【書籍版】76話 残念、今日はここまで!
「………………」
黙り込んだ俺は、『爆発現象』と『火炎』のスキルカードを使用した。
しかし、それは俺の意思ではない。
俺は自分の身体が勝手に動き、攻撃スキルをキャロルに向けて放とうとしている様を……意識の泥沼の中から、まるで映画か何かを見ているかのように、ただただ眺めていた。
強化が乗った『火炎』を、手負いのキャロルに向けて発動する。
爆発的な威力で伸びる火柱が、彼女の小さな体を丸焼きにしようと襲い掛かった。
「グァッ!」
キャロルはその攻撃を、横っ飛びで何とか躱す。
炎に舐められた芝生が燃え焦がされ、辺りに嫌な臭いが広がる。
俺は間髪入れずに、次の『火炎』を準備した。
それはもちろん、全て、俺の意思ではない。
「やめろ! ミズキ!」
「フハハハハ!」
その光景を見て、火又が高笑いする。
「心身を操る魅了系は、あらゆる系統の中で最強のスキル! キャロルくん! 君のような近接戦闘型のスキル構成では、私には勝てん!」
「クソッ……『催眠』か! ミズキぃ!」
悲痛な表情で叫ぶキャロルを、俺が放った次の火炎が襲う。
俺は自分の身体がキャロルを襲う光景を、意識の暗がりの中からただただ眺めていた。
火又の催眠スキルによって意識を一段遠い場所へと押し込まれた俺は、自分の身体の操作権限を完全に失っていた。
無感覚な、操り人形と化してしまった自分の身体。
その一方で、火又の『催眠』によって囚われた俺の自意識は、まるで底なし沼に嵌ってしまったかのように身動きが取れなかった。俺はそこから、どうもがこうとしても動けない。
金縛りのような感覚。意識があるのに自分の身体を動かせないという強烈な違和感で、窒息しそうになる。その中で悶えながら、俺は他でもない自分自身がキャロルを攻撃し続ける光景を、ただただ眺めている。
そうして、ついに。
迸った鮮血が、芝生の上に飛び散った。
「ぐぁああああッ!」
何とか攻撃を躱していたキャロルが、痛々しい呻き声を上げながら芝生の上に転がる。『火炎』を回避した先で、火又の配下が撃った銃弾を避けきれずに、被弾したのだ。
「ぐぅぅううっ!」
弾丸が肩を掠めたらしいキャロルは、態勢を崩しそうになりながらも何とか踏ん張った。
しかし彼女を狙う銃口は、追い打ちをかけるようにして続けざまに発砲される。
「ちぃっ!」
「どうした、キャロルくん」
そんなキャロルの奮闘をスマホ片手にチラチラと眺めていた火又は、まるで他人事のように声をかける。
「一番危険な水樹くんを、先に処理してしまった方が良いんじゃないのか?」
「馬鹿なことを……ッ!」
「おっ! いいぞいいぞぉ? さっきの私の迫真の演説だがな、YourTubeとSNSでバズり始めている! これこそ本当の大炎上だな! まだ燃やすぞ! まだまだ燃やしてやろう! 美しい国、日本を取り戻すためになあ! ぐはははははは!」
火又はそのよく通る声で、高笑いを響かせた。
しかし一方のキャロルには、敵前でスマホを弄っている火又を狙う余裕は無い。
否、自分の身を守りきる余裕すらも。
「ぐぁああっ!」
凌ぎきれなかった銃弾を掠められながら、キャロルはうめき声を上げる。
そこで、俺の身体が勝手に走り出した。
俺の身体を操作している火又が、キャロルにトドメを刺すために指令を出したのだ。
まずい…………! まずい! まずい! まずい!
どうにかしないと、どうにかしないと!
『火炎』のスキルカードを握って駆ける俺の身体は、キャロルを確実に仕留められる位置まで近づこうとしている。キャロルは俺の接近に気付いている。しかし四方八方から撃ち込まれる弾丸が、彼女に退避も対応も許さない。
「くそっ…………!」
ふと俺の方を向いたキャロルが、そんな悪態を漏らした。
その瞳には涙が潤み、頬に涙光が伝っている。
くそっ。
それでも俺は、自分自身の意思とは全く関係なしに動く自分自身の行動を、ただただ眺めているしかなかった。
それは恐らく、この世界で感じることのできる最上級の無力感だった。
『ズッキーさんっ!』
その瞬間。
意識の泥沼の頭上から、天を切り裂くようにして一筋の光が差し込んだ。
その切れ目から、暗闇を照らす輝かしい光と共に裸の女性が現れる。
混濁した意識の中で、それは天界から墜落してきた天使のように見えた。
しかしそれは天使ではなく、裸のケシーだった。
『おおおおっしゃああやっと侵入できたぁーっ! ケシーちゃん天才すぎるーっ! 天才精神ハッカーケシーちゃん凄腕すぎるーっ!』
俺の精神が囚われている意識の泥沼へと墜落したケシーは、その混濁の波をかき分けながら俺の目の前に近づいた。不思議な気分だった。俺は自分の身体が目で見ている現実世界と、この心で見ている精神世界を重ね合わせて視覚している。
『もー! ちょっと精神攻撃食らったくらいでこんなドロドロになっちゃってー! よし! あとは引っ張り出すだけ! でもどうやって引っ張り出そう!? ヌワーッ!? どうしようー!』
俺の意識の世界へと侵入したケシーは、焦りながら叫んだ。手のひらサイズであるはずのケシーは、この意識の牢獄の中で、俺と同じ人間大の存在として知覚できる。
彼女の顔も、背丈も、乳房も細い腕も。
出会ってから初めて、俺とケシーは互いに等しい縮尺にて相対していた。
俺の意識を抱きしめたケシーは、その裸の身体を密着させて、俺の意識を底なし沼から引っ張りだそうとする。
しかし、どうにも上手くいかないようだ。
『駄目だ! ケシーちゃんってば精神世界でも非力! 無理やり覚醒させるしかない!』
そうして意を決したケシーは、俺の顔に両手を添わせる。
人間大の大きさのケシーの顔が、俺の目の前に迫った。
そして唇が触れ合おうとする直前、ケシーは停止する。
『……精神世界のキスって、ファーストキスに含まれるんですかね?』
知らん。
そして、唇が触れ合う。
ケシーの柔らかい唇は、思考を蕩けさせる官能的な味わいがあった。脳が痺れて麻痺し、彼女の口付けから伝わる何かが、俺のシナプスを遮断していくような感覚が伝わって来る。ケシーは唇を重ねながらもう一段俺に身を寄せて、俺の意識の身体を腰から抱き締め、自分の華奢な身体へと引き寄せた。麻痺した俺の脳みそは、理性や社会性というものから解き放たれて、原初的な本能部分が剥き出しになっていく。
俺はただただケシーのことがもっと欲しくなって、意識の泥沼から手を引き抜いた。
片手が抜けてしまうと、両手を抜くことができた。
彼女の細くて柔らかい身体をもっと触ろうとして手を伸ばすと、ケシーは俺から唇を離し、そっと人差し指を添える。
『残念、今日はここまで!』




