魔導脈
通気溝は鋼の蓋のおかげで無風だった。振り向けば太い鋼の綱が、がっちりと蓋を固定している。だが暴風が襲えば、長時間耐えられない事は明らかだった。
周囲を警戒しつつ先を急ぐ一向。行く手には罠などの障害物は無い。思えばあの暴風が通り過ぎる道である。魔法的な罠などは設置できないのかもしれなかった。
「この先、さっきの空間とは違う気配があるわね。まるで魔力の塊みたい。魔石のような存在感がそこかしこから発せられているわ」
ライザベルの指摘通り、皆が通路の先から感じたのは、純粋で膨大な魔力であった。
強力な魔法使いが己の魔力を誇示するような圧が、無数に存在している。
霊感で探知していたウーシアが想起したのは、特大の魔石だった。
「大魔石ってこんなに沢山あるのかワン?」
と聞かれたバッシは、魔力が無いために、それを感じ取ることができなかった。少し遅れて、知育魔本由来の情報が多数表示されていく。
「確かに魔石に似た物らしいが、断定できない要素があるな」
魔石の範疇を超えた魔力の循環があるらしい。それを詳細に分析する知識がバッシには無かった。
「これほどの存在感を持った魔石は、聖都の宝物庫にもそうそうあるまい。この数は異常だな」
ラガンは慎重に進もうとするが、背後で鋼の蓋が「ベコン!」と軋んだため、一瞬、皆が目を合わせた後で、最大速力の警戒進行に切り替える。
次なる空間の入り口までたどり着くと、後方で鋼のひしゃげる音が響いた。
「こうなれば、躊躇している暇はありません」
リロは数十の導く火矢を発現しながら、ウーシアとともに入り口を潜っていく。
風が通路を蹂躙したころ、最後尾のバッシはギリギリで次なる空間に飛び込んだ。
そこには視界を埋めるほどの輝きがあった。大気のように満ちる魔素をかき混ぜる対流。リロの従える導く火矢は、魔素を吸って火槍のように太く、発火を抑えきれず誘爆するものも出て、一度引っ込めざるを得なくなった。
バッシが通過した直後に、迷宮の層を分断する弁膜が閉じて、暴風の影響は一切なくなる。
魔力感知を常とするライザベルは、高濃度の魔力に充てられて嗚咽をこらえると、薄くなった粘膜から鼻血を垂らした。
「うっぷ、何ここ? 信じられない魔素だわ。こんなところにいたら、ふやけ死んでしまう」
鼻血をぬぐったライザベルは、周囲の輝きに目を凝らした。それは遠方にある、無数の魔石らしきものから発せられている。
光の反射ではなく、微弱な光が寄り集まって、魔素の影響で輝いて見えるようだった。
バッシは感覚鱗や知育魔本の分析を働かせたが、濃すぎる魔素が邪魔して、いまいち状況を精査できない。
ラガンや紫間者も周囲を探るが、魔素と輝きに邪魔されて、五感すら狂いそうになるのを、必死で抑える事しかできなかった。
唯一、霊感を発揮するウーシアだけが、輝くものの正体を捉えた。
「動いているワン、あの光は生きているワンウ」
霊剣で指し示した一角では、確かに何かが蠢いていた。光の中に多脚が地面を打つ高音が響く。
それは、多数のとげを持つ魔石様の物体だった。
「あのトゲトゲ動いているワン、こっちに明確な意識を向けているワン」
確信を持ったウーシアの声に、バッシが一歩前進して確認しようとする。
魔素が濃すぎる空間では、暴発しかねない火魔法は使いづらいだろう。もし戦闘になったら、物理攻撃に特化したバッシが一番の戦力に間違いない。
大剣を構えるバッシの眼前に、数を増した魔石状の棘玉が迫った。
危ない! と思うより速く、棘状のものは形を変えて、無数の爪を持つ獣のように地面を駆けた。それは波となり、無数の爪持つ獣が後に続く。
バッシは膨大な奔流を前に作戦を変えると、腰溜めの大剣を振るった。
「ヒュンヒュン」と魔素を攪拌するように空を切る。そうしながら、目線で他のメンバーを集めると、唯一確たる指針を示せるウーシアを見た。
淡く光るウーシアは、奔流の及ばぬ場所を探して、霊感に全てを委ねている。
目の前に迫る奔流に飲み込まれたら、生身の人間に耐える術は無いだろう。
それら一切のプレッシャーを無視して、見出した一点を霊剣で示す。
次の瞬間、貯め切った魔力で狂血の魔力を発揮したバッシは、転移の門を現して皆を取り込んだ。
瞬転したバッシ達の眼下で、魔力の爪獣の奔流が怒涛の突進を見せる。皆は迷宮の天蓋に張り付き、鋼睡蓮の綱で留められた。
騒音と魔素の波に慣れた頃、
「ギリギリ間に合ったが、あれは何だ?」
ラガンの問いに、霊感を研ぎ澄ませたウーシアが、
「あれはこの迷宮の素だワン、異界の力そのものだワンウ」
と答える。
「あの爪獣がですか?」
女騎士は、信じられないといった風情で聞き返す。高濃度の魔素によって、額に脂汗を滲ませている。
「あの結晶は魔素の一形態でしょうね。ああして結晶化するのは、魔物に魔石が宿るのと同じ、魔力の固化。爪の獣型は動作上の都合ってところかしら?」
鼻血の治ったライザベルが解析する。
「そして再び魔素となって迷宮に滞留する。どうやらあれは、ここまで見てきた迷宮の全てを司る、魔力の源泉らしいな」
状況を分析するラガンは、天蓋に耳を当て、去り行く爪獣の動向を探った。遠くに去っても薄まらない魔素から、この空間自体があの爪獣を生み出しているとの予想は、当たっていると予測される。
「我々が向かうべきは、あの奔流の源だろうな」
ラガンが指差す先は、薄暗くはあるが、迷宮独自の薄明かりが、延々と続く回廊を示している。
魔素は未だ濃く、そして指差す方の濃度が高い事はバッシ以外の全てのメンバーが理解していた。
「めまいがするんだけどね、しかたない、行くしかないでしょ」
ライザベルは少しの黒煙を生み出そうとして、火柱のように燃焼する様を観察した。
魔力を練ろうとすれば、溢れ出んばかりの魔素に狂わされてしまう。
高濃度の迷宮にも潜った経験はあるが、魔法の発動が即暴発に繋がるような状況は初めてだった。
隣り合うリロに、
「私は何とか調整できそうだけど、貴女の魔法では無理でしょう」
と告げる。元々高火力な獄火魔法が暴発すれば、発動者とその周囲の者は、ただでは済まないだろう。
しかし、首を振ったリロは、
「ここ最近は、力の制御にほぼ全ての修練を注いできました。種類によっては暴発せずに使えるように出来るはずです」
と答える。揺るぎない言葉に、親友の弟子の成長を感じたライザベルは、
「そこまで獄火の魔導書を扱いこなすなんて、リリ以上の上達ぶりね」
と目を細めて頭を撫でる。元の艶髪を取り戻したリロも、目を細めて喜んだ。
「さて、和みの時間はここまでだ。今から下に降りて先に進むぞ。隊列は先ほどと同じ、ウーシア、お前の探知能力にかかっている、頼んだぞ」
ラガンは周囲を警戒しながら、バッシを促して綱を伝い降りる。
ウーシアは、霊化して地面に降り立つと、霊剣をかざして周囲を探知した。
向かう先には罠などが検知されず、ただ広い通路が伸びるのみ。その先には、魔素の塊である爪獣の気配があり、バッシに向かって、
「また奥に爪の奴らがいるみたい。今のうちに魔力を吸っておいて」
と注意を促して進む。バッシが大剣を振るう中、皆は黙ってそれに従った。
高濃度の魔素の中を進み、幾度となく狂血の転移能力で天蓋に逃れ、バッシや鋼の精霊が能力の扱いに慣れた頃、通路一面に魔素の塊がへばりついている箇所に差し掛かった。
通路の真ん中なだけ、微量の流れがあるものの、その分余計に魔素の圧力が増している。
あまりにも濃い魔力に足を取られ、泳ぐように進むのも限界が来て、バッシが全身に紫光を纏い、先導することになった。
鋼の綱によって一列に連なる仲間たちは、息も覚束ない状況を耐え、一歩づつ確かめるように前進する。
その状況でも霊剣を向け続けたウーシアは、剣先に気配を捉える。
「こ……に、何……来る」
魔力に溺れないよう、声を発する。その意図を汲んだバッシは、狂血の転移能力を発揮しようとするが、紫光を維持しながらの発動に手間取った。
その間にも、ウーシアの感知した気配が迫る。まるで一面を覆うような気配は、爪獣のものだと分かった。
試行錯誤しながら、狂血の転移を成そうとしているバッシに、
「ダメ……ダ……」
言葉にならないが、必死に何かを伝えようとするウーシアに、感覚鱗を伸ばしたバッシは、彼女の頭部を包み込む。
その時、鮮烈にウーシアのイメージがバッシに伝播した。
バッシは感覚鱗を他のメンバーにも伸ばし、その外周を鋼の綱で補強していく。
網目を緊密な円筒状に組んだところで、獄火の魔導書が後端に魔法陣を描いた。
催眠幻火の弱い推進力が、それでも規格外の威力を発揮して燃焼する。
ドン、ドンと通路にぶつかりながら、その都度軌道修正の炎を上げた筒は、シート状の皮膜を張ると、やがて螺旋軌道を描きながら安定した。
その周囲では、通路にへばりついた魔素の塊を貪るように、爪獣が突進する。
やがて通路中を満たした爪獣は、ガリガリと騒音を撒き散らしながら、バッシ達の筒のすぐ外側を通過していった。
その事を、包みの周囲に張り巡らせた感覚鱗で知覚する。バッシと繋がったままのパーティー・メンバー達も、周囲の魔素塊を貪る爪獣達を知覚しながら、重心をブレさせないように、筒の中央に固まった。
紫間者と隣り合ったライザベルが、嫌がって身じろぎする。ラガンはそれを留めるために、聖樹の葉脈でライザベルを縛った。
「わかったよ、わかったから縛らないでおくれ。それでなくても窮屈で窒息しそうだ」
高濃度魔素の中をグルグルと攪拌され、時間経過と共に、全員が気持ち悪くなってくる。
しばらく進んだところで、
「もうすぐ魔素の塊は脱しそうだ」
とバッシが告げた。先ほどの爪獣達が貪ってきた通路は、いまだに濃い魔素が滞留しているものの、先ほどのような塊はなくなっていた。
「ここら辺で筒を解すから着地する準備をして」
バッシは鋼の綱をゆっくりと解すと、上手く体重を乗せて通路に降り立った。
推進力の幻火を収めたリロも、海底に着いたようにフワリと降り立つ。
ウーシアとラガンは、すかさず周囲を探ると、どちらともなく先を調べ始めた。
「もう向こう側には爪獣の気配が無いワン、このまま進むワン」
霊剣の感度を上げつつ、ラガンの葉脈と合わせて、最高度の探知能力を発揮する。
そのまま無数にある分岐を、霊感なるままに進んでいった。




