95話 いわのなかにいるーーーーっ!?
そういうすったもんだがあったものの、俺たちは改めて対峙した。
人数で上回るは、謎の多国籍冒険者集団を率いる上村専務。
これに対するは、多種多様な露出手段を誇る英国最強冒険者と、洞窟坂48のコスプレをした元公務員の無職を擁する俺。正確には、伏兵たるケシーも数えると両陣営はちょうど同数となる。
「貴様らが、噂のP2部隊とやらか?」
上村が率いる三名を眺めたキャロルが、そう呟いた。
「さあな」黒人が答える。「自分の所属をペラペラと答える馬鹿はいない」
「否定しようが、裏は取れている」キャロルが冷ややかに返す。「貴様らは米軍所属の部隊。おおかたCIA辺りから派遣されて、日本籍である小和証券の探索申請に紛れて横取りに来たといった所だろう」
言ってから、キャロルは何かを考え込むようにして腕を組み、軽く首を傾げた。彼女の視線の先には、彼ら部隊を率いている上村が立っている。
「わからないのは……なぜ小和証券が、その手引きをしているのかだが」
「まあとにかく、例の物は早い物勝ち……というわけだ」呟いたのは、金髪の白人。「剣を取る者は皆、剣で滅びる……マタイ26章53節」
こいつさっきも同じこと引用してなかったか。
「ええと……よくわからないので、私はとりあえず黙ってますね!」
一周回って、多智花さんが男らしい諦め方をした。
「そこまで知っているなら、いまさら隠すこともあるまい」
上村専務はニヤリと笑う。
「私は社長の特務命令でこの任務にあたっている。あの世界を牛耳ることができるスキルを、我々の手中に納めるためにな」
「…………」
世界を牛耳ることができるスキル……か。
あまりに仰々しい物言いに、俺はやや眉をひそめた。というよりも、聞いていて自分で恥ずかしくなった。しかしキャロルの噂が正しければ、エクスカリバーには「対象問わずあらゆる情報を盗み出す」という効果がある。それを全力で活用して暗躍できれば、この情報化世界を牛耳るというのも、どだい大袈裟な話ではないだろう。
「アレがあれば、立証不可能なインサイダー取引など無限にし放題。我々小和証券は史上類を見ない急成長を遂げ、米五大ファンドなど一瞬で抜き去れる」
彼はどこか夢見心地な雰囲気でそう言った。
「ゆくゆくは世界金融を支配し、我が社があのロストチャイルド家のように君臨することだろう。そしてその時に社長の座に座るのは……他でもない。この任務を成功させる最大の功労者たるこの私だ」
「もしもそんなことになったら、世界は終わりだろうな」
俺は吐き捨てた。
「雇われの身でそこまで気分が乗ってたわけじゃなかったが……ちょうどよかった。テンションが上がって来た。『エクスカリバー』は俺たちが手に入れる。お前達には、特にお前には絶対に渡さない」
■■■■■■
行政の管理下にあるオオモリ・ダンジョンは、申請順番等によって侵入順序や侵入開始時間、帰投期限が予め決まっている。この決まりはゴブリン脱走事件から管理が一層厳しくなり、以前よりも融通が効かなくなっていた。そして結局の順番としては、上村専務のチームが先行してダンジョンに侵入し、その後に俺たちが続く形となる。
侵入開始時刻まで、俺は待合室のベンチに背中を深く預けて待っていた。
「はあ…………」
俺はふと、深いため息をつく。
久しぶりに、頭に血が上ってしまった。あの上村にちょっと挑発されたくらいで取り乱してしまうとは、我ながら思い出したくもない大失態。それを諌めようとしてくれたケシーまで怒鳴りつけてしまうとは……本当に、どうしようもない。申し訳ない。情けない。『だ、大丈夫ですよう、ズッキーさん』思考に割り込んできたのは、ややオロオロとした様子のケシーだ。『とりあえず、落ち着きましょ。ズッキーさんの頭の中、真っ赤になってて怖かったですよ』……うむ。すまなかった。
「さっきの人って、水樹さんの元上司? なんですよね」
そう言って軽く覗き込んでくるのは、隣に座っていた多智花さんだ。
「そうなるな」
「ただごとじゃない雰囲気でしたけど……一体どうしたんですか?」
「簡単に言えば、横領を告発しようとしたら左遷された」
「横領?」
多智花さんが眉をひそめる。
「水樹さんの元職場って、あの小和証券ですよね」
「そう。あの上村は、その時の支店長で俺の上司。あいつは……顧客の金をごっそり横領したんだ。約3億円な」
「3億ってやばくないですか?」
「ああ……そうだろうな」
俺はふと、物思いに耽るように思い出す。
小和証券の営業マンとしてあくせく働きノルマに追われていた当時、俺は大口の顧客を何人か抱えていた。このような証券営業マンはえてして、一般の人が知ればビックリする金額の目標が課せられている。そして通常、そのようなノルマというのは、十万百万といった営業利益をちまちまと積み重ねていくような地道な営業では、絶対に達成されない。
少数の資産家を顧客として抱え込み、彼らから継続的にドカンドカンとお金を預かることによって、階段を十段も二十段もすっ飛ばすような形で達成していくのだ。
そういうわけで、俺もあの手この手で中小の社長やら小金持ちの資産家やらといった顧客をなんとか開拓していく日々だったわけだ。
そんな顧客の中に、生田目という高齢夫妻がいた。
生田目夫妻は平々凡々、という感じのとてもお金持ちには見えない家庭。しかしその実、妻方の実家の遺産が転がり込んでいて、その額約3億円。といってもすでに年金生活であり、特に贅沢をするわけでもない。子供もいない。そんな夫妻は、飛び込みで営業に来た俺のことを気に入ってくれて、資産の一部、といってもごく一部の運用を任せてくれたのだ。
正直に言って、引っ張ろうと思えばもっと引っ張れた。
それこそ全力で取り掛かれば、資産の大半を預かることもできただろう。だがその頃の俺は、イケイケの若社長のような大口の顧客をすでに数人捕まえていたので、ノルマに対して真剣に困っているわけではなかった。営業成績で同期を蹴散らすような、そういう上昇志向があったわけでもない。なので俺は、彼らの老後の楽しみに協力するような感じで、比較的小口の運用に終始していたわけである。
そんな状況は数ヶ月続いたのだが、ある日に終わりを迎えた。
あの上村支店長が介入し、俺の上から手を伸ばす形で、生田目夫妻を抱え込まれてしまったのだ。
「ミズキ」
キャロルに呼びかけられて、俺は思考の奥底から帰還する。
「もう時間だ、行くぞ」
「わかった。多智花さんも準備はいいか?」
「ええと、大丈夫です。行きましょう!」
待合室からダンジョンの侵入口前に進むと、侵入口には分厚い扉が下されて、硬く閉じられていた。以前のゴブリン脱走の件もあり、オオモリ・ダンジョンの管理体制はより厳格になっている。詩のぶが思いつきで不法侵入した頃に比べると、そのセキュリティはスパイ映画で見るような謎の研究施設のごときレベルになっていた。
「上村の奴らは、『エクスカリバー』の位置まで知っているのかな」
タクティカルな手袋のマジックテープを付け直しながら、俺がふと聞いた。
「どうかな。だが我々と同じような手段を使っていない限りは、位置までは掴んでいないはずだ」
「もしかして……あの人たちと、戦うことになるんです?」
そう聞いたのは多智花さんだ。
「さすがに……そうはならないと信じたい」キャロルは自身なさげに答える。「ダンジョン内で戦うということは、すなわち殺し合うということ。おそらくそういうことにはならん。おそらく。たぶん」
「……なんか、結構戦いそうな気がしているのですが?」
「心配するな」
最後に短く言ったのは、他ならぬ俺だ。
「いざとなれば……奴らは全員、『スキルブック』で吹き飛ばす」
『水樹了介、多智花真木、キャロル・ミドルトン。侵入を開始してください』
会話の途中でスピーカーから案内が流れて、俺たちは歩み出す。
もう何度も訪れた、オオモリ・ダンジョンへの侵入。
そういえば。
この混乱の中で、あの白竜さんはいまだにスヤスヤ寝ているんだろうか。
白竜さんは数世紀単位のお昼寝に入られたようだから、俺と彼が会うことは、もう一生無いのだろう。寿命や生きる時間軸というのがあまりにも違いすぎるというのは、考えものである。
ともかく。とにもかくにも。
こういう危ない橋を渡るのは、これが最後だ。
◆◆◆◆◆◆
仄暗い洞窟の中に、タクティカルライトの鋭い光が差し込んでいる。
「手筈通りに行こう」
キャロルが言った。侵入直後、洞窟の入り口付近だ。
「了解」
俺が返すと、多智花さんが俺の背後に回る。キャロルはさらにその後ろに回り、殿を務めた。そのままスキルブックを起動した俺は、隊列を組みながら前に進む。
即時で『火炎』の重ね掛けを発動待機している俺と、同じく催眠を待機状態の多智花さん。そして抜き身の剣を構えるキャロル。さらにはナビゲーション担当のケシーが、絶えず生体レーダーを全方位に向けながら進む。
『前方、何かいます』心の中で、ケシーがそう呟いた。『たぶん、スライムか何かです。用心してください』
オーケー、ありがとう。
待ち伏せからの奇襲を最大限に警戒しながら進んだ俺たちは、しばらく進んでゴブリンとスライムを数体倒した所で、開けた空間に辿り着いた。
「待ち伏せは無いようだな」そこでようやく、俺は小声で囁く。「ケシーのレーダーにも引っかからない……今の所はだが」
「まだ油断はできないが、一旦休憩しようか」
「そうだな、集中力がもたない」
洞穴の隅に腰を落として、俺たちは壁を背にしながら休憩に入る。各自身体に回していたボディバッグからスポーツドリンクを取り出して、一口飲む。休憩とはいっても、俺はスキルブックを開いたままだし、キャロルの剣は抜かれて握られたままだ。
「そもそもなんですけど……」辺りを憚るような声で、多智花さんが囁いた。「『エクスカリバー』って、どんな感じで見つければいいんですかね?」
「どんな感じ、というと?」
「いやほら、見つけるのはスキルじゃないですか。それってもしかして……死体を漁ったりすることになるのかなあと思ったり……」
「それにはいくつかのパターンがある」栄養補給のタブレットを口に放り込みながら、キャロルがそう答えた。「ステータス化した人間が死亡した場合は、その死体に同じくステータス化した人間が接触することでスキルの譲渡が可能だ。この場合はタチバナが言った通り、死体を漁ることになる。これが一番楽だ」
「えっ、楽? 死体を漁るのが?」
眉間に皺を寄せる多智花さんに、キャロルはこともなげに頷く。
「面倒なパターンは、スキルがドロップしてしまった場合。我々がモンスターを倒すことでスキルを手に入れるように、モンスターもスキルを保有した人間を殺すことで、ドロップしたスキルを入手することがある。その場合は……スキルを手に入れたモンスターを探し出さなくてはならない。かなり大変な捜索になるぞ」
「そうすると……そのモンスターを倒せば、スキルがドロップするのか?」
そう聞いてみると、キャロルは首を横に振った。
「残念ながら、そうではない。モンスターからスキルがドロップする確率は、レアなスキルであればあるほど高いとはいえ……100%でドロップするものではないからな。しかもダンジョン性の生物にはステータス化という概念がないから、死体からスキルを取り出すことも基本的にはできない」
「あ……そっか」
そう。奇妙な話にはなるが、モンスターにステータスという概念はない。ステータスはそもそもが、地球側の存在である『人間』が『ダンジョン』という別の物理法則で動く異空間に適応するために現れた、いわゆる後付けの概念であり、現実を補完するための機能であるから。つまり元から異世界側の生物であるゴブリンやスライムといったダンジョン性の生物には、こちら側から解析することによって彼らの情報をステータスとして認識することはできても、元からステータスなる概念があるわけではない。それは人気漫画の公式キャラブックなどで、各キャラに申し訳程度のステータスが表記されているような。あくまで俺たちが認識しやすいように、そう解釈されていて、それが上手く回っているだけにすぎないのだ。
「だからその場合は、運次第になるな」
『定期連絡です!』俺のジャケットの胸ポケットでぺろぺろ飴玉を舐めているケシーが、俺の心の中に呼びかけた。『生体反応、ありません! 安全です!』ありがとう、ケシー。『てへぺろ!』それって使い方、それであってる?
「でも『エクスカリバー』って……レアなスキルですよね?」多智花さんが、なおもおずおずとして尋ねる。「ということは、ドロップしてモンスターに渡ってる可能性の方が高いんじゃ……?」
「そういえるな。だがそれだけのレアスキルを保有したモンスターならば、間違いなくボス級に成長しているだろう。ダンジョン内の全生物を全滅させる勢いで探すようなことには、おそらくならないから大丈夫だ」
「なんだか急に、大変な探索に思えてきたな」
無事に、死体を漁れることを祈るしかないか。
俺は普通に生きていれば絶対に願わないであろう希望的観測を胸にした。
「よし、そろそろ行こう」
小休止を中断して、俺たちは再び立ち上がる。今度はキャロルが先頭、俺が最後尾で多智花さんを挟み込む隊列。その順序に移動する前に、俺はキャロルを捕まえて、その耳元に囁いた。
「上村チームの姿が無い」
「そうだな」
短く答えたキャロルに、俺はさらに顔を寄せた。
「これはつまり……彼らは正攻法で『エクスカリバー』を探している、ということか?」
「それか我々と同じ形なら、すでに先行されている可能性もあるが」
なおも待ち伏せや盗聴を警戒し続けているキャロルは、掠れるような小声でさらに濁してそう言った。「我々と同じ形」というのはつまり、俺たちが行ったような何らかの方法により、位置情報まで割れているということ。
「その場合はどうする?」
「先んじて回収された場合は、流石にどうしようもない。大人しく帰投して、追加の指示を仰ごう」
「さすがに、殺し合いまではしたくないからな……」
「あとミズキ、耳に息がかかってる。興奮する」
「興奮するな」
「ぎゃっ!?」
とつぜん、ケシーが叫んだ。テレパスの声ではない。それは実際の叫び声だ。
「待って!? ズッキーさっ」
その瞬間、俺は腹部に衝撃を受けた。
体を寄せていたキャロルが突如として素早い後ろ蹴りを放ち、俺の身体を後ろへと吹き飛ばしたのだ。
「ぐぉっ!?」
後方に弾き飛ばされながら、頭部を何かが擦る。フルスイングで振られた金属バットが、後頭部をあわや掠めたかのような冷や汗。そのまま後ろに飛ばされた俺は、素早く体勢を整えて立ち上がった。
「奇襲は完璧に成功したはずだったけど……」
女性にしては低い声が、耳に響く。
それはキャロルでも、多智花さんの声でもなかった。
「……は?」
ふと見上げてみると、声の主はすぐに見つかる。
彼女は洞穴の天井から生えていた。
ズルズルとして逆さまに、洞穴の石天井をすり抜けて降りてきているのは……あの中東系の女性だ。
「いったいどうして、察知されたのかしら」
視線を動かすと、そこからも人間が生えている。
それは皮膚の下に鎧を身に纏ったような体格の黒人で、彼の手にはハンマーのような武器が握られていた。
「攻撃の寸前に誰かが叫んだ。それで避けられた」
「よく相談しなければ、計画は倒れるという奴だな……蔵言15章22節」
「おっ、おおっ!?」
最後に叫んだのは、同じく岩の天井から生えてきた上村専務だ。
「ははっ! なんだかわからんが……こいつはすごい! やれ! やってしまえ!」
『うぎゃーっ!? 『いわのなかにいる』――っ!? 流石に探知できませーん!』




