【書籍版】66話 あの人って意外とそういうところありますよね #
翌日の演習は、広場ではなくダンジョンを模して建造された専用施設にて行われた。
それは元々倉庫か何かだったらしい背の高い建物で、横に倒した半円筒のような形状をしていてかなりの奥行がある。
その中に、サバゲーで使われるような複雑な迷路空間が設置されていた。バリケードが幾何学的に組み合わされたその迷宮は、不完全ながらもダンジョンの内部を想定したものである。本日はこの施設にてダンジョンの模擬探索訓練を行うために、人員が集められていた。
そして、その進行を務めているのが……。
「あ、あ、あー……! ど、どうも! 洞窟管理主任の多智花真木です! ほ、本日ですわね! いえ、本日はですね! この施設にて、模擬探索訓練をですねー!」
『噛み倒してますねー』ああ、これ以上ないほどに。
我がペアである多智花真木さんは、しどろもどろにもほどがある活舌で全体への説明を行っていた。その脇に立っているのは、本来この進行を担っていたはずの川谷。彼はにこやかな笑顔で待機してはいるが、その心中が穏やかでないことは容易に察することができる。
この状況から、何を察することができるか。『つまり川谷さんは、多智花さんに立場を取られちゃったわけですね』そういうことである。役所側の実質的責任者であったらしい川谷だが、演習が進むにつれ、その立場と権限は多智花さんへと移譲されつつあった。というよりむしろ、ほとんど多智花さんが全体を仕切っているような雰囲気があった。完全に政権交代が起きているのである。
これには色々な要因があるのだが、その要因第一号が今ちょうど、多智花さんからマイクを受け取ったところである。
「やあみんな! 火又三佐です、どうも! 演習もそろそろ折り返しだが、みんな調子はどうかな!? 今日の訓練は、全日程で一番面白いものになるだろう! ぜひサバゲー気分で取り組んでくれ! 張り切って行こう!」
要因第一号、火又三佐。
自衛隊側の実質的な現場責任者である彼は、役所側との連携や連絡を、川谷ではなくもっぱら多智花さんを通して行っているらしい。つまり彼が自衛隊側のほぼトップでいる以上、川谷の権限は日々削られ、ほぼ無視に近い状況になっていることは想像に難くなかった。
そして要因第二号が、今火又三佐からマイクを受け取って壇上に上がる。
「やあ、皆さん。REAのキャロル・ミドルトンである。本日の訓練は、ダンジョン探索における基礎的事項を理解するための重要な訓練である。意欲を持って前向きに取り組み、みなが一つでも多くの知識と技術を身に着けることを期待している。以上」
要因第二号、REA隊長キャロル・ミドルトン。
彼女は本演習における外部顧問の長であり、英国政府と日本政府の正式な連携をもって配置された重要人物である。“実践的”な訓練を掲げる本演習において、実際に英国最強のパーティーを率いるキャロルの発言力は極めて大きい。彼女は火又と密に連携を取りながら本演習を監督しているが、そんな彼女が川谷と多智花のどちらを重用するかといえば、それはもう聞くまでもない。
さて。そんな多智花さんの仕事はなにも、司会進行だけではなかった。というよりも、それは今の彼女の主な仕事ではない。彼女が行ったのはあくまで役所側としての形式的な進行であり、実際の訓練進行は、主催者側である自衛隊側の人員が担っている。
彼女の現在の本当の仕事は、連絡であった。
「タチバナ。2班に欠員が出たんだが、俺たちはここに入った方がいいか?」
「はい!? えっとですね、火又さんに聞いてみます!」
「タチバナー? こっちの準備は出来たぞ? もう入って良いのか?」
「はい! えっと、それはキャロルさんに聞いてみます! キャロルさん!? キャロルさーん!?」
「Tachibana, you don't mean to tell me ...... you've already made love to Mizuki?」
「ええと、英語のわかる方はー!?」
多智花さんを取り囲んで質問責めにしているのは、訓練コーチの主要員として参加している、ケビンら屈強なREAの隊員たち。彼らは多智花さんがREAにスカウトされていることをキャロルから共有されているようで、すでに彼女のことをチームの一員のように扱っている。
つまり、彼らがとりあえずで質問に向かうのは、やはり多智花さんだった。
そしてあらゆる情報の連絡伝達集積係となってしまった多智花さんは、当然演習参加者たちの目にもそのように映っている。つまり大半の演習参加者が、訓練中に判断のつかないことがあった際に質問に向かうのは、やはり多智花さんであった。
さらに彼女はガチムチ外国人のREAの隊員やキャロルや火又や他の幹部自衛官よりはずっと話しかけやすい存在のようで、自衛隊の若い隊員はみな、とりあえず多智花さんに連絡してみるという雰囲気が出来上がっている。
大量の人に絶えず質問や連絡を受けている様子の多智花さんを眺めて、俺は感慨深い思いに浸らずにはいられなかった。
あの人……この演習でめちゃくちゃ出世したな。『ですねー』でも俺、昨日あの人に20万で売られたんだよな。『あの人って意外とそういうところありますよね』そこな。
でもまあ、と俺は思う。元々あの役所にて、川谷主導でかなーりまずい立場にいたらしい多智花さんではあるが。あれだけのコネクション作りに成功してしまえば、その立場は相当安泰になったと言っても良いのではなかろうか。
以前ならいざ知らず。現在の多智花さんを、まさかトカゲのシッポなどにはできまい。なにせ彼女の背後には、防衛庁におけるダンジョン事業の重要人物たる火又三佐と、英国最強冒険者であるキャロル・ミドルトンがついているのだから。その力関係は、今や完全に逆転しているのである。
「はい! はい! それも誰かに聞いておきます! それはキャロルさんに伝えておきます! は、はぁ! はぁ! か、過呼吸が! ちょっと待ってくださいね! いま、過呼吸を治しますので!」




