106話 怪獣大戦争
日本からニューヨークまで、距離にして約1万km。
時速900キロを誇る現代の飛行機を用いても、この距離を飛行するには通常13時間ほどを要する。
しかしこの白竜さんの飛行速度は、その比ではなかった。
「あっ! あれハワイですよ! えっ!? 速っ!」
テントに空けられた氷の窓から、海上に見える小さな島を見つけた詩のぶが声を上げた。
方位磁石や地図アプリを駆使して太平洋を横断中の俺たちであるが、どうやら白竜さんには渡り鳥的な長距離移動能力、あるいは磁場を感じ取る第六感が備わっているようで、ドラゴンフライトは当初の不安とは裏腹に順調に進んでいる。
「ハワイを通過したってことは……ニューヨークまで、あとどれくらいだ?」
「ええと……普通に飛行機で行くと、直行便でもハワイのホノルルまで7時間くらいなんですよ」
「……まだ二時間経ってないが?」
「ですね。大体1/4くらいのタイムで来ちゃってます」
「つまり……飛行機の4倍? 4000kmくらい出てるってこと?」
「戦闘機が大体3000キロなんで……ヤバっ。この白竜さんヤバすぎません?」
『どうかしたのか?』
脳に直接話しかけてくる系ドラゴンである白竜さんが、俺たちの会話に急に乱入してくる。
『普通に飛んでるだけだが……なにかヤバかったのか? ん?』
「い、いえ! ただ、めちゃくちゃ速いなと!」
「ええ! もう、ものごっつ速いって話をしてたんですよ!」
『ヌハハ! そうかそうか。こんなものちょいと駆け足なレベルだが、我は小さき者たちの基準でいくと相当速いらしい。』
「ええ! すっごいです白竜さん!」
『どれ、もっと速く飛べるぞ。ちょいと全力で飛んでみるか』
白竜さんがそう言った瞬間、俺たちは氷のテントの中で壁に叩きつけられた。
「ぐっ! ぐおおおおっ! や、やばい! 速すぎて命がやばい!」
「じ、Gぃぃがっ! あっ! 多智花さんとイギリス人が泡吹いてる!」
「もうちょっと速度落とせますかー! すいませんー! テントもぶち壊れそうですー!」
■■■■■■
巨大な北アメリカ大陸の景色が眼下で過ぎ去っていく。
速度と高度をゆっくり落としつつ飛行する白竜さんは、ついにアメリカ西部……タイムズスクエアを擁するマンハッタン区、ニューヨーク市上空へと領空侵犯しようとしていた。
「あっ! 電波入ってきました!」言ったのは、俺の手元でスマホを見ていたケシーだ。「もうやばいニュースになってますよ! ドラゴン上陸! アメリカにドラゴン襲来! 泣きっ面に蜂ならぬ泣きっ面に竜の緊急事態!」
「まあ、そりゃ混乱するだろうな……」
ケシーと一緒にテレビを眺める俺は、ため息混じりに呟く。
「このまま、何事もなく侵入できればいいんだが」
「……水樹さん。ちょっと見てください」
窓の外を覗いていた詩のぶが、ちょこちょこと俺を手招く。
椅子から立ち上がって一緒に覗いてみると、そこには後方から接近する数機の飛行物。
鳥や飛行機なら、あれほど整然とした隊列を組んでは飛行してこない。
「あれは……」
「米軍の戦闘機か……」キャロルはこちらに近づいてくる機影を窓からじっと見つめると、眉をひそめながら呟く。「F-22、第五世代制空戦闘機だな」
「それってやばいのか?」
「一機100億円以上する戦闘機だぞ……」
「それが10……いや20機は見えるんだが?」
「米軍も、戦力をフル投入しているわけだ……」
なにせドラゴンに領空侵犯されているのだから、当然である。
「あ! あのー! 白竜さん!」多智花さんが叫んだ。「やばい奴が接近してます! めっちゃ背後から近づいています!」
『ほうほう?』
反応した白竜さんは身体をグラリと言わせながら降下し、その過程で一瞬だけ背後を見やる。
『速度を落とし始めたとはいえ、空で我についてくるとはなかなかやりおる。』
「……なんか撃ってきました!」叫んだのは詩のぶだ。「たぶんミサイル! ミサイルッ!?」
「白竜さん! 攻撃されてます!」
『空戦魔法か! 面白い!』
脳の奥底に重く響く声色で、白竜さんが叫ぶ。
『目標地点はもうすぐ! どれ、軽くいなしてくれよう!』
その瞬間、俺たちの体がフワリと浮き上がった。
迎撃のために飛行方向を急落下させたことにより、テント内に無重力状態が生まれたのだ。
「うおおおっ! 掴まれ! 全員どこかに掴まれ!」
窓から見える景色が急回転し、もはや俺たちにはよくわからない光景となる。グルリと回って下から突き上げるように急上昇を始めた白竜さんは、背後から接近するF-22の編隊の腹へとアッパーカットでも食らわすが如く、下方から恐ろしい速度で奇襲を仕掛けた。
『グハハハァ! 鉄の竜騎兵部隊か! 少しは楽しませてもらおう!』
白竜さんの楽しげな声色が聞こえた瞬間、敵編隊が一斉に散開した。
三次元的な機動で空戦を開始したF-22は、搭載された機関銃でもってこちらへ攻撃を仕掛ける。
『ゴァアアッ!』
白竜さんの凍てつくブレスが数機を捉え、その体勢をグラリと狂わせた。
数機のF-22が戦線から離脱したのが確認できたが……次の瞬間。
ズバババババッ!
「うぉおおおおっ!?」
機関銃弾が俺たちの隠れる氷製テントに着弾し、その一部が砕かれて大穴が開く。
凄まじい突風が吹き荒れ、俺たちは気圧差でブラックホールのように外へと吸い出され始めた。
「ぎゃあああっ! やばっ! やばいー!」
椅子にしがみついていた詩のぶが衝撃で放り出され、そのまま外へと放り出されそうになる。俺がすんでのところで彼女の手を掴むと、さらに俺の足を誰かが掴んでくれた。キャロルだ。
「ぐわああああ白竜さん! もっかい凍らせてください!」
「テントが破られましっっっっったぁぁああああっ!?」
『フム! 待たれよ小さき者たち!』
白竜さんが急旋回し、俺たちは強烈なGでもって再び壁に叩きつけられる。白竜さんが外に吸い出される直前だった詩のぶの身体を器用に拾い上げるようにして急回転すると、バキバキという音が鳴ってテントの氷が再構築され、透明の大窓がもう一つ出来上がった。
「ぐっ! ぐががががっ!」
「ズッキーさーん! しっかりしてくださいー!」
遊園地の殺人コーヒーカップに閉じ込められて高速回転させられているような容赦の無いGのかかり方に、俺達は失神寸前の状態で手近な物に必死にしがみつくしかない。ちらりと隣を見やると、多智花さんがふっと意識を失ってブラックアウトするのがわかった。何とか手を伸ばして彼女の身体を抱き込み、もう片方の手で必死に椅子にしがみつく。氷結で固定されているとはいえ、キャンプ用椅子の細い脚は折れかかっている。というか折れている。
『フハハハァァなかなかやるではないか! これほどの空戦! いったい何千年ぶりであろうか!』
一度大穴が開けたことでさらに視界が良好になってしまったテント内からは、白竜さん対F-22編隊の高速戦闘の様子がよく見えた。目まぐるしく機動して互いに攻撃を繰り出し続ける両者は、俺たちの目には何をしているのかサッパリわからない。
『古龍戦争以来であるなァァアアアっ!』
白竜さんが吐き散らかしたブレス攻撃によって、戦闘機が一機また一機と戦線を離脱。
しかしその矢先、追尾してきたミサイル弾が、不意にこちらへと接近するのが見えた。
「うぎゃっ!? 直撃ーーーッ!」
『ヌゥッ!?』
ドガンと凄まじい衝撃が内蔵の奥底まで鳴り響き、俺は自分の心臓が止まったのではないかと不安になる。
横っ腹にミサイルを被弾した白竜さんの身体がグラリと体勢を崩し、きりもみ状態で落下を始めた。
「白竜さぁあぁぁん!? 大丈夫ですかぁああああ!?」
『ウヌゥ……痛い。鳩尾にもらってしまったわい。やっぱり多勢に無勢であるなあ』
数秒ほど自由落下していった白竜さんは、翼を一度バサリといわせて風に乗り、滑空を開始した。
『どれ、ちょいと作戦変更である』
白竜さんは翼を折り畳んでツバメのように鋭く空を切り、一旦F-22の群れから距離を取ろうとする。
しかし背後からは、その逃亡姿勢を見定めたF-22たちが、素早く機動してその背中を追いかけ始めた。
『一旦戦闘をやめて、このまま目標地点まで向かう! やっぱりお主らを乗せてると、色々気になって全力で戦えんわ! 決して逃げてるわけではない! 先に荷物を下ろすだけであるぞ!』
「そ、それでお願いしますぅぅうう!」
ニューヨーク市上空にミサイルのようにして降り立った白竜さんは、高層ビルの屋上を掠めていくような超低空飛行に移行した。背後からはF-22の編隊が若干の高度をもって追跡してくるが、さすがにミサイルや機銃を撃ち込んでは来ない。
そして、ついにその前方には。
ニューヨーク市内に出現した、まるで魔王城のような風体のタイムズスクエア・ダンジョンが見える。
『このまま突撃し、良いところで降ろすぞ!』
「お願いしますーーっ!」
「多智花さん! そろそろ目を覚まして!」
「はっ!? 私死んでました!? 死んでましたか!?」
戦闘機の追尾を躱すため、白竜さんはさらに高度を落とす。
世界経済の中心地、ニューヨーク。
そこに立ち並ぶ高層ビル群の合間を縫うようにして滑空する白竜さんは、細かく機動し華麗に街中を飛行しているように見えて……たまに翼の先っちょをビルにゴシャリとぶつけたりして、わりと甚大な被害を出しながら無理やり進んでいく。
そうしてついに辿り着いたのは、大規模なダンジョン化によって核戦争後の地球並みに荒廃したタイムズスクエア。
世界の交差点と呼ばれるこの地は、元々建ち並んでいたビル群が派手に沈下して沈み込んだり逆に隆起したビル同士が衝突し巨大なアーチを形成していたりと、もう世紀末も世紀末な異世界と化していった。
バサリと翼を広げて速度を落とした白竜さんは、地面に沈み込んだビルの屋上に着地し、そこでテントの氷結を解く。背中に固定されていた諸々が一瞬にして溶けて支えを失った俺たちは、背中の上を転がり落ちるようにして白竜さんから降りた。
『これでいいな!? ミズキよ!』
「ええ、ありがとうございます! 本当に!」
『では我は、あの竜騎兵部隊を迎え打ってくるからな! よしよしこれでようやく全力が出せるわい! グハハハハハ!』
俺たちを降ろした白竜さんは間髪入れずに翼を広げ、そのまま空中にフワリと浮かんだ。
『この世界の空戦戦力とやら、なかなかやりおる! これだけ滾るのはいつぶりか! 時の勇者を背中に乗せていた頃を思い出すのぅ! 王都で邪竜と戦った夜を思い出すのぅ!』
「では、おたっしゃで!」
『おうよ、ミズキ! 貴様も生き残れよ! またデンチを献上しに来るのだぞ!』
白龍さんが再び翼をバサリといわせると、周囲で何十機ものヘリが一斉に離陸したような、息もできない突風のうねりが巻き起こった。
その衝撃で俺たちはまた吹き飛ばされて転がり、再び飛行体勢に入った白竜さんは上昇して、追跡してきたF-22の編隊へと突っ込んでいく。
空で白竜さん対米空軍の怪獣大戦争が勃発している中で、俺たちは歩き始める。
「よし……それじゃあ、ダンジョンに侵入だ! このまま!」
「ちょっと待て……ミズキ!」
「ちょっと待ってくださいね、水樹さん!」
「待ちましょう、水樹さん!」
キャロル、多智花さん、詩のぶが一斉にそう言った。
「……どうかした?」
「その前に……お手洗いに行きたい」
「長旅だったので」
「かなり危なかったので」
「……実は俺も我慢してた」




