粘着する子供
女の首を絞め上げるピノンを、銀光の素早さで斬り上げたバッシの刃が、寸前で空を切る。爆発物を避けるように瞬間移動したピノンは、皆の間を次々に飛び移って距離をとった。
「悪魔の特殊移動にはある特徴がある、それを我々は極秘に掴み、対策を練った」
ゴウンはドワーフ達の背後に迫り、吐き出していた白い息を球面に整える。その表面では寸分の狂いもなく魔法陣が組み上がり、圧縮されていった。
「転移するのは強力な心的外傷を植え付けた者の側。そして傷が深いほど引き寄せるエネルギーも強くなる」
それを右手に握り込むと、左手の爪で頭部の龍鱗を引き剝がす。淡い光が漏れた。その間にもピノンは各人の間を飛び渡るが、光が強まって行くに従い、意識がゴウンに引き寄せられていく。
「強味は弱味、悪魔の転移は便利な反面、その力に縛られている。一族郎党を失った私のトラウマは、悪魔を強く引き付ける。封印鱗によって抑えつけていた我が思念からーーお前は逃れられない!」
知らずに流れ出る涙にも瞬き一つしないゴウンの頭部が閃光を放つ。同時にいくつもの円柱を伸ばし始めた魔法陣を頭部に向けると、吸い寄せられるようにピノンが瞬間移動してきた。
「我が傷に沈め」
練り上げた結界球がピノンと接触する。瞬間移動で脱出しようとする影を円柱が縫いとめ、光が肉体を取り込んだ。
「無駄だ、その魔法陣は聖龍様より預かりし、重属性の言霊。魔力は霧散し、抵抗は無駄に終わる」
ゴウンの言葉に、初めて焦りの色を見せたピノンは、ふところから一本の筒を取り出した。
その手元を攫うように、鋼睡蓮の花弁が巻き付くと、ピノンの魔力が決定的に消滅する。バッシは逃すまいと接近しつつ、新たに伸ばした花弁の先端に鎌鉈を生成し、いまだ取り込まれまいと抵抗するピノンの痩躯に突き立てた。
〝バリン〟
首を伸ばしたピノンが、透明な筒に嚙みつく。血走った目は魔性を剥き出しにバッシを凝視し、口元にはふやけたような百足の標本が垂れ下がる。その体表にびっしりと書き込まれた、読解不能な文字がビクビクとのたうち、ピノンの口からは血が滴った。
「ポタッタタッ」
と地面に落ち、同時に落とされた百足が、デタラメに血と砂を攪拌する。
「駄ぁメェじゃぁない、か~」
と、鎌鉈を生やしたピノンが、上目遣いに言葉を吐きだす。声の高さに反して空寒いほど冷め切った声。すかさず落とした百足を斬りつけようとしたバッシを、嫌な予感がよぎった。
バッシの手から放たれた鎌鉈が地面に突き立つ。そこに居たはずの百足は、岩場の溝に溶けるように消えていた。さらにピノンに突き立っていた鎌鉈が、バッシの鋼睡蓮によって弾かれる。それはピノンの指輪を包み込んだ部位だった。紫光を強めても抑えの効かない指輪の振動が、目に見えて強まる。すかさず銀光の世界を発動させると、紫に銀が溶けて馴染み、指輪からピノンの支配力が消えた。
失望した表情のピノンが魔法陣に取り込まれていく。だが、無数の円柱が全身を貫く間際、わずかに上がった口角を見逃さなかったゴウンは、後方の結界石に意識を引っ張られた。
闇龍が現れた時に撒き散らされた代謝物が地面に広がり、巨大な結界の下で唸りをあげる。それは結界の内側で触手を這わせる闇龍と反応して黒色化し、結界石を伝って若龍を汚染すると、前脚の爪が真っ黒に壊死し、砕け落ちた。
龍人達は龍牙鎚をかざして結界を維持しようとするが、闇の広がった地面から結界へと標本の百足が昇った瞬間、弾かれるように吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
バランスを崩した結界から、長大な闇龍がこぼれ落ちる。それを巨大化した百足が音までも飲み込むように捕食すると、男女の悲鳴があがった。
「アイゴ! トウケン」
かつて冒険を共にし、裏切られ、龍神の玉を乗っ取った二人の名を唱える。ゴウンの声音からは、複雑な感情が滲んでいた。
炎気をあげる若龍が爪の折れた腕を地につけると、お互いが接近し過ぎているにも関わらず、最高威力の龍炎を放射する。
輝きが闇龍を撃ち、一気に熱せられた空気が、天への気流を作り上げた。若いとはいえ、選び抜かれた龍の実力は高く、闇龍はもがき苦しみながら燃え上がる。だが、瘴気に鎧われた外装が燃え尽きた中から、大百足の体が現れると、龍炎を螺旋状に巻き取っていく。
巨大な黒い百足の先端には肉芽が揺れ、形作られ始めた人体が、久しぶりの顕現を謳歌するように、空に向かって湿った腕を伸ばした。
〝あの時の大百足だ〟
結界に滅する寸前で逃れようとしたピノンの肉体を、鋼睡蓮で縛り上げたバッシが思う。駆け出す全身を包んだ紫光は鋼の葉脈を伝い、それを龍装が押し上げていった。タンたんと同じ性質の火を操る大百足、さらに闇龍を取り込んでしまったーーそれがどれほどの脅威となるかは想像もつかないが、飛び出した一条の触手が炎を纏い、軽く触れた若龍を吹き飛ばした事から、全容を現した時の衝撃に備えた。
ゴウンと龍人達が、まだ黒化していない結界石を操り若龍を庇うと、後退した龍達は咆哮とともに翼を広げて離脱する。それを追って黒の触手が空を焼くが、結界が阻み、すんでのところで空中に逃れた。
「僕に構ってる暇はないんじゃい?」
欠損した身体を揺らすピノンが主張するが、意に介さないバッシは闇百足を伺いながら、それを担ぎ上げる。
「おいおい、乱暴はよしてよ」
という声を肩に闇百足に対峙する。
「どうするつもり?」
の〝り〟を置き去りにしたバッシは、ゴウン達と挟み撃ちになるように移動していく。その駆動には銀光が微量に絡み、所々瞬間移動のように残像を残した。
その間にも「痛い痛い、離してよ」とピノンが騒ぐが、自由を得ようとのたうつ闇百足はバッシ達を気にする余裕も無く、結界石を打たんと触手をでたらめに振り回す。
「すでに虚身、痛みも無いだろう」
ピノンと対峙してから、なぜか血の臭いが離れなくなったバッシが、呻くように漏らす。しっかりと縛り上げるのは、ピノンの肉体よりも、むしろ取り上げた指輪の方であった。
「ありゃ、ばれてるの?」
と言うピノンの肉体から力が抜ける。その代りに、しっかりと封じた指輪から〝インイン〟という微細な音波が伝わってきた。その振動のせいか、血の臭いも濃くなっていく。
ちょうどゴウンと反対の地点に到達した瞬間、それまで無視し続けたバッシに漆黒の鞭が空を切り迫った。熱を纏い音を置き去りにした触手は、轟音とともに硬い地面をごっそりと削ると、後を追う曲線が空間を埋め尽くした。
そこには既にバッシの姿は無く、鎌鉈を先端に伸びる鋼睡蓮の花弁が触手に絡みつき、上空高く跳ねていた。
灼熱の触手も紫光の切っ先に熱を分解され、バッシには届かない。そのまま黒煤の瘴気に包まれ始めた闇百足の表皮に取り付くと、綱のように縒り合わせた鋼睡蓮の花弁を補助に、駆け登り始める。
反対方向からは鈍い破裂音と、衝撃が伝わってくる。ゴウン達が、触手振るう黒百足の注意を引きつけ、再度結界に封じようとしているらしい。
その間も、きつく封じた指輪からは音が漏れ、闇百足の瘴気よりも濃い血の臭いが、鼻腔から戦場の記憶を喚起した。反比例して萎んだピノンの肉体は、鋼睡蓮の緊縛の中で結界に飲み込まれ、液体化して蒸発する。
昂る鼓動を銀光に封じ込めるように祈ったバッシは〝インイン〟と伝わる指輪の存在を尾引かせながら駆け続けた。
〝イン〟
一際強く放たれた音に触手が反応する。その切っ先がバッシを感知すると、体表が盛り上がり、中から瘴気を噴出した。周囲全域を覆う黒い膜が空気中に拡散すると、すぐに固まって巨大な煤の塊となる。本来ならば容易に崩す事のできないそれを、無数の触手が容易く打ち砕いた。
闇の火花散る周囲を、再び瘴気が汚染する。それはさらに大きな煤の塊を作り、砕かれ、作り、砕かれ……偏執的に繰り返される作業に、あたり一面が瘴気に包まれた。
一面の瘴気の中を、
〝インイン〟
と跳ね進む影、触手は空間を埋め尽くし殺到するが、消えるように進むそれを捉えたと思った瞬間には、何も無い空間を打ち、弾き合う。
隙間から伸びた花弁の綱がバッシを突き進ませ、瘴気から逃れた瞬間、荒れ狂う空を見上げた。
煤の粉塵の向こうに炎が見える。それは上空に逃れた若龍が、遠距離放射用に細く吐いた龍炎だった。バチバチと煤を爆ぜさせる輝きは、真っ直ぐに闇百足に伸びる。
だがそれは獄炎を操る闇百足に届くはずもなく、大きく逸れたと思えば、渦を描いて巻き取られ、反対にゴウン達に向かって熱を発散させた。
「無駄、っていうか、無謀?」
バッシの肩口で声がする、視界の端に、へばりついた体液から生える小さな唇が見えた。花弁から放つ紫光で崩れたそれは、しかし気配を張りつかせたまま、周囲を漂う。
余裕無く触手を避け進むバッシには、一つだけ目指す場所があった。以前見た大赤百足と合体した老人、赤黒く突き出た肉芽が形成するそれは、一層濃く蠢く触手の林の向こう、分厚い瘴気に阻まれて、チラチラと伺い知れる。
老人を意識した途端〝インイン〟と指輪が響き、目と目が合う。深い穴に吸い込まれるような感覚に一瞬めまいを覚えると、次の瞬間周囲全てが瘴気に包まれた。
先ほどとは比べられないほどの濃度で、逃れられない広範囲の瘴気と、それをさらに覆う触手の群れ。纏った龍装が瞬時に逆立つとーー
「無駄な事はやめようよ」
耳元に粘着したピノンの声を破って、闇百足の全触手が殺到した。




