【書籍版】73話 火又三佐の長いお話
演習場は、小銃によって武装した隊員数十名によって完全に制圧された。
最初に殺された士官の後にも、数名が銃口を向ける隊員たちに対して抗議したり、階級による命令を下そうとして、あっけなく射殺された。人が殺されたというのに、それは本当にあっけなさすぎる光景だった。それは銃口が引かれたのではなく、コントローラーのスイッチが押されたかのような感覚に近い。
そうして3名ほどが殺された頃には、ようやく彼らに歯向かおうとする者は一人も現れなくなった。俺たちは銃口を突き付けられた状態で、わけもわからないまま、ひたすらその場でじっとしていることを余儀なくされる。
「ど、どうなってるんですか……?」
多智花さんが、震えた掠れ声で囁く。
「俺にもわからない……とにかく、じっとしていよう」
意識を心の中でスイッチして、ケシーを呼ぶ。
ケシー。これはどういう状況なんだ?『ええとですね。おそらく銃を向けてる人たちは……何らかの催眠状態にあります。『魅了系』スキルで、精神をコントロール下に置かれてるんです』こんな大量に? そんなことができるのか?『うーん……いまいち構造がわからないんですけど、たぶん“完全な催眠状態に置かれている”……というよりは、その方向に“誘導されてる”……っていう感じなんですよね』誘導……多智花さんの『誘導』スキルみたいなものか?
『ええと多分、一から催眠で命令を下しているわけではなくて。元々そういう思想や指向をもった人たち、もしくはそういう教育や洗脳を施した人たちを“誘導”して、心から迷いや躊躇を取り払っている感じです。彼らの“正義感”や“使命感”が、強化されてる匂いがします。彼らはしたくないことをやらされているわけじゃなくて、元からそうしたくて、その感情を後押しされてるんです。直接命令を下しているわけではないので、その分の消費コストが抑えられてる、のかと……』なんだそりゃ……。
心の中でケシーと話し合っていると、指揮室のテントの中から、一人の男が出てくるのが見えた。
火又三佐だ。
彼は小銃で武装した数人の隊員を引き連れ、完全制圧されている広場へと堂々と歩いて来る。
誰がこの状況のリーダーであり、誰がこの状況を引き起こしているかは明白だった。
護衛を引きつれた火又は、全体を見渡す広場の中央まで進み、そこで立ち止まる。
すでに銃で脅された馬屋原によって、キマイラは檻の中へと戻されていた。
全体を見渡す位置に立った火又の手には拡声器が握られていて、護衛の一人が小銃からスマホに持ち替えて、彼を撮影し始める。
『あー、どうもどうも。皆さんご苦労様です。改めまして、私が火又です』
拡声器越しに、火又が話し始めた。
『初めに言っておきますが。これはクーデターや、そういった類の物ではありません。私利私欲のためでもありません。これは純粋なる愛国心から生じた、国益のための作戦行動であります。皆様に銃口を向けてしまっている彼らは、私の考えに賛同してくれた同士たちです。彼らは必要が無ければ、皆様に危害を加えません。ご安心ください』
そこまで話したところで、火又は一息つく。
『現在、我が日本は亡国の瀬戸際にあります。我々はいわば、ゆるやかな死のレールに乗っています。経済は停滞し、成長率では隣国に追い抜かれ、文化は衰退し、少子高齢化ばかりが進み、根底に存在する旧態依然とした日和見主義により、国際的な競争力を失いつつあります。我々は死にゆくことが決まっている箱舟に乗っているのです。この不可逆的な状況を打開するためには、この世界に発生した新たな巨大経済域……ダンジョンに関して、他でもない我が国が第一人者となり、世界をリードする必要があります。逆に言えば、それを達成することさえできれば、我々は必ずやオランダ、イギリス、アメリカに続く覇権国家として君臨することができるでしょう』
しかし、それには大きな弊害があります。火又はそう繋いだ。
『長いこと平和を享受してきた日本国民は、政府の権限拡大に過度な恐怖心を抱いています。そのために、我が国ではダンジョンに関する行政管理システムや研究体制の構築は停滞し、世界基準から一歩も二歩も遅れを取り、いまだに不完全な状態にあります。このような状況では、日本がダンジョンにおいて世界をリードするなど、夢のまた夢であります。崩壊しかけていたドイツを再建したヒトラーのように、何かを根本的に改善してより良い状態へと作り直すためには、一つの強権的な姿勢が求められるのです』
火又はしきりに、撮影されている自分を意識しているような雰囲気があった。
『この根強い国民意識は、ゆるやかで穏やかな啓蒙では変化いたしません。必要なのは一撃です。大打撃であり、誰もが想像もしないほどの大事件です。人は必要性と危機に直面して、ようやく真に必要なものを準備し始める生き物なのです』
火又は続ける。
『私はそのために、ここでキマイラをボス・キマイラへと成長させ、断腸の思いで大守市へと放ちます』
静まり返っていた周囲が、薄っすらとざわついた。
その反応に満足したかのように、火又はさらに力を込めて続ける。
『強力な洞窟性生物が市街地へと侵入するという危機的状況に直面し、破滅的損害を被ることで、国民は初めて気づくでしょう。国家がより強い権力によってダンジョンを管理することの重要性を、より強固で実際的なシステムによって、この未踏領域を開拓し支配することの必要性を』
火又の語気は、段々と力が籠っていく。
『いわば我々は、この日から戦争を始めるわけであります。国家間の戦争ではなく、対ダンジョンの戦争を……総力戦を! 支配し繁栄するための闘争を! 今日我々は、歴史上に汚名を残す大犯罪者となり、日本国のために殉する、一人の殉教者となります。壊滅打撃的啓蒙のためにこの身を捧げ、名も刻まれぬ墓標を記念碑とする覚悟であります』
………………。
どうやら火又は、言いたいことを大体話し終えたようだった。
『ご清聴ありがとうございました。今、厳重管理されているレベル・クリスタルを、別動隊が奪取している最中であります。そのまましばらくお待ちください…………っと。終わり。どうだ? よく撮れたか? 動画をチェックさせてくれ』
火又の話を聞きながら、俺は周囲を見渡していた。
キャロルの姿が無い。いや、R・E・Aのメンバーがどこにも見当たらない。
一体どこにいる? 隠れて攻撃の機会を伺っているのか?
それとも……。
そんなことを考えていると、不意に、俺は背後から肩を掴まれた。
振り返ると、俺はいつの間にか、拳銃を突き付けられている。
「水樹了介だな。来てもらう」




