【書籍版】40話 ケビンはノーカウント
「ということで、ミズキ。正式にREAに入ってくれ」
キャロルの宿泊するホテルに呼ばれていた俺は、部屋の小さな丸テーブルに座り込み、彼女と顔を突き合わせていた。
「いや、俺は英国人じゃないしさ。日本人だから」
「関係ない。スポーツの世界でも、外国人選手が活躍するのは至って普通のことだろう」
キャロルはそう言って、ホテルの自動販売機で買ったと思われる缶珈琲を手でスッと滑らすように押し出した。飲め、ということらしい。
「ミズキがREAに入れば、潤沢なスキルの中で『スキルブック』の詳細な仕様も確認することができる」
「うーむ……」
俺は頬をポリポリと掻きながら、頭を悩ませようとした。
しかし熟考の余地は与えられずに、キャロルがさらに続ける。
「経済的にも安定する。1年も働けば、相応の資産を築くこともできる。REAに所属している間は我々がミズキとケシー氏を保護することができるし、もしも将来的にREAを離れたとしても、自分でより高度なセキュリティを用意することができるだろう。冒険者の世界にも詳しくなり、他の世界では得難い人脈も得られる」
「うんとなあ……」
「逆に、何が不満なのだ?」
キャロルが不思議そうに、そう尋ねた。
そりゃあ、英国一の冒険者パーティーから「お前が必要だ。入れ」と名指しでスカウトされるほど名誉なことは、なかなか無いだろう。多くの冒険者が夢見て妄想するような、願ってもいない幸運であることには間違いない。
しかし。REAに所属するとなったら、ケシーの件も公にしなければならないかもしれない。もちろん、ケシーのことをいつまで隠しておくのかという問題はあるし、まあその辺りはケシーに了承を取ればいいのだろうが……やや不安な部分ではある。
さらに。俺は日本の冒険者の中でも最も有名かつ成功した人物として、かなりの有名人になることは間違いない。普通にテレビ局の取材だとかがバンバン来るような、そんな時の人になることだろう。それは……どうなんだろう。普通ならば願ってもいない幸運なのかもしれないが、あいにく俺はそういう方向の自己実現欲求が希薄、希薄というよりは出来れば避けたい方の人間なので……もう少し、よくよく考える必要があるように思えた。
「ミズキ、お前は逆に何が欲しい? 要求を言ってみろ」
「いいや。何が欲しいというよりは……ちょっとな、まだ考えさせて欲しいんだ。ケシーとも、この件についてはそこまで話し合っているわけではないからさ」
「金か? 女か? 待遇か?」
「まあそれらはな、もちろん全部欲しい所ではあるけどさ。というか女ってなんだ、女って。違う種類のが混じってるぞ」
「世の男性は、みな“女”が欲しいものだと聞いている」
「わりと普遍的な真理かもしれないが、微妙に間違った知識でもあると思う」
「REAは全て提供できる」
「女は無理だろ」
「私がいるだろう」
「なんだって?」
俺が聞き返すと、キャロルは真面目くさった顔で俺のことを見つめていた。
「私では不満か?」
「……なるほど。そういうことか。お前の知識の微妙な誤りを訂正しておくとだな。だいたいの男は恋愛とか結婚とか……あとは邪な対象としての異性を求めてるって意味であって……別に職場の同僚や上司という意味での女性を……そういう感じで求めているというわけではないのだ。たぶん。おそらく。参考程度に」
自分で言っていて自信が無くなってきた。
というより、俺はいったい何の説明をしているんだ? こいつは世間知らず属性を持っているっぽいから、理解していなさそうなことはついついイチから説明してやりたくなってしまう。
「だから、私でいいだろう」
キャロルは再びそう言って、横向きに腰かける椅子の背もたれを脇で抱えた。
あのダンジョンの一件以来、これまでの装備をほとんど壊されてしまったキャロルは、新調した軽装甲冑を身に纏うようになっていた。どうやらダンジョン産のアイテムらしく、装備者に強化の付与があるらしい。
といっても見た目に変化があるかと聞かれれば、正直俺には……ほとんどわからない。
変わっているような気はするが、変わっていないような気もする。それは女子の微妙なヘアスタイルの変化や、もしくは某アメコミヒーロー映画の、シリーズ毎のスーツの微細な変化のような……ごくごく微妙なマイナーチェンジのように感じられた。
マニアにしか違いがわからない奴だ。しかし元々黒布で覆われていた股間部に通気用の開きが増えて、股下の露出が微妙に増えていることだけは確かだった。情けないながら、男は髪形の変化がわからなくても、露出にまつわる変化には一ミリ単位で気付くものだ。
「一体なにを言っているんだ?」
「いいかミズキ。私はお前をREAに招き入れ、将来的にはこの私の夫にするつもりでいる。英国では男女共に16歳から結婚できる。私はすでに16歳だ」
「いやな、話が全く見えないんだなあ」
意味不明すぎて、みつをみたいになってしまった。
金髪碧眼少女が、よくわからないことを言うんだなあ。みずき。
「お前は私が見つけたのだ。私は3年前のあの日からずっと……生きるために必要なものは、すべてダンジョンで見つけて来た。今回も、あの堀ノ宮をREAの強力な広報として、そして財務に関する強力無比なコンサルとして獲得することができた」
元実業家から新鋭YourTuberへの華麗な転身を果たした(強制的に果たされた)堀ノ宮秋広は、REAによってその残債務を整理されて、現在では彼らの広報兼財務担当の職員に収まっているらしい。それで大丈夫なのかと聞いたことがあるのだが、やはり彼としてはそういった分野に携わっているのが性に合っているらしく、意外にも良好なパートナーシップ関係を結べているようだ。
どちらにしろ、彼は破産した後は、完全に隠居してしまって社会との関係を断ち、慎ましくも静かに日陰で生きていくつもりだったらしい。つまり彼自身としては、堀ノ宮秋広という人間は一度死んだようなものだった。一度死んだ身ではあるけれど、有効活用したいならどうぞお好きに。彼はそういう境地に達し始めているようだ。
しかし禊気味に始められたYourTube活動の方は、当初は本気で辞めたかったらしく、一時はかなり危険な状態になってしまったらしいのだが……かの『実の娘である蓋然性が極めて高い』子も熱心な視聴者であると判明してからは、そのような抵抗は無くなったらしい。彼は一体どうやってか、彼女のYourTubeのアカウントまで特定したようだ。たまにコメントを書いてくれるので、堀ノ宮は彼女にだけはLikeとコメントを返すらしい。彼の影の部分だ。
何はともあれ、元気そうでなにより。
「そして何よりも。ダンジョン深層で“夫”を発見できたのは、何にも代えがたい大収穫だ」
うんうん、とキャロルは頷いた。
「お前は性格も好感が持てるし、能力も申し分ない。人間の本性と真の能力は、ダンジョンの極限状況においてのみ現れるものだ。お前はあの時にあの場所で、私に自分自身を証明して見せたのだ。お前はこの私の夫に相応しいし、私はお前の妻に相応しい。REAに入り、私の物になれ」
「…………」
これは、REAのメンバーが言っていた……キャロルのスイッチか?
あの後、メンバー達からキャロルの詳しい話を聞いた。彼女の3年前における極限状況が。深層でただ一人孤立し、ダンジョンの産物だけを用いて生き延びなければならなかった3日間が、おそらくは……彼女の『モード』が切り替わる『スイッチ』になっているのだ。
「難しい顔をしているが、何か不満があるのか?」
「……あのな。ええと……言いたいことは山ほどある気がするのだが……」
俺がしどろもどろになっていると、キャロルはクククと笑う。
「お前の心配していることなど、大体わかる。男性のそういった性質は、私も重々承知しているのだ。成人するまで……その、そういう交渉は無しとか、そういった堅苦しいことは言わない。安心するといい、英国の性的同意年齢は16歳だ。そういう知識はちゃんとある。私は冒険者としての活動が忙しくて高校には通えていないが、通信制の学校と書物で勉強しているからな」
うわあ。そういう邪な知識、皆無そうだなあ。
「……それとも、私では嫌なのか?」
「いや、そういうことではなくてな」
「英国人は嫌いか? 政治的主義に反するか?」
「違う。そうでもない」
「容姿が好みではないか?」
年が離れているのがネックだが、めちゃくちゃ可愛い。
「それに、お前には私の裸を見せてしまったわけだからな。お前には私の貞操の統一性を保護するための責任が生じている」
「あのとき、パーティーメンバーにも見せてたろ」
「見せていないぞ」
「あの何言ってるかわからん救護担当が見てたろ。あいつに服を貸してもらったんだから」
「ケビンは同性愛者だから」
そうなんだ。
「ということで、お前がREAに入り、英国に来れば全て解決するのだ。わかったか?」
「わかった。とりあえず、保留でな」
「なぜなのだー」
急に年相応になるな。
「そういえば。前に、オオモリ・ダンジョンにもう一度潜らなくてはならないと言っていたではないか」
「そういやそうだな」
「私が着いて行ってやるから、申請を上げておくといい。なに、私もまさか、デートも無しに伴侶を決めろとは言っていない」
ほとんどそう言ってたと思うんだけども?
あとダンジョンでデートする奴、少なくとも日本には居なさそうなのだけれども……?




