悪魔の迷宮③
見えない罠の起動部位を、恐る恐る跨いだバッシが一息つく。それでも安心しきれずに縮こまるのは、真白の地宮で散々な目にあったトラウマであろう。
警戒しながら進んだ先にも、要所要所に罠が張り巡らされていた。
「見えない罠の割には上手く避けるじゃないか」
緊張を解そうとしたライザベルが、ウーシアの手際を褒める。後方支援組は、探知魔法を使って周囲を警戒するも、脅威となるような者は現れなかった。
一見順調にも関わらず、ウーシアの表情は優れない。
「嫌な予感がするワン、大きな仕掛けがあるようだけど、その仕組みがイマイチ分からないワンウ」
ウーシアは霊剣をかざして周囲を探るが、漠然と〝嫌な予感〟がするだけで、それが何なのかは分からなかった。
「とりあえず進むしかあるまい」
明確な指針を示せないのはラガンも同じらしい。切断された聖樹の葉脈を震わせ、皆を先へと促す。
二人組んでの罠探知は精度が高く、微細な違和感をきっかけに、次々と罠を見破り、時には解除までしてみせる。
そうしてしばらく進む内に、見えない迷宮の特徴が掴めてきた。
まず、一定間隔で曲がり角があり、右へ右へと回り込んでいく。
直線の中心部の近くに罠があり、その単位を仮に〝一辺〟と呼ぶと、三辺進む毎に段差があった。
それは概ね天井と同じ高さの段差であり、周囲には罠が無いため、バッシが鋼の綱を使って先導し、仲間達が伝い降りる形になる。
それを三段降りたところで、
「中々やるもんじゃないか、アレフアベドのギルド長、ハムスにも劣らないようだけどね」
と、再びライザベルが褒めた。だがウーシアは浮かない表情で探査を続ける。
そして何の気なしに銅鏡で上方を確認した時、淡い光を放つ迷宮の壁を見て、鳥肌を立てた。
銅鏡を通し見ると、不可視の結界が、ほんの少し色味を増して知覚される。そこに見えた通路が、忽然と消えたのである。
「通路が消えてるワン」
ただ事ならぬウーシアの様子に、最後尾を進むライザベルが黒煙を放つ。重火魔法の煙は通過した通路に充満すると、障壁に遮られて止まった。
「六辺前、前前の段差から先には戻れないね」
と、言っている間に、重火魔法の五分の三が突如として消えた。
「いや、手前の段差までしか戻れなくなった!」
ライザベルの声に緊張が走る。段差単位で消えたにも関わらず、その時に何の気配も無かったのだ。
進んだ分消えていくというよりも、時間が経過すると消えていくらしい。
「気配が濃くなっていくワン」
霊剣で指し示す先では、ウーシアの指摘どおりに何かが沸いて出ようとしていた。迷宮ならではの出現現象、気配の元をバッシの大剣が薙ぐと、紫光に分解された気配が掻き消える。
すぐそばにあった気配溜りから、煌めく物が伸びる。大剣を合わせたバッシに重い手応えが返り、ウーシアの一突きがその中心部をとらえるが、微妙な手応えだった。
まるで薄い紙を突いたような頼りなさ、だが、バッシの大剣をどっしりと受け止めているのも同じ個体なのだ。
ヒラヒラと身をくねらせるそれは、ピンク色の舌のようなものだった。ウーシアの胴体ほどの厚みをもつそれは、大剣によって切り裂かれながらも、動きを止めず「ヒュルン」と元に戻る。
そして通路の端に再度気配を集めると「ビョッ」と先端を伸ばし、10メートルは離れたリロを襲った。
殿を務めている紫間者が、小さな死霧を現すと、そこに突っ込んだ先から崩れ落ちる。壊死した舌状のそれは、どす黒く変色しながら床に拡がった。
「こっちへ早く」
聖樹の葉脈で探査したラガンが、皆を次の辺へと誘導する。ウーシアは素早く反応すると、早速罠を調べ始めた。
皆が移動すると、四方に気配溜りが発生する。後ろでは通ってきた空間が消えていき、進む先では迷宮舌の攻撃を回避しなければならない。
「召喚系のトラップだ、バッシは召喚前に出来るだけ潰せ」
ラガンの指示に即座に対応したバッシは、紫光を纏って気配溜りを斬る。
「リロは討ち漏らしを炎槍で攻撃、残りはウーシアに続いて移動」
ラガンは号令を出しながら、葉脈を使って次なるトラップを探る。一つ見つけてウーシアに解除させている内に、もう一つの兆候を見つけた。
「ここにきて罠の数が増えるか、いやらしい迷宮だな」
二つ目の罠に取り掛かるウーシアに、ライザベルが、
「時間がない、末端の黒煙から違和感を感じるよ」
と警告を発した。気配溜りを切り裂いたバッシは、炎の槍を放つリロを抱えると、猛烈な走りを見せて皆に追いつく。
ウーシアの指し示すトラップを避けると、一緒に曲がり角に出て、鋼の綱を引っ掛けた。
もう一方の綱で他のメンバーを攫いながら、そのまま段差を落ちる。一瞬後に頭上の空間が消えると、鉤の部分が断たれて、皆とともに落下--ライザベルの重火魔法が皆の体重を消し、フワリと着地する。
素早く走り出したウーシアは、
「全力を出すワン」
と霊剣をかざすと同時に霊化した。一辺全てを覆い、罠のある場所を霊光で示す。それを合図に皆が走ると、気配溜りが湧き出た。
その数はゆうに10を超えている。
進路の邪魔になりそうなものを狙ったバッシは、大剣の側面に鎌鉈を二丁生成し、投擲した。
一直線に飛んだ鎌鉈は、回転軸に繋がる綱の誘導で、二つの気配溜りを消し去る。
その間にも他の面々が全力で走る。バッシも鎌鉈を手のように解し、地面を掴んで引っ張った。
飛ぶように走るバッシに、複数の迷宮舌が伸びる。罠を回避したバッシの側で、舌先が起動スイッチを叩いた。
瞬間、バッシに迫る魔刃、魔法ならばと紫光の刃で迎え撃とうとしたバッシを、具現化したウーシアが突き飛ばす。
その胴体を魔刃が真っ二つに切り裂いた。
「ウーシア!」
バッシが叫ぶ中、
「急ぐワン!」
と、何事も無かったようにバッシの肩に触れたウーシアが、走り出す。
見れば他の面々は曲がり角を過ぎて、次の辺に突っ込んでいた。
ウーシアの霊化の腕に舌を巻いたバッシも後に続く。前方の迷宮舌は、ウーシアによって既に切り裂かれていた。
不得手な迷宮に加え、後戻りの出来ない状況は、歴戦の強者をも焦らせる。その焦りは、小さなミスを誘発した。
突然、正体不明の襲撃を受けたのである。切り裂かれた迷宮舌が、縮こまっている場所を通り過ぎた時、それまで微動だにしなかった舌が、踊るように伸びたのだ。
全力で走っていたバッシは、咄嗟に手刀で払いのけるが、龍装の爪に舌の表面が絡みつく。
微細な毛針が生えた舌は、爪に引っ掛かると、思わぬ力でバッシを引っ張った。
腕を引かれ、バランスを崩したバッシは、転倒しそうになって右足をつく。
舌は腕に絡みつくように力を込めると、四方からも切り裂かれた迷宮舌が伸びた。
鋼の剣で、腕に絡みつく舌を断ち切ったバッシに、
「走れ」
と声がかかり、目の前を紫の霧が覆う。咄嗟に死を想起したバッシは、弾かれるようにダッシュした。
後ろで何が起こったか、振り向かずに皆の方へと駆けたバッシには分からない。だが、一瞬嗅いだ死の臭いは、残してきた迷宮舌をも飲み込んだに違いない。
術を行使したであろう紫間者の後ろ姿を追うバッシは、彼を毛嫌いするライザベルに追いつくと、速度を合わせて殿を務めた。
追い立てられる一同は、それでもウーシアやラガンの能力を頼りに、最速で移動し続けた。
多数の迷宮舌に襲われながらも、リロの殲滅魔法やバッシの破魔大剣を駆使して、何とか切り抜けていく。
「迷宮は好かん!」
窮屈そうに罠を潜るバッシが、火矢を受けた迷宮舌にとどめをさす。相変わらず手応えは薄かった。
「全くだ、こんな事なら、動き易い格好でくれば良かったよ」
老境に達したライザベルは、息も絶え絶えに文句を言うが、リロの討ち漏らしや、後方の探索などに忙しい。スリットの入った部分を掴み、彼女なりに全速力で走っていた。
紫間者は寡黙についてくるが、時折力を発揮するだけでありがたがられた。
彼を毛嫌いしているライザベルとの連携も、支障なく取れている事に、ラガンは胸をなでおろす。
「どうやらこのレースも終盤らしい」
ラガンの言葉が示すのは、段々大きくなる音の事だろう。荒くなった息をなぞるように「ビョウビョウ」と響く風の音が心臓に悪い。
「だがすんなりとは通してくれなさそうだ」
先程バッシを助けた紫間者が示唆する通り、 次の曲がり角の近くでは、今までに無いほどの気配溜りが密集していた。
無言でタンたんを開いたリロの周りに、導く火矢が浮かんで従う。それらは、具現化しようとした標的に、数百の尾を引いて飛来した。
爆音と熱が生まれ、一行を撫で過ぎる。膨大な気配は一度無くなると、バッシ達が追いつく頃に、また溜り始めた。
ラガンは前方を確かめながら、ウーシアの探索を補助する。
そしてライザベルは、魔法を行使したばかりのリロをかばうように火魔法を放ち、その討ち漏らしをバッシが斬った。
「ビョウビョウ」
と吹き荒れる何かは、目の前で仕切られている。その向こうに突っ込むには、かなりの勇気がいるだろう。
見えない門を前に、しかし一同に悩んでいる暇は無かった。後ろでは次々に空間が無くなってきている。
「行くしかないよ」
後方の黒煙が次々と消滅していくのを感じたライザベルが促す。探知を担当するラガンは、異常が無いことを動作で表し、霊剣を携えたウーシアは、罠が無いことを確認した。
「ウーシアを先頭に、一気に行くぞ」
ウーシア、ラガン、女騎士、そして一塊になったバッシとライザベル、紫間者は門を潜って先に進んだ。
潜った直後に門が可視化すると、生物のような外見を現す。
それは人間の弁膜のような動きを見せると、光の加減か、即薄まって消えた。




