表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壊れスキルで始める現代ダンジョン攻略  作者: 君川優樹
壊れスキルで始める現代ダンジョン攻略③
108/110

107話 781


 廃墟と化したビル内でそれぞれトイレ休憩を取ってから、俺たちは荒廃した土地に降り立った。


「……まじで、世界終わりそうだな」


 核爆弾が落ちたとした思えない景色を眺めながら、俺はそんなことを呟く。


「とりあえず、入り口を見つけますか……」

「そうだな……ダンジョン化の中心地点はどこだ?」

「タイムズスクエア・ビルです。マップによると……ここから徒歩20分」

「電波は通ってるのか?」

「微弱ですけど、ギリ繋がってますね」


 荒廃した土地を進んでいくと、魔王城如き威厳でもってそびえるタイムズスクエア・ビルが見えた。ダンジョン化によって変異して土塊なのか何なのかわからないことになっているビルの周囲に、人影は無い。それどころか、生命の可能性というものが感じられなかった。


「よし、このまま侵入しよう」

「了解です」


 俺たちはダンジョン入口まで駆けた。

 しかし、入口付近まであと数百メートルというところで……上空から、バラバラというヘリの音が鳴り響く。


「あれは?」

「米陸軍の……航空部隊か」


 キャロルがそう呟くなり、俺たちを取り囲むようにして対空したヘリからロープが垂らされ、そこから続々と兵士が降り立った。周囲を囲まれることになった俺たちは、一体どうしていいかわからずに、立ち往生する羽目になる。


「Signal of Life!」

「We found suvivors!」

「キャロル、なんて言ってる!?」

「我々を生存者だと思ってる!」


 流れるような動きで俺たちを取り囲んだフル装備の兵士たちは、俺たちを数少ない生存者だと思って保護に向かってくる。


 しかし、俺の顔を見た瞬間。

 彼らの雰囲気が一変した。


「Mizuki! That's Mizuki!?」

「Stop! Freeze!」


 彼らは俺たちに対して、一斉に銃口を向ける。


「なんだ、どうなってる!」

「スキルワームの精神汚染だ!」キャロルが叫んだ。「水樹を敵だと認識している! まずいぞ!」

「くそ! こっちもかよ!」

「むしろこっちの方が、汚染がひどい説ありますねーっ!」叫んだのはケシ―。


 たしかに、遠く離れた日本でアレだったわけだからな!


 数十の銃口を突きつけられた俺たちは、その場で背中合わせに固まって応戦の構えを取った。

 混乱した様子の兵士たちは、引き金に指をかけながら怒号を叫ぶ。


「Put your hands where I can see them!」

「Get down! Get down there!」

「待て、待て!」負けじとキャロルが叫んだ。「我々は敵ではない! 待ってくれ!」

「Freeze! Get down on the ground!」

「Fire! Fire!」

「どうする! やばいぞ!」

「あああああタチバナ! 催眠だ! 『誘導』で何とかしてくれ!」

「えええっ!? こんな大量に無理ですよーー!」

「やるしかないですって! お願いしますー!」

「え、ええええい! ゆ、『誘導』! 服従! やめてくださーい! 武器を下ろしてくださーい!」


 多智花さんがそう叫んだ瞬間。


 血気盛んに俺たちを取り囲んでいた兵士たちが、その場でピタリと止まった。


「…………え?」

「へっ?」

「おえっ?」


 俺たちはみな、その状況に目を白黒とさせる。いくら多智花さんの魅了値が高いとはいえ、ここまでの効果は期待していなかったからだ。


 彼らは続々と武器を下ろし始め、その場で呆然として立ち尽くす。

 その光景を見て、俺たちは多智花さんに抱きついてはしゃいだ。


「おおおっ! すげえ! すごいぞ多智花さん!」

「とんでもない火事場の馬鹿力だ! タチバナすごい!」

「さっすがあ! よくわかんないですけどさっすが!」

「おおおおっ!? 私、またなんかやってしまいましたぁ!?」

「とりあえず行くぞ! ダンジョンに入ってしまえ!」


 半分パニックみたいな驚愕の渦の中で、俺たちは全速力でダンジョンの中へと急いだ。


 そこで俺は全力で走りながら、ふと振り返る。


 銃を下げたまま、呆然として立ち尽くす兵士たち。

 その背後の、地面に大きく沈み込んだビルの屋上に……一人の人影が見えた。

 背の高い、短髪の男。風にはためくジャケット。

 不思議なことに、その男には……右腕が無いように見えた。



 ■■■■■■



 タイムズスクエア・ダンジョンの内部は、大守市のそれとは大きく違っている。


 構造的にはビルの建築をそのまま保持した人工的な空間は、ダンジョンの中にいるという感覚が薄い。しかしその全体は禍々しくも生物的に異界化していて、壁はどこを見ても一面臓器をブチまけたようなグロテスクな色彩と瘤の隆起で覆われている。怪物の内臓の中か悪趣味なスプラッター地獄に迷い込んだような、最悪な情緒だ。


 そんな赤黒の臓器色が支配するタイムズスクエア・ダンジョンの中を、俺たちは突っ切ろうとしている。


「このダンジョン化は……あのウエムラが原因!」


 剣を握り、俺たちを率いて先行するキャロルが叫んだ。

 彼女は体調の悪さを押して、この場にて決着をつけるため奮起している。


「最深部に、奴の本体があるはず! そこまで突っ切るぞ!」

「よし、行くぞ!」

「えいえいおー! これ全部、あとで動画にしちゃおーっと!」

「ちょっと待ってくださいー! みなさん足早すぎますー!」

「多智花さん、頑張ってくれ! ……いや遅っ!? どういう走り方なのそれ!? 運動神経悪い系催眠使いだったの!?」


 とにかく先を急ぎたいところだったが、モデル並みに長い脚を誇りながら壊滅的に足が遅かった多智花さんに合わせて護送団方式を取り、安全も考えてゆっくり進むこととなった。


 そうして改めて眺めてみると、やはりこのダンジョンは、元となったビルがそのまま変異、陥没することで生成されたダンジョンということで間違いないように見える。普通のダンジョンには無い扉や割れた蛍光灯、人工物チックな構造が随所にあり、所々に部屋番号や名前、ビル内の簡易地図などがそのまま残されているが……それらはやはり生物的な膜に覆われていて、まるで内臓の中にいるようなグロテスクさを醸し出してくれた。


 そんな中でビル内の簡易地図を発見した俺たちは、この異界化したビル内でどれほど役に立つかは定かではないが、一応目を通しておくために立ち止まる。


「……ん? なんだこれ」

「どうかしたのか?」


 俺が呟きに、キャロルが反応する。


「この地図だと……ここは7階だっていうことになってるんだ。まだ一階も上がってないのに」

「ええと、つまり……」

「ビルが陥没して、物理的にはここが一階になってるってことですかね……」


 そう言ったのは、息を切らせている多智花さん。


「ダンジョンがそのままビルになってるおかげで、電波もちゃんと届きますが……」そんな風に言いながらスマホをポチポチしている詩のぶは、何か見つけたのか「ゲッ」と呟く。「……えっ、マジ? なんか変なことになってますよ」

「ここ数日、逆に変じゃないことの方が珍しいだろ」

「いや、これ見てください」


 詩のぶのスマホを覗いてみると、ネットニュースにこんな記事があった。


『謎の数字出現』

『タイムズスクエア・ダンジョンを中心として、人々の頭上に謎の数字が表示される事態が発生している。この数字は肉眼でのみ観測可能で、カメラ等の映像媒体には映らないとのこと。この数字が何を意味しているか、どのような人に現れやすいかは現在不明である』


「……ん? 謎の数字?」

「エクスカリバーの、情報化という奴だろうな」同じくネットニュースを覗いたキャロルが言った。「人間の何かしらの数値を情報化して、抽出する過程ということかもしれない。その情報化されたものが、現れているのではないかな」

「だが、何の数字なんだ?」

「うーん。それは全然わからんな」

「あれっ」


 最後に声を上げたのはケシーだ。


「多智花さんの頭の上、もう出てますよ」

「えっ、私?」


 そう言って自分を指さした多智花さんの頭上には、RPGゲームのダメージ表記みたいな感じで「132」と記されていた。


「132……? 一体なんの数値だ?」

「うーん……なんだろう。ステータス値とも違うようだし……何かしらの回数、とか?」

「人生で132回したこと……? 全然わかんないですけど、なんか嫌ですね」


 多智花さんは頭上に出現した『132』という表記に触れようとしてみるが、その手はスイスイと空を切る。どうにも物理的には触れないようだった。


 そんな折、今度は詩のぶが何かに気付く。


「あれ、イギリス人の頭の上にも出てますよ。12? 少なっ!」

「そう言う詩のぶにも」


 キャロルの数字に気づいた詩のぶの頭上にも出現していた数値を見て、俺は目を細める。


「31……? いやお前もキャロルとどっこいどっこいじゃねえか」

「ミズキの頭の上にも! えっ!? 781!?」

「781!? どういうこと!?」

「さすがミズキだな、強い!」

「ウギャーッ!? ケシーちゃんにもー!? しかも0!? なんで私だけゼロー!?」


 ◆◆◆◆◆◆


 頭上に謎の数字を表示させた俺たちは、とにもかくにも謎すぎる数値の分析は諦めて、ダンジョンの中を進んでいく。


 しかしいくら進んでも、階段を上がって上の階層へと進もうとも、モンスターと出会う気配は一切なかった。ただただ一面に薄い肉塊を貼り付けたような景色だけが続く元タイムズスクエアビルは、不気味な静けさと生物的な空虚さに満たされている。


「……何も遭遇しないな」


 それでも慎重に進みながら、空っぽのダンジョンを眺めてそう呟く。

 その違和感は、キャロルも感じ取っているらしい。


「モンスターがいないのは、そもそも生成からして異常な空間ということでわからないでもないが……静かすぎる」

「というか、ここに元々居た人とかは……どうなってるんですかね?」


 多智花さんが口にした疑問の通り、このダンジョン内には人っ子ひとりいる気配がなかった。普通のダンジョン化ならば、その際の土砂崩れや地盤沈下などで埋もれてしまったのだろうと予想がつくが。このタイムズスクエア・ダンジョンはビルがそのまま変異した形なので、誰もいないというのは疑問が残る。普通に考えて、ダンジョン化に巻き込まれた死体の一つや二つ、転がっていてもよさそうなものなのだが。


「モンスターもいないですし、みんな普通に逃げたんじゃないですか?」

「そう考えたいけどな」


 もしも生き残ったとして、こんなスプラッタ空間に長居する必要は全然無い。もしもモンスターの危険性などがゼロならば、全員がここから脱出する時間は十分にあったはずだ。


「だがそうすると……先に到着していたはずの米軍はどうなっている?」

「すでに先に進んでいる、とか?」


 そんなことを話しながら静寂のダンジョンを進んでいると、通路をふさぐ歪んだ自動ドアに行きあたった。それは元々そこにあったというよりは、変異の過程でそこに無理やり繋げられて、結果的に通路を塞いでしまった、という雰囲気がある。


「……開かないな」

「どれどれ? えいっ。いたっ」


 キャロルが足蹴にしてみるも、元の強化ガラスにややおぞましい生物性の膜がまとわりついた自動ドアは、びくともしてくれない。いくらか攻撃を加えたり無理やりこじ開けようとしたところで、俺たちは物理的な開閉を諦めるに至った。


「だめだ、強行突破できそうにない」

「何か、こういうのこじ開けるスキルとかありませんかね」

「『火炎』の全力バフで吹き飛ばしてもいいが……」


 詩のぶの質問に答えながら、俺はこれだけの分厚さに穴を空ける火力というのは一体どれくらいだろうと考える。強化(バフ)系のストックにはかなりの余力があるとはいえ、先の『詩のぶに超特大規格外宇宙レベルの強化をしよう作戦』で大量に使ってしまったのは事実。無限にあるわけではないから、この先の探索のことも考えて温存しておきたいが……それ以上に、度を越した馬鹿威力で打つと倒壊寸前というか既に半分倒れているこのビルにトドメを刺してしまうのではないかという懸念もある。


「あっ、もしかして」


 声を上げたのは、自動ドアのそばにしゃがみ込んだ多智花さん。彼女が発見したのは壁に埋まりかけていた防犯用のカードリーダーで、変異前はそこに社員証か何かを通して開閉していたらしい。


「……セキュリティカードか何かで開いたり、しませんかね?」

「オフィスビルが急激にダンジョンに変異したせいで、元の構造がそのまま取り込まれているわけか」行き止まりを眺めていたキャロルが言った。「上村自身の防衛本能に呼応して、ビルのセキュリティを流用しているのかもしれないな」

「よし、社員証とか探してみるか」


 俺たちはそれぞれ、通路に隣接したオフィスに入って探索を開始する。


 俺が入った部屋の内部は相変わらずのグロテスクさで、内臓の上皮を貼りつけたかのような壁に血管が浮き上がったように見えるデスクに椅子、そして床やら何やらに吸収されたり埋まったりしている書類や雑貨類、という悪夢じみた状態だった。

 できれば何もかもに触れたくない部屋で社員証を探し回っていると、その肩をいきなり叩かれる。


「うわっ!? ビックリした!」


 振り返ってみると、いつの間にか背後に近づいていたのは詩のぶだ。

 やや青ざめた表情の詩のぶは、口を一文字に閉じて指を当てながら、首をブンブンと横に振る。


「しーっ! 水樹さんしっ! 静かに!」

「えっ? な、なんだよ?」

「とにかく静かに! ちょっと、こっち来てください!」


 なにやら焦っている様子の詩のぶは、一旦探索を中止させて全員を招集した。そうして円陣を組むようにして密集すると、コソコソ声で囁く。


「あのですね、人が、人がいたんです! たくさん!」

「人が……? どこにいた?」


 そう尋ねると、詩のぶは青ざめて冷や汗を流した。


「とりあえず……とりあえず、見てみてください! あとみんな、絶対に声を出したりしないでくださいね! 絶対!」


 とある部屋の前に連れられると、詩のぶはその扉をそーっと開ける。


 その大部屋には、大勢の人影がいた。


 そこは普段メインの業務が行われている部屋のようで、体育館半分ほどの広大な空間には、デスクと椅子が何十脚と並べられている。それぞれのデスクにはスーツを着た従業員らしき者たちが座っており、机に突っ伏すか突っ伏さないか、授業中に居眠りと戦う学生のような感じで頭をフラフラとさせながら、ブツブツと何かを呟いていた。


「ウエムラはイイヒト……ミズキリョウスケはワルイヒト…………」

「ミズキリョウスケはセイカクワルイ……ウエムラアツミはセイカクイイ……」

「ウエムラアツミはジンボウアツイ……ミズキリョウスケハペテンシ……」


 割れずに残った蛍光灯がプツプツと途切れながら、わずかばかりに周囲を照らす薄暗い部屋。そんな中で、彼ら正気を失った従業員は、ひたすらに念仏を唱えている。


 そんな狂気のオフィスをそっ閉じすると、俺は吐き出すように囁く。


「……や、やば……っ!」


 隣を見てみると、キャロルもあまりの光景に、元から白い表情がさらに白くなっていた。もはや白人を超えて超白人である。自分でも何を考えているのかわからなくなってきた。


「アレって……アレか? 気づいたらすぐに襲いかかってくる系の奴か?」

「スキルワームの精神汚染が進みすぎたら、ああいう感じになるんですね……」

「とりあえず、社員証は山ほどありそうだが」

「絶対に刺激したくないですね……」

「絶対に中に入りたくもない……」


 俺、キャロル、多智花さんがそんな風に頭を抱えていると、詩のぶが何か思いついたようにして、軽く手を合わせた。


「あ、いいこと思いつきました」

「なんだ、詩のぶ。グッドアイデアか? それともグッドデザイン賞か?」

「水樹さん、動揺しすぎてわけわかんなくなってますよ」


 とにもかくにも妙案が閃いたらしい詩のぶを頼り、俺たちは顔を突き合わせて彼女の話を聞く体勢に入る。


「いいですか? ここはですね、ケシーちゃんに頼りましょう」

「ケシーに?」

「ケシー殿に?」

「ケシーさんに?」


 全員でオウム返しにしたところで、俺たちは当の手のひら妖精を見やる。

 周囲をパタパタ飛んでいたケシーは、にわかな注目を受けて目を白黒とさせた。


「えっ、私です?」


 ◆◆◆◆◆◆


 プツプツと途切れる、頼りない蛍光灯の光。

 ブツブツと唱えられる、念仏の合唱。

 そんな狂気的なオフィスの中を、ケシーは静かに、ひらひらと飛んでいる。


 『ううう……ケシーちゃんはこんな危険地帯に軽率に放り込まれてもいいような、便利なドローン系妖精ではないのですがー! か弱く無邪気な希少存在なのですがー!』


 テレパシーでそんな悲鳴を伝えてくるケシーに対して、俺たちは大部屋の扉の前から「がんばれ!」という迫真のポーズで応援を送った。


『ふえー! もしも万が一にも何かありましたら、絶対に化けて出てやりますー!』


 そんな脳内に直接響かせてくる系の愚痴を垂れ流しながら、ケシーはこっそりひらりと飛行する。


 名付けて、妖精ドローン作戦。身軽かつ小柄かつ飛行可能かつ意思連絡が容易なケシーに単独潜入してもらい、社員証をゲットしようという単純すぎる作戦である。

 この狂気の空間に1分1秒も長居したくないらしいケシーは、廃人気味の従業員の一人へと、死角から速やかに近づいた。その首には、社員証がくっついた首紐が回されている。


『よし……! この人なら、上手いこと盗めそうです!』


 首元に接近したケシーが、その首から吊り下げた社員証を掠め取ろうとして小さな手を伸ばす。後ろからつまみあげて慎重に上へと引き抜いていくが、上村専務への賛美と俺へのヘイトを呟き続けるマシーンと化した従業員はある程度は無感覚なようで、その些細な感触に気付く気配はない。


 「よし! いいぞ!」とはもちろん叫ばずに、俺たちは無言のガッツポーズで作戦の成功を祈った。


『慎重に! 慎重に……!』


 首の後ろから頭の上へと回り、刺激しないように少しずつ社員証を引き上げていく。その途中で、ケシーは紐が引っかかることが予測される耳や髪を器用に躱そうとした。しかし人の首から片手でネックレスを取り去ろうとするようなものなので、なかなかスマートにはいってくれない。


『ぐ……っ! やっぱり、一人だと上手くいかんですね……!』


 そうして悪戦苦闘する内、ケシーは勢いをつけて紐をはためかせ、フワリと首や頭を通す作戦に切り替えた。ブツブツと念仏を呟き続ける従業員の背後でヒラリと舞うケシーは、空中で思い切り助走を付けて……


『よーし! い、いったれー! えいっ!』


 社員証のついた紐を一気に取り去るため、弧を描く軌道で勢いよくひらめいた。

 たわんだ紐が顎や耳を躱すのに十分なほど開き、その一瞬の間にヒュオッと上へと飛翔。


 完璧な動き、だったのだが。


『よっしゃー! ……あっ?』


 勢いよく離脱しようとしたところで何かに引っかかったケシーが、クイクイと紐を引っ張る。

 その紐は、ケシーの位置からは見えない人体の突起に引っかかっていた。


 つまりは鼻。


 死角たる背後から奮闘していたケシーは、その些細な突起に気付けなかったのだ。


「あっ」


 それに気づいたケシーが、もはやテレパシーではない素の声を上げる。

 鼻を全力で引っ掛けられて上を向かされた従業員と、ケシーの目が合った。


「…………」

「…………」

「あら、その……ごめんあそばせ?」

「…………」


 焦りすぎて、ケシーは手のひら妖精からお嬢様妖精に進化した。

 そして何事もなさげに首紐を取り去ると、その場からヒラヒラと飛び去ろうとする。

 しかし従業員は立ち上がり、ケシーを見て目を見開いた。


「ヨウセイだ」


 社員証を奪われた従業員は、ふとそんなことを呟く。


「ヨウセイだ」


 他の従業員も立ち上がり、続いた。


「ミズキリョウスケのヨウセイだ」


 大合唱のように唱えられたそのときには、虚空を見つめて念仏を唱えていた従業員は、みながケシーを注視していた。


「いえ、違います」ケシーが答える。「人違い、いや妖精違いです」


 ケシーはそう返したが、しかし許されないようだった。

 従業員たちはみな一斉に立ち上がり、走る系ゾンビのような全力疾走を開始する。


「うぎゃおーっ! ズッキーさーん! お助けくださいーーーーーー!!」

「うおおおお! 早く! 早く来い、ケシー!」


 全速力で飛んできたケシーを受け止めると、俺は社員証を詩のぶにパスして走り出す。

 怒涛の勢いで追ってくる従業員たちから逃げながら、俺たちは叫んだ。


「どうするこれ!? 自動ドアを開けてる余裕あるか!?」

「いや無いです! そもそも本当に開く保証すら無いですねー!」

「ま、待ってくださいー! ぎゃーーっ!」


 後ろを振り返ると、そこには走り遅れている多智花さん。

 そうだった、あの人足遅いんだった!


「くそっ! もうこうなったら、全員焼くしかないか!?」

「いや待て、ミズキ!」


 スキルブックを展開して『火炎』のカードを抜いた俺に、キャロルはそう叫んだ。彼女はギュッと立ち止まって回転すると、剣を構えて後ろを振り返る。


「キャロル! 何してる!?」

「先に行って扉を開けろ! そしてタチバナ! 踊れ! いや歌って踊りながら走れ!」

「なんでですか!?」

「いいからやれ! 私に筋力強化(バフ)!」

「走りながらは踊れないのですがー!」

「お前の走り方は踊ってるのと同じだから多分大丈夫! 発動しろ!」

「『怪しい踊り』―――! うぎゃぇえええーーーっ!」


 悲鳴を上げながら走る多智花さんは、立ち止まるキャロルを低速で追い抜かしていく。


 そして発狂系従業員の群れを目前にしたキャロルは、その場で垂直に高く跳んだ。


「ヤァっ!」


 煌めいた剣が天井を瞬時に斬りつけ、瓦礫の山を降らせる。

 ガラガラと崩れ落ちた瓦礫は、通路に積載して道を塞ぎ、その場を一時的な通行止めにしてくれた。


「よっしゃあ! すごいぞキャロル!」

「うおおお何とかしてくれたーーー! さっすがキャロルさんー!」

「自動ドア、開きました!」


 一連の間にセキュリティを解除してくれた詩のぶに追いつき、俺たちはそのまま自動ドアの向こう側へと滑り込む。しかしそこで、俺はあることに気付いた。


「あれ、このドア……一回開けたら閉じてくれないのか?」

「あっ、そういうシステムーでした!?」


 そうしている間にも、キャロルが築いた瓦礫の奥からは念仏系従業員の皆様がせっせと這い上がってきていた。


「ああーもう! これはもうアレだ! 一番奥まで突っ走るしかない奴だ!」

「行くぞ、とにかく行くぞ! 止まるな!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 火又かな?
[良い点] オナカウ!?オナカウなのか!?ケシーは別として、全体的に少ない気はするけど
[良い点] まさかアレの数字か!?とドキドキしてきた でも多智花さんが多いのはなんとなくわかるけどむっつりそうだし(笑) でもそれにしては詩のぶが少ないよなぁ でもミズキと出会ってから目覚めたとす…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ