【書籍版】79話 なんでもできる子
人々が走り、立ち尽くし、逃げ惑っている演習場。
その中心部へ向け、両刃剣を抜いたキャロルが早足で歩み始めた。
その碧眼が見据えているのは、怪物映画さながらの巨大さを誇るボス・キマイラ。
あれはいったい、どれくらい大きいんだ?
二階建ての家屋を優に超えるであろう背丈……5~6メートル。いやもっとか?
「ミズキ! 強化を打ってくれ!」
「あ、ああ! 任せろ!」
キャロルの後ろに追随しながら、スキルブックのページをめくる。今日の戦闘演習のために、スキルカードの種類とホルダーに収めた位置は覚えている……。
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・『火炎』:対象に火属性の4点ダメージ。スリップダメージ:3(燃焼)
・『ゴブリンの突撃』:1ターン秒の間、あなたが与える近接物理攻撃ダメージにプラス3の上方修正を加える。
・『爆発現象』:2ターン秒の間、炎属性の魔法の威力を2倍にする。
・『手を取り合う増幅』:2ターン秒の間、あなたに付与される強化の効果を2倍にする。
・『透過』:1ターン秒の間、あなたは物理攻撃を受けない
・『拒否』:遡って1ターン秒の間に対象が発動したスキル・魔法を一つ無効化する。
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それに『チップダメージ』。
それぞれ残回数があるが、『火炎』が残り6回ということしか覚えていなかった。
「なあキャロル!」
「なんだ!」
俺が叫ぶと、キャロルは振り向かずに声だけで答えた。
火又のテロ行為と、続けざまに発生したボス・キマイラのおかげで完全な錯乱状態に陥っている演習場は、パニック映画さながらの喧騒に飲み込まれている。そういう種類の映画か、大事件のニュース映像でしか見たことが無いような類の錯綜具合だ。
どこを見たって人が走り回り、叫び回る狂騒状態。
悲鳴ばかりではなく、指示を仰ぐ自衛官たちの大声や、キマイラに対して早くも分隊行動を取ろうとしている部隊の命令下達も聞こえてくる。あらゆる種類の大声が、他の大声でかき消されまいとして声高に飛び交っている。それがなおさら、この状況のパニック感を煽っているようにも感じられた。
この演習場で今のところ一番静かなのは、急速成長から目覚めたばかりの騒動の渦中、眠たげにも見える緩慢な動作で動き始めている巨大なボス・キマイラ本体に他ならない。
「俺が『スキルブック』を使って、バカでかい威力の『火炎』を打ち込んじゃダメなのか!」
俺がそう尋ねると、キャロルが振り返って足を止めた。
演習の最中、『スキルブック』のバグ技で強化を倍加させた『火炎』の威力は144点をマークしたはずだ。それなら、あのキマイラといえども吹き飛ばせるのでは。
「それでは足りない。あのボス・キマイラ、魔法攻撃の防御装甲は1000点分だ」
「……は? 何点って?」
「1000点分だ。HPが50だから、その案で行くならば合計1050点以上の火力を一撃で叩き込む必要がある」
1000点って……。
今までに公式で確認されている最大威力が、87点だったのでは?
桁が二つ違うのだが? そんなのアリか?
「ミズキの強化を全て掛け合わせても足りないはず。理論上可能だったとしても、持続時間内に全てを発動して重ねるのは……物理的に難しいと認識しているが?」
「…………」
足を止めたキャロルに追いついた先で、俺は思わず口元を覆う。
『スキルブック』で同スキルの重ね掛けバグを使うには、一度発動したスキルをホルダーに再装填し、もう一度抜いてから発動するという面倒な手順を踏む必要がある。もうちょっと発動条件がスムーズなら楽なのだが、元々がバグ技めいているのでそこに文句をつけても仕方ない。
今現在、俺が最大威力を出せる組み合わせはこうだ。
強化の効果を2倍にする『手を取り合う増幅』で、『火炎』の威力を2倍にする『爆発現象』に強化をかける。これで強化倍率は2倍×2倍。
『火炎』の威力は4点なので、素の倍率は4倍×4点の16点になる。
この倍率を、『スキルブック』の重ね掛けバグを利用して2+2+2倍…という風に増やしていく。
ホルダーに収められている、『手を取り合う増幅』のカードをちらりと見た。
残回数は7回。『火炎』の威力を倍加させる『爆発現象』の残回数は6回。
MAXで打ち込むとしても、効果の持続時間の2ターン秒……つまりは20秒ほどの間に16回も再装填と発動を繰り返し、最終的に『火炎』のスキルを発動させるのは……物理的に不可能とまでは言えなくとも、現実的にはかなり厳しい。
頭が回らなくて正確な計算はできないが……そもそもMAXで打っても、『スキルブック』の倍率計算でいくと1000点もの威力は出ないはず。800点ぐらいか?
『864点ですよ! ズッキーさーん!』お前暗算できたのかケシー。すごいな。お前なんでもできる子だよな。『それほどでもー!』
「もうわかったな? ミズキの『スキルブック』でも、あのキマイラを倒すことはできない。ここで……私が足止めするしかない」
「だが……怪我は、本当に大丈夫なのか?」
「痛いが、動けないわけではない。大丈夫だ」
そう言って、キャロルは駆け出した。
周囲の人たちに被害を及ぼさないために、自身が矢面に立ってキマイラを引き付けるつもりだ。視線を動かすと、キャロルの行動に連動して、すでに展開を開始しているREAの隊員たちの姿が見えた。火又の配下たちの催眠が解けたことで、ようやくこちらに合流できたようだ。
俺はその場から数歩下がって、彼らの戦いを見守ることにする。
『スキルブック』の大火力すら通用しないならば、俺に出来ることはもはや無い。
戦闘に参加しても足手まといになるだけならば、せめて、彼らが危機に瀕した時にいつでも駆けつけられるように……ここで見守っているしかないだろう。
しかし見守るなどという悠長な時間は、残念ながら存在しなかった。
キマイラの獅子頭。
その大口が開き、いつのまにか……なにやら火花のような赤いエネルギーが集まり始めている。
…………あれ?
アレ、見たことあるぞ。
どこで見たっけ……そうだ。
あのダンジョンで出会った、白竜さんのブレス攻撃の前兆に似てる。
「ズッキーさん! いきなりやばいやばいやばいやばいっすよー!」
次の瞬間、その大口から大火が吐き出された。
その勢いは、土砂崩れか火山の大噴火を思わせる。
一吐きで、すべてを薙ぎ払わんとする炎の大渦。
その大火力の奔流が、数歩下がって満足していた俺の身体をたやすく飲み込んだ。




