96話 俺の心の中の諸葛孔明
生田目夫妻が、俺に申し訳なさそうに電話してきたことを覚えている。
その言葉尻から、上村からかなり無理強いな営業を畳みかけられたことがわかった。上村は決して無能な人間ではない。支店長という座にいる以上、その営業手腕や能力は確かなもの。その口車に嵌められてしまったのだろう。
上村の勧めで、夫妻がかなりの額を金融商品に換えたことは明白だった。しかし、だからといって、夫妻が同意している以上俺が反対することでもない。そういうことでもって、この一件はそのままいけば、ただ俺の後味が悪いだけの社内政治な事件で終わるはずだった。
その一年後に、生田目夫妻が交通事故で亡くなるまでは。
夫妻の急死にあたって、俺はすでに担当から外れていたのだが、一応の義理として葬式に参加した。そこで夫妻の資産である3億円が、ごっそりと無くなっていることを知った。上村が引き出させて、何らかの目的で利用したのだ。それが売上の充填か、はたまた別の顧客の損失補填か、完全な私欲であったかは定かではない。とにかく、明白なことはただひとつだった。
上村がやったのだ。それ以外に考えられない。
俺は業務の傍、上村の横領の証拠を集めるために動いた。さまざま調べる中で、上村の支店長としての売り上げや、損失の補填は無いように見えた。だが、3億円はどこに行ってしまったのだ? 上村とて馬鹿ではない。ただ単に自分が着服するために横領をしでかしたとは考えづらい。昭和や昔ならいざ知らず、リスクが大き過ぎる。着服せざるをえない目的があったと考えられた。しかし、それが何なのかがサッパリわからない。
そうして社内の裏事情を探っていた俺は、あえなく左遷された。
◆◆◆◆◆◆
展開したスキルブックから、躊躇せずに『火炎』の重ね掛けショートカットを選択した。覚醒スキルブックによる追加機能のひとつ。これまでのような煩雑な操作を行わずとも、俺は瞬間で複数強化による大火力を放つことができる。
「『スキルブック』、『火炎』!」
スキルブックが自動で強化を重ねて即時発動した『火炎』は、瞬間で洞穴全体を業火の渦に飲み込まんとして俺の前方に溢れ出した。
「うおおっ! やばいぞ!」
「主任、こっちへ」
悲鳴を上げた上村専務を、中東系の女性が引っ張って天井の岩の中へと連れていく。
まともに受ければ即死間違いなしの火炎が洞穴の中を一通り舐め終わると、目の前には、彼らの姿は見えなかった。
「岩の中に消えた! どういうスキルだ!?」
「わからん!」
そう叫んだのは、防御系のスキルで火炎から多智花さんを守っていたキャロルだ。彼女は周囲に展開した半透明の卵の殻の如き防御壁を閉じると、剣を抜く。
「物体をすり抜けて移動するようなスキルは、存在していないはずだが!」
「無いのか!? 『透過』とは違うのか!?」
「あれがすり抜けるのは攻撃だけ! そんな便利スキルがあったら、誰もダンジョン攻略に苦労してない!」
「せ、戦闘ですかぁ!?」
「タチバナ、立て! 背中合わせに!」
キャロルが叫び、絶賛混乱中のアイドル多智花さんを引っ張って立ち上がらせる。
俺たちは互いの背中を預け合うと、三方を警戒する体勢を組んだ。
「……どこから来る?」
スキルブックに手を伸ばしながら、俺はグルリと周囲を見渡して呟く。
「タチバナ、岩壁の全てを警戒しろ」
「は、はい! どうすればいいですか!?」
「気付いたら、とにかく何か打ってくれ」
「打てといっても、私『誘導』と『怪しい踊り』しかできませんが!?」
「それじゃあ踊って! 強化してくれ!」
そんな風に呼びかけ合っていると、どこからか声が響く。
「水樹君!」
その声は、あの上村専務。岩壁の向こう側から響いてくるその声は、水の中から呼びかけたような、妙にくぐもった声色になっている。
「君は包囲されているぞ、大人しく観念したまえ!」
「『観念したまえ』なんてセリフを、現実で聞くとは思ってなかったな!」俺は強がってそう返した。「時代劇の見過ぎじゃないのか?」
すると今度は、別の声が岩壁から響いてくる。
「『人間核爆弾』をこちらに引き渡せば、これ以上の攻撃は仕掛けない」この野太さは……あの黒人の声だ。「拒否する場合、一人ずつ行動不能状態にして、どちらにしろ引き渡してもらう」
「…………」
そういうわけか。俺は返事をせずに、思考する。
チームのリーダーが俺であると見込んだ奴らは、全員を壊滅させなくとも俺だけ奪取すれば……例のスキルの場所も、全てわかると踏んでいる。逆にいえば、奴らは例のスキルの現在地までは知らない。知っているなら、わざわざこんな交渉をかます必要はない。もしくは大火力を有するスキルブックは、奴らにとっても厄介ということか。
「我々に敵うとでも思っているのか!」キャロルが負けじと、やや古風な言い回しで返す。「我らの戦力はREAの長たる私と、泣く子も黙る人間核爆弾! それに、この巨乳アイドルは……! えーと、その……とにかくアレだ! こう見えても、すごい系の奴だ!」
「私の紹介雑では!?」
多智花さんがつっこんだ瞬間。
俺は自分の足が、何者かに掴まれていることに気づいた。
ふと足元を見てみると、そこには女性がいた。
まるで水面から顔を出すようにして、岩だらけの地面から顔を出しているあの女性戦士。彼女は俺の右足首を掴んで、指で「チッチッ」といわせる。
「……は?」
「ゴタゴタと交渉するつもりはない」
彼女がそう言った瞬間。
俺は足首から下へと引っ張られて、まるで底無し沼に引き摺り込まれるかのように、硬いはずの地面へとグチャリと沈んだ。
「うおおおっ!?」
「ミズキ!」
反応したキャロルが剣を振り下ろし、俺を地面へと引き摺り込もうとする女性に斬りかかる。しかし彼女は、その一瞬前に再び地面の中へと完全に潜り込み、姿を消してしまった。
地面に沈み込んだ俺の足は、そのままの状態で固定される。まるでセメントで固められたかのようだ。
「な、なんだこれっ、抜けない!」俺は焦って叫んだ。「足が埋まった!」
「ちぃっ!? これは!」キャロルが、再び剣を構えながら周囲を見渡す。「貴様ら……やはりフィラデルフィア計画の! 噂は本当だったのか!」
「えっ!? マジで……!?」
「ご名答」
ズッ……とゲームのバグ技のように石壁から抜け出たのは、あの山のような体格の黒人。
「我らは対人専門冒険部隊……Philadelphia2」
さらに別の壁から現れたのは、俺を岩中に引き摺り込んだアラブ人。
「第二次フィラデルフィア計画によって生まれた、超人冒険者部隊」
天井からズルッと滴り落ちるようにして、さらに一人。
上村を抱えながら現れたのは、あの金髪の白人だ。
「君たちに勝ち目はない……という奴だな」
◆◆◆◆◆◆
「奴らは第二次フィラデルフィア計画の被験体!」対峙しながら、キャロルが叫ぶ。「ダンジョンのスキルと科学技術を組み合わせたステルス兵士の研究! 眉唾ものではあったが、成功していたとはな!」
「最後に、もう一度だけ言っておく」手に大斧を持った黒人が、冷徹な声色で言った。「武装を解除し、ミズキリョウスケを引き渡せ」
「命だけは助けてあげるわ」
女戦士がそう補足して、こちらを品定めするかのように眺める。
「キャロル、どうする!」
「倒すしかない! やれ!」
彼女が言い終わる前に、俺は再び『火炎』のショートカットを起動していた。
洞穴全体を舐め回すような炎が再び爆発し、目の前の敵を薙ぎ倒す。
だがその炎が消えてみると……やはり目の前には、奴らの姿は無い。
「また消えたぞ!」
「どこからか来る! 警戒しろ! 見つけた瞬間に打つ!」
「ええと、私は踊ります! 誰に何を強化したらいいですか!?」
「ミズキに敏捷! 一応!」
「お、おーいえー!♪ やばいー! やばすぎー!♫ 死にたくないー! もう一人じゃないー! 誰か助けてぇー!♬」
アイドルコスプレ多智花さんが半泣きでマイクを握って歌い出すと、俺は自分の体が軽くなったように感じた。身体の強張りが取れて、どんな風にでも動けるような気がしてくる。敏捷値が上昇し、身体操作に関わる全てに強化がかかったのだ。
『ズッキーさんっ! 上っ!』
ケシーの叫び声と同時に、俺は素早く上を見上げた。明らかに反応速度も上がっている。頭上では天井の岩から上半身だけを出した黒人が、今まさに俺に向かってハンマーを振り下ろしていた。
「ぐぉおっ!」
足が動かせない俺は、頭上から振り下ろされた大槌を斜め後ろへと腰と背中をねじってギリギリで回避する。敏捷が強化されていなければ、確実に直撃していた。俺の胸を刈り取るようにして振り下ろされたハンマーは、俺の胸を掠めながら空を切って大きな半円を描き……
「いえーっ!♪ えっ!?」
俺の後ろで歌っていた、多智花さんに直撃する軌道となった。
大男が繰り出した人体破壊不可避な大槌の先端が、多智花さんの豊満ボディの鳩尾付近に直撃しようとする。よくて重傷、悪くて即死レベルの一撃。
しかしその直撃の瞬間に起きたのは、予想外の光景だった。
「えぐぁっ!?」
ハンマーが多智花さんの体を打ち据え、うめき声を漏らす。
しかしその瞬間、接触地点を中心として、発光する十字架のような紋様が浮かび上がった。
「ちっ…………外したか」
その十字架が消えた瞬間、多智花さんの姿が消える。
彼女の代わりに出現したのは……あの金髪ウェーブの、聖書引用白人だ。
「えっ!?」
「っづぁっ!」
突如多智花さんと入れ替わった金髪に、キャロルが横薙ぎの一閃を叩き込む。
その剣が白人の身体を真っ二つにする寸前に、彼は地面から手を伸ばした女性に地面の中へと引っ張り込まれて、また姿を消した。
「っちぃ!」
「多智花さんは!? どこに行った!?」
周囲を見ると、多智花さんをすぐに発見。彼女は石壁の中に頭から体を突っ込む形でのめり込んでおり、アイドルコスプレのスカートを履いたお尻を壁から突き出している。
「ミズキ! タチバナがまた壁尻になってる!」
「また!? 持ちネタなのか!?」
「位置を入れ替えるスキルだ!」キャロルが叫ぶ。「攻撃を当てることで、対象と自分の位置を入れ替えるスキル! それで水樹を狙ったのが、誤って多智花に命中した!」
「あれ、見た目以上にやばくないかっ!? 呼吸できてないんじゃないのか!?」
しかし満足に混乱する間もなく、次の矢。
今度は地面から鼠取りのトラップのように繰り出されたハンマーが、弧を描いて俺を襲う。
「ぐおっ!」
『あっ! あっぶなーい!』
ハンマーの先端が激突した瞬間、目の前にまたもや十字架が現れた。
しかしそれは、俺の体を捉えてはいない。俺の胸にぶち当たる直前で、見えない壁に阻まれたかのように、急停止したのだ。
「……っ!?」
次の瞬間、俺のジャケットのポケットが弾けて、金髪の白人が目の前に現れる。
「はっ!?」
「やっ!」
「『火炎』っ!」
突如として目の前に現れた金髪は、上から女に引っ張り上げられてキャロルの太刀をギリギリで回避する。
しかしそこに、スキルブックの『火炎』が襲った。
天井の岩に潜り込もうとした寸前、上方向へと放った炎が天井までの火柱を派手にぶち上げ、炎の滝の如き勢いで金髪の体と女の腕を焼く。
「うぎゃあっ!?」
「づぅっ!」
大火力で肌を焼かれた彼らは、瞬時に岩壁の中に潜り込む。そこまでは火炎も入っていけず、スキルブックは『火炎』の発動を終了した。
そのまま数秒警戒するが、次の攻撃が来る気配はない。
「……撤退したか?」
「そう信じよう! まずは多智花さんを助け出さないと!」
キャロルが剣刃で俺の足元を削り、埋まっていた足を引き摺り出す。
そのまま俺が周囲の警戒にあたり、キャロルが壁尻となった多智花さんを救出した。
「ぶ、ぶはあっ!? ふぇーっ! ひぃーっ!」
「大丈夫か、タチバナ!」
「し、死ぬかと思いました! 窒息死するかと思いました!」
「間に合ってよかった! 壁尻のまま死ななくてよかった!」
「どうやら、本当に退散してくれたようだな……」
追撃がないことを確認して、俺は一息つく。
どうやら相手の中で戦えるのは……上村を除いた、金髪・黒人・女の三人。そのうち二人に深傷を負わせたため、回復のために一時撤退したのだろう。
「しかし……危なかったな」
直前までの戦闘を思い返しながら、俺はいまだに鳥肌を立てている。ギリギリのところで撃退に成功したが……本当に危なかった。というよりむしろ、ほぼ負けていたといって良い。
やはり、このスキルブック。覚醒によって操作性が向上したとはいえ、速攻の近距離戦闘には向かない。色々とスキル自体は準備していたわけだが、焦って何も使えず、結局は使い慣れた『火炎』に頼ってしまった。要練習というところか。
「奴の位置を入れ替えるスキルが、水樹の胸ポケットの中の何かに反応して……誤作動で入れ替わってくれたのだな」
そう言って、キャロルは俺の破裂した胸ポケットをポンポンと叩いた。
「運がよかったな。本当なら、ミズキはあのまま連れ去られていただろう」
「ああ、ギリギリだった……」俺は冷や汗を拭う。「あんな奴らと戦う気にはなれない。ここは退散するか」
「そうだな」キャロルが言った。「イギリス政府直々の命令とはいえ、ここまで命を賭けることもない。ここは撤退しよう」
「そうだな……ん? 待てよ?」
俺は何かを忘れているような気がして、自分の体をペタペタと触る。
何か大事なものが無いような気がしてならなかった。
というか、そもそも……
あの金髪は、俺の胸ポケットの、何と入れ替わったのだ?
「…………ああああああーーーーーーっ!!!!????」
それにようやく気付いて、俺は叫び声をあげる。
「け、ケシーがいない!?」
「えっ、ケシー殿が!? なんで!?」
「入れ替わったのは、ケシーなんだよ! やばい! ケシーが連れ去られた!」
「ええええーーーーっ!?」
「やばい、やばい!」
身体のどこをペタペタ触っても、ポケットの中にいたはずのケシーがいない。心の中で呼びかけても答えてくれない。
ケシー!? いるなら返事しろ!
あのとき胸に直撃する直前に攻撃が止まったのは、当たり判定が胸ポケットの中に潜んでいたケシーで止まったからか!
「ケシーが連れ去られた! どうすればいい!」
「ミズキ、落ち着け!」焦って駆け出そうとする俺を、キャロルが制止する。「ケシー殿が連れ去られたのは……たしかにまずいが! 焦るな! 落ち着け!」
「一刻も早く助け出す! 俺は行くぞ!」
「ちょ、ちょっと待ちましょう!」
慌てて多智花さんも、俺のジャケットを掴んだ。
「このまま行っても……またやられるだけですよ!」
「そうかもしれないが……!」
冷静さを欠いた俺は、反論のための思考回路を回すことができずに言葉に詰まった。
思えばあの日以来、ケシーとは片時も離れたことがなかった。
そのケシーが今、敵の手に落ちたのだ。一体どうすれば……どうすればいい!?
「……い、いいか……」俺は声を震わせながら、二人に語りかける。「お前たち二人が帰投するとしても……俺はこのまま、奴らを襲撃してケシーを救出するからな。絶対にだ。エクスカリバーなんぞどうだっていい。ケシーが最優先だ!」
「わかった、わかった。落ち着け、ミズキ。協力するから」
キャロルが俺を落ち着かせるように、背中をポンポンと叩く。まるで聞き分けのない子供を優しくなだめるような態度に、俺の頭がほんの少し、0.2℃だけ冷えた。
「……くそっ」
「ケシー殿はエクスカリバーへの順路を知っている。身に危険があれば、それを話すはずだ」
「なら急いで向かう。奴ら、全員八つ裂きにしてくれる」
「待ってくださいね、水樹さん」多智花さんが、オロオロとして言う。「このまま行っても、返り討ちに合うだけかと……! だって、さっきボコボコにされたわけですし……!」
「ならどうすればいい!?」
「よし……ならこうしよう」
キャロルは俺たちを集めると、囁くように話し始めた。
「水樹の『スキルブック』による破壊的威力は、岩中に潜る奴らにとっても脅威のはず。奴らはそれを見越して、水樹の身柄を最優先で狙ったのだろう」
「後先考えずに全力強化で『スキルブック』を打てば……奴らは全員やれる」答えたのは俺だ。「このダンジョンがもつかは、わからないがな」
「だな。だから我々はこのままエクスカリバーの回収地点まで向かい、そこで改めて奴らと相対し、返さなければこのダンジョンごと吹き飛ばすと交渉しよう」
「でもそれって、実質ゼロイチの交換ですよね……?」疑問を挟むのは多智花さん。「こちらからも、何か差し出さないと難しいのかなと……」
たしかにそうだ。俺は数秒考えてから、改めて口を開く。
「なら……先に回収地点まで全力で向かい、そこで奴らを待とう。そこでエクスカリバーを先んじて入手し、ケシー殿と交換する」
「…………よし、それでいこう」俺は頷いて答える。「奴らも、ケシーから情報を引き出すまではタイムラグがあるはず。全速力で行けば先に到着できる」
「よし、急ごう」
■■■■■■
途中で遭遇したモンスターを瞬殺しながら全速力でダンジョンを駆け抜けた俺たちは、詩のぶから告げられていた最終到達地点にたどり着いた。暗い洞穴の中には軽装な外国人の遺体が三つ転がっていて、引き裂かれた体から飛び散った大量の血が乾き、地面にこびりついている。
だがその凄惨さにショックを受けたり、彼らの冥福を祈ったりしている精神的時間的な余力はない。俺たちは飛びつくようにして遺体に近づくと、それぞれ墓荒らしばりにステータスを開いた。
「…………」
「どうだ、ミズキ。該当するスキルはあったか?」
「……だめだ、無い!」
「こっちにも……ないです! 多分ないですー!」
どの遺体のステータスをいくら探しても、該当するスキルは見当たらない。
モンスターに殺されて、ドロップしたか……!
「なら、近辺のボス・モンスターが保有しているはずだ。見つけに行こう」
「そうだな……っと」
そうして立ち上がったとき、通路の奥から人影が現れる。
彼らは俺たちの姿を見つけると、「おっと」と口を滑らせた。
「……先に到着されていたか」
現れたのは、超人部隊三人を引き連れた上村専務。
その黒人の手には棒切れが握られていて、その先端にケシーが巻き付けられている。
「ズッキーさーん! ごめんなさいー!」
「ケシー!」
勇んで踏み出した俺を、キャロルが後ろから掴んだ。
「ミズキ。急ぐのはわかるが、待て」
「…………」
立ち止まり、俺は考える。ここで再び対峙するのは予定通りだが……肝心の交渉材料、エクスカリバーを確保できていない。
「持っているフリをしましょう! とりあえず!」
多智花さんが小声で囁いた。
「目当ての死体は……それだな」
上村専務は、そう言って俺たちの足元に転がる死体を指さす。
「どうだ? 例のスキルはあったか?」
「幸いな……」俺は最大限に余裕ぶって、ハッタリを返す。「ドロップしてなくて良かったよ」
「なら、そのスキルを渡してもらおう。渡さなければ、このチビを殺す」
そう言って、上村は棒に巻き付けられているケシーを指差す。
俺は腸が煮え繰り返りそうだったが、その怒りを何とか抑えた。
「……わかった、交換といこう。こちらとしても、こんなスキルよりもそっちのチビの方が大事だ」
「先にスキルを渡せ。その後にチビを引き渡す」
「ケシーの方が先だ」
俺が言った。
「俺たちとしても、エクスカリバーは依頼されて回収しに来ただけだ。そこにいるケシーが無事ならそれでいい。必ずスキルは渡す」
「ダメだ。先にそちらが渡せ」
「話をこじらせるなよ、上村」
俺は語気を強め、最大限に凄む。
「こちらとしても、そっちとの実力差はわかってる。できることなら殺し合いたくないし、それはお互い様だろ。だがいざとなれば……俺は全滅覚悟で、このダンジョンごと吹き飛ばせるんだ」
そう言いながら、俺は必死で言葉を探している。どう説得すれば、奴らにエクスカリバーを持っていると錯覚させて、ケシーだけを先に返してもらえる? ケシーさえ返してもらえば、俺たちはそのまま逃げ帰ったっていいんだ。
「いいか、よく考えろよ。まともに戦えばアンタらが勝つ。そんなことは俺たちもわかってる。つまりはそっちが約束を反故にする可能性はあっても、俺たちがスキルを渡さない理由はない」
「…………」
俺の話を聞いて、上村はやや考え込んでいるようだった。もう少し押せば、ワンチャンスでいける。俺はそう確信する。
「重ねて言っておくが……俺たちは命を賭けてまで、このスキルが欲しいとは思っていない。さっきの戦闘でも、そっちとの実力差はわかった。道連れ覚悟なら倒せるが、そうしたくはない。降参だ。その妖精を先に渡してくれれば、俺たちは大人しく退散する。あんた方だって、それで済むならそうしたいはずだ」
「…………ふむ」
上村専務はため息をつくと、困ったように顔をしかめた。俺の話は筋が通っているように聞こえる。彼は部隊を率いる一応の監督として、どうすればよいか決めかねているのだ。
するとその背後から、腕に真新しい包帯を巻いた中東系が話しかける。
「……主任。あなたは大事なことを忘れています」
「なんだ?」
「何よりも、スキルの確認が先。エクスカリバーを所有しているか、確認を」
…………ちっ。
俺は心の中で、大きく響く舌打ちをした。
このまま考える間を与えなければいけそうだったが……そりゃそうもいかないか!
「たしかに、それもそうだな……おい、水樹くん!」
やることが明確になったことで、心なしか意気揚々とした上村専務が俺の名を呼ぶ。
「ステータスを表示して、本当にエクスカリバーを取得しているか見せろ! スキル欄を見せてくれれば信用しよう!」
「…………わかった。ちょっと待ってくれ」
そう返して、俺は自分のステータスを表示した。
そしてできるだけ、不自然じゃない程度にゆっくりとスキル欄を開くと、それを指でスイ、スイ、と操作し始める。
「ええと……どこに入ったかな」
……ど、どうする。
平静を装ってスキルを探すフリをしながら、俺は内心焦り散らかしていた。
持っていないことがバレたら、そもそもどうしようもない。
いや、ここは正直に持っていないと白状して……大人しく退散することを条件に、交渉し直すか?
いや、いや……ダメだ。
彼らにしてみれば、「持っていない」こと自体が嘘の可能性もあるのだ。
くそっ、どうする。どう誤魔化せばいい。
俺の心の中の諸葛孔明、妙案を閃いてくれ!
「…………どうした? 早く見せないか、水樹くん!」
「……ま、待ってくれ。俺の……ユニークスキルの関係でスキルを大量に保有してて、埋もれちまったんだ。すぐ見つける」
ジリ…………ッ。
背後に立つキャロルが、わずかに体重を移動させたのがわかった。
いくら探しても、『エクスカリバー』は発見してないのだから存在するわけがない。
見せられないならば、その瞬間に嘘はバレる。
その場合、下手すれば同時に戦闘となる可能性もある。
「いいか水樹君! 早く見せないか!? お前は私の部下だった頃から、外面ばっかりよくてとろい奴だったなあ!?」
「………………」
…………仕方ない。
俺はどこか冷えた、頭でそう呟く。
速さ比べだが……殺るか?
大火力の火炎は、すでにショートカットを設定済み。
他にも実戦には未投入ながらも、『電撃』など攻撃スキルはスキルブックに装填されている。
見せようとする瞬間に速射で打てば、全員は難しくとも……頭数は減らせるかもしれない。そして土中に避難したら、間髪入れずにマックスの重ねがけを打てば……。
そう考えて、向こう側をちらりと見やった、そのとき。
俺は、奇妙なものを見た。
「……は?」
上村専務の背後に並んでいる、三人の超人部隊。
そのうちの、一番後ろに立っていた黒人が……宙に浮いているのだ。
よくよく見てみれば、彼の胸から何か生えていた。
それは細かな棘状の毛が蠢く、太い虫の脚に見えた。
「ぐっ……ごぁ……っ?」
天井からぶら下がる何かに胸を突き刺されて浮き上がった黒人は、苦しげに呻きながら身体を震わせた。それに気付いたP2部隊の面々が振り返った瞬間、彼の身体はその場に放り投げられて、岩肌の上に無造作に転がる。
しかし驚いたり何かを叫んだりする暇も無いまま、その脚が他の隊員を襲った。
それは一本ではなく、数本の脚。
蜘蛛のような脚だ。
「な…………っ」
二人が地面の中へと潜り込んで逃げようとする寸前、その蜘蛛の足の先端が彼らを掬うように捉えた。それは肉に突き刺さり、逆側に貫通して身体を持ち上げていく。
「ぐぁ…………!?」
「ぁ…………?」
致命傷を負った彼らはそのまま意識を失ったようで、力が入らなくなった身体をその場に投げ捨てられた。
天井から素早く長い脚が伸びて、白い系がくるくると巻かれ、ちょうど蜘蛛の巣に引っかかった羽虫のように捕獲されていく。
「…………え、えっと?」
俺が思わず後ずさると、サササッと素早く天井から何かが降りて、その姿を露わにした。
それは蜘蛛と人が合体したような生物で、巨大な蜘蛛の身体に女性の上半身がくっついている。背丈で2mほどはあろうかという巨体の人蜘蛛は、たった今捕獲した三人に尻尾を突き刺すと、そこから何かを吸い出し始めた。
「ぉおおぉぉぉ……っ?」
糸にぐるぐる巻きにされた黒人が、まるで自分の身体をジュースのように吸われてどこか性的な喘ぎ声を漏らす。突き刺されて何かを吸い上げる蜘蛛の尻尾は、まるで飲み物を嚥下する人間の喉のようにゴクゴクと膨れ上がった。そして数秒で黒人から何かを吸い出すと、また別の……今度は中東系の女に、その尻尾を突き刺した。
趣味の悪いパニック映画のような、グロ耐性が無い人間は絶対に見てはいけない光景だ。
「……は? ひぃっ」
上村専務が小さな悲鳴を上げて後ずさった瞬間、その人蜘蛛の頭がグルリと回転し、彼のことを見据えた。それは長い髪の女性のような顔で、それが下手に綺麗なのが、なおさら不気味さを増大させている。
「人蜘蛛だ!」
キャロルが叫ぶ。
「レアスキルを吸収して、ボス化したモンスター……! 来るぞ!」




