双子(前編)
薄曇りの山道を、楓と結は静かに歩いていた。吹き抜ける風はやわらかく、木々の葉を揺らしては、ほのかに甘い新緑の香りを運んでくる。鳥のさえずりが途切れることなく続く、のどかな山の一日──のはずだった。
「……師匠、血の匂いがします」
先を歩いていた結が、ふと立ち止まる。鼻先をかすめる、わずかな鉄の匂い。その感覚に敏感な彼女の声に、楓も足を止め、目を細めた。
「そちらからだな」楓が視線を向けると、林の奥から人の足が見えた。そこから二人の若者が姿を現す。
「…えっ、楓さん?」
黒髪で右目の下に黒子のある方が声を上げる。茶髪で左目の下に黒子があるもう一人も気づき、こちらへ駆け寄ってきた。
「楓さんじゃん! 久しぶり! 僕たちのこと、覚えてる?」
楓は彼らの顔を一瞥すると、懐かしげに、しかしどこか間延びした口調で言った。
「あぁ……烏と鳶か。生きてたんだな」
楓は思い出したように言った。
一方結はぽかんと楓を見上げ、ふたりの顔を見比べた。まるで鏡合わせのような、よく似た顔立ち。”美青年“という言葉がよく似合う。
2人は結の方へと向き直る。
「わ、ちっちゃい。楓さんの弟子?」
「文で書いてた結って子?二刀使いってほんとなんだ~」
「ちっちゃくない」
不満げにむくれる結の声など気にする様子もなく、双子は満面の笑みを浮かべる。
「僕は烏、こっちは鳶。双子で、楓さんの息子だよ!」
「え、息子!?」
思わず大声を上げた結に、楓はうんざりした顔で否定した。
「違う。私に子どもはいない。昔、ほんの少しだけ面倒を見ただけだ」
(…この人、本当にどこに行っても知り合いがいるな)
半ば呆れ、半ば感心しながら、結は密かに感想を抱く。
その間にも、双子はにこにこと結の手を取っていた。
「ねぇねぇ、遊ぼうよ!さっき“遊び相手”が死んじゃってさ、僕ら暇になっちゃったんだ」
「…死んじゃった、というか、“殺した”では?」
「結ちゃん強いんでしょ?遊んでよ!良いよね、楓さん」
「駄目だ。私は疲れた」
淡々と告げる楓に、双子は大げさにうめく。
「えぇ〜〜っ!じゃあじゃあ、城下町に買い物に行こうよ! この先に面白い店がいっぱいあるらしいし!」
「悪戯道具の補充もしたいんだよね。それならどう?」
結は期待に満ちたふたりの目と、楓の顔とを交互に見比べた。そして──
「……わかった。付き合おう。ただし、私は宿で休む。結、お前がふたりと行ってこい」
「はい!?」
心底驚いた顔をする結に、楓は穏やかな笑みを浮かべて肩を叩いた。
「親睦を深めるにはちょうど良いだろう。土産話を楽しみにしているよ」
「「じゃあ決まり〜!」」
一瞬にして話がまとまり、楓と双子は城下町への道を歩き出した。遠ざかる背中を見送りながら、結は一人、静かにその場に残る。
(……私に人権はないんですか)
そんな言葉を飲み込みながら、結は心の中で強く呟いた。
◇
城下町は活気に満ちていた。軒を連ねる店々からは焼き団子や綿菓子の香りが漂い、色鮮やかな布地や簪が並んでいる。人々の笑い声が通りを彩り、どこを見ても華やかな雰囲気に包まれていた。
「結ちゃん、簪似合いそう!あ、こっちはどう?」
「筆買う?楓さんに似合いそうなやつ探そっか!」
あれこれと店を回る双子に引っ張られながら、結は少しずつ肩の力を抜いていった。
「結ちゃんはなんで楓さんに付いてるの?」
右側を歩く烏が、ふと問いかけてきた。
「姉が亡くなって、あの人に育ててもらってます」
仏のような笑みを浮かべて、鬼のような人ですけど。と、心の中で続けながら、口には出さなかった。
「へえ!僕たちと似てるね!」
「僕らも親が死んだから楓さんに付き纏ったんだよ!」
「それで楓さんが根負けして、十一になるまで一緒にいたけど、楽しかったなぁ」
(あの師匠を根負けさせるって、どんだけしつこかったんだろう…)
呆れる結の耳元で、鳶がひそひそと囁く。
「ねえねえ、聞きたい? 僕たちの昔話」
「昔話……?」
「楓さんとの出会いとか、ちょっとした思い出とか。結ちゃんになら、教えてあげてもいいかなって」
「ちょっとだけだぞー」と烏が口を挟む。
「…ほんの、ちょっとだけなら」
そう返す結の言葉を合図に、双子は顔を見合わせてニヤリと笑った。
「じゃあ、始まり始まり──」
彼らの声に、城下町の喧騒が、少し遠のいたように感じられた。




