迷宮最深部
呼吸と共に吸い込んだ魔素が、全身を巡り、自我が溶けて思考停止する。
本能が『この先に進んではいけない』と警鐘を鳴らすが、同道する他メンバーは、歩を進める事に集中し続けた。
〝早く進みなさい〟
先程から執拗に続く念話に、惚けたメンバー達ははね除ける気力もなく、微力前進する力に変換されていく。
唯一、それらの影響を受けないバッシは、知育魔本をフルに活用して、現状理解に努めた。
皆が催眠状態になりつつあるのは理解できたが、知育魔本自体も高濃度魔素の影響を受けており、精査する事が難しい。
無理に働かせようとして、神経に繋げた鋼睡蓮が加熱した。
「ぐうぅ……」
末梢神経を焼かれたバッシは、うめき声をもらしながら、情報を強引に探る。
やがて神経が【超回復】されると、微細なダメージに比して大きな熱量が消費されていく。
微細で緻密な回復は、大雑把な回復と同程度の消費をもたらした。
そうして得られた情報は〝精神汚染〟という危険極まりない状況を示唆する。
「皆、ちょっと待ってくれ。ラガン、話を聞いてくれ!」
バッシが止めようとするが、皆の歩みは止まらない。ラガンも目を充血させて、前だけを見て歩き続けている。
「無駄だ、私もこれ以上の抵抗は精神がもたない。後は頼む」
普段無表情の紫間者が、目を血走らせながら声を発する。影響を弱めるために展開していた死霧が、暴発しかけて掻き消えた。
それ以降、何を話しかけても、全く反応しない。
以前にもバッシは、似たような状態に陥った事がある。
ドワーフの鉱山で、コボルトの襲撃を受けた際、魔力を持つ者だけが悪影響を受けたのだ。
今回もあの時と同じように、バッシだけが無事である。だとすれば……
バッシは鋼睡蓮の綱を展開すると、瞬時に皆を拘束した。それを手繰り寄せ、再び筒状で覆うと、紫光で包み込んだ。
その作業の最中に、姉様と結んだ思念の繋がりを、強く意識する。
〝これはどういう事だ、ゴブリンの女王らしきものに操られているぞ、お前の仕業か〟
強く、強く、執拗に念じると、
〝それは確かに女王のものです、しかし私の計略ではありません〟
姉様の思念が、バッシの疑念に答えた。
〝この状況では嵌められたと同じではないか〟とのバッシの思考に、
〝高濃度の魔素によって増幅されていますが、本来の女王の念ではありません。それは教授に操られているだけの、紛い物の力です〟
と答える。その思念には、姉様の無念と、瀕死の切迫感が溶け込んでいた。
無意識に滲み出る感情から、彼女の寿命が尽きかけている事が伝わってくる。
〝最奥部に辿り着ければ、私が対抗措置を施します。今は少し、力を溜めさせてください。そこまでの移動はお願いいたします、ただしなるべく急いで……〟
バッシは、姉様の願いが女王の救済であることを知っていた。それは紛い物ではなく、魂から絞り出された懇願だと理解している。
バッシの共感を汲み取った姉様は、気を緩めて、
〝ありがとうございます〟
と答えて念を切った。
バッシは濃い魔素の激流の中、綱に連なる紫光の筒を見る。中では、正気を取り戻しつつあるメンバーが拘束を解かれ、邪魔にならないように固まっていた。
「ふう」
と両手に息を吹きかけると、龍装を操作して、鱗を立てる。知育魔本が最適化した鋼睡蓮が、鱗の隙間から微細な毛針を伸ばした。
それらは迷宮の床に押しつけられると、バッシの身体を少しだけ吸着させる。
さらに筒の底面も、最適化により、ソリの足状に変化させる。
そうしておいて、四つん這いになったバッシは、全身の力を喚起させて、ソリを引き始めた。
最初は全く動かず、全体重を傾けて反動をつけて引き始める。
一歩一歩、ジリジリと這い進む。迷宮には、床を引っ掻く爪の音と、ソリの進む擦過音が響いた。
ガリ、ガリ、ガリ……
ソリの中では、紫光の筒に居ながら、いまだに濃い魔素と女王の念に苛まれるメンバーが、身を横たえている。
ジリジリと進むごとに、彼らの肉体が揺れている感触が伝わってきた。
久しぶりの肉体労働に、バッシは静かに耐えながら、思考を切り替える。
龍装の手足にかかる負担と、床に触れる引力が、妙な高揚感をもたらした。
ガリ、ガリ、ガリ……
高濃度の魔素は、魔力の無いバッシを狂わせはしないが、吸い込む空気は水のように質量を伴い、得体の知れない恐怖を喚起させる。
ガリ、ガリ、ガリ……
いったいいつまで続くのか、通路に果ては見えず、ただ魔素に霞む永遠のような直線があり、労苦の中に、静かな思考が生まれた。
何故こんな事しているのか? 何を阻もうとして、ここにいるのか? 転移の女神とやらが何かをするとして、それがバッシの何を害するのか?
ガリ、ガリ、ガリ……
聖騎士となった戦友のためか? リロを取り戻すためか? 恋人と呼べる女が、戦友に付き従うからか?
それらは全て違う気がした。
ガリ、ガリ、ガリ……
目的は溶解し、ただ行為だけが、進むべき道のみがある。
ガリ、ガリ、ガリ……
高濃度すぎて、バッシ達を害する者さえ存在できない空間の中、真っ白な思考で苦難の道を這い進む。
時折混じる違和感は、中のメンバーが身を起こした証だろうか。できればラガンあたりが回復して、皆の状態も治癒してくれるとありがたい。
そんな事を考え始め、手足の感覚が無くなった頃、障壁が現れた。
魔素が壁のように通路を阻んでいる。
壁のようだと思った部位を、知育魔本で精査すると、それはより濃度の高い、単なる魔素の塊だった。
それは魔力を持たないバッシでも、手を差し込むのが無理だと思えるほど、実体を伴う魔力の蜜だった。
無理やり手指を押し込むと、爪の先からジワリと侵入していく。
押せば入るのは最初だけで、ネットリと硬い魔素の塊は、しかし抜こうとしても抜けなくなっていた。
前腕の龍装に鋼睡蓮を現し、紫光を纏いながら、蜜をかき分ける。
神経の塊と化した感覚鱗に触れた蜜が、まるで眼球に直接触れたような感覚で気持ち悪い。
息が吸えるのが不思議なほど、周囲にネットリと絡みつく魔素。めり込むように進んでは、後続の筒を引っ張る。紫光が弱まると引っかかるため、鋼の精霊の紫光を振り絞り、力一杯引っ張り、自らも進む。
延々と続く通路を、ガリ、ガリ、と一歩一歩進み続ける。消費したエネルギーを、手持ちの鬼頭で補充し、硬い殻を吐き出した時、
〝さあ、こちらへ〟
と、誘う念話が降りかかった。
バッシ自身も衝撃を受けたが、筒の中にいるメンバー達の反応は、より激しかった。
誰かが跳び上がり「ガンッ」という鈍い音と、うめき声が聞こえる。
どうやらウーシアのようだ。
その後も「ドン、ドン」と筒の内側を叩き続ける。どうやらわざと叩いて何かを知らせたいらしい。
感覚鱗を筒の内側に伸ばすと、先端でウーシアの肩を突く。すぐに気づいた彼女は、感覚鱗に向かって喋った。
「この真上に大きな力を感じるワン、まるで魔素の吹き出し口みたいだワン」
バッシは真上を見るが、魔素の乱流による視界不良で何も見えない。更に知育魔本による分析も試みるが、ねっとりと絡みつく魔素が障害となって、離れた場所を精査できなかった。
バッシは筒の上に立つと、右手に鋼の大剣を現し、ゆっくりと突き上げながら生育する。
天に向かう大剣は、紫光を纏って新芽のように伸びた。
一気に鋼の精霊との合身を促進すると、爆発的に伸びた剣先が、何かに触れる。
「それを傷つけてはだめだワン!」
ウーシアの警告が耳の奥に響く。彼女には何か見当がついているらしい。
バッシは魔素の吹き出し口の周囲に、睡蓮の花型に解した剣身を展開すると、そのまますっぽりと覆ってしまった。
強大な魔力がバッシと鋼睡蓮に流れ込んで、膨大な魔力に赤熱化する。
精霊すらも耐え難い魔力を、バッシとの合身によって変換させていく。
繋ぐ先は狂血と金環の二つの能力である。鋼睡蓮に溶け込んだそれらは、圧倒的魔力に加熱しながら打ち震えた。
輝く鋼鉄が金環に縁どられた狂血の門を形成し、バッシの思い描く者の元に開かれる。
そこは……地上の戦場だった。
聖龍騎士が、触手を伸ばす巨大な魔法陣を圧倒している。その周囲には、ハムスやフチ等歴戦の猛者たちも居た。
突然バッシの意識が関りのあった者達と通じる。
発信者たるバッシも面食らったが、その干渉には姉様の匂いがしたため、素直に身を委ねた。
〝この門を利用して皆を呼び寄せて〟
という明確な姉様の思念に従って、各人と繋がっていく。
〝この門を潜ってくれ、女王の間に通じている〟
バッシは各人の思考を感知しながら、かいつまんで現状を説明した。その間にも勧誘相手の現況、思考が流れて来る。
戦場は決して油断のできる状況ではなかった。
皆の迷いが姉様の念話を通じてバッシにも伝わる。
圧倒的なゴブリン軍の攻勢を、聖龍騎士の火力で制している状況。バッシ達が最も求めている戦力も聖龍騎士なのだ。
その他のメンバーも、戦場に残ると決めているオルフロート達神殿騎士以外は、迷いが見られた。
バッシ達が本線であり、戦場はその場に至る過程である事は皆が理解している。だが、主力を欠いてその場に残される聖騎士軍は、全滅する可能性もあるのだ。
集合を呼びかけたバッシも、その状況を認識して、言葉をかけられずにいた。
そんな中、大司教ラウルと小人の女王フチが視線を合わせ、他の者達を送り出そうとした時、
〝何を迷っているか!〟
と、大音声が皆の脳内に響いた。
それはバッシにとっては懐かしくも、修行の苦しみを想起させる一喝……剣聖のものであった。




