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ライブ配信という文化はニートと相性が良い。リアルタイムで追いかけられるし、何時間だって耐久できる。
問題は俺にとっての推し配信者が見つからなかったこと。しかし、それも今日限りかもしれない。
「ね、潤。これ、本当にやるの?」
帆夏が不安そうに言った。
場所は帆夏の部屋。中央にはこたつが鎮座している。そのこたつの天板には、スマホが三脚で固定され、リングライトが眩しく光っていた。
「やるしかないよ。事務所からの命令なんでしょ? 『フォロワー十万人突破記念に気だるそうな風見帆夏を見せろ』ってさ」
「無理だよ。生放送なんて、編集できないじゃん。私、絶対ボロが出るよ。うっかり『唐揚げ美味しい!』とか言って笑っちゃうよ」
「それが許されないのが、絶望ニート売りの帆夏さんでしょ? 結構、素に近いところもあるし大丈夫だって」
帆夏はリアルでも出世作となったドラマのキャラクターに近い人格と思われているため、しばらくはダウナーな自堕落キャラでいくらしい。
芸能界も大変だなぁと思いつつ、その配信を手伝うため準備を進める。
「うぅ……緊張してきたぁ……」
俺はこたつの布団をめくり、その中を指差した。
「だから『俺たち』がいるんだよ」
そこには、既に一人の先客が潜んでいた。赤のインナーカラーが暗闇で光っている。星乃だ。彼女は狭いこたつの中から這い出てくると、体育座りをしながら不敵に笑った。
「安心してよ姉ちゃん。あたしとパイセンが、この『地下シェルター』から姉ちゃんを遠隔操作するから」
「操作って……どうやって?」
「これを使う」
俺はスケッチブックを取り出した。そこにはマジックで『ため息』『笑う』『溜めろ』『遠くを見ろ』といった指示が書かれている。
「カメラの死角から、このカンペを出す。帆夏さんはそれをチラ見して、その通りに動けばいい」
「や、二人羽織だ」
「実質三人羽織だけどねぇ」
星乃が補足する。帆夏は渋々といった様子で、こたつに入った。上半身は絶望ニートらしいヨレヨレのスウェット。
俺はスマホの配信ボタンに指をかけた。時刻は二十一時。ゴールデンタイムだ。
「いいかい、帆夏さん。武器は『虚無』だよ。言葉で語るんじゃなくて空気で語るんだ。視聴者が求めているのは、雄弁な女優じゃない。一緒に沈黙してくれる『隣人』だからね」
「……ん。わかった。私、空気清浄機になる」
「その意気だ。じゃあ、始めるよ」
ポチッとボタンを押すと画面に『LIVE』の文字が点灯する。同時に、閲覧者数がカウンターのように跳ね上がった。千、三千、五千、一万。うなぎ登りだ。
これだけの人間が今、スマホの画面越しに帆夏を見ている。
「……あ、どうも。風見です。こんばんは」
帆夏が練習通りのローテンションで口を開いた。声が低い。マイクが拾うか拾わないかギリギリの音量だ。コメント欄が滝のように流れる。
『きたああああああ』『暗いwww』『部屋の照明もっと明るくして』『生きてた』
「今日は、あの……なんというか……記念配信ということで……」
帆夏が言葉に詰まる。視線が泳ぎ、口元が少し引きつる。
これはこれでアリな気もするが、素の「困った帆夏」が出そうになっている。俺はすかさず、こたつの下からスケッチブックを突き出した。
『ため息』
帆夏はそれを見て、ハッとし、大きく息を吐き出した。
「はぁ……」
その深いため息がマイクに乗った瞬間、コメント欄が加速した。
『深ぇ……』『何があったんだ』『人生の重みを感じる』『このため息だけで白飯食える』
肯定されている。ため息一つで称賛される世界線はここにしかない。
「えっと、質問とか、あれば……」
帆夏が画面を覗き込む。『好きな食べ物は?』というコメントを拾ったらしい。帆夏が答えようと口を開く。
どことなく「かつ丼!」と言いそうな顔だ。俺は素早くカンペを書いて出した。
『カロリーメイト』
「かつっ……かっ、カロリーメイトの……ふっ、フルーツ味です」
『渋い』『そこはチーズ味だろ』『生きるための摂取って感じがいい』
よし、軌道修正完了。
星乃が俺に向かって親指を立てた。
配信は順調に進んでいた。だが、トラブルは突然やってきた。
投げ銭だ。赤色の帯がついた高額なコメントが投下された。金額は一万円。メッセージは『笑ってください! 一万円あげるから!』。
金で笑顔を買おうとする資本主義の権化。帆夏が動揺する。一万円という大金と、ファンからの直球のリクエスト。
渋沢栄一の顔がチラつくビンタに彼女の頬が緩む。口角が上がりかける。
「あ、ありがとうございます! えへ――」
危うく笑いかけたその時、星乃が動いた。
彼女は俺の手からスケッチブックを奪い取ると、裏面に素早く何かを書き殴り、帆夏の目の前に突き出した。
『資本主義の豚を見る目』
強烈な指示だ。しかし、帆夏は瞬時に反応した。緩みかけた口元を引き締め、瞳から光を消し、画面の向こうの一万円を、まるで道端に落ちたガムを見るような目で見下した。
「……金で、私が笑うとでも?」
冷え冷えとした声。数秒の静寂。放送事故かと思った。だが、コメント欄が爆発した。
『ご褒美だあああああ』『ありがとうございます!!』『もっと蔑んで!』『俺も豚になりたい』
さらに追加のスパチャが乱れ飛ぶ。五千円、二千円、一万円。画面が極彩色の金銭で埋め尽くされる。
「ちょ、何これ……」
帆夏が小声で呟く。俺も戦慄した。人間は、蔑まれることに金を払うのか。SMクラブの経営理念が少し理解できた気がする。
「姉ちゃん、すげぇ。才能だよこれ」
星乃が小声で興奮している。
次のカンペを書く。
『虚無タイム』
帆夏はその意味不明な指示を見て、一瞬固まったが、すぐに覚悟を決めたようだ。彼女は手元にあったカップ麺を取り出し、お湯も入れずに蓋を開け、ただじっと中身を見つめ始めた。
『良い絶望具合だ』『配信止まってる?』『いや、動いてるよ』『虚無すぎるww』
存分に溜めた後、帆夏はゆったりとした動作でラーメンに湯を注ぐ。
そして、一言も発することなくズルズルとラーメンを食べ始めた。
化学調味料の溶け込んだスープの一滴も逃さまいと、喉が上下する度にゴクゴクと聞こえてくる。
まるで男らしいCMのようにラーメンを食べ終えた帆夏は最後に配信用のカメラに向かって微笑みかけ、「またね」と言って手を振った。
不意打ちの笑顔と声に、不本意ながらもドキッとしてしまったのは内緒だ。
◆
「……で、どうだった? 収益」
星乃が聞く。帆夏が恐る恐る管理画面を確認する。
「……十五万円」
「「まじ!?」」
星乃と同時に声が出る。
「一時間の沈黙と、カップ麺を見つめるだけで、十五万円」
俺たちは顔を見合わせた。普通の人は一ヶ月の労働を経て得られるような金額が、この空間では数分で発生したことになる。
労働とは何か。価値とは何か。その答えはここにはない。
「……怖いね」
帆夏がポツリと言った。
「こんなの続けてたら人間じゃなくなっちゃうよ。私、ただの『集金装置』になっちゃう」
彼女の手が震えている。俺は彼女の頭にポンと手を置いた。
「大丈夫だよ。帆夏さんは集金装置じゃない」
「……ほんと?」
「本当だよ」
俺は苦笑して付け加えた。
「俺達のバイト代もあるでしょ? 焼肉かな」
「……ん。奢る。一番高いやつ」
帆夏がようやく、いつものふにゃっとした笑顔を見せた。
15万円で得られた配信終わりの笑顔よりも、こっちの方がずっと価値がある。
こうして、伝説の虚無配信は幕を閉じた。ネット上では現代の禅として語り継がれることになったが、その裏に無職の男がいたことは、永遠に秘密のままである。




