【書籍版】77話 とりあえず、着替えさせてくれ!
ギャリッと踵で芝生を削り、俺は立ち止まった。
意識の混濁の中からケシーに救出された俺は、身体のコントロールを取り戻したのだ。
『よっしゃー! 救出成功ー!』助かったっ! ケシー!『ズッキーさんの本能部分を起こすために、私のファーストキスを犠牲にすることになりましたがねー!』精神世界だからノーカン!『初耳!』
頭は24時間も寝ていたように冴え切っていて、謎の万能感が身体中を満たしている。
俺はキャロルに対して構えていた『火炎』と『爆発現象』のカードを振り上げると、もう一枚のカードをホルダーから引き抜きながら身をよじり、振り返って火又の方を向く。
「ん?」
余裕な様子でスマホを弄っていた火又は、俺が突然自分の方を向いたことに気付いた。
「『手を取り合う増幅』、『爆発現象』、『爆発現象』、『火炎』」
2×2+2×4は32点。
吹き飛べ。
ゴオオオオオォォッ!
瞬間、特大の火炎放射器が何十機も重ねられたかのような業火が爆発し、火又の周囲数メートルを呑み込んだ。俺の催眠が解けたことに気付いていなかった火又は、それを避けきれず、完全に真正面から受け止める形となる。
「ぐぁああああああぁああああっ!?」
火炎の渦から脱出した火又は、金切り声を上げながら芝生の上に転がった。
身に纏った戦闘服は黒焦げ、追って来た火の粉がなおも纏わりついている。端正に切りそろえられた短髪も焼かれ、かなりの火傷を負ったらしい皮膚は痛々しく真っ赤に染まっていた。
「ぎゃっ! ぐぉおおおっ! くそっ!? このクソ虫がぁあっ!」
爛れ始めた真っ赤な顔で憤怒の雄叫びを上げながら、火又は俺のことを睨みつける。
「みぃぃいいぃずぅぅうきくぅぅぅうぅうううん! あれだけ良くしてやったのにぃぃぃいいっ!? よくもこの俺を、丸焦げにできたものだなぁあああああっ!」
恐ろし気な怨嗟の声を聴きながら、俺は素早くホルダーへとカードを戻し、次弾を装填する。
次の『火炎』を打たなければ。しかし奇襲以外で、あの火又に攻撃を当てられるか?
そこで、脳内にケシーの声が響く。
『ケシーちゃん速報! 朗報!』なんだ、ケシー!『今の攻撃で、全体にかけられてた魅了スキルが解除されました! 催眠が一斉に解けてます!』マジか!『おほー! 解除のドミノ倒し! 壮観! 大体ケシーちゃんのおっかげー!』
周囲を見やると、俺たちに銃口を向けていた隊員たちの動きが止まっていた。
そんな停止から数瞬のタイムラグを経て、彼らは順々に、ビクッと身体を振るわせる。
授業中の居眠りから突然覚醒した寝坊助学生のように、一人ずつ正常な意識を取り戻しているのだ。
『これほど大規模な催眠!』俺の心の中で、ケシーが嬉しそうに叫ぶ。『いくら消費コストを抑えているとはいえ、あの損傷で維持し続けることはできませーんッ! このウルトラキュートテレパスフェアリーケシー様でもなければねーっ!』よし!『ウッシャー! ヒョッホー!』
覚醒した彼らは、自分が今まで何をしていたのか微妙に分かっていない様子で、キョロキョロと周囲を見渡し始めた。
自分の催眠が一斉に解けていることに気づいた火又は、辺りを眺めて、爛れた顔をさらに引きつらせる。
「ちぃっ…………! くそっ!? くそっ! なんてことだっ! くそぉおおっ!」
焦る火又に対して、俺は攻撃のタイミングを窺っていた。
今打つべきか?
いや。攻撃を外したら、次弾を打つ余裕はきっと無い。
そこで、背後から誰かが駆け寄って来る。
キャロルだ。
「キャロル! 怪我は大丈夫か!?」
「大丈夫だ、直撃はもらっていない!」
弾丸が掠めた肩や腹を押さえながら、キャロルは俺の隣につく。
「それよりも、どうやって催眠を解いた!?」
「ケシーが助けてくれたんだ!」
「どうやって!?」
「そりゃ抱き合ってキスして……いや、なんでもない」
「抱き合ってキス!? なんだそれ!?」
「後で説明する!」
火又へと意識を戻すと、彼はすでに、こちら側へとゆっくり歩を進めていた。
「くびり殺してやるぞ、貴様ら…………! 催眠が解けたところで! たった二人がかりでっ! この俺に勝てるとでも、思っているのかぁぁああっ?」
いいや、思ってない。
全然思ってないです。
憎悪剥き出しで近づいてくる火又に、俺は内心が敬語になってしまう程度にはビビり倒していた。
とりあえずダメージを与えたのは良かったが、これは完全に……『虎の尾を踏んづけてタップダンスした感じですねー!』そう。つまり完璧に怒らせてしまった。一杯食わせて火又の紳士的な化けの皮を表皮と一緒に燃やし剥がすことができたが、今にして思えば剥がれないで欲しかった。優しくて陽気な火又のままでいて欲しかった。
まずい。
これはもう完全に、後先考えずに殺される奴だ。
交渉の余地は自分から燃やして絶ってしまったので戦うしかないのだが、だからといって、キャロルに後手を取ってもカウンターを合わせられる異常な反射神経と催眠と破壊力と格闘能力を有する火又に、たかが壊れスキルの一つや二つで真正面から対抗できる気はしない。
「キャロル、どうする」
「今考えている」
「勝てるか?」
「正直難しい」
だろうな…………俺もそう思うもん。
一応『透過』や『拒否』はあるが、あの速度で襲われたら順番に殺される未来しか見えない。
ケシー、何か名案はあるか?『いや全然無いっす。負けイベですねこれは』だよね。
「両目をくり貫いて、互いのケツの穴に詰め込んでやるぞ……貴様らぁ…………っ!」
憤怒に身体を震わせる火又は、比喩ではない怒りの煙を全身から立ち上らせながら両手をダラリと垂らし、背中を丸めた。
先ほど見た、自己催眠に入る前の予備動作だ。
やばい。
あのスピードで襲われれば、俺など一瞬で八つ裂きにされてしまう。
「来るぞ、ミズキ!」
「どうする!」
「とにかく……とにかく何か打て!」
「ああくそ! やってやる!」
俺とキャロルが叫び合った、そのとき。
「キャロルさんっ!」
混迷極まる広場に、突如として女性の叫び声が響いた。
群衆の中から叫んで飛び出してきたのは、あの多智花さんだ。
「タチバナ?」
「あ? 多智花?」
キャロルと火又が、互いにきょとんとした様子でそんな声を漏らす。
催眠による警戒が解かれた広場で、群衆の前に立った多智花さんは力の限り叫んだ。
「キャロルさん! 私の目を見てくださいーっ! 『誘導』ッ!」
その瞬間。
多智花さんのスキルが発動し、あのキィンという耳鳴り音が響いた。
その耳鳴りが何であるかに気付いて、火又はいささか驚いたように背筋を伸ばす。
「魅了系……? 俺と同系統の使い手!?」
そう呟いた火又は、咄嗟に片手を上げて、自分の両眼を手で隠した。
「ちぃっ! 次から次へと! だが! 催眠において俺に並ぶ者はいない! 魅了対決で敵うものかっ! 『精神防御』!」
魅了系スキルによって攻撃を受けたと思い込んだ火又が、何らかの対抗スキルを発動させる。
しかし多智花さんの対象は、大ボスである火又ではない。
多智花さんが『誘導』の対象に取ったのは……
キャロルの方だった。
「……えっ? 私?」
自分が対象に取られたことに気付いたキャロルは、驚いて自分を指さす。
「『誘導』、『羞恥心』です!」
多智花さんが、声を枯らしながら叫ぶ。
「キャロルさんの感情を、『羞恥心』に『誘導』しました! そのスーツはたしか、羞恥心で強化がかかるはず! たしか! 多分! 私の記憶が正しければ! 間違っていたらごめんなさいー!」
「えっ? 羞恥心?」
「はっ? 羞恥心?」
キャロルと火又は、同時にそんな声を上げた。
お互い、多智花さんの突飛な行動に理解が追い付いていないようだ。
もちろんではあるが、俺も追い付いていない。
「なあ、どういうことだ……」
キャロルにそう尋ねてみたところで、俺は異変に気付いた。
彼女の白い顔が……いつの間にか、ストロベリーじみた真っ赤に染まっている。
「ぉっ……………?」
小さな嗚咽を漏らしたキャロルが眺めているのは、他ならぬ自分の姿。
ドスケベビキニスーツを身に纏った、自分自身の変態的姿である。
甲冑を破壊されてしまった彼女の身体を覆っているのは、乳首と股間しか隠していない紐ビキニ的なデザインのアーマー。
Vバックの紐パンが食い込む丸出しの尻、お腹、背中、脇、胸。
しかもその変態スーツは、キャロルの発汗を吸収しまくって、もうほとんど透け透けになっている。
キャロルはここに来て、自分の格好のゴリゴリな変態性にようやく気付いたようだった。
「は、恥ずかしい……っ!?」
震えながら、キャロルはさらに赤面して呟く。
「えっ!? いまさら恥ずかしいの!?」
「ミズキ、どうしよう! 死ぬほど恥ずかしい! 死にたい! 速やかに死にたい!」
「キャロル!? 落ち着け!」
「えっ!? 何この変態衣装!? どこの世界の変態がこんな服を着るのだ! むしろ着てる方が恥ずかしい! 全裸より恥ずかしいのだが!? どうして私は変態コスプレ衣装で戦っているのだ!?」
「お前が普段着にしたんだろ!」
キャロルの顔がさらに真っ赤に染まっていく。
そうして彼女の顔が羞恥に染まれば染まるほど、その透け透け変態スーツは謎の光源によって輝いた。
そうだった。
この変態スーツは、羞恥心で強化がかかる仕様……。
いつか言っていた通り、コイツはただの変態スーツじゃなかった!『実用性を兼ね備えた変態スーツ!』使える状況が限定的すぎる!
「う、うおおおお! ど、どうしよう! お嫁にいけない! こんなドスケベ衣装では戦えない!」
赤面しきったキャロルはわなわなと震えながら、自分の身体を腕で隠そうとする。
「み、見るな! これは、これは違うのだ! 違う! ミズキの趣味だから! 私が着たくて着てるわけじゃないからなぁ!? 勘違いするなぁ!」
「お前はとつぜん何を言っているんだ!?」
爛れた顔の火又が困惑して叫んだ。
「えっ!? やっぱり水樹さんの趣味だったんですか!?」
多智花さんも驚愕して叫んだ。
「いや違う! いや今はそういう問題じゃない!」
「なんだかよくわからんが、とりあえず殺していいのか?」
「ま、待て! 待てヒマタ! とりあえず、着替えさせてくれ! いいな!?」
「いいわけないがぁあ!? あぁっ!?」
ついに痺れを切らした火又は、こちらへと凄まじい勢いで駆けて来る。
「うおお! 来たぞキャロル!」
「うわあ! 待てと言ったのに!」
「なんだかよくわからんがっ! 食らえっ! キャロル・ミドルトン!」
「う、うおお! うあああああっ! とにかく死ね! 火又少佐!」
混乱の最中、なし崩しに再開してしまった戦闘。
しかし……目の前で起こっている事態は、さすがの火又であろうとも理解の範疇を超えているらしい。
まあそりゃそうだ。
英国最強の金髪美少女冒険者が、甲冑の下にド変態エロアーマーを着込んでいて、しかもそれは汗によって透けたり羞恥心に応じて強化がかかるという特殊性癖仕様であり、多智花さんの精神操作によって今まさにその真価が発揮されようとしている…………などという特殊過ぎる状況をすぐさま超理解するのは、相当な変態的なセンスが無ければ不可能である。
そして火又は、狂人ではあっても変態ではないはずだった。
これはいわば、狂人と変態のぶつかり合いであった。
ついに爆発的な速度で踏み込んだ二人が、剣と蹴りでもって交錯する。
自分と周囲に催眠をかけ続ける狂人と、自分の肢体を晒しながら強化を受け続ける変態。
肉眼では追えない高速の殺し合い。
かろうじて見えたのは、キャロルの剣刃が下から上へと振り上げられた光の残像。
それと同時に、何かが撥ね飛んだ。
それは人間の腕だった。
「ぎゃぁあああっ!」
キャロルの剣斬によって右肘から腕を切断された火又が、凄まじい悲鳴を上げる。
「やぁああああっ!」
キャロルは続けざまに、激痛に悶える彼の身体に容赦なく蹴りを繰り出した。
羞恥心による行動速度の上昇と身体強化が乗ったキャロルの前蹴りは、火又の大柄な体躯をピンボールのように吹き飛ばす。
「ぐぉおおおっ!」
呻き声を上げながら芝生の上に転がされた火又は、素早く立ち上がろうとした所でキャロルに制される。
彼女の両刃剣が、火又の首筋に添えられていた。
「ぐっ…………!」
「動くな、ヒマタ」
顔を真っ赤にしながら、キャロルはそう言い放つ。
「少しでも動けば首を両断する。とくに顔を上げたら殺す」
「なんだ、今の速度は……?」
切断された右腕を押さえる火又は、苦悶の表情を浮かべながらキャロルを見上げた。
「先ほどとレベルが違いすぎる……っ? どういうことだっ!?」
「だから! 私を見るなぁっ!」
「ぐぉっ!?」
理由のある暴力が火又を襲った。
顔を上げた火又に膝蹴りを合わせたキャロルは、倒れた彼の首を足で踏みつけた上で、その首筋に剣刃を添わせる。
「ミズキ! 来てくれ!」
叫んだキャロルが俺の方を振り返ると、彼女はさらにボンッと顔を赤面させた。
「いや、やっぱり来ないで! 後ろ向きで歩いてきて!」
「いやそんな場合じゃないだろ!」
「いいからッ! それ以上見たらミズキの腕も飛ばすからなぁッ!?」
「自分で着てるのに理不尽すぎないか!?」
とにもかくにも、俺は急いでキャロルの下へと駆け寄った。
しかしそこで、空高くから降りてきたケシーが叫ぶ。
「ズッキーさん、待って! あいつ『催眠』を使ってる!」
「なに!? 誰に!?」
「わかんない! とにかく誰かに————」
パンッ。
背後から乾いた銃声が鳴り響いた。
その瞬間。
キャロルの頭が殴りつけられたかのように仰け反り、首を折ってそのまま背後へと倒れるのが見えた。
その光景が意味するところを、俺は一瞬では理解できなかった。
後ろを振り向くと、先ほど火又にクリスタルを渡した隊員が、俺たちの方へ向けて銃を構えている。
しかし次の瞬間には、彼はハッと我に返ったかのように、表情を取り戻した。
「あれっ、えっ?」
「キャロル!」
全力で駆け寄った俺は、倒れた彼女の身体を抱きかかえた。
「ぐぁっ…………!」
被弾したらしいキャロルは、苦し気に顔を歪めて呻いている。
彼女の傍には、銃弾を受けたらしいヘルメットがひしゃげて転がっていた。
「お、おい!? 大丈夫か!?」
「だ、大丈夫だ! ヘルが弾いてくれた! それよりも……ヒマタは!?」
ハッとして、俺はキャロルから目を離す。
目の前にある、キマイラを拘束している檻。
そこに到達した火又が、その手に金色のクリスタルを手にしていた。
「やれやれ」
精魂疲れ果てた様子で、彼は呟く。
「わけのわからないことになったが……今回はここで撤退だな……だがまあ主目標は達成したわけだから、よしとしよう」
「待て————」
「水樹君、また会おう。次は殺すからな」
火又は檻から手を突っ込み、キマイラにクリスタルを押し当てる。
その瞬間、周囲に爆発の如き光線が溢れた。




