【書籍版】72話 さぷらーいず
ダンジョン統合実動検査演習、最終日。
事は前もって行われていた、最終ミーティングの通りに進んでいた。
自衛隊車両と小銃を提げた自衛官たちが演習場の一区域を取り囲む厳戒態勢。
檻の中で眠らせられているキマイラを解き放つ状況開始時刻が、刻一刻と迫っている。
そんな緊張の中で……俺こと水樹了介は、ぷらぷらと立ちながら欠伸をしていた。
「水樹さん……演習中に欠伸はまずいですよ……」
何処か力の抜けた声でそう言ったのは、隣に立つ多智花さんである。
「多智花さんも、さっきから欠伸連発してますけど」
「まあそうですけど……休日をあの件の対応で追われまくって、寝不足なものでして」
「お互い様ですね」
「ですねー」
ふわ……。
俺と多智花さんは、二人で一緒に欠伸を噛み殺した。
演習場の広場で、俺たちはそれぞれ所定の位置に立っている。
俺と多智花さんが立っているのは前列A三番という位置で、つまりは三番目にキマイラと戦闘を始める組だった。三番目といっても、これはかなり安全な位置だ。だからこそ、俺たちは緊張感の欠片も無しに、欠伸をし放題であるのだが。
なぜなら、最前列に立っているのはキャロル率いるREAの精鋭たち。
彼らが最初にキマイラと接敵して、そのHPを削ったうえで能力値減少をかけてくれる予定だ。
冒険者というよりは特殊部隊然としたREAの戦闘は、主に自衛隊員たちに対する教育の意味合いがある。つまりは、キャロルのような一級の冒険者が指揮する中で、武装した自衛隊が洞窟性生物に対してどのように対処すればよいか。その実戦を生で見ることができるというわけだ。
その後の予定としては、REAがキマイラをある程度弱らせた後、前列A二番に要員が交代する。川谷と馬屋原のペアだ。ここでは馬屋原が冒険者としての戦闘を見せてくれる予定になっている。REAのように特殊な火器で武装した精鋭達ではなく、一般の冒険者がキマイラとどうやって交戦すればよいか。その実戦を見る予定だ。『そうしてその後はいよいよ! ズッキーさんの出番っていうわけですねー!』途中でケシーが割り込んできたが、その通り。
川谷たちの次は、前列A三番。つまりは俺たちの出番だった。
その時には、馬屋原の攻撃によってキマイラはほぼほぼ死にかけの状態まで弱っており、さらには能力値減少によって危険が無い状態にされている予定である。火又三佐の話によれば、「野犬の方がよっぽど手ごわいだろう」とのこと。
ちなみに前列A二番と前列A三番には、同じくB二番とB三番も配置されている。彼らは自衛隊のレンジャー資格を持つ隊員で構成されており、主に急事の安全係として戦闘に同行するらしい。
そして更なる安全策として、前列三番以下を守る位置には常に、高レベル者である火又三佐と、演習中にゴーレムを生成していたスキル持ちの役人が立っている。彼らは起こるはずもない不測の事態に対する、最終防衛線だ。『つまりは本物のキマイラを相手取るとはいえ、ガッチガチに安全を固めてるっていうわけですねー』そういうこったな。いつも通りにポケットの中からテレパシーで思考に割り込んでくるケシーに対し、俺はそう答えた。
ケシーとの脳内会話から意識を移してみると、檻から解放されたキマイラに対し、ちょうどキャロルが剣撃を叩き込んでいる所だった。
「やっ!」
気合一閃、キャロルの雄叫びが響く。
頭上から打ち据えるような太刀筋をまともに喰らったキマイラは、その物理装甲を貫通してダメージを受け、地面に獅子頭を突き刺すようにして倒れた。まるで砲弾でも喰らったかのようなビリビリとした衝撃が、こちらまで微細な物理的感覚として伝わって来る。大きな熊ほどの体格があるキマイラが、小柄な甲冑姿の少女によって一撃の下に切り伏せられたのだ。その光景に、周囲からも控えめな感嘆の声が漏れる。
キャロルは一旦叩き伏せたキマイラから距離を取ると、次はピンマイクを通して陣形に関する説明を始めた。それと連動してREAのメンバーが展開し、まるで一つの生き物のように連携してキマイラを取り囲む。
パパパパン…………パパパ……と、乾いた銃声が鳴り響いた。
どこか間の抜けた音。
ミーティングで前もって知らされていたことではあるが、彼らの銃に実弾は込められていない。それは空砲の音だった。安全管理は徹底しているとはいえ、近場に人がいる状態で実弾は使わない。彼らの役割はあくまで、「こういう風にダメージを与える」という実戦風の動きを見せるだけでもって、実際のダメージはキャロルや馬屋原が与える予定なのだから。
「すごいですね……映画みたいです」
「たしかに。何なら下手な映画より凄い」
「でもキャロルさんって普段はあんなにカッコいいのに、水樹さんのことになるとどうしてIQが百くらい下がるんですか?」
「それは俺も教えて欲しいんだ」
一連のデモンストレーションが終わり、最前列であるキャロルらREAの戦闘が終わった。
キャロルがキマイラを引き付けている間に、REAのメンバーと前列A二番の川谷・馬屋原ペアが交代する。その後ろには、小銃を構えたB二番の自衛隊員たちも同行していた。緊急の要員である彼らの銃には実弾が装填されているらしいが、予定通りであれば、それを撃つことは無い。
馬屋原と川谷が配置に着いたことを確認すると、キャロルはキマイラから離れた。
削り切られてはいないとはいえ、動きの鈍っているキマイラが今度は馬屋原たちに視線を向ける。遠目から見た感じでも、馬屋原は本物のキマイラを前に落ち着き払っているように見えた。いつか彼は、自分が作られた『日本一』だと言っていた。しかしその実力は、実際にそうでなくとも相応のものであるだろう。
俺の出番ももうすぐだから、心の準備をしておかないとな。
『おや?』
そんな時、脳内でケシーの声が響いた。
太腿の辺りに違和感があって見てみると、脚のポケットに入っていたケシーが、いつの間にかポケットからちょこんと顔を出している。
なにやってんだ、ケシー。顔を出すな。『ちょ、ちょっと待ってくださいね? あれ?』どうした? 何かあったか?『いえ……ちょっとですね? なんか匂うんですよ』匂う?
ポケットから顔を出したケシーは、何かを探すようにしてキョロキョロと辺りを窺っている。俺も周囲をチラリと窺ってみると、みなキマイラと馬屋原の接敵に注目しているので、ケシーに気付かれることはなさそうだった。
『ズッキーさん、精神に干渉してる匂いがしますよ。誰かが魅了系スキルを使ってますね』…………? どういうことだ?『わかんないです。行動をそのまま操るような強力なものじゃなさそうなんですけど、なんていうか……奥底に焦げ付いてるような、そんな匂いです。何でしょう?』…………なあ、多智花さん。ああいや、違う。
「なあ、多智花さん」
俺は意識を現実世界の方にスイッチして、再び彼女に尋ねる。
かなり慣れたとはいえ、ケシーとの思考会話と現実世界での会話は、やや意識して行わないとどちらで話しているのか微妙にわからなくなる。思考内会話があまりにスムーズに行えるようになって、発話が必要な内容も思考だけで済ませようとしてしまうのだ。下手に慣れたゆえの微妙な弊害だった。
「なんですか?」
「もしかして、今『誘導』使ってたりします?」
「……? いえ? 使って無いですけど」
『ズッキーさん、ズッキーさん!』心の中でケシーに呼ばれて、俺は意識を再びスイッチした。なんだ、ケシー。『やっぱり、なんかおかしいです。だんだん匂いが強くなってます』どういうことだ?『わかんないです。でもこれは……周りに、たくさんいます。精神に干渉を受けている人間が、たくさんいます。たぶん前から植え付けられていて、今、徐々に起動してるんです。いや違うか……元からずっと起動してたけど、その強度が徐々に上がってる?』ええと……それって、どういう干渉を受けているのかわかるか?『うーん……』
ケシーは何かを探知しようとするかのように唸った。
『…………詳しくはわかんないです。でも、この匂いは……なんだろう? 怒りでも、悲しみでも、喜びでもない……? 特殊な感情。でも強い。人を動かす力。何かを妄信的に動かす力。濁っているけど淀みない。真っ直ぐだけれど根本から歪んでる。そんな感情………………あ、わかった』ケシーがふと呟く。
『これ……正義だ。使命感だ』
俺は視線を戻した。
群衆に囲まれた中央付近では、キマイラと馬屋原が接敵しようとしている。
ジャキンッ。
一斉にそんな音が鳴り響いた。
それは数十の小銃が一斉に構えられた音であり、その夥しい数の銃口は、あらゆる方向へと向けられている。
「…………は?」
「…………へ?」
俺と多智花さんは、同時にそんな声を上げた。
安全係として待機していた、前列B2番とB3番のレンジャー隊員たち。
彼らが一斉に銃を構えて、順番を待っていた俺たちに銃口を向けているのだ。
キィィィィ…………。
どこからか、巨大なスピーカーがハウリングする不協和音が鳴り響く。
そこからは、俺の見知った声が流れてきた。
『やあやあ演習参加者の皆さん。こちら、指揮室の火又三等陸佐です』
とつぜん銃口を突き付けられながら、俺たちは茫然として、その放送を聞いていた。
『本演習はこれにて終了です。状況終了です。皆さんお疲れさまでした。全体の指揮権は今ちょうど私に譲渡されましたので、これからは私の指示に従ってください。従わない場合は射殺します。とりあえず大人しくしていてください』
「銃を下ろさんか、貴様ら!」
指揮室が設けられている大型テントの中から、佐官らしき自衛官が出てきて怒号を張り上げた。彼は銃口を向ける隊員に近づいていくと、毅然とした様子で一喝する。
「貴様ら! 何をやっているのか、わかっているのか! 今す……」
パパパッ。
乾いた銃声が鳴り響く。
すると、叫んでいた士官が静かに倒れて、そのまま動かなくなった。
俺たちはその光景を、間違いなく目の前にしていたというのに、うまく理解できなかった。
それはあまりにあっけないものだったので、何か脈絡のない、ナンセンスで下手な演技のように見えたのだ。
しかし彼は間違いなく撃たれていて、そして死んでいた。
その状況を正しく素早く理解できた者は、おそらく誰一人として居なかった。
『おいおい、大人しくしろと言ったばかりだろ……まあつまり、こういう風に射殺します。抵抗しなければ誰も殺しません。ですので皆さん、その場で待機していてください。わかりましたか?』




