血戦
獄火を抑え込んでいたノームは、火力の急変にも動じることなく神の鎚を振るった。だがそれまで言うことを聞いていた炎が、明らかな反発を示して右手を押し返す。
〝きたか〟
と、久しぶりの危機的状況に気合いを入る。これまでが子供の戯れ合いならば、ここからは寿命を賭けた大人の駆け引きだ。どれだけの命を乗せて、相手の寿命を削れるか? 降りる事のできない賭けは、老いたるノームにとって荷の勝つ役目だった。
それを承知と鎚を振るう。相撃つ獄火の手応えは、到底一人の人間がーードワーフが支えきれるものではなかった。
鉄火場ほど神の力を感じる事は無い。それは全身全霊をかけて打ち刃物を鍛える際、神の憑依による充実感と虚無感がないまぜとなる、充実した虚脱と似ていた。
〝貴神に捧げる供物としての炎〟
そうして火と創造を司る神の源へと変換しなければ、到底捌き切れる魔力ではなかった。だが、それを支える巫子にも負荷はかかる。身を焦がす程に溢れる熱を、神の鎚による補助を得て拡散させる。ノームの周囲には焼け焦げた空間が生まれ、滴る汗もすぐに蒸発した。
爆ぜる熱線が封印を穿たんと空を切る。そこに打ち付ける神の鎚は力強くその方向を歪めるが、支えるはずのノームの膝は、意思に反して屈すると、喘ぐように天を仰いだ。
緊張の連続に、病んだ肺房が耐えきれず作業を拒み、ノームはパクパクと虚空を飲む。脳への酸素不足から視界が薄まり、右手から神の鎚が落ちかけた。
その状況で容赦ない獄火が結界石を直撃すると、結界全体が揺らぎながら消耗する。
その振動が影響したのか、肺に空気を掴んだノームは、限界を超えて目を剥くと、再び鎚を振るう。力の激突は七色の魔光を散らし、結界の形に飛び散った。
〝あの時はもっと絶望的だった〟
かつて剣聖や魔女とパーティーを組み、黒斧の邪神と戦った時は、圧倒的な力の差と、経験の浅さ、何より脆弱な精神から、絶望的な戦いの最中、何度も死にかけた。
後から考えても、何回か死んでいなければおかしい状況ーーそれを乗り越えられた要因は、二人の飛び抜けた仲間の存在と、自身の強運に尽きるだろう。
神に愛された男には、圧倒的な運が有る。神に祈れば祈るほど己の内に湧き上がる、闘志という名の動機もある。そこに神の力が爆発すれば、がらくたのように老いた体も高出力の機関と化し、神の僕としてどんな絶望をも覆す装置になれた。
顔を真っ赤にして獄火を打ち据える。だが神の動力とも言われる炎は、それごときでは屈しない。また打つ、微動だにせぬ地獄の炎、それを打ち据える神の鎚……延々と繰り返される鍛造と、不変の炎によって、結界内の温度は上昇していった。
ノームの顔面から頭頂部にかけて、太い血管が独立した生き物のように脈打ち、真っ赤に染まった全身からは、蒸気と熱が排泄される。機械のような動きが、それを支える神聖魔法の癒しを上回ると、それでも限界突破の鎚を振るい、最後は爆ぜるように吹き飛んだ身体が結界を滑った。
神官達に抑えられ、肉体と精神両面の回復を受けると、再び鎚を振るい立ち上がる。その目前で、闇百足の人型は他方面に向かって獄火を放たんとしていた。
リグスやゴウン達先行部隊を狙う火線の横面に、神の鎚を振るうと、後続の神官達も祈りを合わせて放たれた光弾が肥大化する。
衝撃と共に爆ぜた炎は、神の光に触れた部分から消滅したが、その飛沫が散弾となって、リグス達に襲いかかった。
*****
リグスは吹き飛ばされた結界壁に手をつくと、もうもうと煙を上げる解体装置を見た。後もう少しというところまで掘り進めたそれは、獄火の散弾を受けて崩れ、二本ある穿孔槍は片方が折れている。
工兵達もある者は弾の直撃を受けて即死、または負傷してうずくまり、その他の者が即座に抱え、引きずり退がる。
見上げた闇百足はいまだに結界の縛を受け、それを維持するゴウンが立ち塞がって、影が伸びていた。だがその影には片腕が無い。
大量の血を垂れ流しながら、片手を突き出して結界を維持するゴウンの肩は震えていた。
「ゴウン殿の治癒を優先しろ」
リグスは号令を下しながら、残る穿孔槍に取り付くと、金光を纏わせていく。曲がってしまった溝を捻じりながら、力一杯槍を突いた。
声にならない絶叫を上げた人型が、デタラメに獄火を噴射する。視界を塞ぐ熱気が穿孔槍を溶かすと、ゴウンが結界を維持するために更なる魔力を消費し、なんとか拮抗させた。
気力尽きかける体を、ドワーフの神官や工兵達が癒しながら支える。なんとか微細な結界操作を維持したゴウンは、前進するリグスに人型へと続く道を作った。
双鎚紋の戦斧は、再び魔力を蓄えて、金色の光が臨界の火花を散らす。そこに放たれる獄火を、ノームの神の鎚が鍛えた。
一瞬の隙に、突進して金斧を振るう。広がる金光が槍穴を押し広げると、その中心に極彩色を放つ玉が現れた。
〝やめろ〟
リグスがその玉に手を伸ばした瞬間、叩きつけるような思念波に撃たれた。衝撃に物理的な反動を受けたリグスが、ほんの僅かに手を滑らせた瞬間、こぼれ落ちる玉を、乾血色の手が受け止めるーー
「ここまでやり込まれるとは、予定外も過ぎますね」
玉を掴んだ男は元の場所に押しもどすと、無言で金斧を振るうリグスに、
「〝動くな〟」
と命令を下す。強烈な精神魔法に、動きを鈍らされたリグスは、しかし金光の力を持って刃を進めた。
「〝重い〟〝重い〟〝重い〟」
薄笑いの男が言葉を重ねるほどに、リグスの腕が重くなり、こらえようと一歩踏み出した足に、赤黒い平面が現れる。
「死ね」
無数の赤刃が噴出する。瞬間、リグスとの隙間に白息の結界が現れ、同時に血装束の男をノームの光弾が弾いた。
赤黒い平面の盾でそれを吸収した男は苛だたし気に、
「〝全員〟が〝止まれ〟」
と命令する。ちょうど機械弩を構えていたドワーフ工兵達は、引き金にかけた指をひきつらせた。
ゴウンは固まりながらも結界を維持している。それを見た男は、失き左腕から滴り落ちる血を見ながらゆっくり近づくと、
「中々頑張ったね、でももう〝休め〟」
と血剣を振るう。それを阻まんとする三つの力ーー
一つは重い体を引きずりながらも、金斧の刃を広げたリグス。その刃は赤黒い平面に打ち付けられ、破りながらも更なる平面に止められた。
もう一つはノームの光弾。赤黒い平面が吸収しようとするが、修正されて威力を上げた光弾は、収まりきらずにそれを弾き飛ばす。
しかし警戒していたのはノームだけではなかった。精神魔法でそれを先読みしていた男は、ほんの僅かに身をずらすと、斧を止めたリグスの体を盾にする。
そこにもう一つの力が〝伸びた〟
完全に把握し、支配下にある場で、意識できない第三の干渉に驚いた男は、思わず切っ先を変える。振るう血刃が切り払ったのは、足元から伸びる綱だった。
「しつこい奴だ」
足元には綱を生やしたバッシが、体をもつれさせながらのたうっている。それは関節を持った動物が、生来持つ動きを逸脱していた。
吹き飛ばされ、地面を這うリグスが手を伸ばすが、覗き込んだバッシの顔面は白目をむき、手足の動きは正気を疑うものーー
「精霊を操るはずが、精霊にあやつられるか……アイデアは面白いが、操作できなければ無駄骨だな」
冷笑を浮かべるシアン、だが唯一動きの読めない怖い存在でもある。噛み合わない精霊の操作が、何時噛み合うかも知れないからだ。
「〝全員〟〝動くな〟」
さらなる命令を重ねると、瞬時に赤黒い立方体を生み出し、バッシを封じ込める。
内部に発した血刃が、無音の内に猛威を振るい、解けた立方体から血煙が拡散した。
バッシを知る者全てが、目の前の出来事を信じ難く受け止めようとした時、血煙の中に覚悟した姿は無かった。
確信を持ってゴウンに向き直ったシアンを、抜き打ちの鋼が袈裟斬る。それは精神魔法も、赤黒い空間も、神の血剣も、全てを置き去りにする一閃だった。
「カッ」
信じ難い出来事に意識が追いつくと、血走る目をむいたシアンが、
「な、ぜ」
と斬り抜けたバッシを見る。
バッシが主導権を握ったならば、精神魔法に捉えるはずだし、精霊が主導権を握っているならば、これほど急速に動けるようになるのはおかしい。それともあれは演技だったというのか?
疑問が尽きぬ中、溢れる血を垂らしながら、
「お前、は〝止まる〟」
と、とどまることを知らない支配欲が、精神魔法を発動させた。だが、通じるはずの魔法が全く影響を示さない。バッシの目には、精霊が乗っ取っていたときの虚さは無く、獲物を捕らえる捕食者のような輝きが有った。
バッシの龍装が踊る。まるで独立した生き物のように形を変えた鈍色の鱗は、鋼睡蓮の象眼を浮かべ、本物の龍よりも立派に色づいた。
ーーその輝きの中には、いつの間にか奪い取った神玉の力が通っていた。地龍時代よりもさらに強い龍魂と接した鱗玉は、龍神の玉を主と認めるや親和性を強め、バッシの中で力に滾るーー
鳩尾から放たれる力が体の感覚を失わせ、吐く息からも大量の力が漏れ出る中、バッシを構成する全ての要素が浄化されていった。
ついに神玉という聖なる力をもって、バッシの内に根深く絡みついた軛が消滅する。同時に軛を手掛かりとしたシアンの精神魔法を、鋼睡蓮で遮断することができた。
驚愕するシアンの傷を塞ごうと、赤黒い空間が生まれる。その隙をついたバッシの右手に鋼睡蓮が芽吹き、ほころぶ花弁が刃となって伸びた。
合わせる血の神剣は間に合わず、赤黒い平面は斬り裂かれ、シアンの頭上まで血が噴き上がる。その切っ先は顔面を縦に割き、仰け反るシアンの背後では、
〝イン〟
という音が響いた。




