女王と鋼
銀色の世界で、女王と二人きりになったバッシは、目の前の変異をただ見ていた。
周囲にまき散らされた内臓や卵が、彼女の中に吸収されていく。
一部が解けて他の臓器と融合する。微細な熱が湯気を発した。
生命の臭いが篭り、濃度を増す。グルリと捻転した女王は、ゆっくりと運動を始める。
求められた気がしたバッシは、右手から鋼睡蓮を伸ばして、蠢く肉体を支える。
しばらく手伝いながら、手持ちの鬼頭の実で栄養補給を済ませる頃、女王はようやく生命体として、形が定まってきた。
銀色の葉脈に包まれた肉体が、法則性を与えられ、脈打つ。
鋼脈を通じて、生暖かい体液が循環する中で、バッシは温く薄い塩味を感じていた。
バッシと女王は、鋼睡蓮を通して、内臓も感覚も全てが同期した。
鋼の精霊が甲斐甲斐しくバッシの栄養を運ぶ。バッシは黙々と鬼頭の実を咀嚼して、栄養を補給し続けた。顎が疲労感を覚える頃には、女王は肌艶を潤ませ、甘い吐息をつく。
隔絶した世界に二人、バッシは喜びと不安を同時に味わっていた。
肉塊は人型に整っていく。女王は、唯一残った虫の特徴である六足の腕を畳み、白く潤みはじめた。
バッシは静かに佇み、鋼の精霊の意思に身を委ねる。何故女王を育むのか? 姉様の意識がどこまで残っているのか分からないまま。
形が定まっても、そこに意識が戻ったかは不明だ。
そんな中、育むような同期は、身体が力を持ち始めることで、徐々に変化していった。
幼い野獣が噛みつくような小さな反発が、徐々に拮抗する生命力となっていく。
バッシは女王の反応を観察し続ける。
鋼睡蓮を通じて、女王の意識が肉体に馴染む。
まるで子を孕んだように、バッシの心が満たされた。
もはや目に入れても痛くない。それと同時に殺しても殺したりない。相入れない感情が、バッシの中でガチガチと噛み合う。
地面に根を張り、胎盤のように女王を乗せた鋼からは、重さは感じない。あるのは一体化する命の温もりと、鼓動。臭い、味、触感、色、異音の混じるそれに、震えが走る。『愛おしい鋼の子』となって育まれた女王。
愛憎が強まり、一転、違物感が生まれる。
黒いもやの中にある核。バッシは直感的に教授の〝軛〟だと悟った。
存在自体を呪いと成す軛。
鋼睡蓮が黒く染まっていくのと同時に、愛憎の天秤は、憎に傾く。
バッシの思念に女王が震える。
ゆっくりと瞼を開け、横たわった状態から上半身を持ち上げると、自身を覆う鋼の薄い葉脈をはらりと落とし、人間本来の姿形を表した。
思念が大きく反響してバッシを縛る。
迷宮の女王である、との強烈な自我がバッシを撃った。
余韻は黒くバッシを汚染する。細く震えながら立つ女王が、バッシを支配し始める。
かろうじて鋼睡蓮の抵抗力がバッシを支えた。
女王の震えは見る間に大きく、四本の腕に、全身に広がっていく。
女王は姿勢を保つ事ができなくなって、両手を地についた。カパカパと喘ぐ口から声が漏れる。
「迷宮は熟した……完成する」
ガチガチと歯鳴りが聞こえる。軛の呪は女王自身をも侵し、思念波が乱響した。
女王の肉体から軛の毒が揮発する。呼気に溢れた黒い靄が再び吸入される。
激しくむせ込んだ女王は、その黒い靄を吐き出すように嗚咽を漏らし、無音の思念で叫んだ。その強さにバッシの脳味噌が滾る。
純粋な支配に、うめき声も出せず、麻痺する。血が沸騰する。
軛の呪いは、鋼を通して、血液に混じってバッシの全身を循環しようとした。
一閃、紫銀の光を放つ大剣で女王とのつながりを切断すると、女王は目を見開いた。
左目からあふれ出た体液が黒く揮発して、左面を染めていく。ゆっくりと笑みを溢した。
地面に落ちた出来かけの無数の卵が急速に成長して、黒ゴブリンの悪意がバッシに向けられる。それは女王の腹の中からも放たれた。
照準を定める無数の悪意。その数は優に百を超えている。女王の下腹部がパックリと裂けて、中からトロトロと排卵される。次々と、黒い卵が。
それは空中で孵り、幼体となって地面で潰れた。
とっさに鋼睡蓮を統制して離脱する。バッシは激しい頭痛に苛まれた。
瞬間、幼体を供物にした命の黒矢が、百の束となって、バッシを串刺しにして弾けた。
鋼睡蓮によって全ての爆発を切り裂き、銀光の世界に力を逃す。さらに転移を繰り返し、バッシは爆発全てを破魔の剣で斬った。
続々と卵を産み落としながら、女王は蕩けるような笑みを浮かべる。産みの多幸感に思考が鈍麻しているようだ。
黒ゴブリンが生まれ、成長しながら、女王を護る陣形を作る。
いつの間にか世界は二人だけのものではなくなっていた。
聖龍騎士やリロ、ウーシア達の怒声が聞こえ、黒ゴブリン達と対面する。
気の荒い冒険王は、咄嗟に野太刀を振るい、相方のハムスも無数の幻影剣を生み出す。
気配を察したバッシは、仲間達の位置を把握し、黒ゴブリンの命の黒矢を薙いだ。
鋼の触覚が、周囲の情報を直接視神経に流す。
聖龍騎士も、聖守護力場を生み出し、仲間とゴブリン達との境界を無理やり作り出した。
その横では、リロがタンタンを広げて、巨大な魔法陣を女王に向けて照射させている。
ウーシアは冒険王と共に、ハムスの作り出した幻影剣の上に乗っていた。
そして女王と視線が交錯した瞬間、霊化して煙のように消えてしまう。
黒ゴブリン達は、狂ったように力場に縋りつき、自害して黒矢を放つ。そうして幻影剣やリロの火槍の束から女王を守った。
女王が迷宮の濃い魔力を吸い込み、なお一層の速度で産卵する。魔力の代謝器官としての熱を噴く。
バッシは女王に肉薄しながら、姉様の最後の思念を想起した。
女王を滅してはならない。
教授の軛が発動し、女王自身もどす黒く変色、操られてしまう中、荒れ狂う多産の発射台と化した女王を、殺さずに鎮めなくてはならない。
手加減する間に、どんどん子供が産まれ、命が消費される。
無数の黒矢がバッシを穿つ。
穴だらけになった鋼の肉体を露わすバッシは、転移を繰り返して女王に迫る。
〝ドンッ〟
と脈打ち、バッシのなかに今は亡き軛の記憶が蘇る。
それは魂に刻み込まれた呪い。
鋼の精霊によって組み替えられたバッシにとっても、それは強烈な記憶だった。
そこへ聖龍騎士が飛び込んでくる。
「女王を殺すな! 迷宮が完成してしまうぞ!」
バッシが叫ぶ。迷宮という魔力壺に入れられた女王は起爆装置だ。
殺せば迷宮が消滅するどころか、女王の力が暴発して、どれほどの被害をもたらすか、誰にも予測できない。
当事者の女王は、惚けた笑みを漏らす。
「殺すな」
と言っておきながら、即座に転移したバッシの剣が女王を斬った。その斬痕に鋼睡蓮の葉脈が絡みつき、傷口を繋ぎ止める。
その隙間に次々と現れる黒矢が、時間差で爆発した。
他の仲間達は女王を狙っている。だが、バッシは理解していた。
「迷宮内で女王は殺すな。もう一度同期して制御してみる」
鋼の口腔から、力のある言葉を生み出す。それは喧騒の中にいる仲間達にも伝わった。
「迷宮内で女王を殺す事も、謀の一部だ」
バッシの言葉を受けたジュエルが、
「では、我々は何を為すべきだ?」
と問いかける。言いながら聖守護力場で仲間達を匿った。
「時間をくれ。女王の目を覚まさないと、俺たちの力が迷宮に取り込まれてしまう」
バッシの言葉を受けた仲間達が理解する。
〝我々は皆、女王の胎内に居るのだ。自分達は燃料としてくべられた薪だ。燃え上がれば、その熱は新たな黒ゴブリンを生み出すだろう〟
故に女王は良質の種を持つバッシ達を、慈母の眼差しで捉えている。
聖騎士は黙って力場を保持している。
リロは不安に慄いていた。悪魔達に最高位の燃料とみなされているタンタンを抱え込む。それは神すら生み出しうる熱量を内包していた。
ウーシアが、
「どうすれば良いワン」
と問うと、唐突に、
「こうすればいいのさ〜」
と場違いな言葉が放たれる。そこには一体の肉男が居た。
「こいつを使え、バッシよ」
そこには声の主は無く、肉男は丸まって動かない。
右の腕を一閃。鋼睡蓮は肉男を捉えると、体内に根を這わせる。
鋼睡蓮の知覚が捉えたのは、体内に埋め込まれた魔石。
〈聖玉〉
軛を根幹から消し去る唯一の秘宝。それが何故かここに、肉男の中にあった。
女王の胡乱な目が、聖玉に見開かれる。
なりふり構わず手を伸ばすが、体に巻きついた軛が力尽くで引き剥がす。
黒ゴブリン達が肉男に殺到して、聖玉を奪おうとして、焼け焦げていく。
「それを俺に!」
バッシの訴えに、聖龍騎士が反応した。龍炎が黒ゴブリン達を一瞬で灰に変え、聖騎士ジュエルは聖守護力場で女王を封じ込める。
そこへ冒険王とハムスが殺到する。
「ぶち斬れろ!」
冒険王の野太刀は黒ゴブリンを切り裂き、ハムスは巧みに幻影剣を生み出して壁を作ると、隙間から躍り出た。
無数の黒ゴブリン達が切り刻まれる。その中心を冒険王が突進して聖玉を奪おうとする。
そこに命の黒矢が集中砲火をみまった。
女王の元に転がる聖玉。軛の拒絶反応によって、這いつくばった女王は、地面に押し付けられながら咆哮した。
バッシが転移して聖玉に逼迫する。睡蓮鋼の触手が聖玉に触れる。触手は猛然と燃え上がった。
強引に聖玉を鷲掴みにすると、軛に支配された女王が狂ったように腕を振るう。
その過程で数匹の黒ゴブリンが切り裂かれた。命の黒矢が猛爆を繰り返す。
バッシの体に龍装が生えて、緊密にバッシをガードした。
爆撃が続き、龍装が焼切れていく。
バッシは超回復で肉体をとどめながら、無理矢理に女王に押し迫った。
聖守護が解けると、軛の黒煙が鋼睡蓮を汚染する。
煙をあげるバッシは、片手で女王を掴むと、その胸を鋼の大剣で貫き通した。
軛に支配された女王が狂ったように抵抗する。だがその手だけは、バッシの刃を受け入れ、なおも自らの腹部に深々と受け入れた。
軛は刃を侵食し、腐らせてバッシごと全てを呪い消滅させようとする。
そこに聖騎士の戦槌が打ちつけられる。女王の腹部に何度も、何度も。
その度に女王は黒ゴブリンを産み落とし、自身に向けて命の矢の猛爆を叩きつける。
泥沼の戦場で、鋼睡蓮がフワリと花開いた。
高温と黒靄の中、甲高い共鳴音が響く。
苦痛に耐えかねた女王が吠える。それは念話の爆発となって、高濃度魔素に引火した。
呼応するかのように、タンタンから暗状紅炎が伸びる。
爆発は、全て暗状紅炎に吸い込まれた。
抵抗する女王に聖玉が捩じ込まれる。
軛の黒煙が鋼睡蓮を腐らせる中、傷口に突き込まれた聖玉が強烈な光を放ち、破裂音とともに、全てを飲み込んで消えた。




