〝強い〟〝速い〟
ピノンの指輪は、バッシが鋼の精霊に体を渡している間に、鋼睡蓮を逃れて赤黒い空間に落ちていた。胴体を斬り裂かれたシオンは、そうとは知らずに異空間の上に倒れる。
バッシが指輪の発する音を聴いた時、円盤状に広がった指輪はシオンの指に絡みつき収縮した。
「だぁめぇじゃないかあぁ」
シオンの声音が変わり、崩折れた体が不自然に上がる。滴る血はそのままに、上目遣いに滾る目は、バッシの足を止めさせた。
「この子は供物なんだから、君が食べちゃだめだよ」
〝この子〟と指差す闇百足は解れ、無数の黒百足に分裂している。その中には化龍人の残骸や原型を留めない人型、そして白虫が混ざり合い、腐汁が煙を上げると、爆発的に燃え広がった。
結界を保持するゴウンの魔力は限界を迎え、意識を手放すと、残りの龍人達だけでは支えきれずに崩壊した。溢れ出す炎の洪水、飲み込まれつつもなんとか小さな結界を作り上げ、生き残りのドワーフを保護した龍人達を、若龍がすくい上げる。
「お前は行かないのか?」
炎の中で赤黒い空間に浮かぶシオン、いやピノンがうすら笑う。龍装に纏った紫光で炎を無効化させたバッシは、油断なく大剣を構えながら、
「行けばお前に利するだろう?」
と答えた。延焼する岩場で、聞き捨てならない言葉を聞いたというように驚いて見せたピノンは、
「へぇ、僕らが何をするか、知ってるの?」
とうそぶくが、
「女神……」
と答えるバッシに、笑みを失う。
何も言わずに人差し指を上げるピノン、その先には龍に運ばれて移動する皆の姿があった。
睨む目の中に〝シオン〟の精神魔法の高まりを感じ、総毛立ったバッシは、銀光の世界で間を詰めた。魔力を込めた口を開きかけるピノンに大剣を振り抜く。それに反応して振るわれる左手。拡大する戦輪の刃と大剣の刃が噛み合って火花を散らすと、
「〝解ける〟」
と言葉が迸った。声の大きさに反して鋭く放たれた魔力は、シオンの意思を強く反映させて、バッシが反射的に放った鎌鉈に切られながらも、若龍を撃つ。
遠くで龍人の結界が揺らぎ、数人のドワーフを零しながら辛うじて復元する。何とか直撃は避けたらしい。それを目の端に捉えたバッシは、一瞬の隙にピノンを逃した。
周囲に赤黒い空間は無い、ならば炎の中に隠れたかと感覚鱗を立てると、ポコの宿る左の鱗が地面に引っ張り、その頭上を戦輪が掠め飛んだ。
「お前は本気で目障りだな、ここで〝死ね〟」
ゆったりと構えるピノンは、突然赤黒い異空間を多数展開すると、そのうちの一つに消えてしまう。紫光で精神魔法を散らしたバッシも、赤一面の異空間に飛び込んだ瞬間、血剣の群れに襲われた。
『お前さえいなければ、地下遺跡の解放も、闇百足の儀式も成ったのに……』
くだんの手法で出口である平面を抜けたバッシは、恨み言のような思念に周囲を見回した。そこはいまだに地竜の餌場で、数人のドワーフ達が固まって避難しており、その向こう側からノーム達を乗せた龍が飛来してくる。
〝百足の相手は女神〟
異空間でのシアンの思念が答えを導いている気がした。感覚鱗に「贄、百足、遺跡、女神」と皺が浮かび、それを意訳したバッシが、
「闇百足を供物に、遺跡の力で女神を降ろそうとしたのか」
と聖都離宮での偽神騒動を思い出した。遺跡とはドワーフの王都の事だろうか? その時、思考を遮る、
「〝バッシ〟を〝攻撃〟せよ」
との言葉に凍りつく。場を見渡せば、目の色を変えたドワーフ達が、各々の得物を構えてにじり寄っていた。重い発射音を鳴らしたのは、一同を警護していたドワーフ戦士の機械弩。感覚鱗の見切りで躱すが、操られているドワーフを攻撃できない思いから足が引けた。その時、間近にまで迫った龍に、
「結界が〝解け〟る」
と精神魔法が炸裂すると、頭上から落下した兵士達が硬い地面に転がる。
既に鎌鉈を投擲したが、異空間の盾に阻まれてシオンの言葉を阻止することができない。その間に詰め寄るも悪い事は重なり、燃え残っていた黒百足や白虫の爆風が起きた。
爆風に「〝バッシ〟を〝攻撃〟せよ」との重複魔法が霞むーー
転がる戦士達が、勢いを落とさずに武器を振るう。その中にはバッシの見た顔もあり、雄叫びをあげて理性を失う姿に衝撃を受けた。
もはやピノンやシオンどころではない。味方であるはずのブリストル・キングダムの民が迫ってきているのだ。一番間近に迫った女の噛みつきをいなし、頸部に当身を喰らわせるが、衝撃からすぐに回復すると、四肢をついて向かってきた。ここにきてドワーフ族の頑強さがあだとなる。
「お前が〝死ね〟ば、百足代わりの供物となろう。それともこの場の皆を斬り捨てるか?」
楽し気なシオンの声に合わせて、
『奴はまずい、遊ばずに早く殺せ』
とピノンの思念が重なる。軛を解いたバッシの思念は鋼睡蓮によって聞き取れず、シオン達の思考は筒抜けなのだ、その事がどれだけ不味い事か、魔人になりたてで場数を踏んでいないシオンは分かっていない。ピノンにとっては、こんな奴に寄生しなければならない状況が悪手だった。
舌打ちをしたシオンは、ドワーフ達を編成すると機械弩をズラリと並べ、その上空に若龍を急降下させた。ノームやリグス達は何とか精神魔法に抵抗するが「やめろ」と声を出す事しかできない。
「〝殺せ〟」
シオンの命令と共に、一斉に矢が放たれ、上空からは龍炎が放射される。黒煙に包まれたバッシに、更なる追い打ちの一団が殺到した。その中には涎を垂らし、折れた腕を振るうブロトの姿もある。各々の得物が、身を庇わぬ強撃をみまった。
それを冷静に見るバッシは、無手のまま暴力の間をすり抜ける。戦士達の間に仕込まれた多数の戦輪が、静かに回転を上げるが、複雑な軌道を描く魔法の刃は、ポコの補助を受けた鋼睡蓮の綱によって縫いとめられた。乱雑に暴れる戦輪を紫銀の力で黙らせると、実体の無いそれは朧と崩れる。バッシに封じられた経験から、本物の指輪を投用する気はないらしい。
それを弱気と見たバッシは、銀光の疾走にドワーフ達を置き去りにする。その前に立ちはだかるシオンは、
「俺は〝強い〟〝速い〟」
と自己に精神魔法をかけながら、血の神剣を抜き打った。正確に素早くバッシを捉えようとする刃は、鋼睡蓮の芽に阻まれる。
そのまま大剣様に伸びる花弁が、紫銀の閃光を放つ。それに対して、幾重にも重ねた赤黒い空間が立方体となり、バッシに立ち塞がると、血刃乱れ打つ空間が、赤くそまった。
それをバッシは大剣で、綱が操る鎌鉈で、もしくは逆立つ龍装の鱗で溶かし斬る。
立方体が半減した頃、背後に殺到したドワーフ達が、得物を振り上げて一斉に襲いかかった。それを感覚鱗に捉えていたバッシは、列の端に体当たりをかますと、転がるように離脱する。
そこに爆炎が降ってきた。二匹の若龍が息を合わせ、挟撃するように龍炎を放射しながら飛び過ぎる。
黒煙が尾を引き、巻き添えを食らったドワーフ達がのたうち回る。だが半ば溶ける肉体を躊躇なく振るう戦士もいた。きな臭い煙の中、血混じりの戦斧をくぐったバッシは、許しがたい怒気を運動に変えて、低く、速く、すり抜ける。
その地面が大きく傾いた。生き残りの黒百足が燃えながら津波となって迫り、ドワーフやシオンごとバッシを飲み込んで岩場に打ち寄せる。
一面真っ赤に燃え上がり、黒百足の残骸が灰になって崩れた。その地面に立方体分の突起が生まれると、中で激しく剣を打ち合わせる音が漏れ伝わる。
それを一枚の戦輪が打ち破ると、上空で「インイン」と音を立てて高速回転した。円盤はブレながら、新たな円盤を生み出していく。それが密に空間を埋めると、血しぶきと共に立方体が爆ぜた。
乾いた血をそのまま纏ったような男と、鋼に縁取られた立派な体躯の龍装戦士が、お互いに剣を構えたまま、間合いをはかる。
「やっぱりバッシは強いなぁ」
男はピノンの口調で血剣を揺らすと、上空を埋める戦輪が生き残りのドワーフ達に飛んだ。その首の周りで高速回転する輪は、触れれば首が飛ぶ勢いである。
「人質を取らなくちゃいけないなんて」
分かってるよね? と言外に告げる口角は上がり、いまだ空中にある残りの戦輪が威嚇するように回転数を上げた。
「簡単な事だよ、ここで君が死んだら、この人達は見逃してあげる」
油断なく距離を取る男が、バッシの周りに赤黒い平面を生み出していく。だがどうにも気にくわない。さっきからバッシが大人し過ぎるのだ。
「分かったらその鎧を〝解け〟」
苛立ちを言葉に乗せた精神魔法が効いたのか、バッシの表皮を覆う鋼睡蓮の龍装が素の地肌に戻っていく。
とどめを刺そうとしたシオンが、一歩踏み出した時、その足に何かが触れた。見ると、小さな白い球が足裏に粘着し、数本の棒状突起が足を固定している。
それを振り払おうとした肩を何かが掠め飛んでいった。一瞬銀光の中に引き込まれたシオンは、身動きできないままに、上空に放たれた綱を見送る。
その先端には鎌鉈が生え、無数にある戦輪のたった一つを狙って軌跡を描く。
「カッ」
と音が聞こえた気がした。指輪に戻った戦輪の傷に、鎌鉈の刃が食い込んで、空高く火花を散らす。瞬時にドワーフ達の首に回る戦輪が搔き消えると、眼球に感覚鱗を纏わせたバッシが男に向き直った。
片割れと化したピノンの不在に、シオンは理解する。既に何をしても間に合わない事をーー手元の血剣を引き上げても、赤黒い平面に血刃を振るっても、ましてや精神魔法を放ってもーー目の前の巨人の振るう白刃が肩口から胸に侵入し、背骨を断ち切りーー抜けた後の返す刀で、頸部から頭蓋を貫き、鋼睡蓮の花が開いて、頭部が爆散するのをーー
「ああっ!」
と叫ぶ思念を残して散ったシオン、その手になる血剣は、主死してなお、生贄を求めて振るわれる。だが照準を失った亡主の肉体は、やがて大量の血を失うと、地に伏して動かなくなった。
バッシは厳重に縛り上げたピノンの指輪を引く。熱を持ち始めたそれは、食い込む鎌鉈の刃を割り、形態を変えた。それを掴み取って魔力を注ぐ。紫銀の光は最後の抵抗に滾る魔力を分解すると、指輪から吸い上げた魔力を鋼睡蓮に変換していった。




