聖騎士の片鱗
地表を覆いつくした黒い影が、朝日に照らされ蠢いた。城塞都市から溢れ出すほどに増殖したゴブリン達は、すぐさま周囲の物を食べつくして各地に散ったが、居残った数もまた計り知れない。城壁の外で固まるそれらは、遠景に波打つ海面のように凪ぎながら、時おり脱水と飢餓に苛立ち、金切り声を上げた。
寄り集まった怨嗟の声が、干からびた肉体の放つ臭いと混じり合う。その地表を薄く剥ぎ取るように、突撃龍を先頭に進撃する聖騎士軍。数十万体は下らないゴブリン達の黒に、鮮血が尾を引いた。
「女王陛下の合図はまだか」
巨大な体躯を持て余す三体の黒ゴブリンが、獲物を狙うように龍を見据える。実戦経験に乏しい分怖いもの知らずな者達に、
「待って、その内嫌でも戦いに興じることになるわ。血狂のシオンの帰還を待って、共に作戦を実行するまでの我慢よ」
力ばかりの新参者に辟易するメスのゴブリンがため息まじりに答えた。三体は力強い分交信能力に劣る、それ故に交信能力に長けた自分が組まされることになったが、オス共の暴発傾向に肝を冷やされた。メスとしてはさっさとシオンと合流して、オス共を精神魔法で操って欲しいところである。
だが敵に囲まれた戦場を、隠遁能力を駆使して潜むメスの祈りが叶えられる事はなかったーー女王からの信号によってシオン死亡の報がもたらされたのである。
〝作戦変更、くノ一とポインターはBプランを実施せよ〟
くノ一と呼ばれたメスのゴブリンはため息をついた。指令はより困難な方向に移行されている。それに比べ、訃報を聞いた転生ゴブリンであり、ポインターと呼ばれたオス共は、嫌っていたシオン死亡の報を受けて、黄色い犬歯を剥き出しにして興奮の声をあげ始めた。
「やめなさい、敵地のど真ん中よ」
隠遁能力をフルに発揮しているくノ一は、突然の負荷に抗議の声を上げる。イライラが頂点に達し、懐の毒薬に手を伸ばすが、踏みとどまって隣にさした安定剤を抜き取ると一口啜った。
〝こいつらは私が殺さなくとも死ぬのだ、自ら負った使命によって〟
そう念じることで能天気に先を行く背中への殺意を封じ込めると、
「そっちじゃないわよ」
とポインター達を誘導する。
周囲を見回すオス共を促して移動を始める。すぐ側の岩場では、敵の主力部隊の斥候兵達が索敵に目を光らせていた。なるべく距離を取りながら進むと、くノ一にだけ分かる地面の信号を発見する。敵の主力部隊の真下へと繋がるトンネル。シオンによってなされるはずだった『同士討ちによって疲弊したところを叩く』第一策が無くなり、第二の策が繰り上がった。
その仕掛けを隠匿し続けているのは、くノ一の上忍。彼の回収がくノ一の役目であり、その護衛兼、上忍回収後の任務を請け負うのがポインター達の役割であった。
無能ゆえに選ばれた三体の転生ゴブリンは、英雄ともてはやされ、連れ去らて来た人間の女をあてがわれた後、有頂天で任務に当たっている。そう教育したのは女王だが、あまりの無能ゆえに、くノ一には同情する気持ちすら湧きあがらなかった。
特定の場所で地面を三度打ち、しばらく後に地面を掘ると、上忍の隠れ蓑が現れる。ムクリと立ち上がった上忍は、無言のまま場所を明け渡した。
「ここで人間共を迎え撃って、貴方達の実力なら人間の軍隊など赤子の手をひねるようなものでしょう? 念のためにこの丸薬で気配を断つのよ」
と仮死薬を与えると、隠れ蓑に入れて上から土をかぶせる。
「お疲れ様でした、こいつらごときが何になるか知れませんが、シオン亡き後の作戦実行、滞りなく進んでおります」
「すべては軍師さまの描いた筋書き通り、疑問を挟まずに我々は手足となって動けばよい」
軍師と一緒に転生した上忍は、そう言って部下を制すると、己が今まで封じ込めていた者達に意識を向けた。と、同時に地面が揺れる。それは一瞬で大きな縦揺れに変わると、岩盤剥き出しの地面を激しく攪拌した。
地割れが発生するのを見届けた二人は、素早く反転すると音もなく姿を消す。地面に残された戦士を包む隠れ蓑が一瞬地表に現れるが、すぐに沈下すると、硬く合わさった地盤に埋没していった。
*****
〝戦場が揺れた〟
比喩ではなく、文字通り地震が起きたのである。
騎士たちは従者達と共に暴れる馬を必死でなだめようとするが、自身も重い甲冑によって身動きが取れなくなった。
歩兵達は地面に四肢をついて何とかこらえるが、本格的な縦揺れが始まると、それすらもままならなくなり、爆ぜる地面を転がるとお互いに縺れ合い、ゴブリンも人間も混じり合った。
激しい地震は地割れを生み、転落する兵士も出る中で、お互いに助け合った男達は半ば落ちかけた仲間を救い上げようとして、地割れの下に光るものに気付いた。
危機に際して一瞬時が止まったかのような錯覚に陥る。恐怖によって心惹かれるその光は、溢れ出る臭気によって魅惑のベールを剥がされた。それは地下の闇にあって、異様な輝きを放つ瞳の群れ。人間の眼球の数倍の大きさを誇るその内の一つが兵士を捉えた。
ひしめくように詰めた巨人達の血走る目は、しかし人型種族とは思えぬ……理の通じないモンスターの瞳である。
「ひぃっ」
と漏らした悲鳴を、圧倒的な土魔法が飲み込んでいった。
主戦場の地盤沈下、それに伴い突如として現れた巨人達は、瞬く間に戦場を蹂躙した。大規模な土魔法が周囲を蹂躙すると、火魔法や雷魔法を操る巨人まで出現し、足場を無くした聖軍兵士を巨大な力で磨り潰し、燃やし尽くす。
そこに敵味方の区別は無い。引きちぎられるゴブリンの肉体が大量の土と共に兵士の頭上に降り注ぐ。回避しようにも地面はすり鉢状に陥没し、聖軍側の魔法による攻撃も敵味方入り混じる混乱状態では、本来の威力を発揮しえなかった。
悲鳴と怒号に満ちる戦場の上空に展開していた龍種部隊が旋回し、巨人達を討とうと個別に狙いを定め、味方を巻き込みつつも巨人を切り裂き、上空に攫っては落下させた。
龍人を乗せた飛竜からは、狙い定めた弩弓の攻撃が放たれ、正確に巨人達を射抜いていく。
熟練の戦いを見せるのは、さすがはミュゼルエルドが率いる戦闘龍部隊である。
負傷しながらも土巨人を掴んだ飛竜が、命を賭して上空に持ち上げると、それを察知して旋回する龍のドラゴン・ブレスによって諸共溶かされ、落下する。
その時、ミュゼルエルドに騎乗し、戦場を俯瞰していたフチが、遠く山の頂から放たれる、不穏な気配を察知した。
「敵の飛竜部隊のようね」
その声に機敏に反応したミュゼルエルドは、配下の竜人が搭載した飛竜の一団を迎撃に向かわせた。
圧倒的練度を誇る飛竜から、騎載型の大型弩の矢が発射される。だが狙い通りに命中したと思った矢は、不自然な軌道を描いてそれた。後続の飛竜から放たれた第二射は、ハッキリと魔法の火花を散らして弾き飛ばされる。
「魔法の被膜を纏ってるわね」
と言ったフチは角度を調節しながら水晶球を覗き込んだ。
「不味いわ、あれは魔法王国の自爆竜よ」
過去に魔法王国と敵対し、幾度も辛酸を舐めさせられたフチが声を荒らげる。
悪名高き魔法王国の生物兵器の中でも、頭部に高出力保護皮膜を張り巡らせ、胴体に搭載でき得る限りの爆発魔石を巻きつけた自爆竜は、その筆頭に挙げられる存在だった。
敵の飛竜は続々と増え、遠くの空を黒く染めている。あれが全部被膜化した自爆竜だとしたらとんでもない被害が出る事になる。
フチの魔力に反応したシンハが、多脚を操作すると、素早く発射台となって、フチの魔法を補佐する。間髪を入れずに放たれた虹色の光線は、先頭の飛竜を捉えると沸騰蒸発させた。
その瞬間に起きた爆発が大気を震わせる。さらに体表を覆っていた金属覆いの破片が飛び散り、近くの自爆竜を誘爆させた。
〝総員間隔を取れ、密集すると一体の討ち漏らしに大きなダメージを喰らうぞ。全火力をもって遠距離で仕留めろ〟
ミュゼルエルドの念話が全軍に伝わり、戦場上空が大きく模様を変える。その間にも地上は、巨人による蹂躙を受け続けていた。
*****
地魔法を操る巨人は一体では無かった。そしてその周りには、護衛のように狼人と掛け合わせの巨人が多数張り付いており、通常の騎士や戦士では歯が立たない事態となっていた。
その中で気勢を上げるのは、バシリスクに騎乗したフロイデと、魔短剣を自在に操るハムスを筆頭とする義勇兵。彼らは軍隊としての集団戦闘には不向きであったが、個として突出した魔物の討伐には手馴れている。各個にパーティーを編成した彼らは、無理せずに周囲の狼人巨人を相手取り、手薄になった有力巨人をフロイデ率いるレジェンド・パーティーなどが相手取り、縦横無尽の活躍を見せた。
隊列の真ん中が陥没したために分断された隊を率いる聖騎士ジュエルは、付き従う魔法使い達に命じると、義勇兵を相手に無防備な背を向ける巨人を、遠距離魔法で仕留めさせる。
膨大な熱が戦場に溢れる。その向こう側から迫った炎巨人を、守護力場を纏う盾撃で弾き飛ばしたジュエルは、上空の異変に気付いた。
轟音の後で大量に降り注ぐ残骸。味方の飛竜達の編隊がめまぐるしく流動し、不穏な影が過ぎて行く。
「異様な魔力構成の飛竜が多数来るワン」
霊剣で指す方向には、空を埋め尽くすほどの飛竜が群れ飛び、そこに味方のドラゴン・ブレスや遠距離魔法が放たれるが、前面に張られた保護膜によって中々ダメージが通らない様子が見て取れる。
その間にも一匹の狼人巨人を仕留めたジュエルとウーシアは、寄りかかる死骸を退かすと、混迷する戦場を見渡した。もはや陣形は搔き乱され、目立つ光球を放ち隊を指揮するギンスバルグの手すらも離れている。
「もはや力を温存している場合ではないな」
と口にしたジュエルに、ウーシアが口を挟もうとして諦め、警護のために霊化した。既に精神統一を成したジュエルは、土と血流と焦燥の臭いを離れると、鏡面化した聖騎士の鎧から赤角の盾を引き出した。表面に意匠化された牛角の赤が、ジュエルの血潮に合わせ脈動する。
その瞬間、巨人達の意識がジュエルに集中する。殺到する敵を霊化したウーシアが排除する中で、唐突に発現した聖守護力場が戦乱の中心を包み込んだ。
青が支配する力場で、巨人やゴブリン等の主神軍に敵意を持つ者のみが、存在を許されないように吹き飛ばされていく。峡谷にぶつかった肉塊は、鏡面の鎧を光らせ前進するジュエルによって圧迫され、異音を立てながら潰れていった。
光が収まったところへ、ハムスの幻影剣が群れ成して襲いかかる。土魔法を盾にして突進してきた巨人を、その取り巻きごとフロイデが叩き切った。
そのままバシリスクの騎首を返すと、雄叫びをあげて聖守護力場にとらえきれなかった巨人達の討伐に駆ける。ゲマインらの援護射撃を受けたフロイデは、側近冒険者達と共に粉塵の中に消えていった。
「ジュエル様、危ない」
ウーシアがジュエルに迫った人狼巨人の毒爪を弾き、体当たりのような刺突で仕留める。フワリと消えて、もう一匹を霊化の中に閉じ込めると、悲鳴ごと切り刻んで、残骸とともに顕現した。
「聖騎士の力は敵愾心の集中を生むワン、これからは皆が狙ってくるワンウ」
血振るうウーシアの警告に、力強い頷きを返したジュエルは、
「ならばその特性を利用するのみ。我々もフロイデ殿に続こう」
挑発するような声が戦場に響くと、血みどろになった兵士達は、各々の武器を掲げて神の名と聖騎士ジュエルの名を叫ぶ。それに反応して敵の巨人共も雄叫びをあげた。
魅了や陶酔、そして憎しみを一点に集める聖騎士を中心に回り出す戦場。その混沌の最前線で主人の守護を誓うウーシアの心はざわつき、バッシの不在を改めて思い知る。走りながら感応に震える霊剣を強く握ると、霧の魔刃と化して聖騎士の覇道を切り拓いた。




