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元気というのは、あらかじめ借金で購入した未来の活動エネルギーだと思う。だから、エナジードリンクを飲むという行為は、自身の寿命を担保にした借金契約に他ならない。
カフェインという名の取立人は、数時間後に必ずやってきて、倍の疲労感として徴収していく。
俺はそんなリスクを負うくらいなら、最初から破産宣告をして、布団の中で丸まっている方が賢明だと思っている。
「――で、これなんだけど」
図書館にあるテラス席。
帆夏がドン、とテーブルに置いたのは、毒々しいネオンカラーの缶だった。
表面には『HYPERTHUNDERZ』という、中学生が考えたような攻撃的なロゴと、稲妻のイラストが描かれている。
「何これ。飲むと感電するの?」
「ふふっ……違うよ。案件」
帆夏は重たそうにため息をついた。彼女の手には、コンビニで買ってきたハムカツサンドが握られている。
「事務所に話が来たの。新商品を、私に紹介してほしいって。ターゲット層は『社会に疲れた若者』らしいんだけど」
「なるほど。毒を以て毒を制すって感じだね」
「や、言い方。……でも、困ってるんだよね」
帆夏はハムカツサンドを一口かじり、モグモグと咀嚼しながら言った。ソースの染みた衣が、唇に少しついている。
「先方はさ、『このドリンクを飲んで、シャキッと元気になる風見さんが見たい!』って言ってるの。でも、私のキャラ設定、知ってるでしょ? 絶望だよ? 虚無だよ?」
「知ってる。帆夏さんがシャキッとしたら、それはもうキャラ崩壊どころか、別人の乗っ取りだよね」
「でしょ? もし私がカメラの前で『うわぁ! 力がみなぎってくるぅ!』とか言ったら、コメント欄が『洗脳済み』『SOSのサインでは?』で埋まるよ」
帆夏は頭を抱えた。彼女の悩みはもっともだ。
虚無を売りにしている人間に、覚醒を求めるのは、深海魚に空を飛んでみろと命じるようなものだ。気圧差で破裂してしまう。
「だから、潤。手本を見せて」
「……はい?」
「潤は無気力のプロでしょ? そんな潤が、この劇薬を飲んだらどうなるのか。リアクションの参考にしたいの」
帆夏は未開封の缶を俺の方へ押しやった。俺はハムカツサンドの端っこをつまみながら、その缶を見つめた。
カフェインとアルギニンと、その他諸々のカタカナ成分が詰まった液だ。多分甘いし、常飲は身体に悪そうな感じがする液体。
「俺は実験台か」
「や、違う。臨床試験」
「だから実験台だよね!?」
俺は渋々とプルタブに指をかけた。
プシュッ、という小気味いい音が、静かなテラスに響く。炭酸の泡が弾ける音は、どこか遠くで鳴る花火のように儚い。
「もう飲んでいいの?」
「ん。カメラ回してないけど、心のフィルムに焼き付けるから大丈夫」
俺は缶を傾け、蛍光イエローの液体を喉に流し込んだ。甘い。そして苦い。化学の味がする。
食道を通り過ぎ、胃袋に落ちていく感覚。俺は一本すべてを飲み干し、静かに息を吐いた。
「……どう?」
帆夏が身を乗り出して聞いてくる。俺は自分の脈拍を確認し、視界の明瞭度をチェックし、それから正直な感想を述べた。
「……眠い」
「え?」
「すごく眠くなってきた……」
「なんで!? カフェインだよ? 覚醒作用だよ?」
帆夏が驚愕している。だが、これが事実だ。
「あのね、帆夏さん。俺くらいの熟練の無職になると、カフェイン耐性がカンストしてるんだよ。常にコーヒーを飲んでるせいで、脳の受容体が麻痺してる。むしろ、血糖値が急上昇した反動で眠気が勝つ。あ、コーヒーといえば、コーヒーを見つけたのは山羊飼いのカルディって人で――」
「はいはい。今日はうんちくはいいから」
帆夏は冷たく俺をあしらう。
「まぁ……これが無職のエナドリの正しい飲み方、作法ということで」
「や、けどさぁ。エナジードリンクを飲んで『効かねぇなぁ』って宣伝にならない上に私がヤバいやつだと思われないかな?」
「帆夏さん。多分だけどターゲット層の人は、翼を授かりたいわけじゃない。飛んだら撃ち落とされるだけだからね」
俺は空き缶を指差して、提案した。
「だから、コンセプトを変えよう」
「どうやって?」
「翼を授けるんじゃない。『翼をもがれた鳥が、地べたを這いずり回るための燃料』って言い張ればいいんじゃない?」
帆夏がポカンと口を開けた。ハムカツの欠片が落ちそうになる。
「……重くない?」
「重いくらいで丁度いいんだって」
「そういうもんかなぁ……」
「じゃ、普通に『美味しい〜』『飲みやすい〜』『元気出てきた〜』ってコメントしとく?」
「や、それは嫌だ。長いものに巻かれたくはないよね」
「でしょ?」
俺は姿勢を正し、低い声でナレーション風に言った。
「『明日が来るのが怖いですか? 大丈夫、私も怖いです。このドリンクは、あなたを輝かしい未来には連れて行きません。ただ、今日という泥沼を、あと五メートルだけ這って進むためのガソリンです。一緒に這いましょう、最底辺を』」
一瞬の沈黙。風が吹いて、テラスの植え込みがカサカサと音を立てた。
「……採用」
「いいでしょ?」
2人して顔を見合わせてニヤリと笑う。
「ん。それなら嘘じゃない気がする。私、這うのは得意だから」
帆夏はニヤリと笑った。その笑顔は、エナジードリンクのCMに出てくるようなキラキラしたものではなく、路地裏の猫が餌を見つけた時のような、ふてぶてしくも逞しい笑みだった。
◆
しばらくして公開されたエナジードリンクのCM。風見帆夏とクレジットされた正真正銘の案件動画だ。
帆夏はけだるそうな目つきでエナジードリンクを口にすると、カッと目を見開く。
『わっ! 飲みやすっ! 元気出てきた!』
帆夏はそう言って元気そうな演技を始める。
「……飲まれたな」
俺は部屋で一人ぼそっと呟く。
いくら尖りまくった彼女も仲間内ならふざけられるが、企業様の前ではそうもいかなかったらしい。
まぁまともな大人だったらあんな案は却下するだろう。
なんだかその動画を見ていると、帆夏が少しだけ、ほんの少しだけ遠いところへ行ってしまったような気がしてならないのだった。




