【書籍版】80話 多智花真木の憂鬱③ #
多智花真木は、混乱の中で立ち竦んでいた。
何かと良くしてくれた火又三佐のテロ行為。
水樹了助の拘束。
キャロルと火又の戦闘。
そしてキャロルの被弾と、ボス・キマイラの出現。
混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱・混乱。
思いつきで行った『誘導』による支援は、あの火又三佐を倒すのに役立ったようで良かった。でもこれ以上自分に出来ることは無いように思えたので、どうするべきかわからなかった。
避難した方が、良いのだろうか。
ふと後ろを見ると、指揮室が設置されたテントが見える。
そこに、川谷と馬屋原が入っていくのが見えた。
彼女は市役所職員としてそうした方が良いのかと思い、そのあとに続くことにした。
指揮室に入ると、そこには川谷と馬屋原、そして自衛隊の将官佐官たちが集まっていた。
「一体どうする!?」
「避難は進んでいるのか!?」
「チャーリーと連絡が取れません!」
混乱の様子を、多智花はただただ眺めている。
一体これから、どうなるのだろう。
これからこの人たちは、何をどうするのだろう。
何かすることはありますか……。
そんなことを聞く状況ではないし、たぶん、自分にやることは無いように思える。
「機甲部隊、戦車一両動けます!」
若手の士官が叫んだ。
「繋げ!」
最も立場が上らしい将官が、機甲部隊との無線を取る。無線が繋がるブツッとした音と共に、ノイズの混じった通信音が聞こえてきた。
『こちらデルタ。戦車一両出動準備完了。交戦開始の指示を。オクレ』
「こちら指揮室。待機、待機。命令があるまで動くな。オワリ」
『こちらデルタ。民間人が洞窟性生物と交戦中。視認している。援護したい。交戦開始の指示を。オクレ』
「こちら指揮室。待機しろ! わかったな! オワリ!」
無線を切った将官に対し、周りの士官が詰め寄る。
「将補。機甲部隊に出動の指示を出すべきです」
「民間人2名が交戦中です。戦車部隊が出動すれば、その隙に退避できるかもしれません」
「…………っ」
士官の提言を聞いて、将補は黙りこくった。彼はひどく悩んでいるらしかったが、彼の脳内でどのような計算と勘定が行われているのか、多智花にはわからない。
将補は目を泳がせながら、周囲を見渡した。
そこで彼は、ようやく、多智花と川谷がこの場にいることに気付いたようだった。
「君たちは、大守市の洞窟管理主任だな?」
コクコク、と多智花は頷く。
同じく川谷も、ゴクリと生唾を呑みながら無言で頷いた。
「君たちにも聞きたい。行政側の意見を聞かせて欲しい。機甲部隊を……つまり戦車を出動させるべきか? 戦車にあのキマイラを攻撃させるべきか?」
「出動させないという選択肢があるんですか?」多智花が聞いた。
「出動させないべきです!」川谷が言った。
正反対の提言を成した二人が、互いに互いを見やる。
川谷は一瞬ハッとした様子で多智花の顔を見たが、すぐに将補に向き直った。
「陸将補、戦車は出動させないべきです。現在、至近距離でキマイラと交戦中なのはキャロル・ミドルトンと水樹了介、それにREA。現在交戦しているのは民間人ではなく、全員冒険者です。彼らはそのためにいるんです。さらに、ミドルトンの国籍は英国。下手に戦車でキマイラを攻撃し、誤ってミドルトンを殺すようなことがあれば国際問題になります」
「そんなことを言ってる場合じゃなくないですかっ!?」
多智花は思わず叫んだ。
「陸将補、今すぐ戦車に指示を出し、彼らを戦車砲で援護してください! 事態は切迫しています! 数秒遅れれば間に合わないかもしれません!」
「陸将補!」
川谷が叫ぶ。
「僕は行政の代表として意見しています! 彼らが交戦している周囲には、逃げ遅れている自衛隊員と民間人が大量にいます! あの中心に戦車砲を撃ち込めば、民間人を巻き添えにする可能性があります! そうなれば大変な問題になりますよ! ここは戦車に移動指示を出して演習場正門に回し、キマイラ脱出の最終防衛線として固定するのが正着です!」
「陸将補っ!」
多智花も負けじと叫んだ。
「そんなことを言っている場合じゃ、ありません! 彼らは戦ってるんですよ!? 最大限の火力支援を行うべきです! どっちにしろ! 彼らが殺されてしまったら、次は周囲の人間が一斉に殺されるんです!」
「多智花ぁ!」
雄叫びを上げた川谷が、彼女の胸ぐらに掴みかかった。
「調子に乗るなよ、このアマぁ! 戦車に火力支援をさせて、流れ弾で民間人やあのミドルトンを殺したら、どう責任を取るんだぁっ! 終わりだよ! 俺もお前も将補も終わりだよ! ここは戦車を待機させるのが丸いんだよ! 何もさせてないわけじゃない! 正門の防衛命令を出すんだ! それでみんな納得する! 誰も追及されない!」
「納得ですってぇ!?」
胸ぐらを掴まれながら、多智花は声を裏返した。
「今! ここにいる誰が! 納得したがってるんですかぁ!? 冗談は休み休み言ってくださいよぉ! いいから戦車を出せって言ってるんですよぉおおおっ!」
「黙れ! このっ!」
激情した川谷が、右手の拳を振り上げた。
その暴力の予備動作を視認した瞬間、多智花の身体が委縮する。男性に暴力を振るわれることを予期して、彼女の喉がキュッと締まった。恐怖によって、生来の脆さを誇る多智花の呼吸調節機能は、ハンマーでガラスコップを叩いたかのように崩壊した。
「ひっ! ひぃっ! ひっ!」
自分を守るようにして両手を上げながら、多智花は過呼吸状態に陥ろうとする。涙がボロボロと出てきて、呼吸がみるみる内に不規則になり、彼女は完全に降伏状態になった。
「お前は黙ってろよ! 永遠に黙ってろっ! あいつらに気に入られたくらいでデカイ面しやがって! この低学歴がっ! 脳無しがっ! この僕に意見するんじゃあないっ!」
「ひっ! ひぃっ! ひっ、ぃいいいっ!」
多智花はほとんどパニック状態に陥りながら、自分の呼吸を何とか制御しようとしている。まだ完全に過呼吸にはなっていない。それは長年の経験でわかる。持ち直さなくては。過呼吸からの復帰は、自分の十八番のはずだ。
言い返さなくては。二人を助けるために、状況を打破するために、何かしなくちゃいけない! 自分にできることを! 今度こそ!
「わかったか! もう二度と僕に逆らうな! 戦車は待機だ! 総合的に考えて、それが一番良いんだ!」
「ひっ! ぃっ! ぃいいいいぃいいっ! だ、だらぁあああっ!」
バキンッ。
突如として飛び出した多智花の拳骨が、川谷の顎を殴り上げた。
彼女の恵まれたプロポーションから繰り出されたアッパーカットには、川谷の身体を一瞬宙に浮かせるだけの威力があった。
それは、彼女の一生に一度の火事場の馬鹿力。
彼女の非常に高い魅力値が、無意識に火又の得意とする『自己催眠』と似た効果を自身に生じさせ……脳の筋力制限を一部解除したのだ。
「ぉっ、ごっ…………!?」
プロ格闘家顔負けのアッパーで顎を打ち抜かれた川谷は、そのまま背後に倒れて卒倒した。
「はーっ! はーっ! ふぅーっ! や、やってしまった! ついにやってしまったっ、私!」
人生で初めてアッパーを振り、さらには成人男性を一撃でノックアウトした多智花は、興奮状態で周囲を眺めた。すると、意見を仰いでいた陸将補のみならず、士官たち、さらには馬屋原までもが、自分の凶行に対して完全に引いているのがわかった。
彼らの多智花を見る目は、困惑と恐怖の色に染まっている。
完全にやってしまった。
多智花はどこか吹っ切れた、爽やかな心持ちでそう思った。
まあいいや。
もうとことんやってしまおう。
私って、隠れクズだし。
「せ、戦車を! 戦車の出動命令を出してください! 陸将補っ!」
「い、いや! えっ!? そんな暴力に訴える意見を、聞くわけには……っ!」
「いいから出せってんですよぉ!? ええぇっ!?」
多智花真木は、人生で初めてのブチ切れをかましながら叫ぶ。
「今この瞬間から! この多智花真木が日本行政の総意! 日本の首相! 女ボス! いいから出しなさいっ! このへっぽこ将軍がぁっ!」
「いや、いやいやいや! 誰か、誰かこの女を取り押さえろ!」
「誰がさせるか! 従わないのなら、従わせるまでっ! 『誘導』! 『服従』! 私に従いなさい! 拒否権無し人権一時停止! 戦車は即刻出動! 全力火力支援! 目標ボス・キマイラ! キャロルさんと水樹さんを全力支援しましょうねぇええぇえっ!?」
【WEB版からの変更点】
日本行政の総意を急遽背負うブチギレ多智花真木。
この追加部分もプロットや初稿段階では、もっと静かで落ち着いた雰囲気の、勇気と葛藤のちょっと感動的な場面として書いていました。
しかし連鎖的大改稿のバチバチテンションの中で何故か多智花まで突然ブチギレしだし、突如としてアッパーカットを繰り出した結果、なぜか日本の首相にまで自主就任してしまう。登場人物だけでなく作者も困惑。
テンションが全員カンストして何故か全員ブチギレしだすラストバトルでした。




