86話 何もしてないのに壊れた
------------------現在。
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「なあミズキ。何もしてないのにパソコンが壊れたんだ」
「そうか、ヒース。それは大変だな」
「そうなんだよ。こいつは困った。直してくれないか?」
「その前に、一ついいか?」
「なんだ?」
「お前はどうして俺の部屋にいるんだ?」
状況、朝。
状態、布団の中。
起床したばかりの俺を毎朝起こしに来る系の実は俺に惚れている可愛い妹系幼馴染でもないのに上から覗き込んでいるのは、毎朝起こしに来ない系の実は俺に惚れていないハンサム隣人系外国人のヒースだった。
俺の当然の問いかけに、彼はその彫りの深い顔をきょとんとさせる。
「なんでって、助けてほしいんだ。ミズキはパソコンの大先生だろ」
「鍵をかけていたはずだ」
むくりと上体を起こしながら、俺は寝起きでボサついた髪を手櫛でワシャつかせる。
「かかってたな。でも開いたから問題ない」
「どうやって開けた?」
「解錠スキルに決まってるだろ」
絶対に決まってない。
「それは不法侵入なんだ」
「それくらい知ってる。見くびるな」
完璧な開き直り方である。これ以上何も言えまい。
俺は布団から立ち上がると、若干よろつきながらコップで水を一杯飲んで、背筋をえいと伸ばした。
「よし、わかった。その何もしてないのに壊れたパソコンとやら、見に行こう」
「そうこなくっちゃ。家電屋で買ってきたノートパソコンって奴なんだがな、すぐに壊れちまったんだ」
嬉しそうに笑うヒースだが、次の瞬間、彼は不安げに表情を曇らせる。変面のごとき喜怒哀楽の俊敏性。そのミドルからウェルター級のストライカーを連想させる恵まれた体格から見るに、彼にはおそらく感情の方にも瞬発的な筋肉が備わっているのだろう。
「だが、直るものなのか? 僕の見立てでは、何か致命的な状態じゃないかと心配してるんだ。本当に何もしてないのに」
「ヒース、言っておくがな。何もしてないのに壊れたというのは、大体何かしたから壊れたんだぜ」
「僕が嘘をついてるって?」
「そうじゃないが、一般的にはそうなんだ」
「僕に一般的な話は通用しない。昔からそうなんだ」
フハハ、とヒースは笑った。
これ以上突っ込むまい。
「ちなみにどう壊れたんだ?」
「電源がつかない」
「充電切れだろ」
「あまり僕を見くびるなよ。充電してもつかないんだ」
「ならどうしてだ?」
「なあ、とりあえず見てくれよ。なんだって見れば早い。それが一番だ」
彼の部屋に向かいながら、俺は考える。
「何もしてないのに壊れた」という定型文ほどパソコン初心者がよくやるイージーミスを的確に言い表した常套句もないわけで、この世のあらゆる現象は「何かしたからそうなった」場合が大半なわけである。がしかし、最近は致命的なバグを抱えたOSの自動アップデートなど、「本当に何もしてないのに壊れる」事例も無いわけではない。新しく買った製品なら、初期不良ということもありうる。
しかし、充電しても起動しないとなると……それはもはや十中八九ハードウェア側の問題であって、俺にどうこうできるものではないような気もするのだが。
「こっちだ、ミズキ。ちょっと診てくれよ」
隣室のヒースの部屋に上がり、居間に通してもらう。
ダイニングテーブルの上に鎮座していたのは、一台のノートPC。
いたって普通のノートPCだった。
そのキーボードの隙間から、絶えずブスブスとした白煙が立ち上っていることを除けば。
その高い剛性を誇るであろう筐体が、風船を膨らませたように内部から膨張していることを除けば。
明らかに明確にわかりやすく爆発寸前であることを除けば。
「なんだこりゃ!?」
「あ! ミズキさん!」
高い声で俺の名を呼んだのは、ヒースの同居人であるマチルダさん。
テーブルの上で「私は3秒後に爆発するかもしれないです」という無言の主張している膨張ノートPCに怯えているマチルダさんは、フライパンを構えて部屋の隅っこで縮こまっていた。
「助けてくださいー! そのノートパソコンとやら、今にも爆発四散するのではないかという状況なのですー!」
「なんだこれ!? なんでこうなる!?」
「知りませんー! ヒース様が買ってきたのですー!」
マチルダさんと俺が口々に叫んだり悲鳴を上げたりしている最中で、ヒースはその2秒後に爆発しそうな膨張厚型ノートPCをペシペシと叩く。
「スイッチを押しても電源がつかないんだ。どこが悪いのかな」
「どこが悪いとかそういう問題じゃなさそうだが!? いったい何をした!?」
「何もしてない。充電しただけだ」
「充電しただけでこんなことになるか!」
「本当に充電しただけなんだって。充電の勢いが足りないのかと思って、バッテリーとやらに強化スキルを何回か使ったが。それだけだよ」
「バッテリーを強化したらこんなことになるの!?」
「まあ細かいことはいいじゃないか。とりあえず、どうすれば電源がつくんだ?」
「もうつかねえよ!」
「じゃあどうすりゃいい? 叩いてみるか? 家電とやらは叩けば治癒すると聞いたことがあるな。一発ガツンと打ち込んでみるか」
「やめろ! 絶対にやめろ! 爆発物に打撃を加えるな!」
ということで。
やはりというか何というか、「何もしてないのに壊れた」ということは基本的に無いのである。
それは俺にとっても同様で、俺は何もしてないのに壊れスキルを手に入れたわけでもなければ、何もしてないのに演習場を吹き飛ばしたり、何もしてないのに勾留されたり、何もしてないのに全国ニュースになったりしたわけではない。
しかしこの世は大変複雑怪奇な階層構造を有した立体物であるわけで、ここでは絶えず無数の例外やら奇跡やら偶然やら突発的不可解な事象というのを絶えず内包したり生じたりさせているわけである。
つまり、「何もしてないのに壊れる」ということが絶対に無いとはいえない。
俺にしても、ヒースにしても、他の誰かにしても、
この世界にしても。
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ダンジョン統合実働検査演習後の大騒乱は、俺の手には余るというかもはや一個人の手には余りまくって収拾不可能なことになっていた。
巨大な演習場の一角を焼け野原に変えた俺の『スキルブック』は存在が公のものとなり、その処遇を巡って議論がされまくっている最中。ちょうどテレビで流れているニュース番組では、街頭インタビューやら何やらでこんなコメントが寄せられている。
『先日の演習で巨大キマイラを撃退した冒険者について……』
『SNSでは、彼の身柄を拘束して監視するべきという声も……』
『その辺に、核爆弾みたいな人がいるわけでしょ? 怖くて仕方ないですよ。警察とか政府は、ちゃんと対応して欲しいところですけどね。税金払ってるんですから……』
『まあ……自己防衛?』
『首相は、人権を侵害する行為に対して慎重であるべきとの答弁を……』
『野党は件の冒険者についての対応を、与党に対し……』
『バキバキ童貞です』
途中関係無いインタンビューが混じった気もするが、まあ世論の反応というのは大方の予想通り。
『スキルブック』が生じさせた規格外の超火力は、誰が呼んだかSNS上で『人間核爆弾』と揶揄され、その謎の語感の良さからすっかり俺の通称として浸透されつつある。核爆弾というのは本来日本人にとってある程度センシティブな単語であるはずだが、ことこの新元号にあたってはもはや風化しつつある感覚なのだろう。
そして覚醒した『スキルブック』の性能を考えれば、この『人間核爆弾』というネットスラングは……ぜんぜん比喩でもなんでもないということが、実は最大の問題なのだが。
しかしもう一つの問題は、あの大立ち回りの最中に俺の周囲を忙しく飛び回っていた愛すべき相棒、妖精ケシーの存在までもが、多数の目撃者でもってほぼほぼバレかけていることだった。
さて。
そんな風に存在が世界に知れ渡ろうとしている異世界出身の小さな同居人が、現在どうしているかというと。
「おぎゃーっ! 黒ちゃんまじやばーい! おほほーっ! おほほーっ!」
「…………」
「やば! ほんとこの人ヤバすぎー! お腹! お腹よじれてしまいますわーっ! おぎゃぉーっ! おほほーっ! おほほほーっ!」
「…………なあ、ケシー?」
「おほほーっ! おぎゃっ!? うん?」
俺の呼びかけに反応したケシーは、テレビのリモコンの上で素早くタップダンスを踏み、録画の再生を止めた上で振り返る。
「なんですズッキーさん? 今ケシーちゃん、木曜のダウソタウンの録画見るので超多忙なお年頃なのですが?」
「お前……もうちょっと危機感的な物とか、ないのか?」
「ききかん? 何に対する? 松本太志の筋肉はどこまでバキバキになるのかとかそういう危機感ですか?」
俺もそれに対してぜんぜん危機感を覚えていないわけではないが、違う。
「お前がほぼ世間にバレてるとか、何か間違ったらワンチャン研究施設行きなんじゃないかとか、そういう危機感の話だ」
「うーん。まあまあ、そんなこと考えたって仕方ないじゃないですか。これからどうなるかなんて、何もわからんちっちっちなわけですし」
「まあそうなんだが」
「それにですね、もうこうなったらバレたってどうしたの精神ですよ。未知の知的生命体が極秘で研究施設に監禁なんてSF小説の読みすぎで、実際には普通にニュースになって、バリバリに基本的人権を適応してもらえる可能性の方が高いわけでして」
「まあそうなんだが」
「もしそうなったら、きっとハイパーキュートケシーちゃんはテレビにYourTubeに引っ張りだこ! 人気者! 世界初の妖精タレント! えっ!? もしかして松ちゃんと浜ちゃんに会えたりしちゃう!? ゲストで出れたりしちゃう!? うおー! 夢が広がりんぐですねー! 見つかるの悪く無いっすねー!!! そのときはズッキーさんも一緒に出演しましょうねー!」
マシンガンポジティブすぎて妄想が膨らみすぎている妖精だった。
はあ。
俺が溜息をつくと、ケシーはリモコンの上から降りてテーブルの上にコロリと寝転がり、小さな身体で砕いたお菓子を頬張る。
「それに。これからのことは、これからお話ししまくるんでしょ?」
「そうだな」
ピンポン。ピンポン。ピン・ピンポン。
示し合わしたリズムでチャイムが鳴った。
我らが誇る本当のパソコンの大先生。
一人目のご登場である。
水樹「移植も完了して新章突入したし、そろそろこう言っても良いだろう!」
ケシー「よければ、評価ポイントとブックマークよろしくちっちっちでーっす!」
コミカライズ第3話も、コミックガルドで本日更新済み!




