対・魔法戦士
信じられない思いでリロに近づいたバッシは、壊れ物に障るような手で、少女の頬を包んだ。
少女を覆う闇龍の軛の手ごたえは、まるで顔を彫られた黒曜石のようであったが、滑らかに流動すると、柔和な表情を作る。
「しゃべれないのか?」
バッシが恐る恐る聞くと、タンたんが代わりに、
「し」「ゃ」「べ」「れ」「な」「い」
とページをめくり文字を示し〝分かっていることを聞くな〟とばかりに軽い火柱が放たれた。相変わらずの態度に鱗を焼失させたバッシが微笑む。
しかしリロは身動きせずに、そのままバッシに身をゆだねると、軛越しの温もりを伝えてくる。各関節はグラグラと安定せず、声をかけても力を入れる気配が無い。
その様子を見ていたライザベルは、
「からだは痛くない? しんどくない?」
とリロを気遣った。リロは必死の身振りで痛みの無い事を伝える。しかし、体もさることながら、精神面を心配していたライザベルは、なんでもないと伝えようとするリロに、胸を締め付けられた。
そのライザベルに、ヌッと突き出された大きな手。ゴリッと割れる音の後でバッシの拳が開くと、中から砕かれた鬼頭と呼ばれる木の実が数個現れた。
「食べるか?」
と問うバッシに首是すると、大振りの実を摘んだライザベルが実を食べる。時期を迎えた鬼頭は油を多く含み、戦闘後の興奮を鎮めた。
ライザベルがリロにも渡そうとして、口すら闇龍の軛に覆われている事に気付く。
「あっ」
と硬直するライザベル。その空気を裂くようにリロの手が伸びると、かけらに指先をつけた。見る間に端から油や水分を失って干からびた鬼頭は、色を失ってカサリと崩れる。
二人がリロを見ると、まるで「これでいいでしょう」とばかりにリロが表情を緩めたように見えた。
つられてライザベルも表情を緩める。
魔法的な物事に疎いバッシも、何らかの方法で栄養を吸い取ったのだと理解して、残りの鬼頭すすめた。
自分では新たな鬼頭を取り出し、殻ごとゴリゴリと咀嚼してみせる。驚くリロも、数個分の鬼頭の養分を一瞬で吸い取り、二人を驚かせた。
動けないリロを、大事に担ぎながら移動する中、バッシから狂血や金環の移動能力について聞き及んだライザベルは、
「仲間との連携地点まで撤退すれば、また金環の能力で脱出できるんじゃないかしら?」
と告げた。バッシとしても、身動きの取れないリロを抱えたまま、戦場を無事に移動できるとは考えていない。しかし、獲得したばかりのコントロールの利かない能力に頼るのは避けたいと思った。
それに……
「何者かにつけられてる」
感覚鱗と直感が知育魔本に強化されて、背後に迫る何者かを精緻に知覚する。火魔法ならではの温度差知覚に秀でたライザベルは、頷きつつ悪意の位置を探った。
ひときわ冷たい感覚が浮き上がる。それは実際の温度というより、存在の放つ苛烈さ故の、幻覚のようなものだった。
一瞬身を固くしたライザベルを、瞬時に大剣を生やしたバッシが押し退けると、空中に鋼の打ち合う火花が散る。
それは確かな力を感じさせながら、水を切ったような緩さも併せ持つ手応えであり、バッシは目に見えない膜に包まれたような違和感を覚えた。
すぐに龍装を全身に生やして、鋼睡蓮の紫光を纏う。だが薄く張った膜は嫌な臭いを放ちながらこびりついた。
その内、一番大きなこびりつきの有る左肩から力が抜けて、龍装が力を失いぶら下がる。魔力由来ではない何かの作用だろうが、身体にダメージが無いため、超回復も発動しない。
抱えるリロを剣の生えた右手一本で支えるバッシは、感覚鱗を立てながら、周囲を警戒した。だが瞬時に消えた気配を追う事はできなかった。
「何らかのスキルだね、しかもかなりの隠遁使いだ。一人とは限らないよ」
魔法感知を使いつつも、ろくに反応できなかったライザベルは、より魔力濃度を上げながらバッシの左肩を見る。
そこに外傷などの変化は無かったが、筋肉は明らかな弛緩を見せていた。
ライザベルは以前にも似た現象を見たことがある。その時は阻害魔法と呼ばれる補助魔法の作用だった。
だが魔力感知に引っかからない以上ら純粋なスキルだと思われる。そしてライザベルは、ここまでの威力を発揮できる補助魔法を見聞きしたことが無かった。
バッシがリロを背中に担ぎ直す。リロは少しづつ入り始めた腕力でしがみつくが、それは分厚い皮の奥に微かに込められた力であり、到底己の重みを支えられるものではなかった。
その間にも突如現れる刃を打ち払い、その正体を探るバッシーーだが微かな気配を辛うじて捉え、刃を重ねる事しか出来なかった。
間隙をぬって、ライザベルは腰元から取り出した縄状の魔具を、バッシとリロが固定されるように巻きつけ、魔力を通す。
重力を操るライザベルの火魔法によって、軽くなったバッシの背中から黒煙があがった。
「煙が出てる間は軽さが持続する。私に任せてその子を守りな」
とスリットの入ったローブをはためかせ、バッシと前後位置を替わる。
バッシは軽くなったとはいえ、リロを庇いながら行動しなくてはならない。龍装を操って肥大化させた鱗によりリロを覆うが、隙を突かれれば無防備なリロはひとたまりもないだろう。
その隙を埋めるように、空中に浮いたタンたんが収まった。リロを守る盾のつもりだろう。持ち主との絆に、ライザベルはかつてのライバル、リリ・ウォルタの姿を重ねた。
その間にも、バッシの現した大剣が、見えない敵の刃を弾く。半ば敵に無視された形のライザベルは、
「私を無視するなんざ、100年早いよ」
と光るメガネを上げながら、魔導器たる指輪に意識を向ける。その中に循環する火魔法は五つーーリリの封じた睡蓮火を先頭に、己の育てた魔力が四つ、尻尾のように付き従っていた。
その内の一つと同期し、ライザベルの魔力に宿るまでが呼吸一つの間。
魔力を感じ取った襲撃者の凶刃が迫るが、ライザベルの纏う魔力に触れると、七色の魔光を散らして焼失した。
さらに焦げ臭い空気を切り裂き、人型の火だるまが浮かび上がる。貪欲な火魔法は、犠牲者の形に姿を変えながら、熱を空中に伝播させていった。
熱探知を諦め、当たるを幸いに全てを飲み混む火魔法が突如として弾かれる。
「まあ、そう上手くはいかないね」
ライザベルは火花と散った魔力を再編させながら、彼女の火魔法に匹敵するほどの魔力を放つ者を見た。
バチバチと爆ぜる火花に照らし出されたのは、隠遁していた黒装束のゴブリンと、それを背に隠しつつ魔法を行使して庇ったゴブリンの二匹。
背部から黒装束が跳びのくと、魔法を使ったゴブリンを置き去りに風景と同化して消えた。
残された方はボンヤリとうつむきながら、両腕にはめた腕輪を「リン」と鳴らす。
いつの間にか、腕輪に沿う形で二本の剣が現れ、剣先を下に落ち、柄の表面を軽く握り止められた。
うつむき、剣を握るゴブリンから魔力が湧き出す。反応したバッシの大剣からは紫光が漏れ出て、空中で魔力を分解した。
ライザベルはその庇護下まで後退すると、編纂し直した魔法を唱える。
火球が黒煙を尾引かせ、双剣ゴブリンの放った魔力を焼き進んだ。
だが、ゴブリンの腕輪と剣がカチリと作動すると、大気の乱流が起こって、火球の軌道を狂わせる。
地響きを立てて床に落下した火球は、燻りながらも燃え広がろうとした。だが、もう片方の腕輪と剣がカチリと作動すると、液体が滲み出て、猛爆たる水蒸気が発生し始める。
熱気に陰る中、隠遁ゴブリンの見えない刃をなんとか躱し、逸らし、龍装に受けたバッシは、背に庇うリロの体動を感じていた。
明らかに反応が強くなっている。しかし自由を取り戻すのはまだまだ先だろう。
それはタンたんにも言える事で、以前のように滾る魔力は感じられなかった。
リロが魔法を唱える時、いつもページ数や魔法の名前が響いていた。それが火魔法の発動条件であるならば、言葉を失ったリロは、永遠にタンたんの魔力を魔法に昇華する術を失ったのかもしれないーー
刹那の思考にふける間も無く、新たな凶刃に襲われる。龍装で受けた刃が濡れている。
「毒か」
揮発性の猛臭が沁みるバッシの目を、透明な鱗が保護する。さらに鋼睡蓮が口や鼻を覆うと、繊維状の防護膜が形成された。
「吸い込むな」
背負ったリロをも防護膜で覆ったバッシが警告する。警告を受け、笑みを浮かべたライザベルは、身を覆う熱気を可視化させると、
「私には通じないよ」
と毒の成分を焼失させ、立ち昇る毒煙をも弾き飛ばした。バッシは毒を放った隠遁ゴブリンをけん制しようとしたが、身の内に庇ったリロのために思い通りに動くことが出来ず、構えを解けぬまま硬直する。
その間にも様々な角度から隠匿された刃が襲い掛かった。それは徐々に弱点であるリロを庇う背部に集中していく。
バッシは大剣の腹を見下ろすような構えで腰を落とすと、ギリギリで感知した刃を防御しつつ、万遍なく周囲の気配を読み続ける。
少し先では、ライザベルが重火魔法を駆使して、双剣のゴブリンを攻め立てるが、ことごとく中和され、いなされていた。
バッシは剣ゴブリンの背中に不穏な気配を察知するが、感覚鱗の示す隠遁ゴブリンの刃を避けるために警告が遅れてしまう。
双剣ゴブリンは戦士としても一流であり、ライザベルは華麗な身のこなしを見せつつも追い詰められていた。
そしてバッシが不穏に感じたゴブリンの背部で変化が起こると、双剣ゴブリンの背後に回っていたライザベルの血が飛ぶ。
そこには第三、第四の腕を生やした双剣ゴブリンがいた。それぞれに腕輪がはまっており、新たな諸手に握られた剣と「カチリ」と打ち合うと、魔力が噴出し始める。
バッシは援護しようと鎌鉈を投擲するが、余裕ではじき返された。
柄と繋がった鋼睡蓮の細綱を操り、軌道を変えて再度振るおうとしたバッシを、隠遁者のスキルが襲う。
瞬時に感覚鱗で察知したバッシは、大きく横っ飛びに回避するが、その時には隠遁ゴブリンはライザベルに凶刃を振るっていた。
前後を強敵に挟まれ絶体絶命のライザベルは、しかし不敵な笑みを見せながら、指先の魔力を昇華させた。




