【書籍版】57話 下着ではないから恥ずかしくないのだろう
『ダンジョン統合実動検査演習』。
自衛隊・行政・民間の分け隔てなく、日本中のあらゆるダンジョン関係組織を巻き込む大規模な出動が予定されるこの演習は、複数回に渡って行われる計画らしい。
そして本日は、その記念すべき第一回目の招集日当日。
『第一回ダンジョン統合実動検査演習』、その一日目である。
「…………」
多智花さんダンジョン壁尻事件(と俺が勝手に命名した)から数週間後。俺は演習場に向かうための自衛隊車両に乗り込んでいた。大型トラックのような荷台の中には、俺と同じように押し込まれた参加人員が20名ほど乗っている。この車両は大守市に最も近い駐屯地から出発し、演習場まで一時間ほどの距離を走っていた。
車両はあまり舗装されていない林道へと入ったようで、タイヤに踏まれた小石たちがガタガタとトラックの荷台を揺らしている。そんな中で揺られていると、俺の隣に座る多智花さんが、おずおずとした様子で顔を覗きこんできた。
「あの、水樹さん……?」
「なんだ?」
「私、あれからもキャロルさんから、R・E・Aにスカウトされちゃってるんですが……」
「そうみたいだな」
ガタンと大きめに揺られながら、俺はそこそこ周囲を憚る声で話す。
とはいっても走行音が相当な音量のため、話し声を気にする必要はそこまでないのだが。
「入るのか?」
「いや正直……ぶっちゃけ、なんですけどね?」
「うむ」
「できれば、断りたいなー……と思ったり……」
まあ、そうだろうな。
前回人体標本になりかけた時から、すでに相当やられていたようだし。
「私も最初は、わりと乗り気だったんですけど……やっぱり危険だなあと思ってですね……年収一千万円もらっても、定期的に人体標本チャレンジはさすがに……」あはは…と多智花さんは暗めに笑う。「でもキャロルさん、もう私が入るつもりで考えているらしくて……」
「嫌なら断れば良いと思うが?」
「そうなのですが……あんな高価な物を使ってもらったり、色々とお世話になったりしちゃった手前、なかなか断りづらいと言いますか……」
「でも別に、あれはキャロルが勝手に使ったわけだからな」
「しかもキャロルさんって、今回の演習で外部顧問まで勤めてるらしくて……聞いてました? あの人、演習運営側で参加するらしいですよ」
「やんわりとは聞いてたよ」
「凄い人だとは思っていたんですけど、そこまで凄い人だとは全然知らなくて……機嫌を損ねるというか、恩に仇で返すようなことは極力したくないと思ったり……」
「まあそんなに乗り気じゃないなら、俺からもやんわり言っておくよ」
「助かります……」
そんな風に話している間も、俺は一緒の車両に乗り込んでいるあの嫌味な野郎、川谷の視線を感じていた。彼の隣には、ペアのアドバイザーである馬屋原も座っている。
川谷と馬屋原は顔を近付けて、何やらコソコソと話し合っている。
よからぬことでなければいい。
まあ日常的によからぬことを話し合っているような奴は、日本にはなかなか居るまい。
『オギャーッ! スマホの充電が切れてしまいましたーっ! オギャーッ!』
バッグの中で動画を見続けていたケシーの悲鳴が聞こえてくる。
◆◆◆◆◆◆
演習場に到着すると、割り当てられた宿舎に荷物を運び入れた。
ここには試験演習の終了日まで、一週間と少し寝泊まりすることになる。
宿舎はもっと軍隊然とした、二段ベッドに何人も詰められるようなタコ部屋を想像していたのだが……実際には、素っ気なくも手狭なビジネスホテルのような部屋だった。ここはどうやら外部の人間や上級士官を泊めるための専用宿舎で、聞く所によると演習に参加する他の自衛官は、イメージ通りのタコ部屋のような所で寝泊まりしているらしい。
シングルベッドに座り込むと、荷物の中で一番巨大で、かつ一番ゴツゴツとしたオレンジ色のキャリーバッグを開けた。
するとその中から、羽を広げたケシーがヒラリと飛翔して飛び出してくる。
「いやーっ! つっかれましたわー! めっちゃ揺られましたわー! スマホの充電切れちゃった時はどうしようかと思いましたわー! モバイルバッテリー持ってくるべきでしたわー!」
ケシーはバッグの中から飛び出すと、狭い部屋の中をヒラヒラと飛び回った。
このキャリーバッグの中身は俺の荷物ではなく、ケシーの荷物兼移動時居住スペース。つまりはケシー専用移動住宅である。中にはケシーの私物やら移動中の暇を潰すアイテムやらお菓子やら携帯ゲーム機やらスマホやらが内蔵されていて、快適な居心地のために低反発クッションとハンカチ製の簡易ベッドまで備え付けられていた。
「おほー? どんな馬小屋に泊まるかと思っていたら、なかなか良い所じゃないですかー」
羽をヒラリといわせて居室の偵察を始めたケシーは、今日は部屋着のインナースーツだけではなく、その上からさらに外出用のスーツを身に纏っていた。ブラックのインナーの上から着こむ、ぴっちりとしたピンクホワイトの全身スーツである。インナーと同色のアクセントカラーが細かく配された未来的でスポーティーなデザインで、スタイリッシュな宇宙服と形容してもいい。それは彼女の薄い発光を抑えるための装備ではあるのだが、羽の部分など各所には穴が空いていた。また「蒸れる」という理由で、短ズボンだけは履いていない。そのお陰で屈む体勢になるとスパッツじみた尻がめくれて見えるのだが、下着ではないから恥ずかしくないのだろう。こいつ元々全裸だったし。
「ひえっ!?」
妖精の羽で飛び回って部屋の様子を一通り眺めたケシーが、何かに気付いた様子で悲鳴を上げる。
「ズッキーさん!? この部屋、テレビ無いじゃないですかー!」
「あら。そういやそうだな」
「えええー!? なんでテレビが無いんですかー!? どうしてー!?」
「スマホで見ればいいだろ」
「ワンセグ対応してないですー」
「あらそう」
「うぅぅ……テレビが無いと暇で暇で死んでしまいますよぅ……ドラマも見たいのにー。『全沢直樹』とか、『逃げるは恥だが戦略的撤退という言葉がある』とか見たいのにー」
「妖精がテレビが無いだけで死ぬな。というか、向こうの世界にはテレビなんて無かったんだろ」
「物質世界の喜びを知っちゃいましたからね……知らなければ幸せでいられたのに……」
「お前、こっちの世界に生まれてたらパチンコとかに滅茶苦茶ハマってそうだよな。妖精に生まれて本当に良かったな」




