女王
姉様の思念が、バッシの目の裏で弾ける。それは理解を超えて、体を動かした。
鋼の精霊が魔力を生成し、姉様とバッシを繋ぐ鮮血の門を生み出す。
それと同時に、門に漲る狂血の魔力が、周囲の魔素を吸い込み、飽和魔力の弾道と化した。
弾道に加速された〝姉様の命の黒矢〟は女王に向けて放たれたーー
黒ゴブリン達にとって、育て親たる姉様の魔力は、己が血肉と同じである。それ故に防御体制が遅れた。
棒立ちの黒ゴブリン達を縫い、黒矢が巨大な石の神輿に突き刺さる。
その衝撃は高濃度魔素の誘爆を起こし、迷宮全体を揺らした。
敵も味方もその規模から、爆発による被害を幻視するーーだが、実際には埃一つ立たず、神輿にはかすり傷一つ無かった。
中に居るであろう女王は、しばしの間沈黙を守る。黒ゴブリン達も固まったかのように動かない。
あまりにも静かで、ゴブリン達が正気を失っている事を確信したバッシは駆け出した。
転移に転移を重ねて迫る。
姉様がバッシに見せた映像の中には、衝撃による黒ゴブリン達の停止状態も含まれていた。
そして、そのタイムリミットが短い事も知らせている。
トン、トンと転移を繰り返すバッシは、体ごと飛び込むように、神輿に大剣を突き込む。
鋭い切っ先はそれでも硬い石神輿に拒まれるが、咄嗟に繊維状に解れた鋼は神輿に絡みつくと、表面を這い進み継ぎ目への侵入を目論む。
その時、神輿から、強烈な思念波が放たれた。高濃度魔素によって肥大化し、物理的支配を伴った女王の思念ーー鋼睡蓮も弾かれてしまう。
屈せず石室に張り付いたバッシは、大剣の腹に小さな刃を多数造り出し、ノコギリのように紫光の連斬をみまう。
もはや姉様の支援は受けられないのだ。バッシ達異分子は、じきに高濃度魔素による中毒を引き起こすだろう。
急ぐバッシは継ぎ目を削り切ると、石神輿内に刃を滑り込ませた。中には丸まった女王らしき生物が一つ。と、同時に、高濃度魔素の思念波がバッシを襲う。
〝中にお入りなさい〟
思わず魅了されるほど、背筋の凍る女王の思念。あがらうことのできないバッシは硬直し、副作用として黒ゴブリン達が活性化した。
一番早く姉様の黒矢から醒めた黒ゴブリンが、槍でバッシを突く。それを如意に伸ばした鋼睡蓮の刃で退けつつ、女王に向かって狂血の魔力を解き放った。
鮮血の門は、残る魔力を使い果たしながら、女王に刷り込みを与えようと魔力変換されていく。バッシは口腔内を鋼を纏うと、
「目覚めよ!」
と支配力のある狂血魔力の言葉を叩きつけた。
それは姉様の黒矢に秘められた、真言を引き出す言葉でもあった。
姉様の命と引き換えの覚醒術。黒矢に宿る決死の念が、女王の頭脳に集極する。
〝ワッ〟
と殺到する黒ゴブリン達を背に、女王の変化を見極める。左右に振り出した鎌鉈で、先頭の黒ゴブリンを引っ掛けると、鮮血とともに他のゴブリンへと投げつけた。
それでも捌き切れないゴブリンの爪が、牙が、龍装で鎧われたバッシを傷つける。
その時、咄嗟にバッシが飛び退る。
一瞬で殺されるような気配を、背中でとらえていた。
同時に、視界が聖なる青光に潰される。バッシの周囲に聖守護結界が展開し、〝キーン〟という耳鳴りとともに、聖龍炎が結界の外を消毒したのだ。
直撃した石神輿は、秘匿していた多層バリアーで対抗するが、あまりの高圧高温に、バターのように溶け失せていく。
「待て!」
と叫ぶバッシの声はかき消え、聖なる龍炎は長い息の間、膨大な熱量を神輿に与え続けた。
周囲の黒ゴブリン達は、龍炎の餌食となり、命の黒矢と化しながら、龍炎をかき消そうとするが、真正なる聖騎士の聖守護力場がそれを許さない。
そこに、聖騎士の更なる槌撃が「ドン!」「ドン!」と空間を震わせる。
聖龍炎が途切れた瞬間、羽ばたいたミュゼルエルドは、巨体に見合わぬ挙動で、右前腕の剣爪一閃、地面ごと神輿を切り裂いた。
聖なる龍炎に、半ば溶けた神輿は、一筋の亀裂を作りながらパクリと切り捌かれ、中身を曝け出す。
その時、身の内から震えを覚えたバッシが、
「目覚めろ!」
と声を放った。
姉様が命に換えて助けようとした女王。覚醒術は完全に力を発揮した。
なす術もないバッシは、僅かに残った魔力を含む〝命令〟を女王に放つ。バッシの小さな魔力に僅かに反応する女王。
それと同時に、女王を守ろうと活性化した黒ゴブリン達は、隊列を組み換え突進してきた。
前列の黒ゴブリン達が命の盾となり、命の黒矢がミュゼルエルドからの龍炎を反らす。ジュエルの槌撃も、他ゴブリンが死に際に放つ黒矢に跳ね返され、黒ゴブリン達が束となって襲いかかってきた。
バッシは、それらを目の端に捉えながらも。神輿の亀裂から目を離さないでいた。
トロリと溶け出す臭気。そこには、高濃度魔素にも隠せない〝女王の〟気配があった。
惚けた表情の女王が、半分内臓器官剥き出しなった体を裏返すようにまろび出る。
腹部には小さな卵が幾重にも連なり、黒ゴブリンの幼体が蠢くのが見えた。
女王の覚醒に失敗した。姉様の目論見は半ば潰えた。
バッシは内心歯噛みをしながら、姉様の思いを反芻する。
「教授の呪縛から女王を解放し、迷宮から離脱させる」
という、姉様の命を賭した強い意志。
「本来の女王はただの一女性であり、この世界の理から離れた異世界人なのだ」
全てを理解し、女王が本来持っていた望みを叶えたいと真剣に願う。一番の理解者たる姉様の願いはーー潰えた。
教授のせいだ。
姉様と深く共感し思い実現させようとしていたバッシは、瞬間気持ちを切り替えると鎌鉈を投擲した。
スパッと突き立つ三本の鎌鉈は、ユラリと動いた女王を逃し、未成熟のゴブリン達の胸部や腕に突立つ。
鎌鉈の柄に繋がる鋼睡蓮の綱を護衛の黒ゴブリンに掴まれると、追撃の隙もなく切り口から命の黒矢が放たれた。
それはバッシに向けられてはいなかった。
黒の血線はバッシの周囲を囲む数十匹の黒ゴブリンを貫き、誘爆するように膨れ上がった黒矢が、四方八方からバッシを押し包む。
激しい爆風がバッシや仲間達を吹き飛ばされた。
黒ゴブリン達に炎の槍を束と放っていたリロは、一瞬魔力制御に集中しすぎて何が起こったのか理解できなかった。
全ての炎槍は、高濃度魔素の揺らぎによって暴発するが、高い制御力を取り戻したリロによって、方向性を黒矢にぶつける。
〝バッシ!〟
リロの声にならざる叫びを追い越して、ウーシアの霊化の銀風が吹き荒んだ。
バッシの気配は完全に消えている。銀光の世界に退避していても、バッシの存在は確実に捉えるウーシア……それが焦っているせいか、全く感知できない。
混乱している。探知に集中できない。極まった末の不在にパニックを起こしかけた。
〝大丈夫だ〟
空から聖龍ミュゼルエルドの念話がウーシアを打つ。
「ドドン」と地響きをたてた聖龍騎士は、なぎ払うように龍炎を半円状に放射する。
全力の聖なる龍炎は全ての物を消し去る。
ウーシアはその隙間、飛び込んで来た黒ゴブリンの剣士を切り裂いた。命の黒矢が発生するも、魔力の奔流に霊剣の刃筋を当てて、強靭な魔力を断ち切る。
「大丈夫ってバッシが……」
実体化したウーシアが、ミュゼルエルドを見上げて抗議の声を上げる。
「バッシの気配が無いワン、あの時みたいだワンウ」
将軍にバラバラにされた時と同じ状況に、動揺が隠せない。立ち止まって鼻を効かせても、霊感の端にすらバッシの気配が無い。と、思った瞬間、懐かしい匂いが鼻先を掠めた!?
遠望する女王の肩口に、小さな金色の環が出来ると、シュルシュルと軌道を描きながら、女王の頭部を掠め飛ぶ。
惚けた女王は、その刃音に反応を示し、一瞬猛烈な嫌気を表情に表した。
相手のトラウマに反応する悪魔の金環。子悪魔から奪った能力が発動し、中からズルリとバッシが滑り出た。
思わず大きな顎で挟もうとした女王を、容赦なく鋼睡蓮で拘束すると、その頭部を鋼の花弁でがんじがらめにする。
姉様の命をかけた黒矢の魔法が、薄まりつつも効果を発揮するように願い、鋼睡蓮の魔力を高めていく。
その中に、金環の悪魔的同調システムが作動した。女王の深層心理に働きかけると、女王が女王である前の記憶を再生する。
そして多産の化物と化した際の情動が襲い掛かった。
『産め……産め……産め』
陰鬱な喜びの声が、爆音でバッシの頭蓋骨を揺らす。
『産め! 産め! 全てを燃やして子宮に焼べろ』
頭の血管がブチブチと切れながら、バッシは補強する鋼睡蓮を生成して行く。女王の快楽や怒り、悲しみ、全ての感情が全身から力を奪っていく。
教授のもたらした麻薬的快楽の坩堝と、爆音の中にある虚無にしばし身を任せる。
バッシは耐えた。ほぼ脳みそを鋼に変換し、代謝を繰り返しながら耐えて待った。
ピノンの金環はさらに回転を続け、思念の楔となって、女王のトラウマの細かい傷跡に吸い込まれていく。
それと同時に、気絶するほどの快楽がバッシを襲った。肩に彫られた母豚の文様が怪しく光る。刺青の豚の股から、沢山の小豚が生まれ、沢山の乳首に群がった。動かなぬ刺青が、まるで平面の生き物のように動いている。
視界が歪み、極彩色の子豚たちの目から虹色の光線が放たれて、バッシに模様をつける。恐怖と共に湧き出す喜びに、バッシは『きれいだな~』と精神を蕩けさせた。
形を失いつつある精神の隅っこで、鋼睡蓮の蕾が生まれた。小さな紫の蕾は、ムムムッと成長すると、高濃度魔素の揺らぎに紫の光を溶かし始めた。
十分に大きくなった塊は、外側からパカッ、パカッと剥がれていくと、姉様の思念に導かれて、柔らかく拡がってゆく。
フタッと音がするように鋼の紫花弁が全て落ちるころ、立ち尽くすバッシと女王が取り残されていた。




