆◆◆◆◆◆
ダンジョンから無事に帰投すると、上村はとりあえず、病院に送られることとなった。
俺たちは搬送先の病院に同行すると、キャロルがいう本国側の人員とやらが到着するまでの繋ぎとして、そこで彼の監視にあたる。
「上村だけど、命に別条は無いってよ」
通路のベンチに腰掛けるキャロルに、俺は医者から聞いたことを伝えた。
「そうか。あの冒涜的変態が、腕以外に転移していなくてよかったな」
「それで、いつ引き継ぎの連中が来る?」
「もうすぐだ。上村を……いやこの場を彼らに引き渡せば、晴れて任務完了、といったところだな」
その人員とやらと連絡を取ってると思わしきキャロルは、スマホをススっと触る。
「水樹、上村の病室は何号室だった?」
「319だ」
「了解」
キャロルにそう伝えてから、俺は上村がいる319号室へと向かった。病室には多智花さんを張り付けているから、もしも上村が逃げ出そうなんて気を起こしても、彼女の魅了スキルで制圧できるだろう。もっとも、あの男に片腕を切り落とされた状態で逃走中を開始するようなガッツがあるとは思えないが。
『いやあでも、今回はかなり危なかったですねー』心の中で、ケシーがそう呟いた。そうだな……かなりやばかった。もう金輪際、こういう危ない橋を渡るのは無しにしよう。お前の言うことを聞いておけばよかったよ、本当に。『でもでも! 結果的に、上手くいってよかったですね! さすがズッキーさん!』うむ……まあ色々と裏事情もわかったし……その全てに納得したわけではないが、とにかく知ることができたし。良かったか。
それに……なんだかこれ以上は、本当に知っちゃいけない領域のような気がするしな。『マジですね!』
ケシーとそんなことを話していると、319号室が並ぶ病棟の廊下にたどり着く。
病室の前には、スマホをポチポチ触りながら監視にあたっている多智花さんがいた。
「上村の様子はどうです?」
「あ、全然大丈夫です。と思います、たぶん」
俺と多智花さんは、319号室の中を覗いて上村の様子を見る。斬り落とした右腕に包帯をグルグル巻きにされた上村は、いろんな薬の影響でうんうんと唸りながらベッドで横たわっていた。
「まあ、大丈夫そうだな」
あの状態ならば、監視無しでも逃げられることはあるまい。とはいえあとは引き渡すだけなので、監視は継続するが。
「でも、あのエクスカリバー……『スキルワーム』でしたっけ? いったいなんなんでしょうね」
廊下に戻ると、多智花さんがそう聞いた。
「さあな……あまり知りたいとも思えない」
そう答えながら、俺はあの『スキルワーム』の説明について思い出していた。
対象を無制限に情報化し、これを無制限に抜き取る。
この情報は改竄可能である。
改竄可能である。
この一文が引っかかる。あのエクスカリバーとやら……ボス化したアラクネの能力を見るに、ただの情報を入手するためのスキルではなさそうだが。
そんなことを話していると……不意に。
俺たちは、鈍い耳鳴りのような音に襲われた。
ギィン…………ッ。
「んっ?」
「んぐ……?」
謎の耳鳴りに同時に襲われた俺たちは、周囲を見渡してから、再び目を合わせる。
「今のは?」
「なにか、耳鳴りが……」
すると廊下の奥から、慌てた様子の看護師が二人駆けてきた。
「ちょっとどいてくださいねー」
「はい、すみませんねー」
よほど急いでいるのか謝辞もそこそこに、彼女らは一目散に319号室へと入ると、上村が横たわっているベッドに集まり始めた。様子を見るに、ナースコールか何かで呼ばれたのだ。
「えっ、ど、どうしたんですか?」
俺は慌てて病室に入り、何事かを尋ねる。
「どうされました? ご家族の方ですか?」
「いや、この上村の……見舞いに来たものです。どうかしたんですか?」
「上村?」
点滴を取り替えようとしている看護師が、眉を潜める。
「上村というのは? 誰のことです?」
「はい? いやだから、この人ですけど……」
そう言った瞬間、俺はあることに気づいた。
そのベッドに寝ているのは、あの上村ではなく……俺の全然知らない、見たこともない老人だった。
「……は?」
「すみません。処置の邪魔になりますので、またあとにしていただけますか?」
看護師は俺のことを丁重に邪険にすると、その老人の処置に戻った。
「…………」
唖然としながら病室から出ると、部屋番号を確認する。
そこは319号室ではなく、318号室だった。
「……ん?」
「あの、上村さんどうしたんですか?」
多智花さんが心配そうに聞いてくる。
「もしかして、どこか悪くなったんですか?」
「いや、違う。ここは……318号室だ」
「はい?」
俺は右隣の病室を見た。
隣は317号室だ。
振り返って、左隣の病室も確認する。
そこは320号室だった。
「…………あ?」
何度か見ても、目を凝らしても、俺たちは318号室の前に立っていた。
右隣は317号室で、左隣は320号室だった。
317号室、318号室、320号室。
「多智花さん、319号室はどこだ?」
「え? いや、ここが319号室じゃないですか?」
「いや違う。319号室が無い」
「え? ……あれ、ほんとだ。えっ?」
部屋番号を自分の目で見た多智花さんは、何事かを理解して、いや理解できないまでもどういう状態であるかを理解して、目を白黒させる。
「でも……さっきまで、いや今まで、319号室にいたんですけど?」
「…………」
「そもそも、319号室はどこに行ったんですか?」
俺と多智花さんは、念のため318号室と、右隣の317号室と、左隣の320号室の中を改めた。しかしどの病室にも、どのベッドにも、あの上村の姿はなかった。全てのベッドは埋まっていて、彼は最初から、そのどの病室にも割り当てられていなかったのだ。
「……キャロルと合流しよう。どういうことなのか、全くわからない」
「そ……そうですね。はい」
俺たちは急ぎ3階から、キャロルが人員を待っている1階へと向かった。
途中で病棟内の地図を見たが、やはり319号室は欠番となっていて見当たらない。4番や13番は、ことに病院では不吉だから使われないというが、まさにそういった抜け方だった。だが俺たちは先ほどまで確かに319号室の前にいて、そもそも319なんていう何気ない数字を欠番にする必要性はないし、そもそものそもそもで、319号室どころか上村すらいなくなっているのだ。
1階に降りると、ホールの入り口前に人だかりが出来ていた。
その中心で倒れているのは、キャロルだ。
「……は? キャロル、どうした!?」
俺が駆け寄ると、看護師や医者に囲まれていたキャロルは、冷や汗を流しながら俺に呻く。
「ぁ……み、ミズキ。ちょっと……立ちくらみがしてな。問題ない」
「な、なんだ? 一体…………」
そこで俺は、キャロルの首筋に血管が浮き上がっているのに気づいた。
看護師が彼女を近くの部屋に連れて行き、病状を見るために上半身の服を脱がせる。
すると首筋から背中にかけて、大きな青痣のようなものが浮かんでいた。
「……アラクネの毒霧を受けた部分だ。違和感はあったのだが、少しずつ悪くなってる」
「痛むのか?」
「痛むというよりは……強烈な違和感というべきかな。冷や汗が出て仕方ない。気持ち悪い……」
「……なあ、キャロル」
俺の頭の中には、あまり受け入れたくないがそうとしか思えない仮説が思い浮かんでいる。
「これ……もしかしてだが……アレが起こってるんじゃ?」
P2部隊の面々や上村に起こった、あの冒涜的すぎる変態。
このキャロルの症状は、あの変態の一種なのではないか?
顔をしかめるキャロルは、背中を気にしながらコクコクと頷いた。
「エクスカリバーの……何らかの効果かもしれない。継続ダメージか……上村は? 彼にスキルを使わせて、打開策を探ろう」
「それが……」
彼女に事の次第を説明すると、彼女は眉間に皺を寄せた。
「……は? なんだって?」
キャロルの額から、冷や汗がツウっと流れる。




